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臺 灣 の 選 擧 結 果
伊原註:これは『關西師友』2016年三月號 10-13頁に掲載した
「世界の話題」311號の増補版です。
大事な補足をしてあります。
是否最後までお讀み下さい。
日本各紙の台灣選擧評に思ふ
江青の傳記資料を求めて台灣に留學した昭和49年(1974年)以來、
台灣を略(ほぼ)毎年訪れてゐます。
台灣の重要選擧は盡く視察して口頭と文章で報告して來ました。
私の脊椎壓迫骨折による入院の後遺症と、家内の入院とで時間が自由にならず、
今回初めて「台灣の重要選擧」の視察をパスしましたが、
觀察はしつかり續けておりますので、
選擧評が出揃つた段階で、私の異論を書いておきます。
第一に、民主進歩黨の“壓勝”は言ひ過ぎです。
だつて 2008年にも 2012年にも、
馬英九と中國國民黨は台灣有權者に支持されたのですから。
今回は、「中國國民黨の自滅」(ニューズウィーク日本版、1月26日號)が實態に近い。
理由を三つ、擧げておきませう。
第一に、中國國民黨が有權者から見放された結果、最大野黨の民進黨に票が集つたのです。
これは、我國で自民黨から民主黨に政權交代した時に似てゐます。
自民黨が自滅した結果、有權者は民主黨を選ばざるを得なかつた。
民主黨が期待できさうな公約を持ち出したからではないのです。
ではなぜ、中國國民黨は有權者から見放されたか?
對中接近して台灣經濟を大いに振興さす筈が、
台灣經濟が空洞化して就職先が減り、大學新卒の初任給も二割下がつた上、
台灣が中國經濟に呑込まれる心配が出て來たのです。
そこで、危機感を抱いた大學生が「ひまわり學生運動」を發動して、
馬政權の對中接近策にブレーキをかけた。
これで台灣人の台灣意識(台灣人たる自覺)が高まり、
馬政權の對中接近政策を見放すやうになりました。
それに最近の中國經濟の停滯で、
べつたり中國經濟に依存してゐた台灣經濟も不景氣になりました。
中國の嚔(くしやみ)で台灣が風邪を引くというヤツです。
台灣の景氣が良ければ、馬英九と中國國民黨政權は支持され續けたでせう。
台灣意識の確立にはもう一つ、大事な理由があります。
馬政權が最初にやつた「中國人の台灣觀光旅行解禁」です。
これで中國人が大擧台灣に押寄せ、その行儀の惡さに呆れた台灣人が、
「俺たちとは別人種、文化が違ふ」
と自覺したのです。
このことを指摘した吉村剛史産經新聞記者 (前台北支局長) は、
「台灣人は、馬英九さんに表彰状をあげたら良い」と言つてゐます。
第二に、國會過半數では“壓勝”に程遠いのです。
台灣の中華民國憲法は、今だにモンゴルまで版圖に入れ、首都は北京とする時代錯誤ぶり。
所が、この時代錯誤憲法の改正は、至難の業なのです。
陳水扁政權期に下野した國民黨は、立法院で多數を制してゐたので、
憲法改正手續を極端に嚴しくしました。
二つ關門があります。
先づ、立法院(國會)の四分の一の提案で四分の三の出席の下に四分の三の贊成が必要です。
つまり、國民黨が立法院で四分の一さへ確保してゐれば、中華民國憲法は改正できません。
更に、國會を通過したこの憲法改正案を公告して半年後に有權者が國民投票しますが、
これにまた「有權者總數の過半數」の贊成が必要です。
このきつい縛りを考へると、
立法院で過半數を得たくらゐで「壓勝」と言はれても、
にはかに同感できません。
第三に、民進黨が熱烈支持されたにしては、選擧中の街頭が「物靜か」で、
總統選の投票率もこれまでよりずつと低いのです。
2008年の總統選の投票率 76・33%
2012年の總統選の投票率 74・38%
2016年の總統選の投票率 66・27%
以上の三點からして、我國のマスメディアが騷ぐほどの「壓勝」ではありません。
民進黨は「獨立志向が強い」か?
