馬英九政權の台灣

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伊原註:財團法人 「 日本學協會 」 發行の月刊誌 『 日本 』 12月號に掲載。

    12頁〜18頁に掲載されました。

    執筆したのは 9月15日です。だから、その後の對中傾斜が入つて居ません。

    その後については 『 海外事情 』 平成21年1月號掲載の拙稿を御覧下さい。


    そして私が強調しておきたいことは、中國國民黨が野黨時代、政府與黨の足

    を引張るだけで、 「 名譽ある反對黨 」 の役目を果さなかつたことです。

    だから二度目の 「 政權交代 」 は決して 「 民主主義の深化 」 ではありません。




      馬英九政權の台灣



    1  「 一黨獨大 」 の中國國民黨の 「 壓勝 」


  3月の總統選で中國國民黨の馬英九が民主進歩黨の謝長廷を 210萬票引離して勝つたとき、國民黨は台灣の政治を思ひのままにできる絶大な權力を手に入れたやうに見へました。


  1月の立法院選で小選擧區制をうまく利用して 3/4といふ壓倒的多數の議席を獲得濟です。

  その前の2005年12月の統一地方選では23縣市中17縣市の首長を握り、その下級である郷鎮市長ではもつと壓倒的多數を制してゐたことを併せ考へると、國民黨の台灣制壓ぶりが窺へます。


  さらに、一黨獨裁時代の半世紀を通じ、台灣の隅々まで制してゐた國民黨は、政權が民進黨に變つた8年の間も、軍人・警察・官僚・教員・メディア界など、台灣の統治機構の骨組を握つたままでした。

  だから國民黨の勝利に緑陣營支持者は落膽し、 「 三十年の努力は水泡に歸した 」 ( 黄惠瑛/ 「 台灣の聲 」 4月27日 ) と嘆いたのです。


  そして就任後の馬英九は、その 「 懸念 」 通りに動くかに見へました。


    2 馬英九政權の對中傾斜


( 1 ) 總統就任演説の親中路線


  二度の政權交代で台灣の民主主義は深まつたと自畫自賛し、島國の台灣は 「 開放 」 により發展すると稱して、一層の對中 「 開放 」 を訴へます。そして中台關係發展の手掛りとして 「 四つの繼續 」 ( 信頼樹立・爭點棚上・合意優先・雙方利得 ) や 「 92年合意 」 ( 「 一つの中國・各自表明 ) を持出した胡錦濤先生とは、 「 理念がかなり一致する 」 と言ひ、 「 大陸13億の同胞 」 と言つてのけます。

  中國人が同胞なら、台灣の前途は台灣住民だけでは決められなくなるのに!


  馬英九の公認の中國政策は 「 統一せず、獨立せず、武力行使せず 」 の 「 三ノー 」 です。 「 任期中に中共とは統一談判しない 」 と公言してゐます。

  しかし 「 三ノー 」 は台灣側の自制だし、 「 92年合意 」 は 「 一中 」 原則受入れを意味しますから、馬英九の持論 「 終極統一 」 に照らして、結局は台灣併呑路線です。


( 2 ) 脱台灣化と 「 中華 」 稱揚


  陳水扁は中国・中華の名稱を台灣に改め、脱蔣介石措置を實施して 「 台灣意識 」 の向上を圖りましたが、馬政權はそれを元へ戻します。


  例:台灣郵政→中華郵政。切手の表記を變へました。台灣駐在の大使も駐台→駐華と變へました。これでは中華人民共和國駐在大使と區別がつきません。いや、區別をつけさせぬためにこそ取つた措置なのでせう。


  また8月の北京オリンピックに參加する台灣隊は、英文表記 Chinese Taipei ですが、これの中文表記 「 中華台北 」 を、中共政權は 「 中國台北 」 にしました。台灣が嚴重抗議し、すつたもんだの末、やつと 「 中華台北 」 に戻して貰へた。台灣の新聞では、こんな文字遊びが通用するのは台灣だけ、國際社會では Chineseも Chinaも同じく 「 中國だ 」 と馬政權を嗤う投書が續出しました。


