台湾総統選:決戦か、混迷か

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伊原記:以下は、平成19年10月25日 ( 木 ) に 「 関西戦中派の会 」 で行った講演を文章化したものです。紙数の制限のため、講演で話したことを全て取込めませんでした。得票率などは、記録上正確に書込みました。台湾の重要選挙に関する簡にして要を得た展望になっていると思うので、ここに掲載して皆様の参考に供します。


    台湾総統選:決戦か、混迷か


伊原吉之助


 関西戦中派の会で、私は毎年一回お話しています。昨年と一昨年は中国論でした。台湾について話したのは3年前です ( 「 台湾の命運──米中馴合の狭間 」 2004年4月15日 ) 。これは陳水扁再選直後の時期でした。今日は 2期目の 4年間を概観してから、来年行われる二つの重要選挙について考えます。


 台湾が置かれた状況は複雑で、それをきちんと承知しておく必要があります。それには拙稿 「 総統選挙を控える台湾の内政事情 」 ( 『 日本 』 平成19年10月号 ) をご覧下さい。かなり丁寧に台湾の実情を説明しておきました。


     陳水扁政権二期目の混迷


 2000年の総統当選・政権獲得は、民進党にとっても陳水扁にとっても、予期せぬ勝利でした。当時、中国国民党 ( 略称=国民党 ) は 6割の集票力があり、公認候補連戦は必勝の筈でした。 4割の集票力しかなかった民主進歩党 ( 略称=民進党 ) は勝つ見込みなし。それが、国民党の実力者・宋楚瑜が独自立候補したため国民党の票が割れ、陳水扁が漁夫の利を得ました。


 投票率= 82.69%  ( 前回1996年の投票率=76.12% )

 陳水扁・呂秀蓮組 39.30%

 宋楚瑜・張昭雄組 36.84%

 連 戦・蕭萬長組 23.10%


  1期目の陳政権は、資金なく人材なく統治経験なく何の準備もなく、少数与党のまま急遽政権を担当する破目になりました。だから 1期目のもたつきはやむを得ません。再選を期し、 2期目に思い切ったことをやるものと期待されました。事実、支持者は 2期目に熱い思いをこめて04年に陳水扁を再選したのです。


 投票率= 80.28%

 陳水扁・呂秀蓮組 50.11%

 連 戦・宋楚瑜組 49.89%  →その差 2万9518票/0.228%


 ところが負けた連戦は敗北を認めず、 「 不公平 」 「 選挙無効 」 「 当選無効 」 と叫び、告訴すると言いました。自分が勝つと信じていたので、負けたのは票のすり替えなど、これまで国民党が常套手段にしてきた不正を民進党もやったに違いない、と思込みました。そこでこのあと、野党 ( 国民党・親民党・新党 ) は法を無視して揉め続けます。陳政権はそれを取締もせず、放任しました。野党は軍事クーデターまで画策していたのに!


( 1 ) クーデターを阻止したのは、李登輝前総統の国防部長に対する電話での一喝です。

( 2 ) 連戦がしつこく選挙結果を覆そうとした背景に、 「 中共との密約 」 があったのではないかという疑惑があります。だから、何としてでも選挙結果をひっくり返そうとしたのではないか??? 中共は 2005.4.29 の 胡錦濤・連戦会談を 「 第三次國共合作 」 の 成立と見て、台湾を掌中にしたもの、反対している 「 台獨派 」 は一握りの少数に過ぎない、と考えたがっているようです。


 弁護士だった陳水扁は、驚いたことに、 「 票の数え直し 」 の臨時立法をした上、遡及適用までして野党の横暴を支援しました。

 弁護士をして、法律遵守の必要を知り抜いている筈の陳水扁が、なぜそんなことをしたのでしょうか?


