現代史教員養成法 - 伊原教授の読書室

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           現代史教員養成法




伊原註:これは『關西師友』平成29年/2017年三月號 48頁−51頁に掲載された

    拙文(「世界の話題」322號)に若干手を入れて採録したものです。

    手を入れたのは、文章を改善するためで、趣旨の變更はありません。







       過去の記憶のお蔭で前進できる


 歴史の大事さは、二つの事柄から判ります。


 記憶を喪へば、自分が今なぜここにゐるか──が判らず、

        これから何をすれば良いか、

        何處へ行けば良いか──が判らない。


 自主行動できなくなるのです。


 國も同じです。

 我國の過去をよくよく承知しておかないと、

 今後どうすべきかが判斷できません。


 もう一つ大事なのが解釋權問題です。

 米國が東京裁判をやつたのは、

 彼らの歴史解釋で日本人の價値觀を變へて屈從さすためだし、

 中共政權が「日本は敗戰國」と繰返すのは「戰勝國の我々に楯突くな」と言ふためです。


 「勝てば官軍」!

 だから我國が歴史を正當に解釋しないと國益が守れませんし、

 我々各人も史觀がよい加減だと人の價値判斷で動いてしまひます。


 史觀は國家にとつても個人にとつてもこれほど大事な問題です。


 所が一大事、若者に我國の近現代史が教へられてゐません。

 大學入試で近現代史は問はれませんし、

 中學高校の日本史では、古代にやたら時間を使ひ、

 明治維新以降は時間切れで教へぬのが普通です。


 だから今の若者は、曾て我國が米國と戰つたことを知らず、

 日清日露の戰爭も三國干渉も知らない。

 私たちの先輩がどれほど苦勞して我國の獨立を維持し、國を育てて來たかを知らない。


 これでは、

 外國やその手先を務める日本人が「日本惡者史觀」を押附けてきても反論できません。


 それに、日本史學界では戰後、唯物史觀論者(マルクス主義者)が壓倒的多數を占め、

 それが中學高校の教員も量産しましたから、

 歴史教科書に「日本惡者史觀」が蔓延(はびこ)つて現在に到つてゐます。


 戰爭は平和條約で決着がつく筈なのに、

 我國はサンフランシスコ平和條約を結んだあとも占領状態を引摺つてゐて

 外交・國防を自前で考へてゐません。


 戰後七十年經つてなほこれでは、國益が守れる筈がない。

 戰後育ちに我國の近現代史を教へねばなりませぬ。


 でも、誰が教へる?


