紹介:阿南惟幾の二二六事件批判

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紹 介:


        阿南惟幾の二二六事件批判



  『 文藝春秋 』 2008.5月号に 「 新資料公開 」 と銘打って保阪正康さんが 「 二・二六と聖断──阿南自決の真相 」 という文章を書いています。

  その 「 新資料 」 とは、当時、陸軍幼年学校の校長だった阿南惟幾 ( 49歳 ) が昭和11年 3月12日、幼年学校生徒にした訓話なのです。


  実にまともな批判なので、原文のまま紹介します。


  「 原文のまま 」 とは、旧仮名 ( 片仮名 ) 正字ということです。

  保阪さんは平仮名・現代仮名遣い・新字体に書き換えています。

  文章を書き換えるのは文化破壊だと思うので、元に戻します。

  私の歴史的仮名遣いの感覚は怪しくなっているのですが。


  若者に、ちゃんと戦前の文章も読めてほしい思いから、こうするのです。

  但し、文章の切れ目の句点 ( 。 ) だけは入れます。


  これは、戦前の旧制中学生なら、すらすら読めた文章です。

  幼年学校の生徒は、これを耳で聞いて理解しました。

  敢てルビをふりません。皆さん、読み下す努力をしてみて御覧なさい。




   帝都不祥事件ニ關スル訓話     昭和11.3.12  於第一講堂


  去ル二月二十六日早朝我陸軍將校ノ一部カ其部下兵力ヲ使用シテ國家ノ大官ヲ殺害シ 畏クモ宮城近キ要地ヲ占據セル帝都不祥事件ハ諸子ノ已ニ詳知セル所ナリ。而テ其蹶起ノ主旨ハ現下ノ政治並社會状態ヲ改善シテ皇國ノ眞姿發揚ニ邁進セントセシモノニシテ憂國ノ熱意ハ諒トスヘキモ其取レル手段ハ全然皇軍ノ道ヲ誤レリ。以下重要事項ニツキ訓話スル所アラントス。


第一、國法侵犯並軍紀紊亂

  單ニ同胞ヲ殺スコト既ニ國法違反ナルニ 陛下ノ御信任アル側近並内閣ノ重臣特ニ陸軍三長官ノ一人タル教育總監ヲ殺害スルカ如キハ國法並軍紀上何レヨリ論スルモ許スヘカラサル大罪ナリ。


一、重臣ニ對スル觀念

  假ニ是等重臣ニ對シ國家的不滿ノ點アリトスルモ苟モ陛下ノ御信任厚ク國家ノ重責ヲ負ヒタルモノヲ擅ニ殺害驅除セントスルカ如キハ臣節ヲ全フスルモノニアラス。先ツ陛下ニ對シ誠ニ恐懼ニ堪ヘサル事ナルヲ考ヘサルヘカラス。

  忠臣大楠公ノ尊氏上洛ニ處スル對策用ヒラレス之ヲ湊川ニ邀撃セントスルヤ當時ニ於ル國家ノ安危ハ到底昭和ノ今日ノ比ニ非サリシモ正成ハ尚御裁斷ニ服從シ參議藤原清忠ヲ斬ルカ如キ無謀ハ勿論之ヲ誹謗タニセス一子正行ニ櫻井驛ニ遺訓ス。言々國賊誅滅一族殉國ノ赤誠アルノミ。而テ戰利アラス弟正季ト相刺サントスルヤ 「 七度人間ニ生レテ此賊ヲ滅サン 」 ト飽ク迄大任ノ遂行ヲ期シテ散リタルカ如キ誠ニ日本精神ノ發露ニシテ忠臣ノ亀鑑タルハ言フマテモナク特ニ責任觀念ノ本義ヲ千載ノ後ニ教ヘタルモノニアラスヤ。自己ノ職責ト重臣ニ對スル尊敬トハ此間ニヨク味フヲ得ヘク今回ノ一部將校ノ行爲ト霄壤ノ差アルヲ知ルヘシ。


二、長老ニ對スル禮ト武士道

  重臣就中陸軍ノ長老タル渡邊教育總監ヲ襲ヒシ一部ノ如キハ機關銃ヲ以テ數十發ヲ發射シ更ニ軍刀ヲ以テ斬リ付ケタル如キ陸軍大將ニ對スル禮儀ヲ辨ヘサルハ勿論其他高橋藏相齋藤内府等ニ對シテモ一ツノ重臣ニ對スル禮ヲ知ラス實ニ軍紀ヲ解セス武士道ニ違反シ軍人特ニ將校トシテノ名譽ヲ汚辱セルモノナリ。

