日本語の読書き

> コラム > 伊原吉之助教授の読書室


伊原注:これは、帝塚山大学の同窓会誌 『 同窓会通信 』 から求められた文章の草稿です。

     求められたのは百字〜五百字の短文。

     これはそれよりうんと長いので、半減して出しました。

     そこで元の文章を増補して、ここへ収録しておきます。 ( 平成20.8.8増補 )


     念のため一言、これは帝塚山大学卒業生に呼び掛けた文章です。




         日本語の読書き



  日本人とは、日本語を使う人です。

  私達は言葉でものを考え、言葉で意思疏通します。


  聖書も、 「 太初にロゴスありき 」 と書き出します。

  「 初めに論理ありき 」 ではおかしい。ここはやはり言葉ですよね。人間関係の発生です。


  日本は今、人の多くが腐って来ました。上から下まで、奉仕は受けるが自分は奉仕しないという利己的な人が蔓延っているからです。


  人間関係は親兄弟に始まり、近隣社会のおつきあいに展開し、最終的には大社会・国家・人類から生態圏・宇宙にまで拡がります。


  日本は、高度成長の過程で近隣社会も家庭も破壊してきたので、今や日本国民は、ばらばらの存在になりました。

  孤独、孤独、徹底した孤独。

  人間関係を再建しないと大和民族は亡びてしまいます。


  社会再建の出発点に、日本語の再構築があります。

  昭和20年の敗戦と連合国の軍事占領は日本弱体化政策を展開しました。


  その一つが、当用漢字・現代仮名遣いの強制です。

  これで戦後育ちは戦前の書物が読めなくなりました。

  古典のみか、夏目漱石まで、漢字・仮名遣いを書き直さないと読めない。

  作家の文章を書き直すなど、文化破壊もいいところです。


  占領が終ったら、これらの 「 弱体化政策 」 を元に戻す必要があったのに、日本はそれをせずに ( 吉田茂の大罪です ) ,今日まで半世紀以上、 「 日本弱体化政策 」 を自ら続けてきました。


  日本語の劣化を後生大事に墨守してきた元兇は二つ、文部省とマスメディアです。中でも新聞が日本語の堕落に果した役割は大きい。


  まあ、犯人探しは横に置いておいて──

  私が提唱したいのは、 「 古典を読みましょう 」 ということです。


  皆さん、今からでも遅くはない。戦前の書物を読みましょう。


  現代日本語は、漢字読み下し文 ( 漢字+片仮名 ) と、平仮名を基本とする大和言葉との組合せから成ります。

  これをうまく組合せて現代日本語を創造したのが、明治の先輩たち。

  これに触れて現代中国文を創造したのが、日本に留学した魯迅です。

  現代中国語は、現代日本語を元に創り出されたのです。


  現代日本語の貧困を痛感させるのが、二二六事件の蹶起趣意書です。


  謹ンテ惟ルニ我神洲タル所以ハ、萬世一神タル天皇陛下御統帥ノ下ニ擧國一體生成化育ヲ遂ゲ、終ニ八紘一宇ヲ完フスルノ國體ニ存ス……と始り、


然ルニ頃來遂ニ不逞兇惡ノ徒簇出シテ私心我慾ヲ恣ニシ至尊絶對ノ尊嚴ヲ藐視シ僣上之レ働キ、萬民ノ生成化育ヲ阻碍シテ塗炭ノ痛苦ニ呻吟セシメ、從ツテ外侮外患日ヲ逐フテ激化ス……と続き、


茲ニ同憂同志機ヲ一ニシテ蹶起シ、奸賊ヲ誅滅シテ大義ヲ正シ國體ノ擁護開顯ニ肝腦ヲ竭シ以テ神洲赤子ノ微衷ヲ獻セントス、で閉じます。


  これは野中四郎大尉が執筆し、村中孝次が筆を入れて成ったあと、謄写配布した文章です。

  私がこれを読んで驚嘆するのは、旧制中学レベルの士官学校を出た青年將校の語彙の豊かさでした。


  しかし、戦前は、小学生でもちゃんと教育勅語が読めたのです。


朕惟フニ我皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス


爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己ヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ


是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト惧ニ拳拳服庸シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ


  明治二十三年十月三十日

  御名 御璽


さて、私が皆さんにお勧めしたいのは、古典の朗読です。


  漢文なら論語か孫子を訓下し文で読む。

  和文なら萬葉集でも古今和歌集でも源氏物語でも──

  芭蕉の奥の細道という手もあります。


  月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人也。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口をとらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂白の思ひやまず。……


  勿論、漱石や鴎外 ( 残念ながら、鴎は略字でしか出ません! ) でも幸田露伴でも。

  般若心經でも。


  毎日、少しづつ、朗朗と読み上げること。

  言葉はまず音なりきです。


  次に、書き写すこと。何なら、筆で!

  勿論縦書きですよ。

  言葉を正すところから、崩れた日本人の再建を図りたい。


  これを頻りに考えるこの頃です。