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大東亞戰爭 と 國策
伊原註:これは『關西師友』2015年12月號 8-11頁掲載の
「世界の話題」309號です。
少し増補してあります。
北進か南進か、西進か東進か
先月號の「大東亞戰爭:米國の對日經濟戰」で、
「我國が不敗の態勢で媾和に持込む成算あつて開戰した」
と書きました。
でも、ご存じの通り、不敗の態勢には持込めませんでした。
何故か?
北進せず南進したからです。
南進しても、その後、專ら西進してゐれば負けてゐなかつたのに、
東進して、米國を敵に廻したからです。
我國は、幕末以來、獨立の危機を迎へました。
列強の鬩(せめ)ぎ合ひの真只中で開國した我國は、
亡國の危機の中で明治維新を斷行しました。
第一の危機は、第二帝政期のフランス(ナポレオン三世)が幕府を支援し、
そのフランスとの霸權爭ひに競(せ)り勝つたイギリスが薩長を助け、
戊辰の内戰は危く英佛の代理戰爭になる所でした。
我國は辛ふじて殖民地化の危機を凌いだのです。
第二の危機は、
慶應2年/1866年の「改税約書」で、關税を一律5%に下げたことです。
安政5年/1858年の修好通商條約では、關税率は概ね20%といふ高率でしたが、
阿片戰爭で敗れた清朝並の、
原價の5%を基準とする從量税の設定に變へられました。
變へた理由は、勅許がない兵庫開港を延期して貰ふためと、
下關償金 300萬jの減免容認を獲得するための讓歩でした。
長州潘の 攘夷運動は、實に高くついたのです。
貿易事情に疎(うと)い幕府官僚は、當面の危機切抜けに精一杯で
上記の變更を受入れたのですが、
列強の某外交官が、
「可哀相に、これで彼等は工業化の費用が捻出できなくなる」
と憐れむ悲慘な事態でした。
我國には、目ぼしい輸出品が無かつたので、殖産興業の資金どころか、
生存も覺束ない“危機的事態”でした。
殖産興業には、資源と原料の輸入、機械の輸入と無限の資金が要るのに、
我國の農業は、そのための外貨を稼ぐ輸出品が碌に無かつたのです。
第三の危機は、日清戰爭後の三國干渉と十年後の日露戰爭です。
辛ふじてこれを勝利の形に持込み、やつと安全保障環境を確立したものの
賠償金が得られず、爾後、外債の利拂ひで破産しかけました。
日露戰爭後、殖民地化の危機は一應去つたものの、國策が分裂します。
陸軍は帝政ロシヤの報復を虞(おそ)れて北進論をとります。
海軍はロシヤ海軍の潰滅により、太平洋の彼方の米國海軍を假想敵にします。
陸海軍が北進と東進に分裂するのです。これでは外交政策が定まらない。
伊原註:帝國陸海軍の戰略目標不一致の弊害については、下記を參照。
黒野 耐『帝國國防方針の研究:陸海軍國防思想の展開と特徴』
(總和社、平成12/2000.9.25) 5000圓+税
〃 『日本を滅ぼした國防方針』 (文春新書、平成14/2002.5.20) 730圓+税
世界を動かす英米ユダヤ金融資本
話變つて、その後、我國を追詰める“一大勢力”英米ユダヤ金融資本の登場です。
現代史に於るその働きを周到に説明したのが、
元駐ウクライナ大使馬淵睦夫さんの著書『國難の正體』です(ビジネス社、2014年)。
國境を超えて稼ぐ彼等は、歴史の要所要所で手配し、代理人
(特に第28代ウィルソン大統領と第32代ローズヴェルト大統領)
を操つて日本を叩きました。
そして、驚いたことに、
大東亞戰爭でその手先を務めた形になるのが我が帝國海軍であり、
山本五十六元帥なのです。
米國は、獨立の經緯からして19世紀を通じて政界に反英感情がきつく、