  「 民主紀念館 」 と改稱した 「 中正 ( 蔣介石 ) 紀念堂 」 も、元に戻りさうです。國民黨市長の管轄下にある地下鐵の驛名は、民進黨が改稱した後も 「 中正紀念堂 」 のまま通して現在に到つて居ます。


( 3 ) 直行便と中國人觀光客受入


  馬英九が總統選で語り、就任演説でも強調したのが、 「 週末チャーター直航便と大陸觀光客の來台枠の緩和 」 です。

  これまで、台灣の資金が中國に流れる一方だつたのを、中國人觀光客の來台枠を一日三千人に擴げ、台灣にお金を落して貰はうといふのです。

  中國の不動産業者を呼んで、台灣の不動産 ( 土地・建物 ) を買つて貰ふ試みは、すでに實施濟です。


  週末チャーター便は、陳水扁政權期に始りました。舊正月の歸省客のための臨時便に始り、重要選舉の時も運航されるやうになりました。

  台灣は不在投票を認めないので、在外台灣人は、投票時は故郷に歸省せねばなりません。

  中國政府は、中國に投資した台灣企業家に 「 國民黨支持 」 「 獨立派不支持 」 を要請しており、歸省投票を奬勵して來ました。


  しかし直行便には台灣で根強い反對論があります。


  要注意人物が入國し易くなるといふ反對論に對しては、そんな人物は直行便がなくともいくらでも入つてくる、いや、既に入つてゐるといふ反論があります。


  もつと強い反對は、安全保障上の議論です。民間航空機に軍隊を積んで來られたら忽ち空港を占據される、これを防ぐ方法はない、といふものです。

  だから陳水扁政權は例外的かつ臨時にしか直行便を運航しなかつたのですが、馬英九政權は、まず金土日月の週末チャーター便を定期化し、今年中にそれを平日に擴大するやう談判し、來年からは毎日飛ぶ定期便にすると言つて居ります。


    伊原追記:平日定期便は11月4日、台北での陳雲林海協會會長・江丙坤海基會董事長の會談で協議がまとまり、12月15日から運行されました。


  案の定、中國軍が6月18日、河北省石家莊空港で台灣の空港占領作戰の訓練をやりました。

  新華社が20日、寫真入りで報道したところによると、中國軍が8機の民間機を徴用し、特殊作戰部隊や各種軍用車輛の搭載・輸送・着陸後の急速展開・空港占據の訓練です。


  新華社がカラー寫真まで添へて報道したのは、台灣と國際社會に 「 台灣は中國のもの、軍事行使した時も手を出すな 」 というメッセージでせう。

  台灣では 『 自由時報 』 が6月29日付で報道しましたが、台灣側では一向騒ぐ氣配も對策を講ずる樣子も見へません。暢気なものです。


( 4 ) 台灣に押寄せる中國人


  馬政權の對中傾斜で最も怖いのは、中國人の台灣流入に歯止めがかからなくなることです。

  中國人は恐しい勢ひで台灣に流入してゐます。


  合法的には、旅客として入國しておいて消へる方法と、大陸花嫁として台灣人と結婚して入國し、八年後に身分證明書を得て國籍を取得する方法があります。

  台灣國籍を得ると選擧權もあり、大陸から家族も呼寄せられます。


  大陸花嫁は毎年3600人が限度の筈ですが、勿論非合法のもある譯で、2003年3月現在で既に20萬人居ました ( 『 新生報 』 03年3月21日付 ) 。彼らが 1人につき 5人づつ家族を呼寄せるだけで忽ち百萬人の有權者となります。總統選を左右するに足る人數です。

