山本五十六の實像?

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讀書紹介:


          山本五十六の實像?


   支刈誠也 『 黄色い花の咲く丘──山本五十六の謎 』

    ( リトル・ガリヴァー社、2007.5.30 )  1800圓+税


      この本との出逢い


  古本屋を廻つてゐると、 「 こんな本が出てゐたのか 」 と思ふ本に出逢ふ。本書もその一つ。

  帯に 「 五十六の死は 『 史實 』 か!? 」 とある。

  「 五十六の死を巡る 『 謎 』 を追ひ、史實にはない眞實に迫る 」 ともある。

  あとがき ( 264頁 ) を讀むと、書いたのは素人と判る。


  長岡出身の著者は、郷里出身の英雄として、河井繼之助が西軍と戰つた心境と、山本五十六が米軍と戰つた心境の類似に思ひを馳せ、その心境を山本五十六本人に語らせることを思ひつく。

  その物語を出版社に送るが、片つ端から没になる。

  やつと取上げてくれたのが、リトル・ガリヴァー社の富樫庸氏。それも嚴しい書直し要求付。

  著者は教示に從つて何度も書直した上でやつと本書を完成させた。……


  ここまで立讀みで確かめ、買つて歸つてその晩一氣に朝方までかかつて讀上げた。

  以下はその紹介。


      山本五十六は愚將だつたのか?


  著者の疑問= 「 日本は何故、巨大な アメリカ を相手にあんな馬鹿げた戰爭を始めたのか 」


  河井繼之助も山本五十六も避戰を考へてゐたが、戰はざるを得なくなつた。

  その心境を五十六本人に語らせるには、敗戰まで生き延びさせる必要がある。

  だから五十六は、 「 實は昭和18年4月18日朝、ラバウルからバラレに向かふ途中、撃墜されて死んだのではなく、秘かに生き延びて敗戰を確認した後に自殺した 」 ことにしてある。

  しかもそれがミステリー仕立てで、頗る面白い。讀者を先へ先へと誘ふやう物語が組立てられてゐる。一度讀み始めたらやめられない。


  要するに本書は 「 山本五十六愚將論 」 を山本自身の 「 反省 」 の形で語らせた物語である。


      山本五十六のマスタープランとその破綻


  ハワイイ・マレー 沖海戰、マニラ、 シンガポール占領 →和睦の好機だが、日本はこの好機を逸した。


  そこで次 に 「 ミッドウェーで 敵を蹴散らし、ハワイイ を攻略し、米國西海岸を睨みながら和睦へ 」 を企劃


  だが ミッドウェー で 大敗を喫し、和睦の機會が永遠に失はれた。

  ガダルカナルの 消耗も、日本の優位を消滅させた。


  だから五十六は、昭和18年春先に見た夢 「 自分が乘る一式陸攻が撃墜され、自分の國葬が營まれる 」 といふ豫告を受けて、不必要な前線視察に敢へて出た。


  だが、そこでも五十六一人が生延びた。

  土人に助けられて蘇生した五十六は、 「 世捨人いそさぁ 」 になり、水垢離をしながら英靈の冥福を祈るため、瀧壺の脇に庵を結ぶ。

  ── 1人當り 1分間冥福を祈るとして 1時間60人、夜明けから 3時間、午後 3時間として 1日 360人、 1年13萬の英靈の冥福を祈れる。

  かくて朝晩の水垢離が日課となつた。


  五十六は、教育對象にした土人の若者 「 カリ公 」 にかう説教する。


  「 人間には、相手がいくら強からうと、立上つて戰はねばならぬ時がある。その時には智慧と工夫を凝らして戰ひ抜くのだ。さうすれば道が開ける 」


  「 だけどもつと大事なのは、負けると決つた戰は絶對避けることだ。臥薪嘗胆して時が變るのを待つ。自分らに義があれば、耐へてゐるうちに道が開ける 」


  「 あの幕末維新の動亂期に武裝中立を考へた河井繼之助の先見の明には心底感心する。だが多勢相手に立上つたのは評價しない。軍備は國を護るためのもの。中立が理想なら、岩村精一郎の要求がいかに理不儘でもそれを呑み、耐へて耐へて耐へ抜くべきだつた。さうすれば、北陸道を來た西軍には山縣狂介や黒田了介といふ立派な人物が居たから、時が解決してくれた筈だ 」


