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英語の綴り字改革運動
伊原註:これは『關西師友』2016年八月號 10-11頁に掲載した
「世界の話題」316 の加筆版です。
(加筆は殆どなく、ほぼ原文通りです)
英語でも、我國の假名書き法改訂運動同樣の運動があつたが、
サミュエル・ヂョンソン博士の『英語辭典』のお蔭で
少しの手直しで終つたため、古文との間に大きな差異は生ぜず、
古文を讀むのに我國ほど苦勞せずに濟んだといふお話です。
英語の改良を夢見た人たち
二號續けて國語の表記“改善”の取組みとそれへの反對論を開陳しましたが、
たまたま書店で
『英語の改良を夢みたイギリス人たち:綴り字改革運動史 1834−1975』
(開拓社、平成21年)
といふ本を發見して、早速一讀しました。
著者は山口美知代、
京大大學院で英語學を、ケムブリッヂ大學で言語學を專攻した人です。
開巻劈頭から頗る面白いのです。曰く、
「英語はローマン・アルファベットといふ表音文字で書かれてゐる
「にも拘らず音と文字の對應關係が規則的でない綴り字が多い」
として、以下の例を擧げます。
friend の ie と pen の e は 綴りが異るのに同じ母音 e を表す。
sea/head/break の三語に於て ea は それぞれ
i:/e/ei といふ 別の母音を表す。
また、know/knife の語頭の kn は n音を表し、
debt/climb の b は讀まない、等々。
皮肉屋のバーナード・ショウの問題提起も紹介します。
曰く、 fish は ghoti とも綴れるぞ!
何故なら、enough の gh/women のo/nation の ti の組合せだからだと。
この問題意識を受けて、綴り字改革論や改革運動が英國で始つた由。
例へば、或る言語學者は上記三語をそれぞれ sii/hed/breik と綴る提案をした。
また別の言語學者は see/hed/braik を提案した。
何れも音と文字の對應關係を規則的なものに近附けたいとの願ひを籠めてゐます。
この願ひは、同じ發音に多樣な表現をする歴史的假名遣を改善しようとした
我國の國語學者と同じ願ひです。
少數意見と天下の大勢の差
イギリスに於る綴り字は、十八世紀半ばまでに今の形に落着きます。
1775年に出版されたサミュエル・ヂョンソンの『英語辭典』が、
慣用化してゐた綴り字を定着させたのです。
つまり、英國の綴り字改革運動は挫折したのです。
著者山口さんは、英國の綴り字改革論は屢
「ドン・キホーテ的」「空想主義的」「觀念的」
といふ言葉で冷笑や揶揄の對象となつた、と記します。
だから著書の題目に「夢見た」といふ修飾語が入ります。
しかし、我國の場合はご存じの通り、改革が罷り通りました。
敗戰の衝撃と、米占領軍の權威の賜物(たまもの)です。
これは實(まこと)に痛恨事でして、
我國が敗戰の憂き目に遭つてゐなければ、
また國語學者や識者がしつかりしてくれてゐれば、微小修正で濟んだ筈です。
微小修正なら、戰前との斷絶は避けられた筈です。
でも大幅改變されたため、
我國の戰後育ちが戰前の書物を讀めなくなるといふ
日本文化の“斷絶”が生じました。
英國でも、言語學者の提案が通つてゐれば、
同じ事態(文化の斷絶)が生じてゐた筈です。
文明は、自動車やテレビの普及で判るやうに、簡單に乘換へられますけれども、
文化は根が深いので、簡單には變れません。
だからこそ、文字や假名遣の改變は愼重の上にも愼重にし、
漸進主義でぢつくり取組まねばならないのです。
一部指導者による言語改變・他言語の押附けは、隣國中國で生々しく進行中です。
蔣介石政權による台灣人への北京語強要、
滿洲語の消滅、内蒙古に於る蒙古語は消滅中、
チベット語とウイグル語は目下強烈な漢語化壓力下に晒されてゐます。
私が今回言ひたいのは、
言葉は大幅改變してはいけない、漸進主義が宜しいといふことです。
そして、
敗戰後の米軍占領下で強權を以て行はれた我國の國語急變は見直し、
──といふことです。
(平成28年7月1日/同年10月2日加筆)