  だから民進黨政權は慎重に事を運んで居ましたが、當時から國民黨は中國人受入をもつと 「 開放 」 せよと叫んで居ました。


  非合法の中國人流入はもつと恐しい數字です。

  蛇頭が一人につき日本圓25萬圓から60萬圓相當の費用を徴収し、漁船一隻當り50〜60人をぎゅうぎゅう詰めにして運ぶ。途中で死人が何人も出るほどの鮨詰なのです。

  これが物凄い利益を擧げるから、中國は官憲ぐるみで密入國を組織してゐるのです。

  密入國船は毎日稼働してゐて、台灣には既に少くとも50〜60萬人の密入國者が居ると言はれております。


  中國は、台灣だけでなく、世界中に中國人をばら撒いてゐます。

  曾て 『 人民日報 』 傘下の 『 環球日報 』 が、中國人はできるだけ外國に行き、その國の國籍をとつて政治に參加しようと呼掛けたことがあります。これは中國政府の方針でせう。


  昔、東南アジア諸國で華僑が 「 中國の手先 」 視されてゐました。そして中共政權も蒋家政權も、人口統計に華僑を含めて居ました。

  彼らは他國籍であつても出自が中國なら中國人と認めます。中國人は台灣だけでなく、世界を、勿論日本も含めて乗取るつもりかと思へるほどです。

  それにしては、世界各國の中國に對する無警戒ぶりは驚くべきものです。


  これでお判りのやうに、台灣を見てゐると、中國の世界政策まで見えて來るのであります。

  眞先に乘取られる筈の台灣は、馬英九政權の成立で、今や半身不隨状態になりかけて居ます。


     3 經濟で挫折した馬政權


( 1 ) 物價上昇と株價下落


  民進黨が立法委員選舉で大敗し、馬英九が總統選で大勝した基本的理由は、經濟不振でした。

  民進黨が、李登輝政權時代の國民黨の經濟政策の影響が民進黨政權期に出たことと、グローバル經濟時代には國際經濟の影響が大きく、台灣一國の經濟政策だけで台灣經濟を動かせないこと、その台灣一國の經濟政策も、多數を誇る野黨の 「 反對のための反對 」 づくめの抵抗で思ふやうに立法できなかつたことなどが大きいのです。


  ところが、 「 馬上好 」 をスローガンに 「 馬英九が總統になれば景氣は忽ち良くなる 」 と言つてゐた馬英九が就任後、經濟が俄然、惡化します。


  まず物價上昇。これは石油價格と穀物價格の上昇が台灣を直撃しました。石油はエネルギー源ですから、その値上りは、エネルギーを使ふあらゆる生産物のコストを引上げます。そして石油價格の値上りは植物の燃料化の動きを誘發し、食糧も値上りして庶民の生活を直撃しました。


  更に、台灣の庶民も賣買してゐる株價がどんどん下落し、恢復の見込が立たない。

  馬英九は、國民黨が政權に復歸すれば、株價指數は忽ち2000點上がると豪語してゐました。

  それが、馬英九が總統に就任するや否や、忽ち急落した。

  馬英九就任式の前日5月19日に9068點だつた株價指數が、就任 1ヶ月の6月20日には7902點に下がり、7月中に一旦最低点6708點に下つたあと、8月にはやや恢復して7000點前後で上下したものの、9月に入るとまた6000點代に下がります。


  この株價下落で台灣の購買力は激減しました。


  馬政權は、6月末に 「 馬上好 」 の公約を 「 馬上漸漸好 」 に變へます。

  更に9月3日には 「 六三三 」 の公約を一期 ( 2012年まで ) ではなく、二期目 ( 2016年まで ) に果すと、實現を先送りします。

  六三三の公約とは、年平均 6% 以上の成長率・一人當り國民所得を 3万米ドル以上・失業率を 3%以下にするといふ内容です。

  この 「 先延ばし 」 發言後、株價は9月3日に6413點、5日に6307點と下がり、11日に6252點まで下がりました。


  馬政權は今や 「 台灣經濟は基本的に良い 」 のだが、民進黨政權の經濟政策の惡影響が残つて居り、國際市場の影響もあつて思ふやうにならぬと 「 人のせい 」 にして切抜けを圖つてゐます。