  「 負けると判つてゐる對米戰を始めた海軍首腦、ドイツ の 勝利に目が眩み、 『 バスに 乗遲れるな 』 と開戰を急いだ陸軍首腦の間抜けぶり 」


  「 俺は ローズヴェルト の罠に嵌つてしまつた……。彼我の戰力バランスを圖ると同時に、米國民の厭戰氣分を煽り立てようと考へて ハワイイ を奇襲したが、眠れる巨人を起してしまつただけだつた。短期に事を決するには、緒戰で ハワイイ を占領し、アメリカから太平洋基地を奪つた後、一氣に西海岸の主要都市を攻略すべきだつた 」

  「 戰術論はともかく、戰爭論としては真珠灣は失敗。眠れる獅子を起こしただけだつた 」


  「 『 海軍で戰爭研究をしてゐるのは俺位で、後は作戰研究してゐる奴らばかり 』 と思つてゐたが、俺の考へも間違つてゐたやうだ 」


  「 日米戰爭は ローズヴェルトが仕組んだ戰爭だ 」


  「 緒戰に ハワイイ を攻略し、それを足がかりに西海岸に上陸した後、日本の窮鼠ぶりをアメリカ國民に訴へ、和睦を提案すべきだつたかなあ 」


  「 日本はジリ貧でもドカ貧でも、耐へて耐へて耐へ忍ぶべきだつた 」


  「 米内さんが劍難の相があると俺を後任海軍大臣に指名せず、暗殺の危險がない海上に出して呉れたのは軍人としては名譽なことだつたが、國を思ふ個人としては海軍大臣になり、日獨伊三國同盟の阻止と日米避戰に身體を張りたかつた 」


  そして、日本のポツダム宣言受諾を知つた五十六は、斷食し、瀧に打たれて行を續け、死ぬ。

  死んだのは 「 八月十五日の朝 」


  伊原コメント:


  お話として良く出來てゐる。讀んでゐて面白い。

  歴史物語としては、初めに書いたやうに、 「 山本五十六愚將論 」 を山本自身に言はせたお話である。



  さうと知つて讀めば、それなりに良く出來てゐる。


  但し、日本現代史の參考文獻として讀む人にとつて、問題點が二つある。


  第一、戰後、占領軍 ( 極東國際軍事裁判 ) と海軍・外務省とがでつち擧げた 「 陸軍惡者史觀 」 を基盤にしてゐる ( 死刑になつたA級戰犯は廣田を除いて陸軍軍人ばかりで海軍軍人は一人も居ない ) 。


  第二、肝腎なところに誤記・誤植が目立ち、折角の 「 眞しやか 」 を興醒めにしてゐる。

  例:

  36頁 軍表→軍票/ 「 見よ東海の世は明けて 」 → 「 空明けて 」

  61頁 感心もしめさず →關心も示さず

113頁 コクトー → コクニー cockney

141頁 感心 →關心

223頁 山形有朋 →山縣有朋

    ( これはワーブロの變換ミスらしいが、重要人物の誤植を見過ごしてはいけない )

229頁 金子賢太郎 →金子堅太郎 ( 二箇所 )

236頁 安部信行 →阿部信行


  それと、一々指摘しないが、五十六の和歌に 「 歴史的假名遣ひ 」 でない箇所がある。

  實際に五十六が書いたなら、現代假名遣ひになる筈がないので、これも潰し。


  だがとにかく面白いお話である。一讀に値する。


( 平成21年2月4日記 )