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日 本 語 は 高 級 言 語
伊原註:これは『關西師友』2016年六月號 8-11頁に掲載した
「世界の話題」314號の採録です。
多少、増補してあります。
文意を補強するためで、變へてはゐません。
日本語は世界に冠たる高級言語
私達の國語は、世界に數ある言語中、誇るに足る高級言語の由。
我が畏友 荒木伸男さんからさう聽いて思ひ當る節がありました。
荒木説は單純明快、
歐米の言葉は表音文字アルファベットを組合せて單語にし、單語を組合せて文章を綴る。
アルファベットは國語の假名文字に當る。
從つて歐米の文章たるや、假名文字の分ち書きに等しい。
我國は、表音文字の假名のほかに、表意文字である漢字がある。
假名だけの文章は、いくら分ち書きしても、漢字假名混り文の表現力に到底及ばぬ、
──といふのです。
嘗て電報は假名文字でしか送れず、屢重大な誤解が生じました。
「カネオクレタノム」が「金送れ、頼む」でなく、
「金を呉れた、呑む」と解されて金は届かなかつたとか。
漢語由來の言葉は同音異字が多いので、
假名書きでは、込み入った表現は回避せざるを得ません。
韓國や北朝鮮のやうに漢字を追放して表音文字ハングルだけにすると、
文章表現が淺薄且(かつ)冗長になります。
ヴェトナム語のローマ字書きについても、同じことが言へます。
論より證據、下記を御覧じろ──
(1) いもうとががくかうへゆきます。
(2) いもうと が がくかう へ ゆきます。
(3) 妹が學校へ行きます。
(1) は 區切を讀手が決めねばなりませんから、理解するのに時間がかかります。
(2) は 分ち書きしてゐるので、その勞が省けますが冗長。歐文は、このレベルです。
でも、漢字を使つた (3) なら、一瞥(べつ)して即座に意味が?めます。
中文は「妹妹到學校去」ともつと短い。
でも、漢字が無條件で表音文字より優れてゐる譯ではありません。
第一、漢字は數が多い。覺えるべき數が全然違ひます。
表音文字のアルファベットは 26文字。假名でも 48文字。
だが漢字は、部首だけで三桁を數へる。
西暦百年頃の後漢の時代に編纂された最古の漢字辭書『説文解字』で 540、
それを整理した清朝の『康熙字典』(1716年)で 214。
收録する漢字の數は、前者で 9000餘、後者で 4萬7000字。
でも、漢字を皆覺える必要はありません。
漢文の古典である『論語』の使用漢字數は 1500字。
科擧の必須課目であつた「四書五經」の漢字數がざつと 4500字。
常用する漢字は、辭書が收録するほど多くはないのです。
因(ちなみ)に、我國が小學校で教へる漢字は 1006字。
常用漢字は 2136字。
JIS(日本標準規格)第一水準が 2965字。
第二水準が 3390字。
ほかに補助漢字が 5801字。
全部合せても 1萬2156字です。
私は台灣を中心に、米中關係を睨(にら)んで日誌を ワープロで記録してゐます
(拙稿『台灣年表・覺書』 1943年の分から現在まで書き繼いでゐる)
が、人名地名の固有名詞を除いて、普通の文章の大抵の字は上記 1萬字で書けます。
江戸時代の庶民が寺子屋で學んだ漢字がざつと 3萬字と言ひますから、
私たちの負擔の方が江戸時代より遙に輕いのです。
漢字學習の負擔は全然重くない
この漢字の多さを、大人は誤解してゐます。
子供の學習に重い負擔になつてゐるといふのです。
そこで明治の文明開化で「漢字追放論」が叫ばれ、
假名文字化論、ローマ字化論、英語化論などが出ます。
漢字習得重荷論は、例へば、次の通り。
第一、明治34年(1901年)3月14日の貴族院に於る請願。
「我國の言語文字は繁雜にして習熟に困難なること世界に比なく
「學校生徒をして徒に精力を言語文字の習熟に消耗せしめ
「其の發育を碍(さまた)ぐること極て大なり」