 陳水扁は、野党の横暴を見て有権者が野党離れを起こし、年末の立法委員選挙で民進党に票が流れて立法院で多数を制せられると期待したようです。国会で多数になれば、あとは思いのままになる、ここはそれに全てを賭けたい、と。

 でもそうはなりませんでした。2004.12.11に行われた立法委員選挙結果は以下の通りです。


 緑陣営= 101議席 ( 民進党89+台灣團結聯盟12 )

 青陣営= 114議席 ( 国民党79+親民党34+新党1 )

 その他= 10議席 ( 野党寄りが多い )


 思惑が外れ、立法委員選挙の敗北で自信を失った陳水扁は、その後迷走します。


 2005年、 「 和解共生 」 を唱える妥協的な謝長廷に組閣させ、自身は大中華派の親民党主席宋楚瑜と会談し、一方的に譲歩した 「 十項目合意 」 を達成します。これを 「 譲り過ぎ 」 と李登輝に叱られて、テレビ で 3度に亙り、李登輝に恨み節を投げつけて鬱憤を晴らしました。


 2.28 宋楚瑜との会談は李登輝が勧めたからやったのだ ( 責任転嫁 )

 3. 1 国号改称は任期内にはできない。できないものはできない。李登輝が今、総統であってもできない ( 弱音を吐く。独立派が大反撥 )

 5. 9 李登輝罵倒。李登輝は私を子供扱いにして批判する。実の子供でもこれほど批判されまい。こんなに批判されると、総統のリーダーシップ を阻害される/考えがころこ変るというが、ころころ変るのは李登輝自身ではないか、云々


 この テレビ放映のあと、 『 自由時報 』 に陳水扁総統批判の投書が殺到しました。

 曰く、 「 父殺し! 」 、紛れもない エディプス・コンプレックス だ。

 曰く、阿扁は、自分のことは棚に上げて、人ばかり罵っている。

 曰く、阿扁は 「 敵 」 を忘れて 「 味方 」 を罵った!

 曰く、李登輝を罵るのは、台湾人民を罵ることだ、等々


 中国はこの間、全人大で 「 反国家分裂法 」 を制定して台湾への武力行使に備え、連戦を初めとする野党の三党首を招いて野党を籠絡しました。


 中国は 「 中国人なら祖国復帰を願っている筈 」 という中華思想による思い込みと、台湾野党のご注進で台湾認識が現実離れしていますから、台獨派を 「 一握りの少数派 」 と考えており、台湾主流と誤認する在台中国人の連戦国民党主席と会談して、第三次国共合作を成し遂げたつもりで居るようです。


 台湾野党 3党の訪中と陳政権のゆるふんぶりは、以下の通りです。


 3.28-4.1 中国国民党副主席・江丙坤訪中団30名: 「 思いを馳せる旅 」 「 経済貿易の旅 」 「 破氷の旅 」

  →陳政権、 「 刑法 113条その他の関連法律に抵触する 」 と警告しただけ

 4.26-5.3 中国国民党主席・連戦訪中団70名: 「 平和の旅 」

  台北→香港→南京→北京→西安 ( 連戦の故郷・祖母の墓参 ) →上海→香港→台北

 4.30 連戦、西安で母校の小学校訪問。学童 「 お爺ちゃん、お帰りなさい。やっと帰って来ましたね 」 と歓迎され、めろめろになる。台湾記者団、失笑。

  →陳水扁、訪中批判から祝福へ、変身!

 5. 5-13  親民党主席宋楚瑜訪中団50名: 「 架橋の旅 」

  台北→香港→西安 ( 黄帝陵参拝 ) →南京→上海→長沙 ( 宋楚瑜の故郷・墓参 ) →北京→香港→台北

  →陳水扁、胡錦濤への メッセージ を託す?

