日本國民の變質解體

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伊原註:以下は 『 關西師友 』 平成22年新年号に載せた 「 世界の話題 」 ( 229 ) です。

    若干増補してあります。

    今年から 「 世界の話題 」 は正字・歴史的假名遣ひにします。

    戰前の書物を讀むのが苦にならぬやうにとの配慮からです。

    讀み慣れて下さいますやうに。




          日本國民の變質解體



       日本人の變質


  江戸時代の元祿期に出現した現代日本人が變質したのは戰後、高度成長期です。

  變へた原動力が四つあります。

  ( 1 ) 米國占領軍の日本弱體化政策。時限爆彈のやうに埋め込まれました。

  ( 2 ) 敗戰による價値觀の轉換。日本人自身が變身しました。

  ( 3 ) 核家族による日本文化の斷絶。親→子供→孫に文化が傳はらなくなりました。

  ( 4 ) 高度成長と個室育ちが我が儘で嚴しさを嫌ひ、他人と共存し難い若者の大軍を育てた。


  マッカーサーの占領政策は、不戰憲法を含む法令の改廢 ( 占領軍は管理だけで、占領地の法令を變へてはいけないのに、強引に變へた。間接統治のため、日本人に違和感を殘さなかつた ) のほか、數々あります。目ぼしいものだけでも、例へば以下の通り──


  皇族の臣籍降下で後繼者を減らして皇室の斷絶を狙ふ。

  民法に個人主義原則を導入して財産の長子相續を均分相續に改め、家族解體・日本人の分散孤立化を策謀した。

  略字・漢字制限・現代假名遣ひで日本語を變質させ、戰後育ちに戰前の文章を讀めなくして日本文化の斷絶を圖つた。

  東京國際裁判で日本がやつた戰爭を惡と決付けて、日本人再起の芽を摘んだ、等々。


  このうち、日本文化斷絶の策謀を跳ね返すため、今後私はこの欄では正漢字と歴史的假名遣ひを用ひます。

  日本の新聞が日本語改惡策に惡のりして、送假名をやたら送つて日本語を冗長散漫にした惡弊を改める狙ひもあります。パソコンの 「 讀み込み中 」 など、 「 讀込中 」 で充分です。

  皆さん、讀慣れて下さい。


  敗戰後の價値觀轉換では日教組が目の仇にされますが、清澤冽の 『 暗黒日記 』 ( 各種版本あり ) を讀むと、戰後の 「 滅公奉私 」 價値觀は戰爭中、國家總動員體制の中で準備されてゐたやうです。

  徴用工が、 「 俺達が居なければ飛行機が作れまい 」 と威張つてゐる話、農民が 「 我等が米を育てるから日本は戰爭を續けられる 」 と言つて配給で腹を空かしている都會の知識人を嘲つた話などが出て來ます。


  核家族は家族解體の始りです。

  歐洲の社會學は家族を親子關係から見て居たので 「 ゲマインシャフト 」 、即ち共同社會の原點に据ゑました。

  ところが米國の社會學は家族を夫婦を軸に捉えたので 「 アソシエイション 」 ( 利益社會 ) としました。夫婦關係は 「 合せものは壞れもの 」 の類ですから。

  戰後、米國の影響を強く受けた日本社會は、民法改正とも相俟つて家族觀を歐洲型から米國型に切換へたため、家族は 「 合せもの 」 に墮したのです。


  更に日本の場合、子供を個室で機器相手に育てたことが人間關係斷絶・孤立分散化に絶大な威力を發揮しました。曾てテレビは家族で觀るものだつたのに、今や個人で觀るものに變りました。個人が如何にばらばらになつたかを象徴するのが、携帯電話です。 「 自分專用 」 !