  彼ノ大石良雄等四十七士カ苦心慘憺ノ後吉良上野介ヲ誅セントスルヤ不倶戴天ノ仇ニ對シテモ良雄ハ跪キテ短刀ヲ捧ケ 「 御腹ヲ召サルルヨウ 」 ト懇ニ勸告シテ武士ノ道ヲ尊ヒ已ムヲ得サルヲ見テ 「 然ラハ御免 」 トテ首ヲ打チ總テノ場合ニ於テ 「 吉良殿ノ御首頂戴 」 等イトモ鄭重ナル敬語ヲ用ヒ居ル所眞ニ日本武士ノ大道ニ叶ヘルモノト言フヘシ。今回ノ將校等殆ト全部カ幼年校又ハ士官校ニ學ヘルモノナルニ斯ル嗜ナカリシハ臭ヲ千載ニ残スモノニシテ武夫ノ禮武士ノ情ヲ知ラサルカ如キハ已ニ軍人トシテ修養ノ第一歩ヲ誤リタルモノトス。諸子反省セサルヘケンヤ。


三、遵法ノ精神

  動機カ忠君愛國ニ立脚シ其考サヘ善ナラハ國法ヲ破ルモ亦已ムヲ得ストノ觀念ハ法治國民トシテ甚タ危險ナルモノナリ。即道ハ法ニ超越スト言フ思想ハ一歩誤レハ大ナル國憲ノ紊亂ヲ來スモノナリ。道ハ寧ロ法ニヨリテ正シク行ハルルモノナリトノ觀念ヲ有セサルヘカラス。

  古來我憂國ノ志士カ國法ニ從順ニシテ遵法ノ精神旺盛ナリシハ吾人ノ想像タニ及ハサルモノアリ。

  吉田松陰ノ米船ニヨリ渡航ヲ企ツルヤ其惱ミハ 「 國禁ヲ犯ス 」 コトナリキ。故ニ此件ニツキ佐久間象山ニ謀リシニ象山ハ近海ニ漂流シテ米船ニ救ヒ上ケラルレハ國禁ヲ犯スニアラストノ斷案ヲ授ケヌ。松陰大ニ喜ヒ以テ大圖ヲ決行セシナリト傳フ。亦林子平カ幽閉中役人サヘ密カニ外出シテ消遣然ルヘシト勸告セシニ


   月と日の畏みなくはをりをりは

     人目の關を越ゆべきものを


トテ一歩モ出テサリキトソ。先生ノ罪ハ自ラ恥スル所ナク愛國ノ至誠ヨリ出タルニモ拘ラス尚且斯ノ如ク天地神明ニ誓ツテ國法ヲ遵守セシカ如キハ如何ニモ志士トシテ國士トシテ恥チサルモノト謂フヘシ。此等忠臣烈士ハ假令幕府ノ法ニ問ハレ或ハ斬罪ノ辱ヲ受シト雖モ其奕々タル精神ハ千載ノ下人心ヲ感動セシメ且世道ヲ善導セル所以ヲ思フトキ今回ノ事件カ武人トシテ吾人ニ大ナル精神的尊敬ヲ起サシメ得サルモノ茲ニ原因スル所大ナルモノアルヲ知ルヘシ。


第二、統帥權干犯行爲

  彼等一部將校ハ徒ラニ重臣等共ノ統帥權干犯ヲ攻撃シ之ヲ以テ今回蹶起ノ一原因ニ數ヘ悲憤慷慨セリ。然ルニ何ソヤ擅ニ皇軍ヲ私兵化シ軍紀軍秩ヲ紊亂シテ所屬長官ノ隷下ヲ離レ兵器ヲ使用シ同胞殊ニ重臣殺戮ノ慘ヲ極メ剰ヘ畏クモ皇居ニ近キ官廳官舎ヲ占據セルカ如キ全ク自ラ統帥權ヲ蹂躙破壞セルモノニシテ其罪状ト國ノ内外及將來ニ及ス惡影響トハ蓋シ彼等ノ唱フル重臣ノ過失ニ倍スルコト幾何ソヤ迷妄恐ルヘキカナ。


