天 才 と 凡 人 の 差 - 伊原教授の読書室

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           天 才 と 凡 人 の 差



伊原註:これは『關西師友』平成28年/2016年二月號 10-13頁に掲載した

    「世界の話題」310號 を採録したものです。

    少し増補してあります。






    「傳記」の棚がない日本の書店


 英領時代の香港に一年住んだ時、英語の本屋に行くと、先づ「傳記」の棚を覗き、

 次に「歴史」の棚に移動しました。

 英國人は傳記を愛讀するので、「傳記」の棚があるのです。


 私が大阪難波で愛用するジュンク堂書店は、書物をまるで圖書館のやうに分類配置してあり、

 必要な書物を探すのに實に有難いのですが、殘念ながら「傳記」の棚はありません。


伊原註:このジュンク堂千日前支店は、最近店を閉ぢてしまひました。

   難波店が港町にありますが、ちよつと遠くてまだ行つてません。


 一昔前の我國では、偉人傳は子供にとつて必須の讀物でした。

 私は目下、米國の國際金融資本のグローバリズムに注目中で、

 デイヴィッド・ロックフェラーの自傳『ロックフェラー回顧録』

  (楡井浩一譯、新潮社、2007年初版/2012年 9刷)を讀み始め、

 久しぶりに讀書の醍醐味を味はつてをります。

 これを紹介したいのですが、本書は六百數十頁の大著、まだ三分の一しか讀んでゐない。


 石油で財を成した祖父、

 その莫大な財産を繼承維持した父の末つ子として育つたデイヴィッドは、

 チェース・マンハッタン銀行の國際活動に貢獻しますが、

 彼の育ち方を辿りつつ、私は曾て讀んだ米國の偉人の傳記を想起しました。


 自傳ではフランクリンやカーネギーが面白かつた。

 フォードの自傳も頗る興味深く讀みました。

 他人が書いた傳記ではエディソンが……

 と聯想して、エディソンの逸話を紹介してをかうと思ひつきました。


 彼の一大特徴は“好奇心旺盛”です。

 六歳の時、「火がどんな作用をするか見るため」

 父の小屋の中で火をつけて見ます。

 火はあつといふ間に燃え擴り、小屋が丸燒けになりました。

 もし風が強ければ町中が火の海になる所でした。

   (マシュウ・ヂョセフソン、矢野徹・白石佑光・須山靜雄譯『エヂソンの生涯』

   (新潮社、昭和37/1962.5.25, 20頁)

 彼は「何でも物事を突きとめなければ氣が濟まなかつた」のです (22頁)。



       ぢつくり物を考へる子エディソン


 エディソンの逸話其一は、學校へ行かず、初等教育を母親から受けたことです。

 校長先生に「この子の頭は腐つてゐる」と言はれました。

 エディソンが、しつこく先生に疑問を投げ掛けたからです。


 小學一年生に「一足す一は二です」と教へて「何故?」と訊かれたら、

 貴方ならどう答へますか?

 先生は苛立ち、「一足す一は二に決つてゐます」「さう覺えなさい」

 と答へたに違ひない。

 哲學青年だつた私は、幼いエディソンが哲學(根源的問掛け)したのだと、

 畏敬の念を抱きました。


 學校を止めたエディソンは、母親から初等教育を教はります。

 母親は、通常の讀み書き算術のほか、世界の名作を讀み聞かせ、

 息子の特徴を見抜いて實驗科學の方に誘導しました。

 その方面の書物を買ひ與へたのです。


 エディソンの教育のもう一つの特徴は「獨學」です。

 幼時に罹(かか)つた猩紅熱の影響で12歳の時耳が遠くなつたエディソンは、

 獨學で猛勉し、圖書館の本を全部讀破します。

 百科事典を最初の頁から最後の頁まで全部讀み通した由です。

 そして彼は、讀んだことは皆しつかり覺えてゐたのです。

 凄いですね。


伊原註:エヂソン曰く、

   「13歳で耳が不自由になつたからこそ、子供には難解な文學作品や

   「化學や物理の技術書まで集中して讀めたのだ」と。

   新聞も「中毒症」と言へるくらゐ多種の新聞を熟讀しました。


 この亂讀が彼の獨創性を培(つちか)ひました。

 亂讀を通じて理論家(學者)の道を敬遠し、實務家(職人)の道を目指します。



       獨創には博識が不可欠である


 エディソンの逸話其二は、研究員の採用試驗です。

 エディソンは、個人で發明する十九世紀型の發明家から、

 チームを組んで發明する二十世紀型の發明家の雙方の任務をこなしました。


 彼は、研究所のため、學卒の研究員を募集しますが、その採用試驗が奇抜です。

 百五十項目の質問に答を求めたのです。

 回答時間は午前中の半日。設問には時事問題あり、歴史問題あり、奇抜な問題ありで、

 それも單に博識を問ふたのではなく、

 自分の知識をどれだけ確實に把握してゐるかを知らうとしたのです。

 九十點が合格點でしたが、合格點を取つた者は毎回一割未滿だつた由。


 エディソンは何故「博識」を求めたのか?