( 2 ) 馬英九の支持率下落


  經濟不振は馬英九の人氣を落しました。

  台灣では、政治家の支持率は、滿足度/不滿足度の百分率比で現します。


 青陣營の 『 聯合報 』 の調査 ( 數字は% )

   5月20日  66/10

   6月19日  50/30

   7月    40/44

   8月25日  47/37


 緑陣營の民進黨の調査

   4月7日  71/23

   5月27日  55/33

   6月5日  51/43

   6月30日  39/54

   7月15日  37/57

   8月20日  37/57

   9月9日  32/62


  この滿足度の推移を單なる人氣投票と見れば、當選した政治家には痛くも痒くもないが、次の投票の指標と見れば心穩かならざる數字です。


  但し國會の絶對多數を握る國民黨は、現状凍結でも民主政治の破壞でもできる態勢にありますから、居直るつもりならいくらでも居直れるのです。台灣の有權者は、度重なる選舉を通じてそれだけの壓倒的支持を國民黨に與へてしまつたのですから。


( 3 ) 本土派 ( 台灣土着派 ) の八月攻勢


  8月末、馬英九は就任百日を迎へます。これを機に、手ぐすねひいていた野黨陣營は、一齊に馬英九批判の聲を上げます。


  8月9日晩、台灣教授協會など台灣本土派の社會團體が共催した馬英九政權批判集會が、總統府前のケタガラン大道で開かれます。 「 ( 對中傾斜の ) 崖つぷちで踏み止まり、公道を呼び戻さう 」 といふ集會です。台灣本土派支持の新聞が 「 何千名もの民衆が集つた 」 と書きますが、これは小手調べでした。


  馬英九就任 3ヶ月に當る8月20日、台灣團結聯盟が、就任後の經濟政策、とりわけ對中開放政策に抗議すべく經濟部に押掛けました。參加者千人。


  抗議集會の本命は、8月30日の 「 30萬人大デモ 」 です。

  その途上で問題が起きました。8月14日、陳水扁前總統の 「 選舉經費の着服・不正蓄財・不正海外送金 」 問題が發生し、本土派に混亂が起きたのです。金額は2000萬米ドル ( 台幣 6億餘元 ) とも3100萬米ドル ( 台幣 9億餘元 ) とも言はれます。海外口座を作つて送金したのは妻の呉淑珍です。


  陳水扁は記者會見して 「 法律が許さぬことをやつてしまつた 」 「 過ちを犯して恥ぢ入り、責任を感ずる 」 と謝罪しました。

  これで緑陣營は大騒ぎ、 「 こんな者は死ね 」 「 身投げせよ 」 「 切腹せよ 」 「 民進黨に寄附した私のお金を返して欲しい…… 」

  「 呉淑珍が陳水扁を尻に敷いてゐる話など、今更ニュースにならぬ 」 といふ聲もありました。


  その後の動きを見ると、これは民進黨や緑陣營の足を引張ることなく、陳水扁個人の刑事事件として落着しさうです。


  8月30日の 「 馬英九就任百日目の怒号・全員立上がれ 」 といふ馬政權への抗議デモは、五項目の要求を出しました。

  1. 公約實現不能を謝罪せよ

  2. その場合の約束 「 給料を寄付 」 せよ

  3. 低所得者に税金を還付し、物價を安定させよ

  4. 「 陽光法 」 ( 透明化促進法 ) の半年内の成立

  5. 兩岸關係は國民投票で決めよ

  このデモには30萬人が參加したと言はれますが、實際に參加した人から聞いたところによると 「 もつと居た。何しろぎゅうぎゅう詰めで立錐の餘地もなかつた 」 と言ひます。


    4 世代交代を狙ふ馬英九政權


  四面楚歌の中で、馬總統は何を考へてゐるか?