 7. 6-13  新党主席郁慕明訪中団

 10.14-  中国国民党名誉主席連戦、 「 私的訪問 」 と称して再訪中

 10.23   台湾の行政院大陸委員会、中国からの観光解禁へ


  「 祖国 」 のトップ、胡錦濤国家主席と会談して勝誇った野党は、6月7日、中華民国憲法を改正し、今後の憲法改正を不可能なまでに難しくしました。

 改憲は、立法院定員の 1/4以上の提案を受け、3/4 の 出席、出席者の 3/4以上の賛成で通した上、国民投票により全有権者の過半数の投票で成立する、国民投票は投票者の過半数の賛成で成立、という厳しさです。これで民進党が台湾独立の憲法改正が出来ないよう、縛りをかけたのです。


 民進党は、この厳しい改憲条件との抱合せで選挙法を改正し、中選挙区制を小選挙区比例代表制に変えました。選挙制を変えることにより、国会で多数を制するつもりだったのです。


 2006年 ( 昨年 ) は、陳政権どん底の年でした。側近や夫人が汚職で起訴されたり有罪判決を受けたり。野党はここぞとばかり、総統罷免案を立法院に提案します。2/3 の 多数を得ないと通過しないのは承知の上で 「 陳総統泥塗り 」 キャンペーン のための提案です。 3度、立法院に出して勿論成立しませんでしたが、 「 民進党政権の腐敗汚職 」 宣伝の効果は充分発揮しました。


 この時馬英九国民党主席は、親民党提案の罷免案に 「 どうせ通らぬから 」 と賛成しませんでしたが、運動が盛り上がりそうになってから慌てて同調します。この右顧左眄ぶりに、国民党元老から 「 あいつ、総統にして大丈夫か? 」 との疑問の声が出ます。


 野党はさらに、総統罷免の街頭運動をやります。 「 反腐敗百万人募金運動 」 と称して一人百元拠金を呼びかけて 1億元集めました。実際に 1人百元を百万人から集めると通信回線がパンクするので、この資金は実は国民党資金+中共資金といわれます。中共資金とは、大方は大陸進出企業に拠出させた資金です。


 野党の陳政権打倒運動はさらに次の展開を見せます。総統府前の ケタガラン大道に赤シャツや赤ジャンパーを着て坐り込んだのです。台湾では、街頭運動は一律午後10時で解散と法律が定めているのに、治安責任者 ( 台北市長 ) の法学博士馬英九は 「 治安に問題なし 」 と独断して24時間× 1週間の連続坐込みを許可しました。

 こういう法律無視を平気でするのが在台中国人の厚かましさであり、それを放任するのが台湾土着政権の甘さです。坐込みの赤シャツ連中が、緑派の通行人をぶん殴るトラブルが何度か起き、馬英九の治安維持能力に疑問の声があがりました。


 極めつけは、10月10日の双十節 ( 中華民国の建国記念日 ) 祝典に、部下を率いて貴賓席に乱入した宋楚瑜ら親民党の一団の殴り込みです。陳総統のすぐ傍まで行き、 「 陳総統、辞任せよ 」 と書いた横断幕を掲げました。そのあと、帰途につく貴賓の車の窓を叩いたり進路を遮ったりして移動を妨害し、周辺の交通渋滞を惹起しています。

 宋楚瑜のこの行動は、国民党元老から 「 神聖な祝典を汚した 」 として譴責され、宋楚瑜の政治生命を危うくしました。


 こういう野党の横車を放任するところが、陳政権のどうしようもない軟弱さです。陳総統は、宋楚瑜一派の乱入に激怒して 「 来年は双十節祝典はやらない 」 と言っておきながら、今年もちゃんとやりました。台湾人政権が辛亥革命を祝う理由など何らないのに──。

 陳水扁総統については、総統罷免運動が盛上がっていた時、台南での内輪の会合で 「 家庭もとるか、総統をとるかと訊かれれば、問題なく家庭をとる 」 と言って、座に居た独立派の元老 ( 辜寛敏とされる ) から 「 冗談じゃない 」 とたしなめられています。