我國の新聞は各紙とも言合せたやうに、
民進黨に「獨立志向が強い」といふ枕詞 (まくらことば) をつけますが、
さうでせうか?
第一に、民進黨がいふ「獨立」とは、
蔣介石父子の獨裁を支へた「中華民國體制」からの獨立です。
だから、李登輝總統の下で中華民國體制の民主化・台灣化が進むと、
民進黨は「獨立綱領」を凍結します。
(1998年12月の立法院選擧で。
(この「獨立建國」綱領凍結のため、真摯な台灣建國派が民進黨を離れました)
以後民進黨は「台灣は獨立してゐる」から、改めて獨立を言ふ必要なし
──との現状維持派に轉向したのです。
(これは、李登輝總統が“民主化した”台灣に於る“中華民國體制”の容認です)
處が我國のメディアは、
台灣獨立を專ら中共政權(中華人民共和國)からの獨立と想定してゐます。
でも、中共政權は台灣を統治したことが一度もありませんから、
台灣は中共政權に對して獨立を叫ぶ必要は全然ない。
台灣の問題は、獨立ではなく、國際的認知です。
そして、獨立國でありながら、台灣が國際的に認知されてゐないのは、
第二次大戰の勝者米國に責任があります。
蔣介石を支援して日本と戰はせておきながら、
腐敗墮落したとして蔣介石の中國國民黨政權を見放し、
中共政權を權力につけて「二つの中國」を出現させておいて
その決着をつけずに放つたらかした儘です。
揉め事がある方が、米國にとつて好都合だからです。
この問題 (台灣の國際的認知問題) は、この短文では扱ひ切れません。
米國民主黨のFDR政權がソ聯を育て、反ソ反共の日獨伊を叩いた話が絡むので
簡單には濟まない。
ここで言ふべきは、
台灣は米國民主黨の親ソ親共政策の犠牲者で、
國際的認知が得られてゐない“苦難”の解決は米國次第──
といふことです。
中共政權が建國以來、台灣を自國領と主張してきたのは
「中華民國」の繼承政權だからであり、
中共との内戰に負けた蔣介石國府政權が台灣に逃込んだからなのですが、
それなら【問題】が生じます。
中華民國の繼承政權なら、中華民國の條約や負債も引繼ぐべきなのに、
それには知らぬ顔をして權利だけ要求するのは厚かましい。
在華在滿の膨大な日本資産(政府の公産も民間の私産も)を勝手に接收しながら、
「賠償はとらなかつた」といふのと同樣の厚かましさです。
あの接收資産の額は、必要な賠償金額を遙に上回るとの計算もある位、膨大な額です。
民進黨は台灣本土意識を大事にする政權ですが、
中台關係に於て獨立を志向する政權ではない。
中共政權との間に「統獨問題」はないからです。
台灣の政權にあるのは、
米國(がリードしてゐる國際社會)が、
台灣の政權を正當な國家と認めるかどうか
といふ問題だけです。
日本のメディアは、誤解を招くやうな枕詞を一掃すべきです。
台灣も政界再編成が必要である
民進黨は、中華民國體制、即ち蔣家獨裁體制を打破して
台灣人の政權をつくろうとした政治勢力です。
曾ての日本社會黨同樣の反體制政黨で、建設能力が薄い。
所が中國國民黨が李登輝總統の下で民主化・台灣化し、
今回は台灣有權者の信頼を失つて瓦解しかけました。
蔡英文率ゐる民進黨は、その中國國民黨に代つて政權を擔ひますが、
蔡英文の政見は米國に強制された“現状維持”であり、
經濟についても中台關係についても具體策を示してゐません。
そして台灣經濟は國際經濟の動向に影響されますから、
蔡英文政權の政策だけで繁榮に導ける譯ではありません。
そして、蔡英文主席を支へる民進黨の最大派閥「新潮流」の政綱は「社民+緑」、
つまり、資本主義反對と環境問題です。
台灣は中小企業の國であり、大學院生でも小遣い稼ぎに株の賣買をする國です。
そんな所で資本主義反對や原發反對を掲げるやうな政黨が、台灣人の總意を結集できませうか?
