先駆者の孤独

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伊原:これは 『 関西師友 』 八月号に掲載した 「 世界の話題 213 」 の増補版です。



           先駆者の孤独


     名著 『 象ハ鼻ガ長イ 』

  『 主語を抹殺した男:評伝三上章 』 ( 講談社、2006.12.10/1700円+税 ) を読みました。著者は金谷武洋 ( カナヤ タケヒロ ) 、 『 日本語に主語はいらない 』 ( 講談社選書メチエ、2002.1.10/1500円+税 ) 、 『 日本語文法の謎を解く 』 ( ちくま新書、2003 ) 、 『 英語にも主語はなかった 』 ( 講談社選書メチエ、2004 ) の著者です。


北海道生れで緯度の同じカナダに流れ、フランス語地域のケベックの大学に居据わるうち、日本語を教える羽目となり、気楽に引き受けたものの、学生の鋭い質問に四苦八苦し、三上文法に出会って疑問氷解、日本文の構造解析の難問を解決した経験を持つ著者が書き上げただけに、魂のこもった伝記に仕上がっています。


私は早い時期に 『 象ハ鼻ガ長イ 』 を読み、蒙を啓かれていたので、台湾で日本語を教えている先生方から 「 ハとガの違い 」 を訊かれてもたじろぐことなく正答できました。


     日本語文法の不備

  ケベックのラヴァル大学で日本語を教える羽目になった金谷さんは、自信を持って臨んだ日本語教育が、受講生の質問に答え兼ね、適切に理由を説明することが生易しい問題でないことを思い知らされます。


  第一弾:Je t'aime/I love youは 「 私は貴方を愛しています 」 ですね、と学生に訊かれた金谷先生、心中 「 違う、違う。日本人は絶対そうは言わない 」 と思いつつ、なぜそう言わないかが説明できません。この日本語は、日本で教えている日本語文法 ( 帝大教授橋本進吉の学校文法 ) では 「 全く正しい 」 のです。そして金谷先生がそれまで学生に教えてきたのはこの橋本文法だったので、 「 それは正しくない 」 とは言えない。悶々として帰路につきます。


第二弾: 「 貴方は何語がわかりますか? 」 という質問に対する正しい答は 「 日本語がわかります 」 だと説明すると、学生は主語は? と訊き返します。主語は省略されている、 「 私は日本語がわかります 」 でもよいと答えると、さらに質問あり、主語はどっち? と追及されました。ここで立往生。

  主語が 「 私 」 なら 「 日本語 」 になぜ 「 が 」 がつくのか? 橋本学校文法では 「 は 」 も 「 が 」 も主語を示すとしているではないか! 現に自分はそう教えてきたではないか!!

  学生は Je comprends le japonais/I understand Japanese のSVC構造が頭にあって 「 私は日本語をわかります 」 と訳すのが 「 正解 」 だと期待しているのです。


  学生の質問に答えられぬ屈辱と焦燥感に苛まれた金谷先生が、断じてこれを解明するぞと覚悟を決めたあと、日本の友人が三上章の 『 象ハ鼻ガ長イ 』 と 『 現代語法序説 』 を送ってくれ、これを一読して目から鱗、上記二つの疑問が氷解しました。


  日本語に主語は不要、述語だけでいい。 「 は 」 は主語でなく主題を示す。英語なら As for 〜/Concerning〜、中国語なら関於〜に当る。主題だから、文を超えて作用が及ぶ。三上はこれを 「 義経の鵯越え 」 になぞらえ、 「 は の ピリオド 越え 」 と表現します。


 伊原注:ここは英語 「 ピリオド 」 でなく、日本語で 「 句点 」 と言って貰いたいところです。しかし三上章は 「 義経の鵯越え 」 をもじったため、クテンと三音節でなく、ピリオドと四音節でなければならなかったようです。


例: 「 この本は題がいい。だから図書館ですぐ読んだ。とても面白かった 」


「 が 」 も主語を示さない。主格補語に過ぎず、だから文の不可欠の要素ではない。

Je t'aime./I love you. の直訳 「 私は貴方を愛します 」 は、日本語に不要な主語や補語を訳してしまうから 「 日本語としておかしい 」 のです。三上文法では、日本語は述語だけですから、 「 愛してる 」 「 好きだよ 」 だけでいいのです。


     三上文法は主語抹殺論

「 主語不要論 」 を機軸とする三上文法に習熟した金谷さんは、教室で学生に日本語の特徴を列挙します。

  1 ) 日本語は動詞活用なし ( 人称変化なし ) →学生は歓声を挙げて喜ぶ!

