我國の次なる戰ひは? - 伊原教授の読書室

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   我國の次なる戰ひは?




伊原註:これは『關西師友』2017年六月號 10-13頁掲載の

    「世界の話題」第324號を採録したものです。

    「我國の次なる戰ひは?」と題しましたが、

    本來の目的は、英國の軍人ルパート・スミスの

    『軍事力の效用:新時代「戰爭論」』の紹介です。

    この標題「我國の次なる戰ひ」にまともに答へるなら、

    中西輝政『アメリカ帝國衰亡論・序説』 (幻冬社) がいふやうに、

    中共政權打倒工作・中國民主化支援ですね。







     仕掛けられた戰爭ばかり


 大東亞戰爭の敗戰に懲りて、

 「戰爭など二度とするものではない」といふ人が多いのですが、

 仕掛けられた戰爭は、受けて立たぬ限り、相手に條件を押附けられ、

 敗戰以上の屈辱に苦しまねばなりません。


 その覺悟があつて

 それでも戰ふなといふのでせうか?


 戰爭が嫌なら、戰爭について徹底的に研究しないといけないのに、

 ひたすら戰爭を遠ざけ、戰爭を考えずに過して來たのが

 戰後の我國ではなかつたでせうか?


 明治維新後、我國が造つた軍隊は、

 「鎮臺」といふ名からお判りのやうに、國内向けの叛亂鎭壓用でした。


 それが外征に向かふのは、西歐列強に對抗するため仲良くしようとした李朝朝鮮が

 清朝勢力を朝鮮半島に引込まうとしたため安全が確保できなくなつて日清戰爭をやり、

 清朝勢力を朝鮮半島から追出します。

 處が其後、李朝ばかりか、清朝李鴻章も

 日本懲罰のためロシヤ勢力を引込んだため、

 獨立を守るべく我國は、外國から借金までしてロシヤと戰ふ羽目になりました。


 二國とも、昔も今も實(まこと)に近所迷惑な國です。


 其後の支那事變も大東亞戰爭も、相手から仕掛けられた戰爭です。

 日本から仕掛けた戰爭は滿洲事變位で、

 それも在留邦人を殺され、我國の正當な權益を散々侵害された上での反撃ですから、

 これもやつぱり“仕掛けられた戰爭”であります。


 さて、今回考へたいのは、

 我國が次に直面する戰爭はどんな戰爭だらうかといふことです。


 私は昨年、「伊原塾」で十九世紀の戰爭を取上げました。

 ナポレオン戰爭から第一次大戰までです。

 これは産業革命後の戰爭であり、國民國家形成期の戰爭です。

 そして、クリミヤ戰爭・南北戰爭邊りから「總力戰」の樣相が出始めます。

 總力戰が全き姿を現はすのは、ご存じの通り、二度に亙る二十世紀の世界大戰です。


 第二次世界大戰が終つてからは、核の登場により、

 工業國間の總力戰はなくなりました。


 同等でない者同士の戰爭を非對稱戰爭などと稱(よ)びますが、

 最近は國でない團體や個人のテロに軍隊が動員されることが多くなりました。

 この邊をどう整理すれば良いか迷つてゐたところ、良書を見附けました。


 ルパート・スミス『軍事力の效用』(原書房、平成26/2014年)3800圓です。



     核開發後、總力戰は生じない


 著者は、英國陸軍大將です。

 1962年に軍に入り、1964年に將校に任命、以後四十年に亙る軍歴を持つが、

 その長い軍歴の中で「國家間戰爭」の經驗は1991年の灣岸戰爭だけ。

 あとは全て「人間(じんかん)戰爭」(非軍隊との戰爭)だつた、と述懷してゐます。


 その經驗から、ナポレオン戰爭以降の戰爭を上記のやうに二分し、

 第二次大戰後に戰爭のパラダイムが變つたのだ、と言ひます。


 もう少し丁寧に言ふと、

 1945年までが國家間戰爭の時代、

 その後1989年までの冷戰期はパラダイム轉換の過渡期、

 1991年の灣岸戰爭後は「人間戰爭」といふ、新しいパラダイムの時期だと。


 著者は國家間戰爭を「國家間による工業化した戰爭」と定義しており、

 ナポレオン戰爭以降、

  アメリカ南北戰爭、ドイツ統一戰爭、第一次世界大戰、第二次世界大戰

 を擧げます。

 私はこれにクリミア戰爭と日露戰爭をつけ加へたいのですが、

 こまかい點はともかく、この時期區分と戰爭の特徴附けは實に判りやすい。


 私は、北朝鮮の核・ミサイルを巡る米鮮紛爭問題(我國も當然係はります)

 また尖閣諸島や南沙諸島を巡る日米と中國の紛糾問題の性質を考へようとして

 本書を讀み始めたところですが、

 550頁の大著の75頁を讀んだだけなので、自分の考へを纏める段階にはありません。

 しかしこの冒頭部分を紹介するだけでも意義があると考へて、ここに書く次第です。



     戰爭状態を永續させるな!


