紹介:A.H.スミス 『 支那的性格 』

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紹 介:


        A.H.スミス 『 支那的性格 』

            ( 白神徹譯、中央公論社、昭和15.3.20 )


  本書は、Arthur Henderson Smith博士 ( 1848-1932 ) の著書、

  Chinese Characteristics, New York and London, 1890, Revised Edition 1894

の邦譯です。


  戰前の本なので、紹介の文章も歴史的假名遣ひ・本字で一貫します。


  日清戰爭後の明治29年 ( 1896年 ) に博文館から 『 支那人氣質 』 という題で邦譯が出て居ます。

  支那事變に短期解決の見通しがつかなくなり、戰つてゐる相手の支那人の性格を知るため新譯が出て、よく讀まれました。


  著者 スミス博士はアメリカ人宣教師、同治11年 ( 1872 ) に アメリカ の外國傳道委員會から派遣されて天津に渡り、光緒 6年 ( 1880 ) 山東省に移動、山東省の西北の省境に近い?家莊 ( パンジアチュワン。伊原註:今の地圖では見當らない ) といふ農村の教會で布教に從事。


  義和團事件を身を以て體驗してゐて、China in Convulsion, 2vols. NY. 1901といふ著書もあります。このほか、支那に關する著書が澤山あります。


  先づ、目次を紹介します。


  緒 言


  第一章 面 子 ( ミエンツ )