  2 ) 日本語=盆栽 ( 並列・分枝 )

   英佛語=主語先頭の末広がり

  3 ) 「 は 」 は主題を示す

  4 ) 虫の視点と神の視点

   日本語= 「 ある言語 」

   英佛語= 「 する言語 」


  4 ) の 「 視点の違い 」 は、少し説明が要りますね。川端康成の 『 雪国 』 冒頭の文、 「 国境の長いトンネルを抜けると、雪国であった 」 を、サイデンステッカー はこう訳しています。


The train came out of the long tunnel into the snow country.


日本語=読者は汽車に乗っていて、トンネルの闇から抜け出て雪国に入る。→虫の視点

英 語=読者はトンネルを見下ろし、主人公が乗る汽車の出現を見ている。→神の視点


金谷先生曰く、私の理論的土台は一貫して三上文法、そのおかげでどんな学派の言語学者にも説得力をもって日本語の構文を説明できるようになったと。そして、こんな素晴らしい日本語文法を編み出したのはどんな人生を送った人なのか、と探求を始めます。

その報告が本書なのです。


     天才三上章の生立ち

三上章の祖先は近江源氏に由来し、毛利と覇を争った尼子氏に到る。敗北後、三上を名乗り、広島県高田郡甲立村の豪農となる。この家系から著者は、 「 凛とした侍の佇い 」 と 「 反骨精神 」 を感じています。

  成績は良く、特に数学がよく出来た。易しい問題ばかりだと 「 解く気がしない 」 と回答用紙に○を書いて出し、図書館へ行って読書に耽ったそうです。本人は 「 気障 」 というが、粋に近いと著者は言い、三上が反撥するのは凡庸・虚偽・権威・虚栄心に対してだと解説します。 「 凡庸に甘んずるより不遜を選ぶ 」 三上の美意識!


  三高時代、既知数をabc、未知数をxyzとするのは日本人としておかしいと言い、イロハとセスンを使った。この三上の自尊心は、英語にあるから日本語にも主語がある筈というのは日本人としておかしいとする三上文法に通じます。


    伊原注:これがあるから、先程 「 句点 」 を持出したのです。


  三上の西欧至上主義反対に頗る近いのが、夏目漱石です。金谷さん曰く、三上にとっての英文法 ( 伊原注:日本の橋本学校文法は英文法を日本語に適用したもの ) は、漱石にとっての英文学である。漱石も、シェークスピア を 代表とする英文学は 「 普遍的ではない 」 と力説した。漱石もまた、西欧中心主義の危険性に気付いていたのだと。

  明治の欧化主義が漢方医・和算・邦楽等々、日本の伝統的なものを安易に切り捨ててひたすら西洋を崇めてきた事態への反撥です。


     創唱者の不遇

  昭和16年3月、三上章は新刊早々の佐久間鼎 『 日本語の特質 』 を読んで日本語文法に一生を捧げる決意をします。そしてその翌年に、早くも処女論文 「 語法研究への一提試 」 を発表します。これぞ、主語不要論やハとガの使分けという三上文法の機軸を打出した論文です。

  三上は無邪気にも、これで国語教育から 「 主語 」 が消滅すると信じましたが、そうはなりませんでした。権威者から 「 一介の教師風情が何を言うか 」 と白眼視されたのです。


 伊原注: 石井勲の効果的な漢字学習法が、文部省・国語学界・教育界からもメディア界からも完全に無視され続ける事実を想起します。この 「 業界エゴ 」 のおかげで、日本の子供や若者は日本語を身につけることなく学校教育を終えます。日本文化崩壊という由々しき大事が、専門家の独善のため、まかり通っています。


  先覚者は世に入れられぬことが多いのです。しかし外国人に日本語を教える場合、学校文法は使い物になりません。だから三上文法はまず外国で有名になり、日本でも徐々に浸透しました。

  『 象ハ鼻ガ長イ 』 は、今も売れ続けるロングセラーです。

( 平成19年/2007.6.18/7.1増補 )