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読書紹介:
片岡覺太郎 『 日本海軍地中海遠征記 』
( 阿川弘之序文/C.W.ニコル編・解説/河出書房新社、2001.6.30 ) 2000円+税
「 若き海軍主計中尉の見た第一次世界大戦 」 という副題がついています。
日本の駆逐艦12隻 ( 初め 8隻、後に 4隻追加 ) が地中海で連合国の輸送船を ドイツの潜航艇の雷撃から守るため東奔西走した物語です。
日本海軍が第一次大戦時に地中海まで遠征した話は、聞いてはいましたが、具体的なことは何も知りませんでした。それが、駆逐艦の一乗員の観察記として詳しく提供されたのです。歴史は些事の集積なのですが、興味津々たる 「 些事 」 が描写されています。
記録した本人、著者片岡覺太郎 ( 本書は人名まで略字で表記しているのはおかしい、固有名詞を勝手に略字にしてはいけません ) は、副題にあるように 「 主計中尉 」 ( 当時の表記では 「 中主計 」 ) です。だから観察と記録の余裕がありました。
本書の概略は、序文を書いた阿川弘之が見事に要約しています ( 7〜8頁 ) 。
第二特務艦隊の地中海での活躍は、連日連夜つづけられる。出て行く駆逐艦があれば入つて来る駆逐艦があり、マルセイユからアレキサンドリアまで、知らぬ港は無くなつたといいふくらゐの、多忙な、緊迫した洋上の毎日だが、著者の筆は必ずしも大時化の航海や、船団護送、対潜戦闘の状況ばかりを叙してゐるわけでは無い。何十時間かの思はぬ閑暇に恵まれると、片岡中主計、──やがて進級して大主計 ( 大尉 ) 一行、相談の上、アテネの遺跡見物に出かけたり、カイロはギザのピラミッドを見に行ったり、果ては汽車に乗つてパリ旅行を試みたりしてゐる。帝国海軍の恥さらしをやつちや困るぞと注意しながらも、言葉はよく通じないし、各地でのその赤ゲツトぶりが又、何ともユーモラスで、而も見るべきものはちやんと見てゐて、中々面白いのである。
第一次大戦は、初め 「 欧州大戦 」 と言っていたのが、世界中のめぼしい国を捲込んだため、 「 世界大戦 」 というようになりました。いや、米国を初めとして日本や中国など、欧州以外の国を捲込んだという外的・表面的なことだけでない、という説もあります。それまで世界の中心だった欧州が始めた戦争が、欧州の手で終えられず、米国の参選と仲介を要したため、 「 欧州大戦 」 では収まらず、 「 世界大戦 」 というようになった、というのです。
因みに、英国では 「 あの戦争 」 the War としか言いません。第二次大戦を経ても、 「 あの戦争 」 というだけで第一次大戦を意味します。それほど深刻な影響を英国に与えた戦争だったからです。深刻さについては、オックスブリッジ両大学卒業生の俊秀を殆ど一掃せんばかりに殺して、指導的人材が払底したこと、世界覇権の地位から滑り落ちたことを指摘するだけでお判りでしょう。
第一次大戦は、日本にとっては大きな曲がり角でした。アングロサクソン、つまり英米が、日本支援から日本叩きに転ずる一大契機になりましたから。米国は、日露戦争で潜在的転換をやりますが、第一次大戦後、日英同盟を切断し、海軍軍縮條約・支那ニ関スル九國條約・太平洋ニ関スル四國條約によって対日抑圧の姿勢を明瞭にします。
日本の第一次大戦参加は 「 火事場泥棒 」 ということになって行きます。そのことを、編者のニコルさんも 「 解説 」 で触れています ( 321〜322頁 ) 。
完成したばかりの小説 ( 伊原注:日英同盟時代の帝国海軍を描いた 『 盟約 』 ) のリサーチをしていたときに、第一次大戦中の日本帝国海軍の働きについては、いろいろ調べもしたし、人に訊きもした。しかし、とりわけイギリスの専門家は、そのことは大して重要ではないといった。戦争勃発時の日本はある種の 「 火事場泥棒 」 だったというような、ちょっとした皮肉な態度すらうかがえた。日本は、ひたすらドイツから青島を奪取したかっただけのことなのだという。しかし、ここ ( 伊原注:本書 ) にはまったく異なる視点があった。これは海を哨戒し、戦い、何千もの人命を救った、日本の海軍軍人たちの物語なのだ。
ニコルさんは、マルタに日本人の子孫が居るという愉快な話も紹介します ( 324〜325頁 ) 。
ぼくのマルタ滞在がいくらか関心を集め、ドクター・ダニエル・ミカレフのお宅に招かれた。1964年に、この小さな島国がイギリスから独立を宣したとき、初代副大統領となった人物だ。ドクター・ミカレフは実に魅力的な紳士で、現在は政界を引退し、一般開業医として診療所で人々の治療にあたっておられる。
「 ここにはそんなに多くの日本の船がいたのか。なるほど、それだ! 」
「 だってね、マルタの歴史を通じて、この島に住んでいた東洋人などほとんどいなかったんだよ。それなのになぜ、マルタの赤ちゃんにこうも多くの蒙古斑があるのかと、長いこと不思議に思っていたんだ。あなたのおかげで謎が解けましたよ 」
片岡中主計の本文から幾つかの箇所を拾って紹介したいところですが、それは直接お読み頂くことにしましょう。
阿川さんは、序文でこう書きます ( 6頁 ) 。
此の遠征記について、ニコルさんが熱をこめて話してみても、まともに応対出来る日本人が殆どゐない。……敗戦後五十数年間、日本の学校の歴史教科書は、日本軍が過去に立派な武勲を打ち樹ててゐることなぞ一切取り合はなかつた。
取り合わなかったのは、戦後の日本人だけではありません。戦前・戦中の日本海軍自身がそうでした。
本書を読めば、12隻の帝国海軍駆逐艦がいかに 「 船団護送 」 に腐心したかが克明に判ります。それなのに、帝国海軍は、駆逐艦を船団護送に使おうとしなかったし、何より、潜水艦に敵輸送船団の攻撃をさせようとしなかった。そのため、せっかく資源地帯の南洋を占領しても、日本内地に資源を運んで来れなかったし、日本の輸送船団は敵潜水艦にぼかぼか沈められたのです。
しかも、攻撃されると弱い潜水艦を敵艦隊攻撃に使ったため、敵の駆逐艦のいい餌食となり、貴重な乗組員と潜水艦をあたら海の藻屑にしてしまいました。
歴史に学ばぬ者は、歴史に復讐されるのです。
( 平成20.2.14 )