レオニード・シンカリョフ 『 第二シベリア鉄道 』

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読書紹介:



レオニード・シンカリョフ 『 第二シベリア鉄道 』

            ( 仲弘訳/ナウカ社、1985.9.10 )  1,800円


 良質のルポルタージュです。


 バイカル・アムール鉄道 ( 略称=バム鉄道 ) は、第二シベリヤ鉄道とも言われることから判るように、ウスチ・クート ( バイカル湖の北端 ) とコムソモリスク・ナ・アムーレ ( ナホトカの北 ) を繋ぐ、シベリヤ鉄道の予備線です。シベリヤ鉄道が余りに国境線に近いので、日本軍 ( 関東軍 ) の攻撃から守り切れないと考えたスターリンが、滿洲事変後計画を立て、囚人労働を利用して建設させます。


 獨ソ戦争で一旦、中断しますが、第二次大戦後、米国とその手先 ( 米軍の保護国になった日本 ) が攻め込むことを警戒したスターリンが、日本軍の捕虜労働と囚人労働とで建設を再開して完成させます。コムソモールが勤労奉仕で作ったというのは宣伝にすぎません。


 私は、こういう戦略論・軍備論としてバム鉄道に興味を持ったのですが、それに答えてくれるバム鉄道論がほとんど皆無でした。



 最近、たまたま古本屋で本書を見つけ、 「 おお、懐かしい 」 と買いました。


 読んでみると、徹頭徹尾 「 東シベリヤと極東の産業 ( 地下資源 ) 開発鉄道 」 という視点で書かれています。

 だから、私の要求には直接は答えてくれないのですけれども、それなりに詳しく、面白い。

 写真 ( カラー/白黒 ) も豊富だし、著者は現場に詳しいヴェテラン記者 ( イズヴェスチヤ紙の特派員 ) です。1930年生れというから、私と同年。最後まで、興味深く読みました。


 著者によると、バム鉄道の建設開始は、1932年だそうです ( 52頁 ) 。関東軍の増兵を警戒しての対応だと。完成予定=1937年。だが国際情勢の緊迫で工事が停まったばかりか、獨ソ戦争のため、完成区間の施設を壊して資材を西部戦線に転用せねばならなかったそうです ( 57頁 ) 。バムのレールをスターリングラードの防衛線補給用の鉄道に使い、対戦車障害物にも転用したと。


 シベリヤをわざわざ志望して働きに来る男たちを各所で描いています ( 例えば 195頁、239頁 ) 。

 彼らの志望理由は様々です。

 シベリヤでは誰もが自由に行動できるから。

 建設に生き甲斐を感ずるから。

 特別手当が出るから、等々。

 旧工業地帯の大気汚染を嫌い、綺麗な空気を求めてシベリヤを目指す人も居ます。

 但しそのシベリヤで、製鉄所と化学工場と火力発電所をまとめてつくったため、 「 好ましくない環境 」 になっている場所もある ( 228頁 ) と報告されています。

 熱心な求職の手紙に共通するモチーフはこうだと著者は書きます。

  「 私が最も必要とされ、私の労働がより目立つところで働きたい 」 ( 242頁 )


 シベリヤの住民 ( 少数民族 ) は、原野を愛し、大きな町を避けます。

 しかし彼らが愛する原野は、鉄道と開発とでどんどん狭まって行きます。

 また、彼らの息子や娘は、町に移住しで町で働き、村には帰ってきません。


 老人はぼやきます。

  「 獣は居なくなる。魚は居なくなる。貂も居なくなる。どうやって生活して行けるか? 」

  「 以前はタイガーが広く豊かだった。以前は湯沸器を持って出かけた。ところが道路ができてタイガーはなくなった。今じゃ弁当なしに出かける訳に行かないよ 」


 20世紀は、世界到る所で環境を破壊し、工業化と都市化で人間を人工環境に引き込んだことがよく判ります。


 計画経済の筈のソ連で、生産計画が優先されたため、生産に従事する人達の生活環境整備が後回しにされたことも的確に書かれています ( 156頁その他 ) 。

  「 全体的計画なしに建設を行った30年代のやむを得ざる状況は伝統化し、50年代、60年代、いや70年代に到っても生き残っている 」 ( 208頁 )


 シベリヤ鉄道とバム鉄道は、沿線の風景が全く違うそうです ( 281頁 ) 。

 シベリヤ鉄道は工業地帯を繋いで走っており、人の住むところを貫いている。

 だがバム鉄道はもっと北の人跡未踏地帯を通っています。

  「 地形が多種多様であり、山国であり、森のない裸の山岳が草原・タイガーと交互に現れ、永久凍土帯が足下にあり、医者が人の居住に適さないと言った土地 」 が連なります ( 281-282頁 ) 。


 凍土地帯がいかに微妙でちょっとした刺激に弱いかを、著者は如実に描いています ( 320頁以下 ) 。


 小屋の傍に菜園をつくろうと、木々を引抜いたら、菜園は陥没し、地割れが拡がり、融けた水が溜って池になる。また、鉄道予定地をトラクターが通って苔を剥ぎ取ると、表面層の熱交換が乱され、地形が変ってしまう。

 ある時、ヤクーツクの中心部で突然、街灯や交通信号が消えた。警察が犯人を探したら、永久凍土だと判った。凍土が電柱を持上げ、地下ケーブルを切断したのだ。


 米国で私 ( シンカリョフ ) が聞いた話:

 第二次大戦中、カナダ−アラスカ間2500キロに自動車道路を敷設した。

  ( 伊原注:多分、対ソ支援物資運搬のため )

 道路は当然、凍土地域を通過していた。

 1943年、新しい道路を自動車隊が走ると、行方を氷原が遮った。

 表層水が道路を覆い、凍結していた。タイヤが空転し、いくらアクセルを踏んでも車は動かなかった。

 火炎放射器と砲撃で氷を破壊してやっと自動車は動き出したと。


 こんな地帯を通っているバム鉄道の整備の大変さが判ります。


 最近、 「 中国・ロシヤ・北朝鮮 3ヶ国の国境交流とシベリヤ鉄道活性化 」 の企画が動き出し、日本海側の府県も加わって一大経済プロジェクトが考えられているようです。

 しかし、老朽化が伝えられているシベリヤ鉄道の信頼性が気にかかります。