 今年は、李登輝前総統の爆弾発言で明けます。

  1月末発売の香港系週刊誌 『 壹週刊 』 2007年2月1日号に 「 台獨を棄て、中国資本を台湾に導入せよ 」 「 中国人観光客もスパイばっかりじゃないんだから、どんどん台湾に受入れて金を落して貰え 」 云々の発言をし、 「 李登輝は親中派に転向したか? 」 と疑われました。結局、中国系の雑誌で発言して注目を集め、発言力を強化した上で言いたいことを説き込む作戦だったようです。李登輝の真意は、政策を空転させる政争をやめて真面目に政治と取組め、台湾庶民は経済悪化で困っているではないかと民進党に呼びかけることでした。


 私は、政争と政治の空転の責任は、不当に暴れ回って非力の政権の足を引っ張りまくる横暴な野党側の方が遥かに大きいと考えていますが、中国国民党主席だった李登輝さんは、国民党の横暴より、民進党の未熟さ と パーフォーマンス戦術に より多くの苛立ちを感じておられるようです。


     陳水扁の反撃:正名・制憲・国連加盟へ


 緑支持者は、野党の跳梁跋扈に歯噛みして悔しがっていましたが、昨年末の台北・高雄両市長・市議選挙で、民進党は息を吹返します。


 台北市長の得票率:

 郝龍斌 ( 国民党 ) 53.81%

 謝長廷 ( 民進党 ) 40.89%


 高雄市長の得票率:

 陳 菊 ( 民進党 ) 49.41%

 黄俊英 ( 国民党 ) 49.27% →その差、僅か 1114票/0.14%


 台北も高雄も現状維持? ノー、ノー、左に非ず。

 民進党が 「 腐敗汚職 」 でどん底を極めていたため、両方とも国民党が選ばれる勢いだったのに、謝長廷が 「 南京街 」 といわれる在台中国人の街、台北で善戦して 4割の票を取り、高雄は民進党が守り抜いたということで、国民党の選挙本部は青菜に塩、民進党の選挙本部は万歳、万歳と、 「 大勝利 」 に沸いたのです。


 cf. 前回=馬英九が再選で 64.1%を獲得/民進党李應元の得票率は 35.9%


 勢いに乗って陳政権は捲返します。有権者への台湾意識の浸透を頼りに、立法委員選挙での多数獲得、総統選での勝利を目指して次々手を打ちました。


  ( 1 ) 台湾正名運動の徹底

 中正国際空港を桃園国際空港へ

 蔣介石の銅像の撤去

 中正 ( 蔣介石 ) 紀念堂を台湾民主紀念館に変え、台湾民主化運動を展示

 蔣介石の誕生日・死亡日を記念日から削除

  理由=蔣介石 は 228事件の元兇だから記念するなどとんでもない

 中華郵政を台湾郵政へ/中国造船を台湾国際造船へ/中国石油を台湾中油へ、等々


  ( 2 ) 「 四要一なし 」 の提唱

 就任演説の 「 4ノー1なし 」 公約= 「 中共が武力発動を意図しない限り、在任中に独立宣言・国名変更・二国論の憲法編入・統独国民投票をせず、国家統一綱領・国家統一委員会の廃止をしない 」

 これに対し3月4日、 「 台湾人公共事務会 」 FAPA創立25周年の祝賀会で 「 4要1なし 」 を新規提唱しました。その内容は次の通り。

  「 台湾は独立・正名・新憲法・発展が要る。左右問題はなく、統独問題あるのみ 」

 これに米国は直ちに 「 4ノー1なし 」 公約に反する、と文句をつけました。しかし この公約には 「 中共が武力発動を意図しない限り 」 という条件がついており、中国は 「 武力行使をしないと約束できない 」 と言続けていますから、陳水扁はこの公約に縛られないのに、米国は中国が何をしようと知らぬ顔、専ら台湾に文句をつけるのです。

