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死後の世界は……?
伊原註:これは『關西師友』2017年の四月號の 12−15頁に掲載した
「世界の話題」(323) を採録したものです。
掲載に際して少し手を加へてありますが、趣旨徹底のための推敲であり、
文意は變へてをりません。
死後に“あの世”はあるか?
私は今年米壽。斯くも長生きするとは思ひませんでした。
昭和二十年の初夏、中學四年生の時、海軍から海兵團に志願せよとの要請を受けました。
當時、私は堺港の傍にあつた堺化學といふ工場に「學徒勤勞動員」中でした。
堺港は大阪灣の灣岸ですから、豫想される米軍上陸時には竹槍を持ち、
砂濱に蛸壺穴を掘つて潛み、戰車をやり過してあとに續く米兵を竹槍で刺殺せよ、
と指導されて居ました。
何れにせよ、俺も間もなく戰死だな、二十歳までは生きられぬと
覺悟を決めてゐましたが、軈 (やが) て敗戰の詔勅が出て、
あの暑い夏の日に「生き延びた」と實感したのも遙か昔の話となりました。
年をとると知友が減り、自分の存在感も減ります。
毎月一度の「伊原塾」の講義が生き甲斐ですが、
この歳になると流石に衰へを自覺しますし、
自分がこの世から消える日も近いと自覺せざるを得ません。
四男の氣樂さで墓も作らず、自分の遺骨など土になるか水に流すかして
此の世から消え去るのが至當と考へて來ました。
此の世に生きた證 (あかし) に、著書を纏めておきたい氣はありますけれども、
書く時間があるかどうか……?
未練たつぷりにその日その日を過してゐる今日此頃ながら、
目下「伊原塾」で講義してゐる「江戸思想史」を準備してゐて、
「國學」の項目で圖らずも「來世」問題にぶつかりました。
ご存じのやうに、佛教徒は死後地獄か極樂へ、
キリスト教徒は天國か煉獄か地獄に行く筈です。
無神論者や唯物論者は「死んだらなーんも無い」と居直つております。
國學を代表する本居宣長は、『古事記』原理主義者ともいふべき人で、
『古事記』の記事を殆ど丸ごと信じたやうです。
だから死後は、伊邪那美命同樣、黄泉國(よみのくに)に行くと考へてゐた。
そこは夜の國・地下の國、不淨な場所です。
宣長自身、死んでそこへ行くのは餘り氣が進まなかつた由です。
死者は「無」に歸するのか?
「死んだらなーんも無い」論の代表者は、『夢ノ代』の著者山片蟠桃です。
彼は「疑ハシキハ疑ヒ、議スベキハ議ス」ことを「天下ノ直道」とする
徹底した合理主義者で、神代も神武以後も歴史と認めず、
文字が傳來した應神朝以後に信憑性を認める近代史觀の持主です。
大坂の米商人升屋の番頭として店を支へた蟠桃は學問好きで、懷コ堂に學び、
中井竹山・履軒から儒學を學んで窮理・致知格物の合理主義・實證主義を習得します。
儒教には鬼神怪異論もありますが、蟠桃は、あの世の話を一切否定するのです。
『夢ノ代』冒頭の凡例(はんれい)に曰く、
「鬼神・怪異ノ變ニヲヒテハ、ナキモノトシルベキコトヲ辯ズ」と。
死んだ愛兒の靈前に生前愛玩した玩具を供へ日夜祈るのは、
生きてゐる親の哀惜の情の一方的發露に過ぎず、
愛兒に靈があつて喜ぶ譯でも何でもない、と。
生前は精神が働くが、死ぬと精神は消える。
人のみならず、萬物は生成消滅する。
我が日本は上古より神に祈つて素直に生きてきたが(『日本書紀』を讀みなさい)、
佛教渡來後、鬼神邪説を信じて墮落した。
「元來人及ビ禽獣・魚蟲・草木トイヘドモ、天地陰陽ノ和合ムシタテ(蒸立て)ニヨリ、
「生死・熟枯スルモノ、ミナ理ヲ同ジクシテ、天地自然ノモノ也。
「山川・水火トイヘドモ、ミナ陰陽ノ外ナラズ。別ニ神ナシ。マタ生熟スルモノハ、
「年數ノ短長ハアレドモ、大テイソレゾレノ持マヘアリテ死枯セザルハナシ。
「生レバ智アリ、四支(肢)・心志・臟腑ミナ働キ、死スレバ智ナシ、神ナシ、
「血氣ナク、四支・心志・臟腑ミナ働ラクコトナシ。然レバ何クンゾ鬼アラン。又神アラン。
「生テ働ク處、コレヲ神トスベキ也」
要するに、神も人の創造物、人類出現前の動物時代に神が居たか、神など人の創造物、
極樂も地獄も人の創造物だから、生きてゐる間こそ靈があつても、死ねば無に歸する。
生きて活躍してゐる人こそ神なのだ、極樂浄土などなーんもない、
──と いふ次第。
死者の靈に語りかける私たち
神もあの世もみんな人の作品、死ねば人は無に歸する。
これで皆さん、納得しますか?