 近現代史の教員養成が急務です。


 歴史學界は慘状を齎した元兇ですから彼らに改善は期待できない。

 私のやうに、獨自に近現代史を調べてきた者が、

 常識ある社會人の教員志望者を集めて教へるほかないでせう。


 以下、私ならどう教へるか考へてみました。



       近現代史を比較史により學ぶ



 第一、中學高校の日本史は、近現代史に半分の時間を當てます。

 近現代史は、それくらゐ大事な時期なのです。


 第二、我國の近現代は内藤湖南が云ふ通り、應仁の亂以降、つまり戰國時代以降です。

 ここをしつかり學んでおけば、我國の明日あるべき姿が描けます。

 それ以前の歴史は、簡略で宜しい。


 第三、比較史的觀點をしつかり取入れます。

 例へば、豐臣秀吉とスペイン王フェリーペ二世が同時代人で、

 手紙の遣(やり)取りまでしてゐました。

 生まれたのはフェリーペ二世が1527年、秀吉が1536年/天文五年と異りますが、


 死んだのは同年です。

 1598年/慶長三年、秀吉が八月十八日、フェリーペ二世が九月十三日。


 兩者の葛藤を知れば“朝鮮征伐”の意味も判ります。

 スペインがポルトガルと地球を二分割して世界征服を企圖し、

 ローマ教皇と結託して、イェーズス會士を尖兵にして日本に來ました。

 その企圖を織田信長が察知して明征伐を企て、

 秀吉はそれを受繼いでイェーズス會士の根據地インドのゴアに對する

 監視據點獲得を目指しました。


 秀吉の“朝鮮征伐”を“暴擧”といふなら、

 ポルトガルとスペインの世界征服の野望と、

 その企みを認可したローマ教皇には、

 なほ一層さう言へます。



       近現代史教員を問答式で育成


 扨(さ)てその教員の民間での養成法です。


 歴史教員志望者を十數名集めます。

 二十名以内だと論議を盡し易いのです。


 參加者は既成の歴史教員でも宜しいが、教員以外の別職業經驗者が望ましい。

 學校教員は大學教授を含めて世間が狹く、常識に缺ける人が少くありませんから。


 勉強の基本は自學自習ですから、

 參加者には各自、年表や歴史地圖などの參考文獻を持參して貰ひます。

 それらを自家藥籠中のものとして使ひこなして貰ふためです。

 教室には地球儀も必須ですね。


 教へ方の實例を描いてみませう。


 題目=近代國民國家


 先づ「近代國家」とは何? と訊いて、何人かに答へて貰ひます。

 三つ以上五つ以内の回答を得てから、一つづつ順番に參加者の討議にかけます。


 講師は常に質問して答へさす。

 この討議を通じて知識が各自のものになり、共識(コモンセンス)になります。

 考へて得た知識は應用が效くが、教はつただけの知識は應用できぬ上、直ぐ忘れます。

 知識は“自前で獲得”させねばなりませぬ。


 次に「近代國家の時代は何時始る?」

   「史上初の近代國家はどの國?」

 などと質問を續けます。


 「日本の近代國家形成は何時始る? 明治維新か江戸時代か」(私は江戸時代説です)

 「近代國家の時代は今も續くか?」

 「英國のEU離脱、米國のトランプ大統領選出は、

 「グローバリズムに對するナショナリズムの反撃か」

 と質問を續けます。


 この題目では、十九世紀の歐洲史の知識や、

 今生起中のニュースについて各人の知見が問はれます。



       貿易戰爭渦中の日本の開國


 教へ方の實例をもう一つ──


 題目=日本の開國


 なぜ“鎖國”してゐたのか?

 なぜ“開國”せねばならなかつたか?

 「ペリーが來たから」は、正しい答か?

 「我國に開國を求めてやつて來たのはペリーだけか?」


 講師は次々問ひかけて聽講者の見解を問ひ、いろんな角度から檢討して共識を積重ねます。



 十九世紀から二十世紀前半に有色人種で近代國家形成したのは日本だけだつたのは何故?


 日清日露の戰ひの「世界史的意義」は?

 (膨大な經費をどう賄つたか?)

 (なぜうまく賄へたのか?)


 日露戰爭で日本が負けてゐたらどうなつた?

 (「歴史のイフ」は、頭の訓練に頗る役立ちます)


等々、いくらでも見附かります。


 「史上、樣々な文明が興亡したが、世界を席捲したのは西歐文明のみ。何故か?」

 も是否問ふてをきたい設問です。

 「科學革命をやつたのが西歐だけだから」といふ答が出てゐますが、

 果してそれで納得できるか? と問ふてみたい。


 私が日本史學者に疑問を感ずるのは、

 日本のことしか知らぬ人が多いことです。

 日本史學者こそ外國留學が必要です。

 外國のことを知るため(自國を客觀視するため)と、

 外國の學者の質問に適切に答へる訓練をするためです。


 また、日本史學者には、經濟が判らぬ人が多いのは問題です。

 幕末の「開國」とは、我國が世界的な貿易戰爭の渦中に引きずり出されたことを意味するのに、

 關税自主權を奪ひ、低關税(輸出入とも一律5%)を押附けた

 慶應元年/一八六五年の「改税約書」の重荷を、

 日本史學者は殆ど問題にしない。


 當時歐洲のある外交官が、

 「可哀相に、これで日本は近代化資金を捻(ひね)り出せず、

 「貧乏國に低迷するほかない」

 と同情の詞を吐いてゐる重大事なのに!


 産業革命後の工業時代に、碌な資源もなく貿易競爭の眞只中に引ずり込まれた我國が、

 近代國家形成資金をどう調達したかは一大事なのに、

 日本史學者はこれを問題にせず、

 唯物史觀流の權力者惡者史觀で明治政府を攻撃する人が多いのです。


 だから政府は「條約改正」に躍起になりましたが、

 この惡條件の中、奮鬪して獨立を守り、

 國威を輝かすことまでした先人の涙ぐましい努力に、限りない畏敬の念を覺えます。


 「殖産興業」を教へる教師は、1950年代、60年代に盛んだつた「低開發國開發論」と

 その實績を、ぜひ學習してをいて頂きたいものです。

 一國を富ませるのに、どれほどの惡戰苦鬪が必要なことか!

 然も、どの國も努力さへすれば豐になれる譯ではありません。

 それなのに唯物史觀派は、殖産興業を指導する政府を惡者扱ひして恥ぢません。


 先人の經濟問題・貿易問題での惡戰苦鬪の足跡を知る恰好の本を二册擧げておきます。


 池田美智子『對日經濟封鎖:日本を追ひつめた12年』(日本經濟新聞社、1992年)

 エドワード・ミラー (金子宣子譯)『日本經濟を殲滅せよ』(新潮社、2010年)

(平成29年1月9日)