國 語 の 淺 薄 化 - 伊原教授の読書室

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           國 語 の 淺 薄 化



伊原註:これは『關西師友』2015年十月號 8 - 11頁に載せた「世界の話題」(307) です。

    少し増補してあります。


    最近、下記を手に入れました。

      山口謠司『日本語を作つた男:上田萬年とその時代』

      (集英社インターナショナル、平成28/2016.2.29)

       2300圓+税

    500頁餘の大著ですが、讀みたくてうずうずしてゐます。

    帶の文句にかうあります。

      言葉で國を作らうと明治を驅けた男たちがゐた

      もうひとつの明治維新史──嵐山光三郎

      漱石の「日本語」は上田萬年の「日本語」だつた!──大岡玲


    讀んだら何れ報告します。

     (目下、伊原塾のロシヤ論の準備で忙しくて“積讀”中です)






 我國は明治以降、二段階で傳統を希薄化しました。

 明治十年代以降の文明開化、つまり西洋化にいかれた世代の出現が第一段階、

 昭和の敗戰後の米國化の波にいかれた世代の出現が第二段階です。


 明治の文明開化は「和魂洋才」と言ひつつ、

 明治十年代には、日本の歴史を學びたいと言つたベルツに、

 「我國に歴史はありません、これから(西洋を模範にした文明開化と共に)始るのです」

 と答へた帝大學生が象徴するやうに、和魂が薄まり始めます。


 この世代は漢文の素讀を止めた世代であり、

 鹿鳴館世代であり、

 西洋禮讃の白樺派の世代です。


 文語文を哀惜する山本夏彦は、

 頼山陽の『日本外史』(漢文)を讀んで育つた世代から

 讀まなくなつた世代への轉換に注目してゐます。


 我國の現代文は、漢文讀下し文と、和歌に代表される和文との合成ですから、

 國語習得には、漢文と和文(古文)の學習が必須なのです。


 「和魂洋才」以前に「和魂漢才」時代がありました。

 漢字が傳來した時、私達の祖先は返り點や一二、上中下を附けて

 漢文を國語で讀みました。

 漢字を訓借(意味利用)と音借(音聲利用)に兩用した

 古事記(和銅五/七一二年)を先づ出し、

 漢文で書いた日本書記はそのあと(養老四/七二〇年)です。


 萬葉集(奈良時代末〜平安時代初期)の萬葉假名から平假名が派生し、

 漢文讀下しの補助符號から片假名が生れました。

 漢才を利用して和魂を保全したのです。


 その日本人が明治の文明開化以來、洋才に壓倒され續け、

 昭和十六年十二月八日の大東亞戰爭開戰により、

 當時の知識人は漸く「爽快感」を滿喫しました。



           敗戰後のアメリカ文化崇拝風潮


 敗戰後、我國でアメリカ文化が一世を風靡します。

 その象徴が“Jack and Betty”といふ中學校の英語教科書です。

 日本人が外國語を學ぶのなら日本人を主人公にすべきなのに、

 アメリカ人を主人公にした。

 さうなると、發音も發想法も知識もアメリカ人が標準となり、

 それを學ぶ日本人は劣等感から抜け出られなくなります。


 さうではなく、“Taro and Hanako” といふ英語教科書を作れば良かつた。

 太郎と花子の近くにヂャックとベティが引越して來た。

 彼等は可哀相に日本語が話せない、日本事情も碌に知らない。

 そこで太郎と花子が英語で日本のことを解説し、

 彼等が日本生活に適應できるよう手傳つてやる、

 といふ筋書です。


 これだと日本人と米國人は對等です。

 英語で説明する内容は、自分らが熟知してゐる内容ですから、

 あとはそれを英語でどう表現するかだけ。

 發音も、米國人に通ずるレベルで良く、劣等感に陷ることもない。


 漢語導入の際に和魂を保持し遂げた我等の先祖は偉かつた。

 だから漢語の母國に劣等感を持たずに濟んだ。

 だがヂャックとベティを標準にした戰後の日本人は、米國と米國人に劣等感を抱きます。

 戰後教育の大間違ひの一つです。


 さて、本文の主題は、近頃の國語の問題點若干についてです。


 戰後の國語教育は、現代假名遣・略字・漢字制限の國語改惡を初めとして、問題山積です。

 學校教育もをかしいが、何より彼より、家庭の父母の國語が既に怪しいからです。

 祖父母が同居してゐれば誤用の多くが防げた筈なのに、

 燒け跡から出發した戰後の我國は、

 祖父母を含む一家が滿足に暮らせる家庭環境が乏しかつた。


 だからまともな國語が傳はらず、輕薄な新語や俗語、仲間言葉が横行します。

 近頃若者の言葉は、耳からでなく目から入つてゐて、

 「他人事」をたにんごとと讀んで憚らない。

 「他」が有らうと無からうと「ひとごと」としか讀みませんよ!