( 1 ) 若者の代表:馬英九


  馬英九の人氣絶頂は台北市長時代です。

  彼は98年12月、台北市長選に出て、評判の良かつた陳水扁市長から市長の座を奪ひました。このとき民進黨は、 「 馬英九の手強さ 」 を知つておののいたやうです。


  市長時代は若者を周圍に集めて市政を牛耳りました。

  市長としては陳水扁より無能で、中國肺炎 ( SARS ) や風水害の對應で失策しましたが、人氣は衰へませんでした。青陣營のメディアが支へ續けたからです。


  次で馬英九は2005年7月、國民黨主席選舉に出ます。

  相手は立法院長の本省人、王金平。

  ここで72%の壓倒的得票率で當選。

  前黨主席連戰は名譽主席に祭り上げました。

  連戰は引退させられて大不滿でしたが、世代交代の波には勝てませんでした。


( 2 ) 中共に投降した負け組


  連戰は、2000年・2004年の二度の總統選に破れ、連戰連敗で黨主席の座も降りました。

  かくて自分を當選させなかつた台灣の有權者に復讐すべく、2005年に訪中し、南京で中山陵に詣で、故郷西安に歸つて學童から 「 おじいちゃん、お歸りなさ〜い 」 と言はれて悦に入り、北京で胡錦濤と國共會談をやつて中共の台灣併呑に道筋をつけます。


  馬英九は國民黨内で 「 世代交代 」 を策して、連戰ら中共投降組と袂を分かつた……やうに見へます。

  中共との交渉も、本省人 ( 客家人 ) の黨主席呉伯雄や同じく本省人 ( ホーロー人 ) の黨副主席・海基會董事長江丙坤を派遣して交渉させ、自分は手を汚してゐません。

  「 汚れぬ鍋 」 馬英九の狡さが窺へます。


  馬英九が若い世代を基盤に台灣を統治して行くには、台灣意識が浸透した若者世代の支持が必要です。現に今回の總統選では、緑陣營の基盤である中南部の票も得ましたし、20代の若者の 68%を獲得してゐます。


  ここに、對中接近による台灣經濟活性化と台灣若者層の獲得といふ二面から成る馬英九の台灣統治構想が窺へます。

  この二面政策の何れかまたは雙方が破綻した時、彼の運命が盡きます。

  そして馬英九と台灣の安泰を支へてゐるのが台米關係です。

  なぜなら、台灣は朝鮮戰爭以降、米國の保護國状態にあるからです。


( 3 ) 米中馴合態勢の成立


  2003年夏以來、米中が結託して台灣に壓力を加へる關係にあります。

  この夏7月14日、陳總統は米國に相談することなく、2004年3月の總統選の投票日に國民投票を同時實施すると言ひ出します。

  これで中共國務院台灣事務弁公室 ( 國台弁 ) の正副主任 ( 陳雲林主任と周明偉副主任 ) が7月21日、ワシントンに驅けつけ、國務省に 「 台灣の國民投票を抑へて欲しい 」 と依頼します。96年にミサイルをぶち込んで李登輝を當選させてしまひ、2000年には朱鎔基が 「 誰に投票すればいいか判つてゐるだらうな! 」 と凄んで陳水扁を當選させた苦い經驗から、米國を通じて台灣に警告するやう方針轉換したのです。

  これを 「 經美制台 」 政策と言ひます。


  中共の要請を受けて、ブッシュ大統領は 「 台灣海峽の一方的改變に反對 」 「 台獨不支持 」 と言ひ續けます。

  台灣の自立を抑へる點では、米中兩國の利害は一致してゐるのです。


  今年の總統選でも、昨夏以來、米政府は 「 台灣の國民投票反對 」 を反復しました。

  ですからワシントンにある保守系シンクタンク 「 ヘリテージ財團 」 のジョン・タシク研究員は、馬英九の勝利を 「 中國の米國利用策が功を奏した選擧 」 と評します ( 『 SAPIO 』 4月23日号 ) 。


( 4 ) 米國の馬政權警戒?


