和魂漢才と和魂洋才 - 伊原教授の読書室

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     和魂漢才と和魂洋才




伊原註:これは、『關西師友』2017年12月號 12-15頁に載せた「世界の話題」330號を

    「讀書室」用に掲載するものです。

    横書きにし、讀みやすくする際に、少し手を加へてあります。

    趣旨を徹底するためであつて、文意は變へてありません。










      シナ文明の到來と和魂漢才


 我國は二度、外來文明と格鬪しました。

 先づはシナ文明の到來への對應です。

 これを私達の祖先は「和魂漢才」で乘切りました。

 漢文明から利用できるものを取捨選擇し、和魂の存續に役立てました。


 難關は言葉です。

 外國語である漢文を全面的に受入れると日本の國體を損ひ、屬國化してしまひます。

 ですから漢文表記の『日本書記』と共に、

 逸早く『古事記』『萬葉集』のやうに、漢字を使つて古語を記録し、

 軈(やが)て假名を二種類生み出して和文表記に役立てました。


 漢文も、返り點を附けて和文として讀みました。

 この工夫が日本文化を温存し發展さす上で如何に大事なものだつたかは、

 シナ文明を忠實に受入れた李朝朝鮮が古語を失ひ、

 名前も漢字三文字に變つて屬國化した事態を考へるとお判りでせう。


 山本七平は、シナ文明受容に關して

 「朝鮮人は優等生、

 「日本人は劣等生といふより寧ろ聽講生で、

 「正規カリキュラムを真面目に學ばなかつた」

 と言ひます(『日本人とは何か』の冒頭)。


 そして私達の先祖がシナ文明を模倣しなかつたものを列擧します。

 科擧、宦官、族外婚、一夫多妻、姓、册封、天命思想と易姓革命、纏足──。


 序に、科擧の弊害を二つ擧げておきませう。


 第一、古典を丸暗記して自由自在に引用して型に嵌(はま)つた文章を綴る。

 これは、學習の初期段階なら學習方法の一つですが、

 終始一貫さうなら、人の頭は凝り固まつて獨創性や自由な發想が育ちません。

 だから科擧の無かつた古代のシナ人は火藥や羅針盤、紙や印刷術を發明したのに、

 其後は“東洋的停滯社會”に終始したのです。

 第二、聖賢の書を立身出世や蓄財の手段にしたため、僞善社會になりました。


 我々の祖先はシナ文明の聽講生だつたので、

 漢字のほか、首都造りや國造り(律令制など)に利用したものの、

 和魂を喪ふことはありませんでした。

 外來文明を適度に (主體的に) 利用したから、

 我國の獨自性は、失はずに濟みました。



      西洋近代文明の壓倒的影響力


 所が、二度目の外來文明の強さは壓倒的でした。

 黒船と大砲と國民國家に象徴される産業革命後の西洋近代文明の影響力は、

 シナ文明より遙かに強かつたのです。


 幕末から明治維新にかけて、我等の先人は「和魂洋才」を唱えて獨自性を守らうとしますが、

 明治十年代には、早くもそれまでの我國の歴史を全面否定する學生が出現します。

 我國の歴史を學びたいといふベルツ先生の申し出に、きつぱりと

 「我々には歴史はありません。今やつと始るのです」と斷言するのです。

 (『ベルツの日記』明治9年10月25日附)。


 壓倒的な洋才の前に、和魂の影が薄くなりました。

 大正期の白樺派になると、西洋に手放しで憧れてゐます。


 それでも、戰前はまだ和魂を辛ふじて守り抜きました。

 でも今や、空襲と敗戰と米軍の占領政策を通じ、

 戰後の日本から和魂が殆ど絶滅しつつあるやうに見えます。


 日本人を日本人とするものは、一にも二にも教育であり、とりわけ國語と躾です。

 これが人の發想法と行動樣式を決めるからです。

 そして國語と躾の基本は、家庭と近隣社會が育(はぐく)みます。

 學校へ行つてからでは手遲れです。


 家庭と言つても父母からではなく祖父母から、

 近隣社會でも長老や先輩から日常茶飯のうちに身につけます。


 所が我國は戰後の燒け跡生活と、個人主義・核家族の採用で、子供から祖父母を奪ひました。

 だから未熟な國語しか使へぬ父母の許で育つた子供は、未熟なまま大人になります。

 そこでアナウンサーさへ誤讀して平氣。

 昔はそれを注意する年配者が身近にゐて直ぐ改つたのに、

 今はをかしな言葉が到る所で罷り通ってゐます。

 訂正してくれる識者が身近にゐなくなつたのでせう。


 祖父母や年配者の躾を受けずに育つた團塊の世代以降の人が今や祖父母になつてゐますから、