1895年には ヴェネズエラ を巡り、あはや對英宣戰布告の瀬戸際まで行きます。
所が、經濟的には、
英國シティのユダヤ金融資本が米國の金融に大きな影響力を發揮してゐました。
例へばリンカーン大統領は二期目の初めに暗殺されますが、その理由は、
南北戰爭の戰費を賄ふために自前の法定通貨を發行しようとしたからです(馬淵、105頁)。
ケネディ大統領の暗殺も、聯邦準備銀行FRBの通貨
(これは政府の借金になり、ユダヤ金融資本が儲かる)でなく、
財務省通貨 (これはユダヤ金融資本は儲からない) を發行したためだと(馬淵、107頁)。
この、英米ユダヤ金融資本の暗躍が目立ち始めるのが二十世紀です。
リンカーン大統領以來、共和黨が強い大統領選で民主黨のウィルソンを勝たすため、
TRを煽動して共和黨を割つて立候補させます。
斯(か)くて漁夫の利を得たウィルソンが大統領に當選。
あと彼等金融資本は、ハウス大佐を通じてウィルソン大統領を操り、
老記者ルイス・ハウ や ニューディーラー達、
ハウの死後は ハリー・ホプキンズ を通じて
ローズヴェルトを操つて米國を戰爭に導き、世界を餌場にして金を稼ぎまくります。
大東亞戰爭開戰經緯に關連しては、
彼等が 1917年のロシヤ十月革命を演出したこと と、
1929年の世界大不況を演出したこと が、注目に値します。
米國の民主黨は一貫して容共であり、國際主義・グローバリズムです。
國境を超えて各地で稼ぎ續けるためであります。
では彼等は、日米衝突のため、どんな手を打つたか?
日米對立から決戰への半世紀
第一、日米對立の基本は、米國の西進と太平洋國家化です。
米墨戰爭で西海岸をメヒコから奪ひ、
米西戰爭でフィリピンを獲得して
國務長官ヂョン・ヘイの門戸開放宣言でシナ利權に割込みます。
そして英米聯繋して日本にロシヤの東進を抑止させた日露戰爭では、
英米ユダヤ金融資本は日本に資金援助しました。
ユダヤ人を大量虐殺する帝政ロシヤを叩くためでした。
しかし、日本海海戰に完勝した日本を、米國は警戒し始めます。
TR大統領は1904年 4月に日本海軍撃滅の「オレンヂ計劃」策定を命じ、
1907年の年末から、大白艦隊による對日砲艦外交を展開します。
親華反日のアジア政策を持續して日本を抑へ續けました。
米國の新教宣教師の對日反感には、
フィリピンに次いで朝鮮領有を目論んでゐたのに
その朝鮮半島を日本にさらはれた怨みもありました。
(米國指導層の強欲!)
第三、カリフォルニア州の執拗な排日問題。
この米國の動きは、日本人に深刻な屈辱感を植ゑ附けました。
第四、米國FDR大統領は、軍需物資の貿易制限・禁輸、特に石油禁輸で日本を追詰め、
在米日本資産凍結といふ金融政策で止めを刺して、日本の對米開戰を挑發しました。
我國にとり、東進は禁物だつた
この米國金融資本はロシヤ革命を策動して、
帝政ロシヤを倒してユダヤ人に共産政權を造らせ、
世界大不況を演出して金融市場の大混亂を演出して金儲けを企みます。
社會主義・共産主義は國境を無視する點で國際金融資本にとり望ましいのです。
1929年の世界大不況は「持てる國」the Haves が
勢力圏を圍ひ込むブロック經濟を生み、
「持たざる國」the Have-nots である我國の昭和金融恐慌に深刻な影響を與へ、
“暗殺政治”を産みます。
この金融資本の世界經濟攪亂に耐へて我國が生き抜く上で、二度好機がありました。
一度目は、獨ソ戰爭に際して北進すること。
二度目は大東亞戰爭開戰後、西進してドイツのアフリカ戰線と連結し、
米英のソ聯支援を遮斷してソ聯共産政權を倒し、
インドを基地とする英米の蔣介石政權支援を斷つて蔣政權を媾和に導き、
日獨が不敗の態勢を築くことです。
