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伊原註:以下は 『 産經新聞 』 平成20年12月10日に掲載された 「 正論 」 の再録です。
久しぶりで原稿を依頼され、平成20年11月30日に執筆開始、忽ち書上げました。
平生考へてゐることを一氣に書上げたので、筆に勢ひがあります。
正字のルビと、末尾の但書は編集部が書加へたもので、私ではありません。
正字にルビを振る位なら、末尾に二箇所出て來る 「 秋 」 に 「 とき 」 とルビを振るべきでした。
それと、人に注意されて氣付いたのですが、 「 會 」 は 「 くわい 」 であつて 「 かい 」 ではありません。
大阪版は19面に、東京版は13面に載りました。東京版は寫真がカラーで見榮へします。
産經新聞社は、紙面がそのまま見られるネット契約をしてゐるので、東京版がネットで流れたやうです。友人・知人から 「 ネットで見たよ 」 と言はれました。
反響がいろいろありました。
「 同感 」 「 痛快 」 「 正字・歴史的假名遣ひが美しい、感動した 」 「 何とかして日本を再生させねば 」 等々。
「 日本の再生 」 こそ世界を救ふ
蔓延る賤民資本主義
強欲資本主義が世界を横行してゐる。惡の野蠻國が三つある。
米國・ロシヤ・シナ。
三者に共通する野蠻は、他者を際限なく貪る者を野放しにしてゐる點にある。これでは、世界は修羅の巷になるほかない。
「 金儲けは惡いことですか? 」 と問うた人が居た。
惡事に決つてゐるではないか。
それが目的なら。
それがけじめを辨へぬなら。
給食費を拂つてゐるから、 「 戴きます 」 「 御馳走樣 」 と言ふ必要はないと言つた母親が居た。
植物にせよ動物にせよ、生ある物の生命を戴いて生きてゐる身の感謝の念が根本にあり、育てた人、調理した人への謝意も含むことを忘れた罰當りな發言である。
このやうに、日本も腐つて來た。
責任ある地位に居ながら、税金や利權にたかるだけで責任を果さぬ 「 背任横領の徒 」 が蔓延つてゐる。
とつくの昔に占領が終つて獨立した筈なのに、日本弱體化の占領政策を政府もメディアも後生大事に守つてゐるのでこんなことになつた。
( 米占領軍は 「 間接統治方式 」 をとつたので、日本政府は 「 押付けられたこと 」 を忘れて、自前でやつたことと錯覺してしまつたのだらうか? 私は 「 押付けられたものだから惡い 」 と言ひたい譯ではない。日本弱體化を目指し、その効果を發揮しているのに變へずに遵守し續けてゐるから惡いと言ふのだ )
略字・漢字制限・現代假名遣ひは、戰後育ちに戰前の書物を讀ませぬための日本文化斷絶策だつたのに、政府もメディアもひたすら遵守してゐる。
こんな政府もメディアも 「 反日の元兇 」 と言はざるを得ない。
正統を護持せずに、何で日本が日本で居られようか。
厭離穢土欣求淨土 ( 紙面では 「 野蠻國へ退化するか 」 )
( 「 おんりえど・ごんぐじょうど 」 と讀む )
私は五年前の五月に 「 反日蔓延る不思議の國日本 」 を、昨年三月に 「 動物文明から植物文明へ轉換しよう 」 を、この欄に書いた。再讀三讀して頂きたい文章である。
日本は元祿以降、つまり十八世紀に世界最初の文明國を築いた。
勤勉實直・薄利多賣・見ず知らずの他人を頭から信用してかかる高信用社會である。
西歐が高信用社會を築くのが十九世紀に國民國家時代に入つてから。
ロシヤとシナは現在に到るまで、やらずぶつたくりの低信用社會の儘に留まつてゐる。
米國は原住民も黒人も排除した 「 市民 」 だけで造つた人造共和國である。
移民社會だけに、下層民を信用してゐない。
だから大統領を選ぶのに、一般國民の直選にせず、大統領選擧人 ( 信用ある名望家 ) を選ばせる間接選擧制を採用して現在に到る。
共和國とは、國民が市民共同體を形成し、自由で平等で友愛の間柄を成す。
帝國は、人民は雜多で不自由・不平等で差別待遇される。
米國は、共和國と帝國の二重構造なのだ。
日本は天皇家を宗家とする 「 家 」 を軸とした安定的な社會構造を持つてゐた。
それを、占領軍が民法に個人主義を採用し、長子相續から均分相續に變へた。
それ以來、家も近隣社會も國民共同體もばらばらに分解した。
かくて慾惚けと邪魔臭がりに基くやらずぶつたくりの利己主義が蔓延して、今や、和を以て貴しとした筈の我國が、切取り強盗殺人など好き勝手な振舞いが横行する野蠻國に退化しつつある。
淨化による再生へ ( 紙面では 「 みそぎによる淨化を 」 )
占領軍に限らず、外國は日本を弱體化し無力化することによつて生延びようとしてゐる。
十九世紀ロシヤにニヒリズムが生れて以來、人生と社會を根底から破壞するニヒリズムが世界に蔓延して來た。ニヒリズムとは現状の全面的否定であり、全面的破壞である。およそ人を信用してゐない。
そして共産主義 ( レーニン主義 ) は、ロシヤ・ニヒリズムの嫡出子である。
曾て素晴しい共存共榮の社會を築いた大和民族がかうまで墮落した姿を見るにつけ、私は 「 死んでも死に切れぬ 」 思ひを禁じ得ない。
美と崇高への獻身、謙虚で強くて慈愛に滿ちてゐたあの立派な日本と日本國民は何處へ行つた?
廣瀬武夫のやうな 「 強きを挫き弱きを助ける 」 「 爽やかな日本男児 」 は何處へ行つた?
みそぎによる淨化が必要だと思ふ。
臥薪嘗胆による國民精神の再生が不可欠であらう。
それが日本だけでなく、世界をも救ふ筈である。
なぜなら、日本社會と日本人は、いまだに素晴らしい素質を持ち、輝かしい能力を發揮し得てゐるのだから、腐つた部分を切捨て、全體を活性化すれば、必ずや世界にもつともつと貢獻する筈だからである。人々に生きる希望を與える筈だからである。
幸か不幸か、目下、米國の強欲資本主義に端を發する金融危機が、世界經濟を破綻に導きかけてゐる。
ニクソン大統領がドルと金の結びつきを斷つてドルをペーパーマネー化し、レーガン大統領時代に米國金融界の箍が外れて暴走し始めて以來、世界は米國の借金經濟に付き合つて "花見酒の經濟"に醉つて來た。
それが21世紀になつて、たうたう大きな破綻を迎へる羽目になつた。
この世界的規模の經濟破綻が、日本を含む人類の淨化に役立つかも知れない。
といふより、これを契機に新しい共存共榮が出來るやうに文明を轉換すべきである。
奪ふ文明、人間性を破壞する文明から、與へる文明へ、多元的で寛容な美と慈悲の文明へ。
幸ひ、日本には天皇陛下がゐまします。
今上陛下が體現してをられます美と崇高と獻身と優しさこそ、日本を救ひ世界を救ふ植物文明の原理である。
日本は、慾惚けと邪魔臭がりと引籠りから脱却し、生きる歡びに目覺めるべき秋 ( とき ) である。
足るを知り、仲間との絆に基く聯帶と心の豐かさを求めるべき秋 ( とき ) である。
( 平成20年11月30日執筆/12月20日加筆 )