 假令(たとへ)同居してゐても、今の孫は祖父母から日本の奥ゆかしい國語を學べません。

 實(まこと)に嘆かはしい限りです。

 かくて我國の美(うるは)しき傳統が殆ど亡びかけてゐる有樣です。



      現代日本文化の二つの流れ


 以上述べた如く、幕末以降、先人は和魂洋才を唱(とな)へつつ、

 洋才が壓倒的な力を持つて迫り、和魂の影が薄くなつてきました。


 でも、明治以來、和魂を守らうとする動きも絶えずあつたのです。

 主流は洋才の獲得でありましたが、底流として和魂の主張が途絶えることなく續いてゐました。


 神風連の亂、西南戰爭と西郷隆盛、大正維新、昭和維新、

 そして戰後は自衛隊に檄を飛ばした三島由紀夫。


 この、現状に反撥する底流は、主流の洋才を蔭から牽制し、日本の良さを支へ續けたのです。


 先日、私が會長を務める21世紀日亞協會の例会で、

 楯の會の元會員に報告して戴いたところ、

 部屋に入り切れぬほど聽講者が集りました。

 これで、「日本の良さを護持したい」と望む人が少なからずをられることが判り、

 我國の前途に些 (いささ) か希望を持ちました。


 和魂を支へる流れを明治以前に遡りますと、聖コ太子や大楠公に行き着きます。

 國史をちやんと學びさへすれば、

 和魂とそれを守る傳統が我國の歴史の中に嚴然として在ること、

 續いてゐること、が判ります。


 問題は、それを學ばせぬ反日の仕組が米軍占領政策以來出來てゐて、

 それを支へる内外の反日勢力が到る所に蔓延(はびこ)つてゐることです。

 我が國民の大部分は、それに氣附かぬふりをして、自分のことにかまけて

 その日その日を過ごしてゐるだけ。

 「國家百年の大計」など、政治家やお役人を含めて、誰も考へてをりませぬ。

 國土が實效支配されても誰も憂へず、國民が拉致されても誰も救はうとせず。

 凡そ獨立國の體を成してをりませぬ。

 弱いものいぢめはしても、強い者には逆らはぬ。

 これでは一國の獨立は護れないではありませぬか!


 これで宜しいのか、國民の皆樣は!



      反撃力を持たぬ國は亡びる


 凡(およ)そ反撃力を持たぬ國は亡びます。

 反撃力があれば、攻められない。

 一國に平和を齎すのは憲法でも外交力でもなく、軍事力であり國防力です。

 戰後の我國には、軍備を持てば戰爭になるといふ人が少なからず居ますが、

 それぢゃ、軍備を持つ他國は皆、好戰的なのでせうか?

 外國の軍備は怖がらず、我國の國防力整備だけを怖がる。

 これは極端に偏つた考へ方です。

 これは日本を弱い儘とどめ置きたい勢力の意圖的謀略的對應ではありませんか。


 近隣諸國が核武裝し、軍備を充實してゐる時に、

 我國は國防と外交を米國任せにして來ました。


 我國に自衛隊はありますが、專守防衛と言ひながら防衛も出來ぬ状態の儘放置してあるのです。


 第一に、自衛隊は、防衛さへ出來ぬ武裝勢力です。

 我國が攻められた場合、住民が逃げて來ます。

 自衛隊は法規がないため避難民を排除できず、

 道路が空(す)くまで待つてゐなければならないのです。

 また、道路橋梁は、自衛隊の戰車が通れるだけの強度や道幅を持たぬ基準で設計されてゐます。


 戰後の我國は、内外の諸勢力が、日本を弱い儘留め置かうとしてゐるのです。

 國民も、それに氣附かぬふりをしてその日その日を過ごして來ました。


 第二に、專守防衛とは相手の攻撃を受けてから反撃せよといふのですが、

 受けて立つのは横綱相撲、

 つまり、相手の何倍もの武力がない限り、必ず負けます。


 第三に、三島由紀夫は自衛隊員に、憲法改正に立上れと訴へて容れられなかつたのですが、

 聞く所によれば、自衛隊員の多くが現行憲法を歡迎して居る由。

 なぜなら、戰爭に行く心配なく、安全な境遇で結構な給與が得られるからだと。


 それが眞實ならば、自衛隊とは結局、米軍の下請軍であるか(我國は米國の屬國か?)、

 災害出動する程度の軍隊(つまり土建屋)だといふことになります。


 それで宜しいのか、國民の皆樣は!


 我國が二度の元寇を凌(しの)げたのも、

 帝國主義時代の幕末に西歐列強の殖民地化壓力を受けつつ獨立を守り通したのも、

 我國が戰ふ意志と能力を持つてゐたからではありませんか。


 今や我國は明かに存亡の危機を迎へております。

 ここで斷乎、我國の主權を守る意志を「態度で表明」せぬ限り、

 亡國の危機は必然となります。


 それで宜しいのか、國民の皆樣は!

(平成29年11月1日/平成30年8月15日加筆)