           國語の基本は漢文+和文


 現代國語の基本は、漢文の讀下し文と、和歌に代表される和文 (古文) ですから、

 その教育を學校できちんすること。

 あとは日常、現代假名遣を使はうが歴史的假名遣を使はうが好き勝手にして構ひません。

 土台構築後は、本人の自由に任せませう。


 扨(さ)て本論。

 最近の國語の氣になる風潮幾つかについて、これで良いのかと疑問をぶつけたい。



 第一は、受身の多用です。

 昔は「驚く」としか言はなかつたのに、今や「驚かされる」が蔓延(はびこ)つてゐます。

 これは明かに翻譯調。

 「催された」(催した)

 「扱はれてゐる」(扱つてゐる)

 「世界を震撼させた」(震撼した)

 「幾つも殘されてゐます」(殘つてゐます)

 「結ばれた」(結んだ)

 「側杖を喰はされる」(喰ふ)等々。


 大和言葉は自動詞中心の筈なのに、今や受身全盛。

 大和民族は自我を喪失したのか、と毒づきたくなります。



 第二、冗長散漫。

 「することができる」を多用。「することが」は餘計です。

 「生産することができる」(生産できる)

 「見通すことのできないもの」(見通せぬもの)

 「半分に減らし」(半減し)

 「取り消しできない」(取消せない)


 送假名多用も目に餘る。「少くなく」(少く)



 第三、東京方言ののさばり。

 童謠「みかんの花咲く丘」(作詞加藤省吾)は二番に

   「お船はどこへ行くのでせう」とあります。

 これを皆さん、「いく」と歌ひますが、「ゆく」が正調、「いく」は東京方言です。

 「行く」「言ふ」は「ゆく」「ゆふ」が基本です。

 戰前、「言つた」を「ゆつた」と發音する先輩が私の周圍に大勢居ました。



 第四に敬語の亂れ。

 敬語は相手への配慮の表現で、TPOで言葉遣ひを變へる國語獨特の表現です。

 國語の精髄であり、多言語使分けの基本ですから、

 徒(あだ)や疎(おろそ)かにしてはいけません。

 そして丁寧語は敬語ではありません。


 目下の者に「あげる」と丁寧語を使ふのはをかしい。

 「赤ん坊に乳をあげる」「犬に餌をあげる」(「やる」が正當です)。



 あと、幾つか氣になる最近の國語:

 「な」の多用。良かったな/したいな/慾しいな…… → 全て不要

  (心なしか、「甘え」てゐる感じがします)


 敬語の不 使 用:「……してくれた」 → 「……して下さつた」

 敬語の使用過多:「おっしゃられた」 → 「おっしゃった」で充分

 「晩」の不使用:「夜」の多用

   晩は日は暮れたがまだ起きてゐる時間帶

   夜は寝ている時間帶

 受け答えの冒頭に「さうですね……」の使用過多


 最後に語彙の過少。

 しなくてよい(してはいけない)漢字制限をしたため、

 國語の語彙が激減し、思考力低下を招きました。

 戰前は小學生も皆暗誦した教育勅語が、戰後は大卒でも讀めません。

 嘆かはしい限りです。


 「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ

 「世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス

 「爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ

 「學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シコ器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ

 「常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ

 「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」


 片假名に濁點半濁點がないのは漢文添書の名殘り、

 句點も讀點もないのは漢文(白文)に句讀點が無かつた名殘りです。


 私が戰後知識人の頭腦が戰前に較べて幼稚化したと痛感するのが、

 二二六事件の「蹶起趣意書」です。

 これは宣傳文書ですから、讀者は誰もが讀んで理解できた筈です。

 これから見て、戰後の日本人の國語驅使能力は格段に乏しくなつてゐますねえ……


 その一節を寫してみませう。


 「内外眞ニ重大危急、今ニシテ國體破壞ノ不義不臣ヲ誅戮シテ、

 「稜威ヲ遮リ御維新ヲ阻止シ來レル奸賊ヲ芟除スルニ非ズンバ皇謨ヲ一空セン。

 「恰モ第一師團出動ノ大命渙發セラレ、

 「年來御維新翼贊ヲ誓ヒ殉國捨身ノ奉公ヲ期シ來リシ帝都衛戍ノ我等同志ハ、

 「將ニ萬里征途ニ上ラントシテ……」


 江戸時代、武士や庶民の上層(知識人層)は藩校や漢學塾に行き、

 庶民は寺子屋で讀書算盤を習ひました。

 庶民は挿繪入りの讀本(よみほん)を讀むため寺子屋で文字を習つたのですが、

 彼等は實に平均三萬字以上の漢字が讀めた由です。


 それに較べて數千字しか學ばぬ戰後育ちの我等は、

 國語に關して“無知無學の徒”に墮してゐるのではありませんか。


 日本の大學卒業生ならば、戰前の書物は素より、

 日本の古典が讀めて當然と思ふのですが。



 追記:

   曾て または 嘗て を 「かって」 katte  と讀む人が少なからずいますが、

   これは 「かつて」 katsute と読むべきものです。

(平成27/2015.9.10/平成28/2016.3.11補筆)