(山口謠司『日本語を作った男』集英社、平成28/2016.2.29、467頁)
第二、米軍占領下の昭和21年に米占領軍の要請で訪日したアメリカ教育使節團の報告書。
「書かれた形の日本語は、學習上の恐るべき障碍である。
「日本語は概ね漢字で書かれるが、その漢字を覺えることが
「生徒にとつて過重な負擔となつてゐることは、
「殆ど全ての識者が認める所である」
(村井 實『アメリカ教育使節團報告書』講談社學術文庫、昭和54/1979年、54頁)
この漢字習得重荷論は、大人の勝手な思込みであつて、事實に反します。
そのことを私は、子供に漢字教育を實踐しておられる石井勲先生の著書から學びました。
例へば『漢字興國論』(日本教文社、平成5年/1993年)です。
世間で漢字を使つて表記してゐる言葉は初めから漢字で教へる。
平假名から教へると當字(あてじ)問題が生ずる。
(發音しか知らないから、好い加減な漢字を當てて濟ます)
自分の姓名は假名書せず、最初から漢字を使ふ。
子供にとつて劃數の多い漢字ほど識別しやすいから、
劃數の少い漢字から教へるのは間違ひ。
先づ讀ませ、書くのは後回し。
曲線の多い平假名は、角張つた片假名より識別しにくいから、
平假名から教へる教育法は間違ひ。
伊原註:カタカナを學校で教へないから、
學生のカタカナの筆順が無茶苦茶です。
漢字は劃數が多いから、假名より覺え易い。
──これで頭の柔軟な子供たちはどんどん漢字が讀めるやうになる、等々
(漢字が「重い負擔」など、大人の勝手な思ひ込みに過ぎません)
そして曰く、
「漢字に強い生徒は,どんな學科にも強い」
(石井勲『漢字の神話』宮川書房、昭和42年/1967年、16頁)
伊原註:これは、次のやうに言換へられます。
「國語に強い生徒は、どんな學科にも強い」
パソコンのマックはアイコンの多用で普及しましたが、
漢字こそアイコン(象形文字)ですから、追放論は大間違ひです。
漢字を追放した韓國やヴェトナムは、折角の良さを自ら捨てるといふ
「間違つた選擇をした國」なのです。
“漢字假名混り文”の良さ
先に「表意文字が無條件で表音文字より優れてゐる譯ではありません」と書きました。
それは、漢字が音と共に意味を持つといふ特徴から生じます。
音だけを示せないのです。
中國が天下に君臨してゐる間は問題が生じなかつたのですが、
歐米との國交が生ずると、外國の地名國名や人名などの固有名詞の表記に手子摺ります。
米國を“美國”と表記するのは、對米關係の良さを反映してゐます。
米國は、19世紀後半の南北戰爭でシナ進出が遲れたし、
新教の牧師が布教と教民保護に盡力しましたから“美國”なのです。
そして中共政權が“向ソ一邊倒”を唱へてゐた時も
米國を「うるはしの國」と稱(よ)んでゐました。
中共にとつては、蔣介石の中共撃滅作戰を マーシャル特使で抑え、
中共に政權を執らせてくれた恩惠ある國です。
扨て、外來語の中文譯の話です。
“珈琲”は、音譯だといふ證據に玉偏を附けてゐます。
これで“外來語”と判ります。
可口可樂(コカコーラ)は、音を移しながら意味も「美味しいコーラ」となつて
“名譯”とされますが、かういふのは例外です。
(私の先輩は「口にすべし、樂しむべし」と讀みました)
漢字で音を示す厄介さを如實に示すのが、
萬葉假名に於る私達の祖先の漢字との格鬪です。
その點、漢文の訓讀から生れた片假名と、
萬葉假名から生まれた平假名といふ二つの表音記號を持つ日本語は、
表意記號の漢字と組合せて自由自在の表現ができます。
嘗(かつ)て、金田一春彦は
人材を募集する
「アルバイトサロンミス東京」
の新聞廣告を見附けて、こんな短句の中に
獨佛英日の四ケ國語が犇(ひしめ)いてゐることに驚嘆しました。
「Yシャツ 見切り品 ¥2,000より」
といふ例も出してゐます。
ローマ字、漢字、片假名、平假名、アラビア數字の五種類の文字を驅使してゐます。
