六甲の坂道の恩恵

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健康随想


  六甲の坂道の恩恵


  幸い、大病したことがない。入院したのは盲腸の手術だけ。昔、成年期に職場の健康診断で脈を測ってくれた看護婦さんが質問した。

  「 先生は、スポーツ選手でしたか? 」

  脈拍が常人よりゆっくりしているというのだ。

  六甲の坂道だ。学部と大学院合わせて九年間、あの坂道を急ぎ足で登った。あれが私の健康の基礎をつくってくれたのだと思い知った。


  堺から大阪湾岸をぐるーっと回って神戸に通っていたから、朝一限目に間に合うのは難しい。だから急な坂道を急いで駆け上がることになる。これが肺活量を殖やし、健康の基礎を固めてくれたのだ。


  半年余り、電車賃を節約するため、難波−梅田間四キロを歩いて往復したことがある。片道七円、往復十四円節約すると、定価三十円の弘文堂アテネ文庫の古本十五円が一冊買えた。この経験で、四キロを三十五分で歩けると判った。


  以後、私は速歩になった。大阪は日本の都市中、市民の歩く速さが最高なことで知られるが、その大阪で私は人を抜いて歩く。この速歩が私の健康のもとである。


  エスカレーターやエレベーターをできるだけ使わず、階段を使う。自宅がアパートの五階、勤務先の大学でも研究室が五階にあり、階段使用は日常茶飯事だった。万歩計では路上歩行より、階段を上下する方が度数が上がる。上下震動で歩数が殖えるようだが、平地歩行より運動になるので、この増分は正常である。


  一番長距離を歩いたのは、神戸大学時代、堺の友人と二人で国鉄芦屋駅からロックガーデンを経て六甲最高峰に上り、尾根道を宝塚を目指して歩き、有馬街道に出て宝塚経由、国鉄西宮駅まで戻ってきた時である。とっぷり暮れかかる頃に西宮駅付近に辿りつき、 「 足が棒になる 」 状態を経験した。駅前のうどん屋に入って椅子に坐り、蘇生の思いをした。


  一番の強行軍は、同じ友人と二人で健脚向き二泊三日のコース を往復夜行列車を使い、一泊二日で踏破した時である。

  大阪から夜行列車で信州へ行き、大天井岳を経て山小屋に一泊。まだ明るい夕方 5時前にカレーライスを食べて、ざこ寝の毛布に潜り込んだ途端にぐっすり眠り、夢一つ見なかった。

そして夜中に起きて、また山歩き。


  槍ヶ岳に登り、槍沢を一気に駆け下りて夜行で帰った。駆け下りたため、膝関節を痛めた。下り坂をゆっくりゆっくり斜めに歩いて膝を保護すべきだったのに!

  このあと一週間、利き足の左の膝関節が腫れ上がって曲がらず、杖をついて歩いた。


  自動車を運転しない私は、どこへ行くにも歩いて行く。おかげで喜寿の年を過ぎて、なお足がすっすっと前に出る。つくづく、歩くことが健康の基本だと思う。

  今の若者は、成長期に歩き込んでいないので、今後、病人が殖えはせぬかと気になる。


      ×  ×  ×  ×  ×


  以上が日本万歩クラブ の機関誌 『 アルク 』 2008年 4月号 4頁に掲載した 「 健康随想 」 ですが、 「 健康法 」 という点では、もう少しつけ加えることがあります。


第一、呼吸法です。すべての武芸・スポーツ・芸事は、呼吸法に始まり、呼吸法に終ります。そして、呼吸法の基本は 「 吐く 」 です。ゆっくり吐くこと。吐いている間は、筋肉が締まっています。

吸う時は緩めます。武芸で撃ち込まれるのは、筋肉を緩める息を吸うときです。

百メートル選手は、走っている間、息を吸わないそうです。

筋肉を緩めなければならぬからです。


私は大学時代から合唱をやってきたので、ゆっくり長く息を吐く作業を積み重ねてきたことになります。

  合唱は、単に息を吐くだけでなく、仲間と心を合わせるので、この点でも健康に良いようです。

  毎週一回の練習が、生き甲斐です。


第二、毎朝、朝食に茹でた野菜にとろろ昆布を載せ、酢をたっぷりかけてミルクティーで山盛り食べます。この酢が、体に良いようです。

時々餃子を食べに行きますが、餃子を食べるというより、酢を食べると言いたい位、酢をたっぷり食べます。

  我が家に酢を運ぶ酒屋さん曰く、お宅ほど酢をはやく沢山消費する家庭は珍しいですよと。


第三、霊芝です。友人の勧めで、かなり前から服用していました。毎月 2万円という高額な煎じ薬ですが、秦の始皇帝が求めた不老長寿の薬があるとすれば霊芝だと言われます。

  今も飲み続けていますが、これが体に良いようです。


でも、今は吸う空気が汚染し、飲む水も汚染しています。食品は添加物だらけ。

大量生産・大量供給・大量消費・大量廃棄時代に、人は健康を保てないのかも知れません。


人生は所詮、楽してのうのうと生きる訳に行かず、楽の代償を払わねばならないのでしょう。

それにしても、20世紀は人類史の ピークでした。21世紀は機器依存時代、人間が人間らしく生きにくい時代です。土から切り離され、都会という抽象的な人工空間の中で育ち、生活する。


  戦前・戦中・戦後を生きて、いい時世に巡り遭えたと感謝する次第です。

( 平成20年4月1日追記 )