 もう一つ、ぜひ紹介してをきたいのが、

 エドワード・ルトワックの

 『戰爭にチャンスを與へよ』(文春新書、平成29/2017年)です。


 標題を見て、

 戰爭を薦めるとはなんちう本であるかと不審の念(おもひ)で手に取りました。

 處が内容に目を通して、正に「目から鱗」の感に浸りました。


 著者は『自滅する中國』(芙蓉書房)や『中國4・0』(文春新書)でお馴染みの

 アメリカの獨創的戰略家です。

 そのルトワックさん曰く、戰爭は平和を齎すためにある、と。


 戰爭すれば双方は消耗し、資材・人材・國庫が盡き果てて終る。

 終ると家や工場の再建が始り、平和な生活に戻る。


 だが、外部から國聯やNGOが介入して停戰さすと、双方は消耗し切つてないから、

 次の戰鬪に備えて資源も人材も投入し、平和な生活に戻らない。

 そのことは、大東亞戰爭が昭和十八年段階で停戰してゐたらあとどうなつたか──

 を考へれば解る、といふのです。

 日米とも餘力を殘してゐるから、戰爭再開に備へて戰鬪態勢を解かない。

 だから平和な生活に戻れませんよと。

 成程と首肯した私は、「蛇の生殺し」といふ言葉を聯想しました。


 ルトワックさんは書きます。

 リビアの獨裁者カダフィ大佐は、確かに“素晴らしいリーダー”ではなかつた

  (私は彼が台灣の政治作戰學校に留學してゐた事實を知つてゐて

  (“リビアにとつて良きリーダーだった”と評價します。

  (小國が大國に好き勝手にいぢられる事態は哀しいですねえ……)

 それでも、今のやうな無政府状態よりは遙かにマシだつた。

 もし外國がリビアに介入するのなら、五十年間駐留してきちんと世話すべきである。

 五十年間といふのは、

 その間に文明化した新しい世代の人間が育つまでといふ意味である。

 その負擔をする覺悟がないなら、他國に介入するな、と。



     戰爭研究こそ喫緊の大事!


 さて、本文で私が言ひたいことは二つ、

  戰爭研究・軍事研究の大事さを強調することと、

  我國はまた必ず戰爭に捲込まれるから、それに備へよ、

 といふことです。


 民主國は國民の常識が政治に反映しますから、

 國民がそこそこ、まともな知識や判斷力を持つてゐないと、政治が改善しません。


 本書でルトワックさん曰く、

  戰爭は平和を生むが、「戰略に於て全ては反對に動く」から、平和は戰爭に繋る。

  甚大な損害を蒙るぞと。

 脅威に對して「何もしない」のが最惡の選擇肢で、

 戰爭準備をする相手に對しては

  「全面降伏」「先制攻撃」「抑止」「防衛」

 のどれかで對應せよ、と言ひます。

 要するに、主體的に選擇したものなら、あとの對應が可能だといふのです。


 軍備充實・海洋進出・宇宙進出をし、尖閣諸島の領海侵犯を繰返す中國に對しても、

 ルトワックさんは我國に忠告します。

 中國の指導者は内向き志向で頭が一杯で、近隣諸國の意圖を誤解する名人だから、

 日本も明確な意思表示をしておかないと危い。

 尖閣諸島は何時でも誰でも簡單に上陸できる状態で放つたらかしにしてあるのは

 宜(よろし)くない、

 至急武裝人員を送り、生活させなさい、と。

 これで中國は尖閣諸島に入込めなくなるから、といふのです。


 全く、我國は領土(北方四島、竹島など)を占據されても取返さず、

 國民を攫(さら)はれても救はず、主權侵害に怠慢な國です。


伊原追記:これで「獨立國」と言へませうか?

     政權がだらしないのは、國民がだらしないからですよ。

     民主主義國では、政權批判は國民に返つて來ます。


 この儘では亡國あるのみ。


 幸ひアメリカに「もう守つてやらないよ、何なら核武裝でもなんでもしなさい」

 といふトランプ大統領が出現しました。


 日本國民よ、しつかりせい!

(平成29年5月1日執筆)


【追 記】

 『軍事力の效用』の目次は以下の通りです。


   監修者まへがき  山口 昇 004頁

   はじめに 008頁

   序 論──軍事力を理解する 019頁

 第一部 《國家間戰爭》

   第一章 發端 ナポレオンからクラウゼヴィッツヘ 057頁

   第二章 發展 鐵と蒸氣と大規模化 105頁

   第三章 頂點 兩世界大戰 160頁

 第二部 冷戰といふ對立

   第四章 アンチテーゼ ゲリラから無政府主義者、毛澤東まで 216頁

   第五章 〈對立〉と〈紛爭〉 軍事力行使の新たな目的 257頁

   第六章 將來性 新しい道を探る 313頁

 第三部 人間戰爭

   第七章 傾向 現代の軍事作戰 368頁

   第八章 方向 軍事力行使の目的を設定する 422頁

   第九章 ボスニア 〈人々の間〉で軍事力を行使する 459頁

   結 論 何を成すべきか 514頁



 本書はナポレオンから現代まで辿つた實に面白い軍事史です。

 興味ある點は幾らでもありますが、一つだけ擧げておきます。

 クラウゼヴィッツの『戰爭論』の「大事な概念」を三つ擧げてゐる點です。


 最も大事な概念:國家 (政府)・軍隊・國民 (住民) の「注目すべき三位一體」といふ彼の見解

   國家・軍隊・國民全てが揃はぬ限り軍事行動を順調に遂行できない

 

 次に大事な概念:「戰爭は他の手段を以てする政策の繼續」

   誤解二つ:政治と軍事は「別の活動」ではなく、並行活動である。

         政治・軍事の目標は同一である。


 三つ目の大事な概念:戦争は、利用できる手段 (力) の總和と信念の強さの積に表現される

   「積」ですから、幾ら重武裝しても、信念が弱いと勝てませぬ。


   今の我國に缺けてゐるのは、この「信念」ではありませんか?