 米中馴合いで台湾を苛める偏頗な構図ができているのです。


  ( 3 ) 政党財産の問題化

 国民党は、占領後に在台日本資産を接収したとき、それをことごとく私物化しました。だから 「 世界一の金持政党 」 といわれます。民進党は、その 「 党財産 」 を国庫に返還させようとして、長らく立法院に 「 不当取得した党産を国民に返還させる法案 」 を出し続けたのに、多数を擁する野党から審議を棚上げされてきました。そこで、国民投票を通じて実現すべく、来年一月の立法委員選挙時に、この国民投票を同時実施することにしました。この同時実施は中央選挙委員会が公告済です。


     台湾の影の主役:米国と中国


 台湾を考える場合、 「 真の主役 」 と言いたいほど影響力を発揮しているのが、米中両国です。米国は専ら民進党政権の足を引っ張っています。中国で儲けるため、中国と馴れ合っているからです。そのため積極的に中国の代弁をしています。


 米台間の目下の焦点は、陳水扁総統が今年4月に始めた 「 台湾の名で世界保健機関 WHOや 国連に加盟申請する 」 動きです。

 これまで世界保健機関の年次大会にオブザーバー申請を10年続けて来たが、中国が拒否して入れない。それならいっそ 「 台湾名で正式会員国に申請しよう 」 「 国連にも台湾で行こう 」 と決めたのです。


 中国の反対で WHOからは直ちに断られました。

 国連加盟も、国連のパン・ギムン ( 潘基文 ) 事務総長に送付した申請が 2度とも突っ返されたので、国民投票に訴えることにしました。ところがこれに対して、中国の意向を代弁する米国政府が直ちに反対を表明します。それにも拘らず、台湾内で国民投票準備の署名を集める作業が着々と進む上に、その勢いを見て、初め反対していた国民党まで、加盟の是非を問う国民投票をすると言い出しました。但し、内容は違います。民進党は台湾名で新規加盟 ( 加盟投票 ) 、国民党は中華民国名で国連復帰 ( 復帰投票 ) です。

 中国を苛立たせる台湾の国民投票を阻止すべく、米国政府は、これまでにない強い明確な反対表明を打出しました。


 8月27日、米国国務省の ネグロポンテ国務副長官が、香港の フェーニックス・テレビ に こう言いました。  「 台湾の国連加盟の国民投票は台獨の第一歩であり、台湾海峡の現状改変だから、米国は反対だ 」

 これは全く中国の言分の代弁です。


 次いで同じ8月の30日に、ホワイトハウス 国家安全保障会議NSC の アジア 上級部長 ワイルダーが こう言いました。

  「 中華民国も台湾も国家ではないから、国家を加盟資格とする国連に加盟する資格はない 」 「 中華民国は未解決の問題だと米国は見做している 」


 極めつけが、9月11日の国務次官補代理クリステンセン の 発言です。米台間で武器購入の打合せをする防衛会議の席上、長広舌を揮い、 「 米国は中国との関係を重視しているのだから、台湾はがたがたするな 」 と引導を渡したのです。

 これは 「 米国の対台政策の大転換 」 と言っていい出来事です。


 そして10月4日、ワイルダー 部長が、訪米した蕭萬長中国国民党副総統候補に申し渡しました。

  「 クリステンセン 談話が米国の立場の全てだ 」


 クリステンセン は 7月と8月 の 2度に亙り、北京を訪問して、国務院台湾事務公室 ( 国台。中国の対台政策執行機関。主任=陳雲林 ) の官員に 「 中共が台湾に容認できるぎりぎりの線 」 を確かめており、ネグロポンテ発言以降の米国高官の対台発言は、すべて中国の台湾抑圧政策の代弁だったのです。