陳水扁政權が出來た時、台灣人の政權だといふので台灣の有力資本家が大勢支持しましたが、
陳水扁の反體制と反原發に愛想を盡かして、その後殆ど離れてしまひました。
だから、蔡英文民進黨政權の前途は多難なのです。
“壓勝”などと喜んでゐる場合ではない。
台灣には、一昔前の問題を引きずる二大政黨以外の第三勢力、第四勢力など、
五つ六つの有效な政黨が必要といふのが、私の前々からの見解です。
李登輝さんが、2000年に連戰を後繼にして
二期八年間やつて中國國民黨を台灣國民黨に變質させ、
その間に民進黨を育成して八年後に民進黨と政權交代する
──といふ政權構想を抱きながら、實現に失敗して中國國民黨を離れたあと、
中國國民黨本土派の受皿として台灣團結聯盟を作りましたが、
二十名前後の台灣本土派立法委員を連れて馳せ參ずる筈の王金平が動かず、
台聯は台灣のため奮鬪しながらも、未熟兒の儘推移して、今回議員ゼロとなりました。
二年前のひまわり學生運動を契機に、
「時代力量」などの新規第三勢力が登場したものの、
やっと五名の立法委員を當選させただけ。
立てた候補が全員樂勝するほどの勢ひがない。
選擧區調整で既成勢力民進黨に押切られた模樣です。
新興勢力が未熟な儘、舊二大政黨が大きな顔をして台灣政治を牛耳つてゐる──
といふ構圖です。
(今回の敗退ぶりを見てゐると、
(中國國民黨はこの儘 雲散霧消するかも知れませんが)
台灣の民主主義が前進するには、まだまだ時間と努力が必要です。
これが「台灣の内政問題」、
もう一つの國際的問題は、米國が台灣の繼子扱ひをやめることです。
(米國のFDR・トルーマン民主黨政權が作り出した重荷)
これも時間がかかりませう。
これまでのいきさつが絡んでゐますから。
台灣に關する理解がまだ不足
台灣の動きを中心に米中關係を眺めて來て、日台は運命共同體との認識に達した私ですが、
我國での台灣認識はまだまだ淺いです。
台灣人(本省人)の八割以上が漢族でなく平地原住民の子孫、
つまりマレーポリネシア系
──といふことさへ知らぬ儘、台灣で取材してゐる記者がゐる状況です。
渡海を禁止されてゐる台灣に渡つて來た漢族は男だけで女はゐません。
彼ら男どもの大部分は病死か逃げ歸るかして、
僅かに殘つた漢族で平埔族の女と結婚して子を成したのは例外的少數に過ぎず、
その間 (あい) の子が平埔族の女と結婚してつくる孫の漢族の血は 1/4、
曾孫の漢族の血は 1/8、その子は 1/16…… と、
漢族の血は平埔族の中に消えて行くのです。
台灣人の多くが漢族の子孫と信じてゐるのは、
清朝末期ぎりぎりに清朝が原住民に漢族の三字名を名乘ることを許し
(それまでは禁じてゐた)
税金が漢族の方が原住民より安かつたので、
(台灣の漢族が一番安く、間の子が次に安く、原住民が高い)
平埔族は我も我もと漢族の系圖を買つて漢族の子孫を名乘りました。
私が台灣で聞いた所によると、台灣人の系圖は殆どが僞物の由です。
みんな不勉強過ぎる、と文句を言ひたい處ですが、
台灣人でも上記の姓名轉換により、
自分は由緒ある漢族と信じてゐる人が少なくない有樣なので、
台灣問題の理解は簡單ではありません。
(平成28.2.9/28.7.7補筆)