この自由闊達さが、日本語の特徴なのです。
山口謠司は、國語の表現力について、こんな例を擧げます。
(『日本語の奇跡』新潮新書、平成19/2007, 冒頭)
國語は平假名・片假名・漢字・ローマ字で表記されるが、
例へば「トイレ」を探してゐる時、日本人は
「お手洗ひ/便所/化粧室/厠/WC/TOILET」と
多樣な表現や文字で必要對象を認識できるのだ、と。
漢字假名混じり文は、速讀に向いてゐます。
漢字を辿(たど)れば立所に大意が摑めるからです。
歴史的假名遣と現代假名遣
本文を書くため、
山口謠司の上田萬年論『日本語を作つた男』(集英社、平成28/2016)
を讀み、新發見がありました。
昭和21年の略字・漢字制限・現代假名遣の採用は、
戰後育ちに戰前の書物を讀ませぬため米占領軍が仕掛けた陰謀、と考へてゐたのに、
この動きは明治時代の「言文一致運動」「言語統一運動」に發しており、
昭和21年の國語弄 (いぢ) りは、
明治以來の國語學者の「發音通りの表現」「簡易表現」といふ“念願”を
敗戰のどさくさに紛 (まぎ) れて實行したもの──と知つたことです。
これで私の國語學者不信の疑念が、確信に變りました。
日本文化の根幹を破壞したのは、外國人ではなく、日本人の國語學者だつたのです。
我國は、明治の文明開化と昭和の敗戰後の二度の歐米文化追隨で、
日本文化の良さを日本人自らの手で壞して來たのですねえ……。
因 (ちなみ) に、上田萬年は、國語の長音に長音記號を使ふやう指導してゐます。
「ぞーのめは、たいそー小さくて、はなは、たいそーながうございます」
(伊原の疑問:「ながう」をなぜ「なごー」と表記しない?)
「こーとーしよーがつこーににゆーがくしたほーち」
この異樣 (?) な表記法も、慣れれば抵抗がなくなるのでせうか???
歴史的假名遣の改變が何故日本文化の破壞に繫るかについては、
この短文では説き切れません。
歴史的假名遣とは、
古事記・萬葉集の萬葉假名の解釋史に關はり、それを讀み解き、
國語の言葉の使ひ方を解明してきた數多の先人の努力の結晶です。
これを無視すれば、日本文化の根幹を成す國語の構造が判らなくなります。
文化は無闇に變へてはいけないのです。
(平成28.5.3/平成28.7.10補筆)
平成28年10月24日追記──
本文で「漢字習得重荷論」を明治と昭和の二例擧げておきましたが、
江戸時代に新井白石も唱へてゐたことが判りました。
新井白石は、キリスト教禁教後の我國に、なほ布教のため密航して來て捕えられたシドッティ(以下シドッチと表記する)を訊問し、彼から世界情勢を聽き出して『西洋紀聞』『采覧異言』を著したことで有名です。上記二書を紹介しつつ評論した岩崎允胤『日本近世思想史序説(上)』(新日本出版社、1997) の 242頁に下記の記述があります。
第一に白石は、ラテン文字が尠い數の字母で文章を綴ることを賛嘆してゐます。
「ラテン語の字母、僅に二十餘字、一切の音を貫けり。文省き、義廣くして、其妙天下に遺音なし」
第二が問題の「漢字習得重荷論」です。シドッチの言ながら、白石も同感してゐます。
「其説 (シドッチの説) に、『漢の文字萬有餘、強識の人に非ずしては暗記すべからず……。徒に其心力を費すのみ」
シドッチの説の紹介ですが、明らかに白石も同感してゐます。
第三に白石は言語論『東雅』で、表音文字の長所を念頭に、漢字批判を書いてゐます。
「西方諸國のごときは方俗音韻の學を相尚(たと)びて、其文字のごときは尚ぶ所にはあらず。僅に三十餘字を結びて、天下の音を盡しぬれば、其聲音もまたなを多からざる事を得べからず。中土(シナ)のごときは、其尚ぶ所文字にありて、音韻の學のごときは、西方の長じぬるに及ばず。我東方のごときは、其尚ぶ所言詞の間にありて、文字・音韻等の學は、相尚べる所にもあらず」
伊原、嘆じて曰く、
學者とは眞理探求の徒の筈だが、昔も今も、勝手な思込みによる誤判斷が附纏ふのだなあ、と。