第三、抗命ノ行爲

  霞ヶ關附近要地占領後自ラ罪ニ服セサルハ勿論所屬師團長以下上官ノ詢々タル説諭モ歸隊ニ關スル命令モ全然耳ヲ假サス或ハ條件ヲ附シ或ハ抗命ノ態度ヲ取ル等軍紀ヲ破壞セリ。而テ是等一部將校ニ率ラレタル下士兵ノ行動ハ多クハ眞事情ヲ知ラス唯上官ノ命ノ儘ニ行動セルモノ多キモ未タ其心理ノ詳細ニ到リテハ明ナラス。他日判明ヲ待チテ研究スル所アラントス。但今日ノ教訓トシテ軍人ノ服從ニ關スル心得左ノ二項ハ特ニ肝銘シオカサルヘカラス。


一、服從ノ本義ハ不變ナリ

  服從ノ精神ハ依然トシテ 勅諭禮儀ノ條ノ 聖旨ニ基キ從來ト何等變化ナク 「 服從ハ絶對 」 ナラサルヘカラス。

  今回ノ如キ特例ヲ以テ服從ニ條件ヲ附スルカ如キコトアランカ忽上下相疑フノ禍根ヲ生シ軍隊統率軍紀ノ嚴肅ニ一大亀裂ヲ與フルモノナリ。深ク戒メサルヘカラス。


二、上官特ニ將校ノ反省ト教養

  上官タランモノハ 「 上官ノ命令ヲ承ルコト實ハ直ニ朕カ命ヲ承ル義ナリト心得ヨ 」 トノ 聖旨ヲ奉戴シ常ニ 至尊ノ命令ニ代リテ恥サル正シキ命令ノ下ニ服從ヲ要求スヘキモノニシテ猥リニ 「 國家ノ重臣ヲ殺セ 」 ナト命令スルカ如キコトアランカ啻ニ命令ノ尊嚴ヲ害ヒ服從ノ根底ヲ破壊スルノミナラス將來部下ノ統率ハ絶對ニ不可能ニ陥ラン。嘗テ戒メ置ケルカ如ク 「 其身正不令而行其身不正雖令不從 」 ( 『 論語 』  訓話第一號ノ如ク書キアル書物アリ ) ト。即チ服從ノ精神ヲ繋クモノハ下ニアラスシテ上官ニアルコトヲ忘ルヘカラス。故ニ將校タラントスル諸子ハ今日ヨリ先ツ其身ヲ正シクシ教養ヲ重ネ部下ヲシテ十分ノ信頼ヲ得シメ喜ンテ己ニ服從シ命令一下水火モ辭セサラシムル底ノ人格ト識見トヲ修養スルコトヲ第一義トナササルヘカラス。


第四、最後ノ態度

  事件最後ノ時機ニ於テ遂ニ 勅令下ルニ至ル。誠ニ恐懼ニ堪ヘサル所ナリ。如何ナル理由アランモ一度 勅命ヲ拝センカ皇國ノ臣民タランモノハ啻ニ不動ノ姿勢ヲ取リ自己ヲ殺シテ 宸襟ヲ惱マシ奉リシ罪ヲ謝シ奉ルヘキナリ。然ルニ惜ムラクハ彼等ハ此期ニ及ンテ尚此大命スラ君側ノ奸臣ノ僞命ナリトシテ之ニ服セサルカ如キ其間如何ナル理由アルニモセヨ寔ニ恐懼痛心ニ堪ヘサル所ニシテ實ニ 勅諭信義の御戒ニ背キシモノト謂フヘク事茲ニ至リテ彼等ノ心境ニ多大ノ疑問ヲ残スニ至リ同胞軍人トシテ遺憾至極トス。


一、自決ト服罪

  我國ニテ自決、切腹等ハ武士カ戰場等ニ於テ已ムヲ得サル場合其名譽ヲ全フセンカ爲取リシニ始マリ己カ國法ヲ犯シタルトキ等ハ自ラ殺ス即チ自ラ罪ヲ補フハ御上ニ對シ其道ニ背キシ一種ノ謝罪ヲ意味ス。畢竟切腹ハ武士ノ面目ヲ重ンシタルモノナリ。己ノ行動カ死罪ニ値スルトセハ更ニ絞首火炙リニモ値スルヤモ知レス故ニ潔ク服罪シテ處罰ヲ仰クヲ武士道トセルカ如シ。是大石良雄ノ復讐達成後ノ覺悟及處置ニテモ明カニシテ万一ニモ死罪ヲ免セラルル事アリトスルモ少クモ良雄と主税トハ自決シテ罪ヲ天下ニ謝スヘキモノナリトノ信念ヲ有シタリト聞ク。

