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トランプ現象と大衆の叛逆
伊原註:これは『關西師友』2016年四月號 8-11頁に載せた
「世界の話題」312號の増補版です。
選良と有權者の乖離現象
米國の大統領選擧に異變が起きてゐます。
失言や暴言が命取りとなる筈の言論合戰に於て、
惡口雜言を連發するドナルド・トランプなる人物が、
共和黨の大統領候補の指名爭ひで斷然トップを走つてゐるのです。
惡口雑言は、一時一部の間で人氣を得ても、長期に亙り多數の支持は得られぬ筈……
なのに、彼は共和黨主流派の反對を尻目に、共和黨の大統領候補になりさうな勢ひです。
政策決定をする一部エリートに、庶民がいかに反感を持つてゐるかが窺へる話です。
トランプ候補の勢ひは、本文執筆段階で全然陰つておりません。
(補筆段階では、共和黨の大統領候補に決定濟です)
トランプは實業家(不動産王)であつて、政治家ではありません。
大統領候補は聯邦や州の行政府や立法府で經驗を積んで出馬するのが通例なのに、
トランプにそんな政治經驗は一切なし。
このトランプ現象を見て私は、暫く前に我國で起きた素人當選喜劇を聯想しました。
第一幕は、平成七年/一九九五年四月の統一地方選です。
東京都知事に青島幸男、大阪府知事に横山ノック兩參議院議員が出馬して當選しました。
金美齢さんが大阪で講演して、
「大阪府民は不眞面目だ、
「台灣人が選擧權を得るのにどれだけ苦鬪を重ねたことか……」
と叱りましたが、金美齢さんは事情が讀めてゐなかつたのです。
當時、有權者は自民黨流の金權談合の密室政治に拒否反應し、
既成政界とは別世界の人間を選んで見せたのです。
既成政黨の推薦が嫌はれ、無黨派での出馬が殖えたことも、
既成汚染政治家に對する忌避現象の一つです。
この時、既成政治家、わけてもそれまで政權を擔當し續けてきた自民黨政治家は
眞っ青になり、自分達の利權團體依存の談合政治を改め、
草の根の有權者の聲を吸收し直す“政界再編成”に踏切らねばならなかつたのに、
「何? タレントが良いのか。
「ぢやあ我々も次の選擧で適當なタレントを見附けて候補に立てよう」
と、まるで見當違ひの對應をしたため、日本の政治は未だもたついた儘です。
そして日本の政治家も政黨も、有權者の意見を吸上げる仕組にそつぽを向いた儘です。
既成政治家連中が有權者の聲に耳を傾けなかつたため、
有權者の叛逆の第二幕が開帳します。
平成12年/2000年10月、長野縣知事選に作家の田中康夫が當選します。
彼は利權政治家の巣窟である縣議會と衝突して不信任決議案が通り、解任されますが、
既成政治家に反撥する有權者は彼を再び知事に選びます。
再選した田中知事は、三選目でやつと落選しました(平成18年/2006年)。
議會との鬪爭劇を演じてくれたので、お役御免になつたのです。
私には、トランプ現象は、青山幸男現象と同じに見えます。
既成政治家の政治行動が自分らの意向を反映してゐないことに憤つた有權者が、
既成政治家連に叛逆する候補を支持して政治の刷新を期待する──といふ構圖です。
この問題は、
近代民主政治の基本構造である【代議政治の問題點】を炙(あぶ)り出してゐます。
幣原軟弱外交の失敗の祟り
議員とその議員を選んだ有權者の關係は、初めから問題を孕んでゐます。
有權者は數が多い上、考へ方は樣々ですから、
代議士が自分を選んだ有權者を滿足させるのは至難の業、
いや、初めから不可能事です。
それでも、
有權者が納税要件などで比較的少數に限られる間はギャップは目立ちませんが、
有權者に年齢しか條件を課さない普通選擧の時代ともなりますと、
その食違ひは大きく開きます。
我國で、權力を握る指導層と、それに從ふ被指導大衆の乖離が
騒擾事件を惹き起すほど大きくなつた走りは、
日露媾和後の日比谷燒討騷動でせう(明治38年/1905年 9月)。
乖離發生の理由は、得てゐた情報の違ひです。
賠償金なき媾和を呑んだ指導層は、
日本の繼戰能力が盡きたことを大衆には伏せてゐました。
伏せておかないと負けますから、當然のことです。
しかし大衆は「連戰連勝」と聞いて、日清戰爭以上の賠償金獲得が當然と信じてゐました。
我國現代史でこの指導層と大衆の乖離が致命的となつて國難を招くのが、
大正末期から昭和初年代にかけての昭和の動亂期です。
昭和史前期は「大東亞戰爭への道」として、
國内でも國外でも複雜極まる展開を見せますが、
「權力を行使する指導層」と、
その指導に從ふ有權者、即ち「國民大衆」との乖離の問題で
焦點となる代表的な事例が、
幣原外交です。
幣原外交の問題點は、三つあります。
第一に、幣原外相が、
シナの實情を承知せぬ儘、觀念的・原理的・獨斷的に、
“革命外交”を振回す獨善的シナ外交に宥和政策を採つて
却つて相手から輕視され、排日侮日の動きを加速したことです。