      芝居が上手 誇張の天才 命よりも大事な面子


  第二章 節 儉

      粗食 經濟的な支那料理 廢物活用の天才 無駄のない生活 極端な儉約──不潔


  第三章 支那流の勤勉

      富者も孜々として働く 科擧の制──刻苦勉勵 終生を捧げて官吏たらんとす 勉めいそしむ士農工商


  第四章 禮 儀

      習ひ性となれる禮 禮儀三百威儀三千 尊稱敬稱贈答 社會生活を滑かにする禮 婚禮における風習


  第五章 時間の觀念の無視

      東西の挨拶の仕方──吃飯了〈ロ馬〉と How do you do? 慢々的な宴会 西洋人は氣短かだと評す 腰をあげない訪客


  第六章 精確緻密といふことに無頓着

      度量衡・貨幣制度の亂脉 頭を勘定に入れない身長 山地と平地・上りと下りでちがふ一里 往きは一里、歸りは三里


  第七章 勘違ひの才

      故意に命令をはき違へる 梃子でも動かぬ騾馬 金錢上の紛爭絶へず


  第八章 率直を避け婉曲に言ふ才

      英米人の單刀直入 支那人の婉曲 まはりくどい禮儀作法 鹿を指して馬といふ 病?職にたへずといふ辭職願


  第九章 面從後言

      表向は慇懃乍らかげで違背 掛け値のある處刑 口先ばかりの誓約 支那統治の秘訣


  第十章 智的渾沌

      論理的な思索に適せぬ支那語 ルーズな支那語の構造に起因する渾沌 智愚貧富の甚しい國 胃袋と財布以外のことは無頓着


  第十一章 無神經

      倦まず單調な仕事を續ける職人 どんな處でゝも眠れる


  第十二章 外人輕蔑

      外人輕蔑の諸因  「 學者 」 に對する西洋の觀念と支那人の觀念 文人の排外思想


  第十三章 公共心の缺如

      道路溝渠の荒廢 往來の邪魔をする露店 平氣で敵軍に雇はれる支那人


  第十四章 保守主義

      理想は堯舜時代 經書を神聖視 先例を尊ぶ 風水の迷信


  第十五章 西洋流の安樂といふことがない

      住心地といふことに頓着せず 羊ありて毛織物なく、綿のみ依存す ポケットのない支那服 住宅の不便、都市の不衛生 喧噪や雜沓に對して平氣


  第十六章 旺盛な生活力

      厖大な人口 早婚の風習 長壽 病人、負傷者の治癒力


  第十七章 辛抱強さ・粘り強さ

      ユダヤ人を驅逐する支那人 國姓爺の鎮定 天災は止むを得ずとして受け流す


  第十八章 知足・樂天性

      支那の天命と西洋の攝理 足るを知り天を怨みず 窮貧に甘んじ營々と働く 病の床にあつても悠々然たり


  第十九章 支那の孝

      禮は支那精神の粹 孝は英語に飜譯出來ぬ 孝は百徳の基、不孝は最大の罪 祖先を祀る義務は絶對 子孫なきは最大の不孝 孝行説の五つの難點


  第二十章 支那の仁惠

      惻隱の情 仁−積善−功徳−應報−保險 臘八粥の風習 眞心のこもらぬ支那の仁


  第二十一章 思ひ遣りの無さ

      人民は概ねその日暮し 樂しい家庭生活といふものなし 家族制度と娘、嫁の地位 刑罰制度にあらはれた思ひ遣りの無さ 他郷人に對する冷淡さ


  第二十二章 社會的颶風

      風波の基は家族制度 誹謗は第二の天性 支那の喧嘩、西洋の喧嘩 和平を好み訴訟を忌む 仲裁人の力


  第二十三章 支那の責任と遵法の觀念の原始性

      家族・村落における責任 官界における責任 保甲の制


  第二十四章 疑心暗鬼

      銀市場の状態、銀行制度 官民相互の不信 流言風説の國


  第二十五章 不誠實

      一見不思議な史家輩出 支那人の嘘つき 支那商人の正直 誠實よりも面子が大切


  第二十六章 多神論汎神論無神論

      儒教の道徳的感化 宋の註釋家は唯物論者 三教歸一の説 鬼神を欺く、佛像を裁く

儒教の欠陥


  第二十七章 支那の實状と當面の必要事

      支那社會の弊害 最大の欠陥は品性と良心 新支那の更生


  附 録 日支度量衡對照表/清國中央及び地方官職


  總索引 ( 事項・人名 )


  いかがですか?

  この目次をじつくり眺めるだけで、思ひ當る節が幾つも出て來ます。


  緒言で著者は、支那人の本當の姿を他人に判らせることなど出來ぬといふ抗議が三つの觀點からして可能だと言ひます。


  第一、支那人は矛盾の塊であつて、迚も簡單に説明など出來ない。

  第二、22年間支那で暮したからといつて支那人の性格について語れる保證にならない。

  第三、本書初版の見解は誤つてゐるところ在り、少くとも誤解を招く。


  著者は以下のやうに辯解します。

  それぞれ尤もではあるが、ナポレオンの繪を見てその個性について深い印象を得るやうに、支那人と付き合ふと、紛れもなく 「 支那人とはこういふ人だ 」 といふ深刻な印象を得る。

  私の書物は、數ある支那人の特徴のうち、少しばかりの特徴を觀察して得た印象の單なる記録に過ぎないが、著者自身の經驗のみならず、種々な時代・樣々な人々の經驗を綜合してあるので、支那人の素描として意味があらう、と。


  さて、本書は大きな圖書館でなら簡單に讀めます。

  皆さんにはぜひ直接、じつくり讀んで戴きたいと思ひます。


  ここでは、以下の三點だけ紹介して置きます。


  第一、支那人と西洋人は 「 發想法 」 が全く違ふので、兩者は 「 決して同一の光で同一の物を見ることは出來ない 」 ( 13頁 )


  第二、支那人の 「 嘘つき 」 とは、その場を圓滑に濟すための演技にほかならない。

  相手か自分かの 「 面子 」 、或ひは雙方の 「 面子 」 を潰さぬやうに取繕ふ人間關係圓滿化の工夫であり努力なのだと。

  勘違ひ・率直を避け婉曲に言ふ才能・面從腹背など、皆ここに發する。


  第三、自分の力を超へる力には逆はず隱忍自重し、人間相手には辛抱強く粘り強くしつこく言ひ募る。相手が根負けするまで言ひ續ける。




  私自身の見解:

  「 支那人とは 」 といふ問に、特に四點、指摘して置きます。


  第一、支那人とは 「 玉葱 」 である。

  本音を見ようと皮を剥いても剥いても本音は現れない。

  つまり、その場その場で言ふことがすべてこれ本音、或ひは本音としか思へぬ迫真の演技なのです。

  但し、昨日言つたことと今日言ふこと、A氏に言つたこととB氏に言ふことの間に脈絡があるとは限りません。


  第二、支那人とは 「 表演 」 をする人。

  生まれながらの俳優。

  とても尻尾が掴めません。

  これ全て亂世を生抜く生活の智慧です。


  第三、支那は有史以來、現在に到るまで、低信用社會です。

  他人が信用できないので、近代國家など組立てやうがない。


  第四、支那は縦割社会である。

  上下の命令下達社会である。

  專制支配である。

  平等の共同體がない。 「 神の前の平等 」 も 「 法の前の平等 」 もない。

  だから 「 友愛 」 がない。

  知識分子・官吏・郷紳ら 「 人材 」 はすべて權力に結びついて存在してゐた。

  從つて、自由も平等も人權もない。

  だから商賣は慾惚けの盲目的金稼ぎに墮し、平氣で人を殺す ( 賤民資本主義 ) 。


  さうさう、大事なことを言ひ忘れました。


  指導的地位に在る支那人は、中華思想の權化です。

  そして、中華思想とは、 「 お山の大將、俺一人 」 といふ考へ方です。

  「 惡いのは皆他人 」 といふ思想です。

  「 世界は私の爲にある 」 「 他人は私に奉仕するため存在してゐる 」 と考へます。

  獨断+獨善。


( 平成20.10.24記 )