  米國は、選擧毎に中國を刺戟する陳政權を毛嫌ひし、國民黨の政權復歸に期待して居ました。米國留學の馬英九を甘く見てゐたやうです。だから總統就任以來の對中急接近ぶりに驚き、慌てて 110億米ドル分の對台武器賣却を凍結しました。


  凍結のニュースは、6月9日の 『 國防ニュース 』 、10日の 『 議會ニュース 』 が傳へ、少し遲れて 『 ワシントン・ポスト 』 も傳へてゐます。

  後に國務省は 「 凍結 」 を否定し、事務作業は續行中と訂正しますが、ブッシュ大統領が北京五輪開會式出席に向けて 「 當分、台灣への武器賣却は實施しない 」 と決めたことは間違ひないやうです。


  理由は 「 北京への配慮 」 といふより、 「 馬英九の中國急接近への警戒 」 が主因のやうです。


  6月10日早朝に發生した台灣魚釣漁船の衝突沈没後の日台間紛爭で馬政權が中共の日台離間策に乘る形になつたことも關連してゐる模樣です。

  某米高官が 「 首相や國防相が軽々しく 『 開戰も辭さない 』 と口走るやうな國に、新鋭武器など危くて賣れませんよ 」 と言つたさうです。


     5 日台關係の今後


  馬英九政權は、國民黨内で基盤が固つてゐません。何しろ、若者を基盤とする新米政權です。台灣の運命は米日中の三ヶ國が握つてゐます。


  日本としては、馬政權の意圖・實力・勢力基盤を見極めつつ、民主主義の枠内で動くかどうかを見守つて行くべきでせう。


  台灣人は半世紀前まで日本人でした。島國として、大陸國中國とは地政學的條件が違ひます。


  中國はハワイイ以西の西太平洋を 「 シナ海 」 にするつもりらしい ( 米太平洋軍司令官キーティング大將に人民解放軍の海軍將校がさう提案した ) 。

  これを私たちは斷乎阻止せねばなりません。


  中國に制せられると拙い點が二つあります。


  第一、中國もロシヤも文明國ではない。低信用社會であり、人間不信の民族です。人權など平氣で踏みにじります。

  だから18世紀に世界最初の文明社會=高信用社會になつた日本、19世紀に文明社會になつた西歐が中國の下風に立つと、とんでもないことになります。


  中國も經濟が發達して豊かになれば人權を尊重する民主社會になる、などと考へるのは、中國やロシヤの社會に存在する 「 深い闇 」 を知らぬ人の妄想に過ぎません。


  中國は有史以來、現在に到るまで專制支配の縱割社會であつて、權力はお上が獨占して來ました。民主主義の基盤となる中産階級が皆無です。改革開放以來輩出した金持階級は全てお上とつるんで儲けたのであり、お上に楯突くやうな 「 獨立自尊・自助の精神 」 など持ち合せて居りません。中國の民主主義は、極く一部の知識人の頭の中にしかないのです。

  それも彼が權力を握れば話は別となる程度のものです。


  台灣は日本の統治を受けた半世紀の間に文明國になりましたから、野蠻な蔣介石軍の統治を受けて酷い目に遭ひました。いま中國の下風に立てば、またあの惨劇を繰返すことになります。


  第二、大陸國中國に西太平洋を制せられれば、海洋國日本や台灣の息の根が停ります。

  島國が生存するには、大陸から離れてゐる必要があります。

  そのためには、日台の緊密な協力が不可欠です。

  台灣が中共政權の勢力圏に入ると、沖縄から日本列島も防衛線が崩れます。


  台灣と日本は 「 運命共同體 」 なのです。

( 2008.9.15/12.30 補筆 )