伊原註:學校秀才は? 觀念 (思込み) で動き、實情把握が苦手です。
第二に、昭和2年/1927年3月24日の第一次南京事件、4月3日の漢口事件で
英國の共同出兵提案を拒否し、
内政不干渉・協調外交の名の下に邦人を保護せず、無抵抗主義を貫きました。
その結果、被害甚大の上に、相手から嘗められ、
排日・侮日行動を激化させる逆効果を招きました。
幣原「軟弱」外交の名の通りです。
伊原註:この事件を全然知らぬ人が多いので、以下を引用しておきます。
(佐々木到一『ある軍人の自傳』普通社、昭和38/1963年、138-139頁)
「我が在留民全部は領事館に收容され、三次に亙って暴兵の襲撃を受けた。
「領事 (森岡正平) が神經痛のため病臥中を庇う夫人を良人の前で裸體にし、
「薪炭庫に連行して27人が輪姦したとか。
「三十數名の婦女は少女に到るまで凌辱せられ、
「現に我が驅逐艦に收容されて治療を受けた者が十數名もゐる。
「根本少佐が臀部を銃劍で突かれ、官邸の二階から庭上に飛び降りた。
「警察署長が射撃されて瀕死の重傷を負うた。抵抗を禁ぜられた水兵が
「切歯扼腕してこの慘状に目を被うてゐなければならなかつた、等々。
「然るに、外務省の公報には
『我が在留婦女にして凌辱を受けたる者一名も無し』
「といふことであつた。南京居留民の憤激は極點に達した」
第三に、昭和5年/1930年のロンドン海軍軍縮條約です。
艦隊決戰で、七割を保持すれば勝つ見込みがあるが、六割だと必敗といふ“常識”を
自他ともに信じてゐた當時、
巡洋艦全體ではほぼ七割を確保したものの、
軍令部が重視してゐた重巡洋艦で六割しか確保できず(これが米國の狙ひ)
──といふ事態の儘、妥結します。
これで軍令部の不滿が尾を引き、海軍が分裂し、條約派が肅清されます。
そして“統帥權干犯問題”といふ“政爭”が生じ、以後の日本政界を搖さぶり續けるのです。
これで、幣原“軟弱”外交では國家の安全保障が確保出來ぬといふ“認識”が、
國民の一部に生れ、政界を搖さぶり續けます。
昭和の“動亂”の始りです。
後智慧では何とでも言へますが、
當時の限られた知識では、
“由々しき國難”といふ判斷は、無下に否定できません。
その危機感を重視するならば、ロンドン海軍軍縮會議を決裂させる手がありました。
そしたら我國は國内分裂を回避でき、擧國一致の體制を保ちつつ、
“國難”を切抜けられたかも知れません。
五一五事件も二二六事件も避けられたでせう。
勿論、さうならず、もつと早く國難を呼んでゐたかも知れませんが、
國内の分裂は、少くとも現實に起きたよりは遙かに小さくて濟んだ筈です。
民主主義の運用に注意せよ
扨(さ)て、トランプ現象です。
これが提起する問題點は三つあると考へます。
第一、民主主義は、
草の根(庶民)の意見 (感情) のフィードバック(吸上げ)が極めて大事だ
──といふことです。
爲政者の獨善は民主主義を破壞しますから、
民意を汲取ることには細心の注意を拂つて戴きたい。
この點での問題點は數々あり、
そのうち最大の問題がマスメディアです。
インターネットの普及により、メディアの問題點が周知されるやうになつたものの、
まだまだその影響力は大きい。
一部ネットユーザーは「マスゴミ」と稱んで輕蔑しますが、
そう言ひながらも影響を受けてゐます。
第二、選擧法の問題。
台灣の選擧を觀察し續けて來た私には、台灣の選擧が活氣に滿ちて面白いのに、
我國の選擧はうるさいだけ。
選擧をもつと活性化しないと、幾ら年齢を下げても若者を投票に誘ひ出せますまい。
なぜ政治家が選擧法の改惡をやつて平氣なのか、不思議極まります。
自分らの都合で選擧法をいぢり廻し、選擧をどんどん面白くなくしました。
だから投票率が低下こそすれ、向上しません。
第三、指導者の問題。
代議制に於ける選良と有權者の乖離を解決する一つの方法は、選良の有權者説得行動です。
この説得行動こそ、指導者の指導者たる所以。
所が我國は、江戸時代こそ、藩校で指導者養成をやりましたが、
明治以來、參謀ばかり育てて指導者(司令官)養成は手抜きした儘で現在に至ります。
(參謀は責任を取らない。司令官は責任を取る。
(決斷するのは司令官であつて參謀ではない。
(最近の社長は責任を取らない。これはトップではない。
(最近、高級を取りながら責任を取らぬ長がやたら殖えた。
(背任横領の徒が横行してゐる、と罵倒したくなる。
(ここで知る、武士道を實踐してゐた武士の偉大さを。
(江戸時代、武士は常に死を覺悟して仕事をしてゐた)
だから我國では、指導者が出て來ない。
精々企業で若干、指導者養成努力の片鱗が見られるだけ。
その企業も、大企業は軒並みサラリーマン社長化して久しい状況にあります。
「俺について來い!」と胸を張つて言へる社長がどれだけ居ることか……?
最近の日本の老舗大企業の腐敗墮落ぶりを見るに附け、
日本は人が腐つて來たとの感が迫ります。
(平成28.3.10/平成28.7.8補筆)