 では米国はなぜ中国の代弁をしたか? それは米国が、少なくとも当面は、中国で金儲けを続けるつもりであり、そのため米中馴合が必要不可欠だからです。


 台湾は、台獨派の元老辜寛敏が有力米紙に意見広告を出したり、行政院新聞局が同じく意見広告を出したりしていますが、犬の遠吠えに過ぎません。


 中国は、96年に台湾が初の総統直選をやった時、ミサイルを ぶち込んで逆効果となり、李登輝に票が集ってしまいました。当時、李登輝は 48% 程度は取れると見込んでいましたが、中共の ミサイル実験のおかげで、54% を 獲得しました。2000年には、朱鎔基首相が 「 マフィア の親分の如き恐喝 」 を やって、意に反して、陳水扁を当選させてしまいました。


 これで彼らは、進退に窮しました。クリステンセン が 北京を訪れた時、国台の官員が嘆いてこう言ったそうです。

  「 台湾の扱いは極めて難しい。喋り過ぎは駄目、喋り足りなくても駄目、だからといって沈黙するのは最悪 」

 ──なぜか?

  「 喋り過ぎると台湾人民を脅したと思われ、中国国民党の選挙に不利となる。喋り足りぬと民進党に張子の虎と思われ、なめられる。黙っていると黙認したと思われる 」 からだと。


 だから直接言うのをやめ、米国に言わせる 「 経美制台 」 ( 米国に台湾を牽制さす ) 策をとるようになったのです。

 この 「 経美制台 」 策は、2003年12月、 2期目の総統選の直前に、ワシントン に 温家宝首相を迎えたブッシュ大統領が 「 台獨に反対 」 と言明して以来、続いています。


     選挙の争点:経済の動向+中台関係


 以上のように、米中結託しての強い外圧が台湾にかかっています。この点では米中に太いパイプを維持する国民党が有利ですが、投票するのは台湾国内の有権者です。そして、来る選挙は、前哨戦として1月12日の立法委員選挙があり、本番として3月22日の総統選挙があります。立法委員選には 「 党財産問題国民投票 」 がくっついており、総統選には 「 国連加盟国民投票 」 ( 民進党の加盟投票+国民党の復帰投票 ) が同時に行われる予定です。これらがどういう効果を発揮するか、予断を許しません。


 国内情勢では、青陣営がやや優勢ながら、支持率は微減傾向にあります。

 緑陣営は時間が味方、台湾意識が微増傾向で続いています。但しこの台湾意識なるものは、 「 中国人じゃない 」 というだけで、中国の圧力に対して断固戦うというほど強くはありません。


 立法委員選挙は、地方政治だから人中心・コネ中心に選ばれ、台湾意識は余り関係ないという面 ( 国民党に有利 ) と、小選挙区で一対一の対決になるので、これまでの中選挙区よりも 「 青か緑か 」 の対決面が表に出やすい ( 民進党に有利 ) という両面があります。


 総統候補者でいえば、与党・民進党の謝長廷は、田舎政治家の多い民進党の中では日本に留学し、日本の政界・学界とも、米国の政界ともそれなりに人脈があり、政略を弄する手腕も、お人好しの台湾人としてはある方です。候補濫立気味の民進党で、逸早く総統候補の公認を獲得した手腕から見ても、なかなかのものです。

 小選挙区は人で選ぶとしても、比例代表区は正式党名を書きます。台湾意識の進んだ台湾で 「 中国 」 国民党と書くのに抵抗を覚える人が多い筈、というのが小選挙区比例代表制を提案した民進党の狙いです。


 対する国民党の総統候補、馬英九は、人気はありますが、実力が伴わない。しかし人々は実力などで人を選びません。社会の底辺まで行き届いた組織 ( やくざ組織を含む ) と、買収費用をたっぷり持つ国民党の実力は侮れません。


 最終的には、蓋を開けてみないと判らぬ接戦であります。そして台湾の選挙は、最後の一週間が大事です。

 投票日まで、注視を続ける必要があります。

( 2007.10.28/11.3補筆 )