中國民主化の見込 - 伊原教授の読書室

> コラム > 伊原吉之助教授の読書室



     中國民主化の見込




伊原註:これは、『關西師友』2018年二月號 12-15頁掲載の「世界の話題」331號の文章を

    採録したものです。

    ネット掲載用に編輯した際に、少し手を加へてありますが、

    趣旨をよりよく徹底するためであつて

    趣旨に變更は加へてありませぬ。










      中國が民主化する見込みは?


 中國が民主化する見込みはあるか? と訊けば、

 多くの人が疑問を呈するでせう。


 秦の始皇帝以來、中國は專制支配體制が續き、

 未だ一度も民主主義を實行したことがないからです。


 中國社會は西歐と違ひ、進展することはなく、

 斷えず專制支配體制を再生産する構造になつてゐるのだ、

 といふ説もあります。

 (金觀濤・劉青峰『中國社會の超安定システム:「大一統」のメカニズム』研文出版、1987年)


 そして目下の習近平體制は、民主化の氣配どころか、

 ケ小平が導いた集團指導制を逆戻りさせて

 毛澤東流の個人獨裁體制に復歸しつつあるやうに見えます。


 昨年10月に開いた中國共産黨第十九回大會でも、

 次期指導者候補の五十歳台の政治局常務委員を登用せず、

 習近平は2049年の建國百周年までトップの座に居坐り續けるつもりか、

 との疑惑を産んでゐます。


 そんな中で、中國は民主化するのではないかと推測する本が出てゐます。

 加藤嘉一の『中國民主化研究』(ダイヤモンド社、2015年7月30日)です。

 副題に「紅い皇帝・習近平が2021年に描く夢」とあります。


 私には、中國がさう簡單に民主化するとは思へないので、

 普通なら、この課題は無視する所ですが、

 以下のやうな著者の經歴が注意を惹きました。


 かとう・よしかず。

 ジョンズ・ホプキンス大學高等國際問題研究大學院客員研究員。

 1984年生れ。靜岡縣函南町出身。


 山梨學院大學附屬高等學校卒業後、2003年、北京大學留學。

 同大學國際關係學院大學院修士課程終了。

 北京大學研究員、復旦大學新聞學院講座學者、

 慶應義塾大學SFC研究所上席所員(訪問)を經て、

 2012年8月渡米、ハーヴァード大學 フェロー

 2014年6月より現職。


 米『ニューヨーク・タイムズ』中國語版コラムニスト。


 日本語での單著に

 『たつた獨りの外交録』(晶文社)、

 『脱・中國論』(日經BP社)、

 『われ日本海の橋とならん』(ダイヤモンド社)

 などがある。

  (『習近平はトランプをどう迎へ撃つか:中國の世界戰略と日本の針路』

  (潮選書、2017年10月20日、といふ近著あり。

  (これによれば現在、

  (遼寧大學國際關係學院客員教授、

  (米『NY タイムズ』中國語版 コラムニスト)


 注目點は──

 日本の高校を出て直ぐ北京大學に進學したこと、

 中國で言論界に就職して大活躍してゐること、

 中國で十年過したあと米國に行き、ここでも言論界で活躍してゐることです。


 本書を讀めば判るやうに、識者への取材も活潑にこなし、學識も豐かな若手學者なのです。

 これは只者ではない、と氣附き、讀むことにしました。


 讀んでみると、著者の思考は實に緻密で五百餘頁の毎頁が内容豐富で、

 讀進むのにたつぷり時間を要しました。

 これは「世界の話題」の四頁ではとても紹介できぬ、と觀念しましたが、

 是非、皆樣に紹介しておきたいので、敢へて簡略化して論述します。



      中國民主化研究は中共研究


 序章で

  「中國民主化研究とは中國共産黨研究である」

 と喝破し、内政・改革・外壓の三部構成で、緻密に問題を檢討します。

 知友や要人の談話が頻繁に引用されてゐて、

 中國の人々の樣々な考へが、實によく判ります。


 「中國は史上一度も民主化を實現したことはない」

 と、著者は、冒頭で觸れます。

 中共が

  「社會主義の道」

  「人民民主專制」

  「中國共産黨の領導」

  「マルクス・レーニン主義と毛澤東思想といふイデオロギー」

 の「堅持」を謳つてゐることも、百も承知の上です。


 では何故、中國の民主化を研究するのか?

 それは、民主化しないと中共政權は生き延びられぬからです。


 因に、著者の民主主義の定義は、

  「公正な選擧」

  「司法の獨立」

  「言論報道の自由」

 の三つです。


 著者の目配りは行き届いてゐて、

 中國は絶對民主化しないといふリー・クアンユーの言葉も、

 ちやんと引用してゐます(320頁)。

  「五千年の歴史の中で、中國人は、中央が強大になつて國家は初めて安全を確保できる、

  「中央が軟弱なら動亂になると考へてきた。

  「これは全中國人にとつて根本原則だ。

  「文化も歴史も西側とは異る。

  「中國には中國の遣り方があるのだ」


 民主化すれば、中共獨裁政權は消滅するほかないではないか、との反論も出さうですが、

 まあ, さうせつつかずに、暫く著者の論に附合ひませう。



      權力を強化する習近平の目的


 習近平が第一期の五年で、

 反腐敗運動を通じて自己の權力を強化してきたことは

 ご存じの通り。


 では、強化した權力で、彼は何をしたいのか?


