劣化した日本人

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伊原:以下は 『 関西師友 』 平成19年11月号に掲載した 「 世界の話題 」 No216 です。少し増補してあります。



      劣化した日本人



       自助努力が雲散霧消


 地震などの災害で、テレビは避難した人々を映し出します。年寄りが多く、人々はひたすら救援を待ちます。この映像を見ていて、空襲で焼け出された光景を思い出しました。


 米軍の無差別焼夷弾爆撃で焼け出された人々は膨大な数に上りますが、身の振り方は皆、自分でつけました。大部分は故郷や親戚縁者を頼って自前で生き抜いたのです。


 昔に比べて、日本人はひ弱になりました。何より、故郷や身寄りを持たぬ根無し草の生活をする人が激増したのです。自給自足度の高い農業社会 ( 田舎 ) のない社会は脆弱です。


 都会人は、生活基盤を全面的に他人に頼る 「 か弱い存在 」 なのです。日本は、高度成長が安定成長になり、都会生れ、都会育ちが激増しました。故郷のない根無し草が殖えたのです。


       人間関係が希薄に


 一昔前の日本人は、電車の中で読書していました。今や、居眠りかケータイいじり、でなければイヤホーンで音楽を聴いている。引締った顔の人が少ない。姿勢も悪い。日本人は個室で機器相手に育つようになり、バラバラで孤立し、邪魔臭がりになり、劣化しました。


 大学で教えていて、学生が好奇心を失ってきていると気付いたのは、遥か前のことです。元兇はテレビです。就学前からテレビを毎日見て育つと、学校の授業は退屈です。


 子供たちにとってテレビはつけっ放して時々画面を見るだけですから、静坐して先生の話を傾聴する習性がない。小学校で、生徒を席に就かせておくのが難しいのは、家庭生活の勝手気ままに原因があります。


 テレビの悪影響は無数にあります。テレビで育つと無反応な人間に育ちます。私はある時期から、学生の無反応に気付きました。話し手は聴き手の反応を見ながら話すので、聴き手が無反応だと話が活力を喪います。 「 相手構わず、一方的に喋る 」 ほかなくなるからです。


 読書が一番頭を使います。機器でも、ラジオは画像がないので、まだ聴き手の想像力を刺戟するのに、画像を見せるテレビは頭を使わせません。考える余裕を与えませんから、テレビは頭を空っぽにする道具であり、考える力を弱める機械です。


       機器依存症が激増


 ソニーがウォークマンを売出した時、私は慨嘆しました。歩いている時、一人で居る時、人は考えます。この貴重な時間を 「 機械に埋めさす 」 のは勿体ない。人から思考の機会を奪うウォークマンは有害な機器であると。


 機器が増えて子供が消極的になりました。原っぱがなくなり、道路が自動車の横行により遊べなくなったこともあって、子供は部屋で機器相手に過ごします。育ち盛りに体を鍛えず、虚弱体質の青年が殖えました。子供は暇さえあれば、いろいろ工夫して遊ぶものですが、今の子供は機器がないと遊べないようです。


 機転が利くのが日本人の一大特徴だったのに、今やそうではない。嘆かわしい限りです。


 今や学習は 「 親に言われるから勉強する 」 嫌なものになりました。義務教育など全廃し、体力・知力の検定試験を課してそれに合格して一人前と認めるようにすれば、自発的に学ぶ者が殖えるか、と考えたりします。


 現代日本人の消極性は、日本語にやたら受身表現が殖えたことでも判ります。 「 驚く 」 が 「 驚かされる 」 になりました。自動詞が激減し、他動詞全盛の世の中です。 「 喪った十年 」 ではなく 「 喪われた十年 」 。私のせいじゃない!と言いたいのでしょうか。


       親と教師への尊敬


 教育の劣化が日教組のせいにされますが、テレビコマーシャルも悪い。


 役割分担主義= 「 貴方作る人、私食べる人 」 → 「 貴方教える人、私学ぶ人、ちゃんと教えてね 」 と指示を待つ。


 商業主義= 「 先生は私たちが払う授業料で暮らしてるんでしょ。私らお客を大事にしてね 」


 悪平等主義=教える側と教わる側は平等ではない。養う親と養われる子供も平等ではない。それを基本的人権の拡大解釈で平等と考える。親や師に対する尊敬なしに子供も生徒もまともに育ちません。

 尤も最近は、子供を 「 親が人生を楽しむのを邪魔する存在 」 と見て邪魔者扱いする親が増え、どっちもどっちになりました。


       人倫と社会の維持


 集団生活には規則が要ります。 「 ノートルダムのせむし男 」 で判るように、泥棒でも集団を維持するには 「 ( 仲間から ) 盗むな 」 が鉄則です。まして、まともな人間の集団なら、人倫の基礎 「 犯すな、殺すな、騙すな、裏切るな、罪は償え、仲良くせよ、指導者を敬え 」 等の基本ルールが欠かせません。


 その大事な人倫の基礎が日本社会から消えかけています。基本的人権やプライヴァシー、個人の尊重などを一方的に尊重すれば集団は壊れ、秩序がなくなり、個人も生きられなくなります。


 それを承知の上でルールを破壊してきた人たちが、あっちにもこっちにも潜んでいます。いや、識者面して公然と世の中を指導している人も少なくありません。


 日本社会は音を立てて崩壊しつつあるのに、人々は危機感を持たず、いつも通り、毎日を送っています。


 危機感のないのが最大の危機、と私には見えます。

( 07.10.8/11.1補筆 )