をかしい!
來世が無碍(むげ)に否定できぬと思へる實例を二つ擧げます。
第一の例:二二六事件。
栗原安秀・坂井直(なほし)と幼馴染みだつた八十八歳の歌人齋藤史(ふみ)
(蹶起派の軍人齋藤瀏(りゆう)の一人娘)が、召人(めしうど)として
昭和天皇の崩御から八年後の正月十四日、宮中の歌會始に招かれます。
召人とは、天皇から唯一人召されて御題を歌ふ者です。
歌は事前に、長野の自宅に送られて來た和紙に指定の書式で書送つてあります。
召歌 野の中にすがたゆたけき一樹あり風も月日も枝に抱きて
このあと、皇族の歌が、最後に皇后陛下の御歌、そして天皇陛下の大御歌が詠まれます。
御製 うち續く田は豐かなる緑にて實る稻穗の姿うれしき
史が控の竹の間から歌會の會場松の間に移る大階段を昇つた時、
庭の彼方に軍服姿の連中の一團が見えたが、歸りには消えてゐました。
「きつと私にだけ見えた」
と確信してゐた史には、二二六事件で刑死した青年將校と判りました。
控の間で陛下が史に聲を掛けられます。
「お父上は瀏さん、でしたね……」
陛下は、蹶起將校の怨念を鎭靜されたのです。
第二の例:野口健の體驗。
登山家野口健さんは、八千メートルを超えるヒマラヤで吹雪に閉込められ、死にかけます。
遺書を書いた時、猛然たる歸郷欲求に驅られました。
そして偲びます。
大東亞戰爭の戰歿者もどれほど日本に歸りたかつたことか!
生還後、野口さんは獨力で遺骨收集を始めます。
但し、遺骨を故國に戻せるのは政府の派遣團だけです。
そこで野口さんは、遺骨の調査活動に專念します。
フィリピンでは遺骨が「聲」を發しました。
「おーい、もう歸るのか。俺達は六十年待續けてゐたんだよ!」
硫黄島では、滑走路に降りたらざわざわつと英靈に取圍まれました。
米軍は日本兵の遺體の上に滑走路を作つたのです。
野口さんは「許して下さい、もつと早く來なければいけなかつたのに……」と
這いつくばつて泣いて謝つた由です。
以上の二例は、蟠桃流の唯物論だと全て受手の一人芝居といふことになりますが、
果してさうでせうか?
私には、死後の靈もあの世も確かに存在すると思へるのですが。
私らは佛壇やお墓に向ふと、極く自然に靈に話掛けます。
恰もそこに死者が居るかのやうに。
さういふ風に、死靈が身近に在ると説いたのが、
宣長を師と慕ひながら獨自の見解を説いた平田篤胤です。
彼は極めて獨創的な發想で「幽冥界」といふ日本人の「あの世」觀を打出しました。
死んでもこの國土の人の靈魂は永遠にこの國土に在る。
冥府はほのかで現世からは見えない。
冥府からは現世がよく見える、
そんな形で現世と冥府は不斷に繋つてゐるのだと。
これは庶民に馴染む主張です。
「死後に待つのは自分らがなれ親しんだこの國土上のちよつとした別世界だ」
といふのですから。
このやうに穩かで安心できる死後の世界は、
「貴(たか)きも賤(いやし)きも、善(よき)も惡(あしき)も、死ぬればみな、
「此の(汚く穢れた)夜見の國に往(ゆく)」(『古事記傳』)
とした本居宣長とは、決定的に異る主張です。
これは正に、日本の庶民が持つ
生者が死者や神々に圍まれて生きる感覺を裏附けました。
皆さんはどう思はれますか?
(平成29年2月26日)