  是眞ノ武士道ナリ。然ルニ今回ノ事件ニ際シ將校等カ進ンテ罪ニ服スルニモアラス僅カ二名カ自殺シ一名未遂ニ終リシノミナリシハ我武士道精神ト相隔ツルコト大ナルモノニシテ吾人ハ此際自決スルヲ第一ト考フルモ一歩ヲ讓リテ若シ我儘ノ自決カ 陛下ニ對シ奉リ畏レ多シト感セシナラハ潔ク罪ニ服スヘキモノナリト斷セサルヲ得ス。


二、彼等ノ平素

  彼等ノ平素ニ於テ人格高潔一隊ノ輿望ヲ担ヒツツアリシモノ決シテ之ナシトセサルモ仄聞スル所ニヨレハ其大部ハ上官同僚ニサヘ隔心アリ隊務ヲ疏外シテ本務タル訓練ニ專心ナラス軍務以外ノ研究ニ没頭シ武人トシテ必シモ同意シ得サル點多々アリシト。平素ノ人格高潔ニシテ眞ニ至誠人ヲ動カシ而モ最後ニ潔ク自決スルカ又眞ニ大罪ヲ闕下ニ謝センカ爲從容進ンテ罪ニ服セシナランニハ少クモ今回ノ擧ハ精神的ニ日本國民ニ多大ノ感銘ヲ與フルモノアリシナランニ其平素ノ行爲ト最後ノ處置ヲ誤リシ點トニ於テ一段同情ト眞價トヲ失ヘリト言ハサルヘカラス。夫レ天下ヲ治メント欲スルモノハ先ツ其身ヲ修ムヘシトハ古諺ニ明示セラレアル所深ク思ハサルヘカラス。


第五、背後關係

  本事件ノ背後關係ニツキテハ未タ確報ヲ得サルモ北輝次郎、西田税一派ト密接ナル連絡アリシモノノ如ク其大部カ彼ノ 「 日本改造法案 」 ヲ實行セントスルカ如キ主義ニ基ケルニアラスヤトノ疑アリ。果シテ然リトセハ深ク戒愼ヲ要スルモノアリ。彼ノ改造法案ハ已ニ昭和二年頃一讀セシコトアリ。其後モ吾人ノ間ニハ屢〃話題ニ上リシモノニシテ其主旨カ國家社會主義ト言ハンヨリ寧ロ民主社會主義ニ近ク我國體ノ本義ニ一致セサルハ何人モ明ニ認メ得ル所ナルニ彼等一部青年將校ハ其純眞ナル心情ヨリ徒ニ彼等ヲ過信シ或ハヨク之ヲ熟讀批判スルコトナク彼等ノ主張ニ引キツケラレシモノナラン。モシ之ニ心醉セリトセハ將校トシテ其見識殊ニ國體觀念ニ於テ研鑽ト信念ノ不十分ナルニヨルヘク寧ロ此點同情ニ堪ヘサルモノアリ。以上ノ如キ心境ハ羊頭ヲ掲クル幾多不穩思想ノ乘スル所トナリ易ク彼ノ歐洲大戰時ニ於ル獨海軍及露軍ノ革命參加ノ經過ヨリ見ルモ明カニシテ ( 例記載ヲ除ク ) 一歩ヲ誤ラハ皇國皇軍ヲ危險ニ導クモノ之ヨリ大ナルハ莫シ。軍隊ノ ( 木貞 ) 幹タランモノハ自ラ修養ト研鑽トヲ積ミ皇軍將校トシテノ大綱ヲ確實ニ把握シ何物モ動カスヘカラサル一大信念ニ生キ苟モ羊頭狗肉ノ誘惑ニ陥ルカ如キコトアルヘカラス。


第六、結 論

  以上ハ事件ノ經過ニ鑑ミ比較的公正確實ナル情報ヲ基礎トシテ生徒ニ必要ナル條件ニツキ説明訓話セルモノニシテ如何ナル忠君愛國ノ赤誠モ其手段ト方法ヲ誤ラハ 大御心ニ反シ遂ニ大義名分ニ悖リ 勅諭信義ノ條下ニ懇々訓諭シ給ヘル汚名ヲ受クルニ至ル。諸子ハ此際深ク自ラ戒メ鬱勃タル憂國ノ情アラハ之ヲ驅ツテ先ツ自己ノ本文ニ邁進スヘシ。是忠孝兩全ノ道ニシテ各條述フル所ハ此忠孝一本ノ日本精神ニ基ケル千古不磨ノ鐵則ナリ。今回ノ事巷間是非ノ批判解釋多種多樣ナランモ本校生徒タル諸子ハ堅ク本訓話ノ主旨ヲ體シ斷シテ浮説ニ惑ハサルルコトアルヘカラス。


( 平成20.5.16記 )