 中共政權が何をすべきかを語るのは、

 ハーヴァード大學で中國現代史と中共黨史を研究する、中國の歴史學者K教授です。

 中共は、權力奪取後、革命黨から執政黨に變るべきだつたのに、

 未だに工農階級に奉仕する群衆路線(貧民路線)に立つ革命黨から變つてゐない、

 と嘆きます(147頁以下)。


 著者も、中國が健全に發展するには、

 貧民層迎合・中産階級虐待の鐵啞鈴型から

 中産階級が豐に發展するラグビーボール型の社會構造に變る要あり、

 と云ひ(34頁)、それには、

 天安門事件で中國民主化の動きを叩き潰したケ小平の「總括」なしには、

 中共政權は前進できぬと書きます(178頁以下)。


 紙數が足りぬので、著者の緻密な議論ははしより、終章「中國人民は變るのか」に跳びませう。


 論點一、

 中國がまともな國になるには、

 阿片戰爭以來の「百年の恥辱」の“怨念”やそれに對する“報復”などにはかかづらはず、

 克服せねばならぬこと(500頁)。


 論點二、

 同じ中華文化圏に屬する台灣が民主化できてゐる歴史的事實は、

 中共政權に前向きの刺戟を與へること。


 論點三、

 日本が、地理的にも歴史的にも經濟的にも、

 中共政權の民主化に重大な影響を與へる位置にあること。

 從つて中共政權は、反日に凝り固まることなく、反日の動きを相對化し、

 日中關係を破壞せぬやう處理せねばならぬこと。


 論點四、

 最後の最後は中國人民次第であること。

 といふのは、中國には

  「人民が求める儘に政府は動く」、

 つまり

  「人民が求めなければ政府は動かない」

 といふ言葉があり、

 法治や民主主義が中國に根附かぬ原因が、統治者の怠慢だけでなく、

 被治者たる人民の怠慢も、深刻な原因になつてゐるからだと(511頁)。


 「人民」といつても、下層ではなく、中産階級が大事です。

 史上最大規模の新規株式公開で、ニューヨーク證券取引所に上場した

 アリババ・グループ創業者の馬雲は、

 ニューヨークの經濟クラブで講演して、

 今後十年間に中國の中産階級は五億人殖える、

 と、豫言してゐます。


 この發言を踏まえて、著者曰く、

 中國が民主化するには、人民が自ら要求することが不可欠になる。

 皇帝をいつまでも甘やかし、野放しにしてゐるやうでは、

 また、その根本原因の一つが人民自身の魂の奥底にあることを彼ら自身が自覺せぬやうでは、

 中華民族や中華文明に、民主化など永遠に到來しないと(512頁)。


 論點五、

 二期目に習近平は政治改革に踏切るか?


 一期目の言動から見て餘り期待できませんが、

 中國權力層の内部に、それも軍部内に、

 「習總書記は、中共の統治を繼續させるため、政治改革に乘出す時期を見計つてゐる」

 と見てゐる人も、ゐるのです(501頁)。

 但しその「政治改革」なるものは、

  「中國獨自の民主主義」

 であり、

 といふのではありますけれども。


 最後に著者は、

  「中國が民主化するまで中國民主化研究を續ける」

 と言つて、本書を終へます。


 各界・各層の人々の意見を多數引出してゐて、

 頗る内容豐富な書物です。

(平成29年12月25日/平成30年8月15日補筆)


 伊原追記:

  二期目を迎へた習近平は、いよいよ獨裁色を強めました。

  それで彼の地位が固まりましたでせうか?

  彼の前途については、但書を幾つも附けたくなります。


  第一、「人民共和國」を名乘る國は、軒並み「指導者が人民を怖がる國」です。

  彼らの何よりの敵は、自黨の同志であり、自國人民です。

  だから同志を片端から肅清します。

  また、人民の叛逆を恐れて警戒監視し、人民を窮地に追いやります。

  自身が外出する際は、敵中突破のため、嚴重に警備を固めます。

  なにしろ、自分以外のあらゆる同胞が「敵」なのですから。

  こんな「體制」の國に前途がありませうか?


  第二、自由經濟とは、人々が自發的に動く社會です。

  社會主義とは命令經濟、他人の指示で動く社會です。

  指令する人が余程賢くないと、忽ち行詰る社會です。

  どちらが活氣ある社會を創設・維持できるとお考へですか?


  第三、習近平の言論締附も獨善ぶりも、評判が中國國内で頗る宜しくありませぬ。

  これで「終身權力」を維持できるのか、甚だ疑問です。


  第四、トランプ米大統領の貿易戰爭を受けて、

  經濟の調子が宜しくないので、

  最近、習近平はこれまでの獨善色を多少控へてゐるやうですが……

  國有企業といふ非效率な「無駄の塊」を抱へた儘で、

  習近平に中共體制の經濟破綻が避け續けられませうか……?


  結論:習近平が直面する大問題は、徹頭徹尾、經濟問題です。

     人民を喰わせ續けられるかどうか?

     經濟は、獨善では運營できませぬ。

     そして彼は、經濟が判らぬ人です。

     經濟は、命令や取締りだけでは動きませぬ。

     習近平の周圍はイエスマンだらけで、良いブレーンが拂底してをります。


     斯くて本書のテーマに即して結論して曰く──

     獨善の人習近平は、民主化とは無縁の人のやうです、と。