 獨創とは、異質の物の新規な組合せです。

 だからいろんな分野のいろんな知識をどれだけきちんと知つてゐるかを、

 この試驗で調べたのです。


 新聞記者がエディソン自身もテストを受けてみたらどうかと提案しました。

 エディソン曰く、結構、「私は自分が呑みたくない藥を人に與へはしない」と (357頁)。

 彼は樣々な項目に及ぶ「長い質問事項表」を片っ端から解いて人を驚かせます。

 その正解率は、實に平均95%!

 エディソンの博識ぶりが窺(うかが)へます。


 彼は、記憶力を重視しました。

 「人の有能さの主因は記憶能力である」と言つてゐます (356頁)。

 彼曰く、「知らぬのは許せるが、忘れたといふのは許せない」と。

 發明にあらゆる知識を總動員したエディソンらしい發言です。


 エディソンの逸話其三が、本文の主題です。

 1929年 2月11日、82歳の誕生日の記者會見の席上でエディソン曰く、

 「天才とは 1%のインスピレーション(靈感)と

 「99%のパースピレーション(發汗=努力)の賜物である」


 これを聽いて、新聞記者は喜びました。

 「天才エディソンも、努力が大事だと言つてゐる。

 「人は努力を惜しんではならぬのだ」


 エディソンの發言の眞意は逆でした。

 「いくら努力しても、靈感が閃かなければ發明などできない」



       啓示は努力の積重ねから生れる


 さうか。獨創性は、努力だけではないのか(と私は思ひました)

 靈感(叡知)が閃かないと、優れた論文は書けないのだな。

 では、閃きを我物にするにはどうすれば良いか。

 凡人が努力するだけでは獨創的な仕事は望めないのか?


 幸ひ、さうではありません。

 凡人であらうとなからうと、努力を重ね氣を集中すると閃くのです。


 私は論文を書いてゐる時、

 必要な資料が向ふの方から飛込んで來る經驗を何度もしました。

 古本屋の棚でぴつたりの資料を見附けたり、

 いつもは見ない書齋の片隅で重要な關連資料を發掘したり……。


 これで悟りました。

 ものを集中して考へてゐると頭から念力が出てそれに資料が應へ、

 目に入つたり手に取らせたりするのではないか。

 頭腦はレーダーのやうに念力を發信する能力があるのではないでせうか。


 エディソンは、努力だけでは足りぬと言ひたかつたやうですが、

 執念を燃やすと運が開け靈感が閃いてくれるのです。

 だから努力(注意を集中して念力を高めること)は實に大事なのです。



       日露戰爭と大東亞戰爭の運の差


 話變つて帝國海軍の戰ひぶりと運不運です。


 日露戰爭の前半で、帝國海軍は大事な軍艦を四隻失ひます。

 旅順港でロシヤ海軍が設置した機雷に觸れて戰艦八島と初瀬を、

 衝突によつて二等巡洋艦吉野を失ひます。

 其後二等巡洋艦高砂も觸雷で沈没しました。


 これは一大事と全海軍の氣分が引締まり、猛訓練を重ね、

 全軍一致で日本海海戰の大勝利を得ます。

 日露戰爭を勝利に持込めたのは、數々の幸運にも惠まれましたが、

 幸運を招き寄せる上で日本側の擧國一致態勢の必死さが與(あづか)つて貢獻してゐます。


 所が大東亞戰爭では、緒戰のハワイ・マレー沖海戰の勝利にのぼせ、

 「今や帝國海軍は無敵」と奢り昂(たかぶ)り、油斷してミッドウェーで大敗を喫します。


 あれは明かに驕慢の所爲(せゐ)で油斷が招いた失策です。

 神樣は、日露戰爭では必死の日本海軍に微笑み、

 大東亞戰爭では傲慢に墮した日本海軍を見放しました。

 現場の兵隊は、日露戰爭でも大東亞戰爭でも眞面目に戰ひましたが、

 上層部と軍令部の眞劍味が足りませんでした。


 驕慢により運に見放された例の一つ:


 ミッドウェー攻撃直前に、淵田美津雄中佐が盲腸炎で手術し、

 空爆總指揮官を、不慣れな友永丈吉大尉が務めます。

 友永大尉が「反覆攻撃の要あり」と打電したので、

 敵空母に備へて魚雷を裝着してゐた雷撃機を爆彈に換裝します。

 その後、敵空母發見の報が入り、再度魚雷に換裝中、敵機に襲はれ、

 自分の爆彈や魚雷が誘爆して空母と熟練搭乘員が全滅したことはご存じの通り。


 淵田中佐曰く、地上に敵機が居ないのに全彈を飛行場に投下したのは無策、

 「敵機は空中に退避中と判斷し、

 「一廻りして敵機が復歸した頃を見計らつて一網かける工夫があつて然るべきだつた」と。

  (『眞珠灣攻撃總隊長の回想』講談社、平成19/2007.12.8,201頁)

 田中佐が盲腸炎に罹つてゐなければ、ミッドウェーの敗戰は免れた筈です。


 淵田中佐は、ミッドウェーの敗因を「驕慢」と喝破しました。

 驕慢の故に、運に見放されたのです。


 運まで招き寄せてしまふ程氣力を充實させる大事さを、改めて思ひ知ります。

 所で、最近の我國民の氣力は……?

(平成28.1.7 執筆/同 5.4補筆)


伊原追記:エディソンについては、下記も頗るユニークで面白い評傳です。

  浜田和幸『快人エヂソン』 (日本經濟新聞社、平成8/1996.8.5)