国家意志の再構築へ

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伊原:以下は 『 関西師友 』 10月号掲載の 「 世界の話題 」 ( 215 ) の増補版です。



国家意志の再構築へ


      根無し草だらけの惨状

 前回の 「 国際謀略に即応せよ 」 で、国家意志を再構築しないと亡びる、再構築には、日本国民が危機を自覚する必要があると書きました。


 米軍の占領政策で天皇は飾り物にされ、日本国民は 「 家 」 から切り離されてばらばらの根無し草にされました。大衆はばらばらだと百も承知の社会学者が、わざわざ 「 分衆 」 「 孤衆 」 と表現するほど、今の日本人はばらばらで孤立した存在なのです。


  「 家 」 の解体・均分相続・累進課税で財産は細分化し、文化の保護者だった財産家が消滅しましたし、核家族で未熟な若夫婦が新家庭を築いたため、家庭が崩壊しました。また高度成長の過程で転勤が甚だしく、近隣社会も解体しました。大体、子供たちが群れて遊ぶような原っぱも道路も、高度成長と車社会で雲散霧消しました。家庭が生活の場でなく、食事と睡眠の場となり、日常生活の中に芸術が溶け込んでいた日本家庭というのは昔の話。今や皆さん、 「 隣は何をする人ぞ 」 「 日曜は好きなだけ寝る 」 「 起きてもパジャマ姿でうろうろ 」 ……という我儘生活を楽しんでいます。


 当用漢字・現代仮名遣いで戦後育ちは戦前の書物が読めません。日本文化の蓄積から遮断されたのです。それに、教育の不備で、若者は、自分の意思を自分の言葉で伝えられない。辛うじて符丁入りの仲間言葉が使えるだけです。同年齢層の半数が大学に進学していますが、講義の日本語が理解できる学生が何パーセント居ることやら。


 伝統破壊のこの惨状を見て見ぬふりしつつ、人々はその日暮らしを重ねています。


      甘んじて亡びるか?

 戦後の日本は、アメリカ占領軍に国体の背骨を折られた実情から目を逸らせ、経済復興に専念して復興から高度成長まで成し遂げました。しかし1985年のプラザ合意 ( 円高ドル安を合意し、日本の貿易一人勝ちにブレーキをかけた ) 以降、日本は腑抜けの実態を暴露し始めます。


 謙虚さを失い、 「 もはや欧米に学ぶものなし 」 と豪語し、 「 日本の土地代で米国が二つ半買える 」 と誇った途端、バブルがはじけ、 「 失われた十年 」 の低迷を迎えました。

 ハワイ・マレー沖海戦のあと、岡軍務局長が報道陣に 「 帝国海軍は無敵 」 と誇った途端、ミッドウェー以降の海軍の没落が始まったことを連想させます。


 平家物語に曰く、 「 奢れる者久しからず 」 は 「 盛者必衰の理 」 だと。平家は美しく亡びましたが、今の私たちはどんな亡び方をするでしょうか?


 私は、河合栄治郎に学んだ理想主義者、 「 天命を信じて人事を尽くす 」 ことこそ人生と信じていますから、最後の最後まで努力します。 ( 「 人事を尽くして天命を待つ 」 というのは順序が逆です。天命は信ずるものであって、待つものではありません )


 但し私は一介の読書人にすぎませんから、私の努力は 「 認識 」 と 「 報告 」 に尽きます。そして私の任務は、前号に書いた 「 世界人類の半数を平然と叩き殺すニヒリスト 」 からいかにして人間らしい生活を守るか、です。


      民主主義の問題点

 日露戦争後、日本の国家意志が分裂しました。特に陸海軍の仮想敵が 「 陸軍→露 」 「 海軍→米 」 と、二つに分かれました。


 そして明治天皇崩御のあと、大正天皇も昭和天皇も 「 立憲君主 」 に祭り上げられ、天皇はいかなる意味でも 「 国家意志の形成に関与しない 」 存在にされてしまいました。明治天皇が行われた、国家の危機に際して 「 公平な第三者 」 として国家意志を纏める大事な作業から切り離されたのです。

 日本は官僚制国家になり、各省が割拠して国家意志が分裂しました。


 民主主義は、国家意志を纏めるより、分裂さす方向に力が働きます。外国勢力の浸透も許します。

 有権者は自分の周辺に関心を持つだけ。外交や国際関係こそ、戦争を含む国家の運命を左右する大事なのに、有権者の大半は無関心を決め込みます。

 こんな 「 内向き 」 の国民の投票で指導者を選ぶ民主主義は、危うい政治体制です。まことにチャーチルが言う通り、 「 民主主義は最悪の政治体制 」 なのです。 「 しかし、他の政治体制はもっと悪い 」


      優れた指導者への期待

 民主主義が 「 衆愚 」 化する欠点を補うのが、優れた指導者です。そして、我国で優れた指導者を育ててきたのが武士道です。指導者養成法として武士道を見ると、その特徴は四つに纏められます。


 第一項目は 「 死を恐れぬこと 」 です。これこそ 「 自分との闘い 」 「 克己 」 の窮極目標であります。

  「 命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして國家の大業は成し得られぬなり 」 ( 『 西郷南洲遺訓 』 )


 第二、自分の属する共同体への献身です。

  『 葉隠 』 が 「 武士道とは死ぬことと見つけたり 」 と言って 「 生への未練を断つ 」 ことを説いたのは、主君への諫言という形で 「 御家の大事 」 に献身さすためです。そして徳川時代に於ける 「 御家 」 とは、領民を含めた御国共同体でした。


 第三、彼岸との一体化です。

 戦国乱世では、あの世とこの世は繋がっていて、先にあの世に行った師や先輩が常に自分を見守っています。その眼に曝されている自分は、卑怯な真似や恥ずかしいことはできません。


 第四、勇猛果敢な精神は、死闘を演ずる敵を深く思い遣ります。 「 敵への思い遣り 」 、ここに潔さが生れ、敵からも畏敬されます。


 国民が、こういう指導者を尊敬すれば、こういう指導者が出てきます。今、そういう人が見当らないのは、日本国民がこういう指導者を尊敬していないからです。乃木將軍を 「 愚將 」 と罵ってきた 「 英雄への泥塗り 」 「 凡人礼賛 」 の風潮を想起されよ。


 軽佻浮薄は 「 大正デモクラシー 」 に遡ります。それを更に一層軽佻浮薄にしたのが 「 戦後デモクラシー 」 です。軽い軽い、頗る軽い。文章も 「 昭和軽薄体 」 がまかり通った。

 戦後の軽薄さの深刻な反省とそこからの脱却がなければ、日本は亡びるほかありますまい。

( 07.8.30/10.1加筆 )