  20世紀後半から21世紀にかけて、先進國は 「 機器を奴隷の如く使ひまくり使ひ棄てにする王侯貴族の如き大量の若者 」 を産み育てたのです。


  かくて若者は今や、同棲はしても結婚はしない。正社員よりフリーターを好む。齢 ( よはひ ) 三十になつても四十になつても親の世話になるが、親の面倒は見ない。

  我儘勝手の極みです。


  最近、米國の強欲資本主義の破綻に始る經濟不況で、派遣社員など弱い立場の人達の解雇が相次ぎ、やつと縛りのきつい 「 正社員 」 の地位に羨望を感じつつあるやうですが。

  氣樂な勤めは氣樂にお拂い箱になるのは理の當然、因果應報です。


  更に言へば、青二才の若造の時に苦勞を厭つた報ひとして、末路は野垂死にあるのみ、と私には見へるのですが、今氣樂に過してゐる若者はそれを覺悟してをりませうか?

  米國發の金融危機は經濟的弱者を直撃します。

  年金生活者である私など、飢死するほかありますまい。


        田母神更迭の怪


  集團生活と共同作業を得意とした日本人がシナ人同樣、ばらばらの砂になつたことを示す典型的事象が、最近の田母神論文への無理解です。


    伊原註:シナ人を 「 ばらばらの砂 」 ( 散沙 ) に譬えたのは孫文です ( 『 三民主義 』 第一講 )

握締めると纏つてゐるやうに見へても、手を放すとバラバラになる、と。

その代りシナ人は一人一人は強くしぶといのに、日本人はひ弱です。


  田母神空幕長が書いた 「 日本は侵略國家であつたのか 」 のメッセージは明快です。


     「 お前らは惡い戰爭をした 」 といふ 「 勝てば官軍史觀 」 を排除しないと國を守れません、

    部下に 「 惡者の子孫を守るため諸君の生命を捧げよ 」 とは命令出來ぬからです。

    即刻 「 村山談話 」 を否定して下さい!


  國家の主權や國民の生命財産を守るには、國家の尊嚴が必要なことは自明の理。

  しかも日本は、世界に誇るべき國體を持つ國だといふのに──


  ところが主權 ( 北方四島・竹島・尖閣諸島 ) を守らず、拉致された國民も守らず放擲する日本國政府は、あらうことか、田母神空幕長を直ちに馘首しました。

  田母神さんは、 「 國を愛しませう 」 と言つたら首を切られたと嘆いてをられます。




  高給を食んで義務は果さぬ 「 背任横領集團 」 に税金を拂ふ義務がありませうか?

  日本政府もメディアも、日本の獨立を危ふくする占領期の法規や規制を、後生大事に今だに守り續けてゐるのです。


  さういふ政府に文句も言はず、税金を拂ひ投票で支持し續けた國民も同罪ですが。

  さう、民主主義は、選ばれた者に唾を吐くと、その唾は選んだ者に返つて來るのです。

  戰後の日本が腐つて來たとしても、それは日本國民が寄つてたかつてさうして來たのです。

  この深刻且つ苦い反省なしに、日本は復活しません。

  自分の責任は棚上げして專ら他人を責めるのが獨善的な 「 中華思想 」 の特徴ですが、日本人たるもの、その弊に陥つてはなりませぬ。


        常識の喪失


  さて、田母神論文です。

  田母神論文を高く評價する人も居りますけれども、論文は評價しても地位に相應しくない發言だから更迭は當然とする人や、論文内容を全面否定する人も尠くありません。


  この出來事を通じて私が慨嘆に耐へないのは 「 日本語が通じぬ 」 事態と 「 國家存續の必要條件 」 への無理解です。


  田母神氏に批判的な人には、日本語が通じてゐないのではないか? 常識がないのではないか?

  當然の主張をした田母神論文を、ああだかうだとひねくり回す人だらけ!

  田母神論文の放つた強烈なメッセージを理解せぬ人が大勢居る!

  常識を辨へぬ日本人が一杯居る!

  文章を讀んで文意を汲み取れぬ人を知識人とは言はない。

  正常な判斷を下せぬ人に常識があるとは言へない。

  日本社會から常識が無くなつた。

  日本人は今やてんでんばらばら好き勝手、自分の生活しか考へない孤立者だらけになつた。

  家族解體・近隣社會解體が國家解體にまで及んで來た。

  由々しき大事です!!

( 08.12.1/12.28増補 )