これで英米と媾和に持込めることは、前號で述べました。
所が我國は獨ソ戰爭に際して、
せつかく關東軍特殊演習(關特演)で 70萬の大軍を滿洲に集めながら北進せず、
大東亞戰爭を始めて南進した時、
インド洋への西進を御座成りにして東進しました。
(ハワイ・ミッドウェー)
そして、みすみす虎の子の空母機動部隊を自分の手で消耗したのです。
陸軍は、南進したあと、豫定通り持久態勢に移りますが、
海軍は必要以上に戰域を擴げ、
ガダルカナルやニューギニアで徒らに戰力を消耗しました。
海軍は、“攻勢終末點”を考へずに戰爭してゐたやうです。
彼らは米濠遮斷と?して濠洲を攻めること
(その第一歩がニューギニアの陸軍によるポートモレスビー攻撃)
まで試みたのですから。食糧不足の儘、
日本アルプス並の高山を完全武裝で越えさすなど、狂氣の沙汰です。
東京の大本營參謀の無智無學無謀、ここに極まれり、と言ひたいです。
海軍がミッドウェーをやらずに予定通りインド洋を制壓してゐたら、
昭和17/1942年中に北アフリカのドイツ軍と日本軍が手を握り、
同年10月23日の聯合軍によるエル・アラメインの反攻はなく、
從つてエル・アラメインの獨伊樞軸軍の敗北もなく、
樞軸軍が頑張り續け、米國からの武器貸與法に基くソ聯支援が行へず、
ソ聯はドイツ軍に敗北を喫してゐた筈です。
だから日本軍も南方の占領地を占領し續けた筈です。
此の“不敗の體制”を潰し、日本海軍を自滅させたのが
帝國海軍の“戰略なき戰ひ”でした。
伊原註:帝國海軍は戰後、米内光政が自分と海軍の擁護のため
米占領軍とつるんで海軍善玉論・陸軍惡者論を演出し、
だから東京裁判での死刑は陸軍のみで海軍なしに持込みました。
この海軍善玉論を宣傳した第一號が下記です。
新名丈夫編『海軍戰爭檢討會議記録』 (毎日新聞社、昭和51/1976.12.25)
私はこれより、下記の「海軍知能犯説」を是とします。
岡田益吉『軍閥と重臣』 (讀賣新聞社、昭和50/1975.12.10)
陸軍惡者論・海軍善玉説を信じてゐる人が今だ多いのは、
日本惡者論・米國善玉説を信じてゐる人が多い事態と相俟つて
現代史の眞相解明上、實に嘆かはしい事態です。
帝國海軍への根本的批判については、下記を參照されよ。
佐藤 晃『太平洋に消えた勝機』 (光文社ペーパーバックス、平成15/2003)
『帝國海軍が日本を破滅させた (上下)』 (同上、平成18/2006)
(このほか、在野の篤學者 佐藤さんの著書、多數あり)
新野哲也『日本は勝てる戰爭になぜ負けたのか』 (光人社、平成19/2007)
山田 順『日本が2度勝つてゐた大東亞・太平洋戰爭』 (ヒカルランド、平成26/2014)
林 千勝『日米開戰 陸軍の勝算』 (祥傳社新書、平成27/2015)
以上、駈足の記述ながら、國家の基本方針がいかに大事か、國策を間違つたら、
個々の集團が如何に奮鬪努力しても大勢を挽回できぬことがお判り頂けたでせうか。
でも、心を慰める言葉があります。
上海出身で臺北帝國大學に留學し、
シナの共産化により歸國先を失つて米國に留まつたシナ人の王先生曰く、
「日本はアジアを解放した英雄なんだよ。
「日本はアジア地域から白人勢力を驅逐した。
「そして降伏後、本國に引揚げた。
「これが歴史の事實だ。
「私達科學者が受入れるのは事實のみ。
「それまでアジアは慘めなもので、
「日本とタイ以外はすべて白人國の殖民地か半殖民地だつたんですよ」
(安濃 豊『戰勝國は日本だつた』柏艪舎、平成18/2006.5.8、190−197頁)
我國は“身を殺して仁をなした”のです。
(平成27/2015.11.8/平成28/2016.7.2補筆)