戰後體制からの脱却 - 伊原教授の読書室

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        戰後體制からの脱却




伊原註:以下は『關西師友』平成27年/2015年五月號6-9頁に掲載した

        「世界の話題」302です。

        少し手直ししてあります。



  よい加減に“戰後”と訣別(けつべつ)したいのに、

  我國は未だにあの戰爭の“戰後”を引摺つてゐます。


  中國共産黨(中共)政權はそこに附込み、

  我國を永遠に“敗戰國”の地位に押込めようと“歴史の教訓”を押附けて來ます。


  あの戰爭の勝者米國も、

  我國を從屬させてをくのに都合が良いと見えて、

  日本が“戰後”状態に留まることに滿更でもない思ひの勢力も

  少なからず居るやうです。


  そして敗戰以來、我國では米國に迎合或は便乘して

  日本弱體化を歡迎する國民が輩出しましたから、

  内外呼應して我國の“戰後”脱出が遲れに遲れてをります。


  併し人は人、私達は自分で自分の前途を決めませう。

  私達はきつぱり“戰後”から脱出すべきであります。


  私は憲法改正反對論者です。


  改正するなら「大日本帝國憲法」の改正をすべきです。

  現行憲法は米軍が横車を押して勝手に日本に押附けた“占領基本法”なので、

  獨立後は“無效”として廢止して當然のものです。


  では何故、無效の筈の現行憲法を、日本國民は戰後七十年も後生大事に守つ來て、

  いまなほ占領時代の法規類が有效とされてゐるのか?




            占領は秩序維持だけの筈


  我國が戰後を長々と引摺るのは「次の戰爭」をしてゐないからだ

  ──といふ論者が居ますけれども、

  次の戰爭をするまでずつと“戰後”が續く

  ──といふのはをかしい。

  通常戰爭は、媾和條約で終りますし、

  戰後情況は、戰時體制が平和體制に轉換して終ります。


  戰勝國が敗戰國を占領するのは

  媾和條約を結ぶまでの間、秩序を保つためです。

  その間、被占領國の法律を變へる權利は國際法では認められてをりません。


  それを犯した“新憲法”は、精々のところ占領基本法に過ぎませんから、

  サンフランシスコ媾和條約を結んだ吉田内閣は、

  直ちに「占領期に出された法律は全部無效とする」と宣言すべきでした。

  そして

    「但しそれに代る新法を制定施行するまでは、現行法令を暫く有效と認める」

  ──と附加へて過渡期を乘切れば良かつたのです。

  この切替へにより、我國は名實共に獨立國に復歸できた筈です。


  それに、吉田茂は輕武裝論者ではなく、普通武裝論者です。

  それが新憲法を楯に輕武裝を貫いたについては、それなりの理由がちやんとあります。


  日本が米軍から再軍備を迫られるのは、

  朝鮮戰爭で日本占領軍が朝鮮に移動し、

  日本の防衛が、がらすきになつたからです。


  でも問題がありました。

  日本が再軍備すると、日本軍が朝鮮戰爭の最前線で使はれる恐れがありました。

  そこで吉田茂は占領軍が制定した“新憲法”を楯に、

  警察豫備隊、つまり國内の治安維持專用の輕武裝に留めたのです。


  米軍は其後ヴェトナム戰爭もやり、韓國軍を使ひますから、

  日本としては“新憲法”を下手に弄(いぢ)るより、

  表面守り續けて經濟成長に專念する方が國益に役立つと見て、

  當然廢止すべき“占領基本法”を“新憲法”として守り續けました。


  ここに日本の“戰後”の大きな歪みの根源があります。




            占領下の弱體化策を引摺る我國


  米占領軍は、負け軍(いくさ)になつても降伏せず徹底的に戰つた我國を恐れ、

  二度と大戰爭が出來ぬやうに、我國の國家構造の各所に日本弱體化の仕掛けをしました。


  重武裝できぬやうに輕工業段階に引戻す政策はさすがに朝鮮戰爭で轉換したものの、

  それ以外に例へば皇族を減らして皇室の子孫斷絶を狙つたし、

  長子相續を均分相續に變へ、家族の解體、個人の孤立化を劃策しました。


      人は集團の中に生れ、集團生活し、集團の中で消えて行きます。

      だから家族や近隣社會は極めて大事なものです。

      個人の過度の尊重は、共同體の維持に弊害を及ぼします。

      それを百も承知の上で、所謂“新憲法”は個人主義を頗る強調するのです。

      例:第11條  國民は全ての基本的人權の享有を妨げられない。

          第13條  全て國民は、個人として尊重される。

          第24條  婚姻は、兩性の合意のみに基いて成立し……


  日本弱體化の占領政策中で弊害が大きいのは國語の改惡です。

  米占領軍が(我國の國語學者を使つて)假名遣を變へ、略字を多用し、漢字制限をした

  主目的は、戰後育ちに戰前の書物文獻を讀ませぬためです。


  ですから戰後育ちは、文豪の作品まで文章を書換へて貰はないと讀めなくなりました。

  文學作品の文章を書換へるのは國語の改竄であり、文化の變質ではありませんか。

  その弊害たるや甚だしいのに、誰も疑はず、この國語改惡をいまだに

  國家を擧げて後生大事に守つてゐるのは、奇怪極る事態です。


  言葉は人の基本であつて、發想法・行動樣式の基(もとゐ)です。

  だから輕々しく手を加へてはいけません。

  それなのに我國は占領下でいぢつてしまひました。

  この輕率さこそ、戰後の日本人がをかしくなつた原因の基本中の基本です。


  漢字は象形文字で、識別し易い。

  アップルコンピューターが?讃されたのは

  アイコンを導入して、一目で判別できるやうにしたからですが、

  漢字は元來繪文字なのです。

  漢字假名混り文は速讀できます。

  平假名ばかりの文章と、漢字假名混り文を並べて見れば、その特徴が良く判ります。


  江戸時代、庶民は挿繪入りの讀本(よみほん)を讀むため寺子屋で讀み書きを習ひましたが、

  彼等は漢字を三萬字以上知つてゐたさうです。

  子供は柔軟で、その吸收力は驚異的です。

  それを大人が勝手に「子供には難しからう」と教へる漢字の數を減らせば、

  子供の頭は粗雜になるだけです。


  また、現代假名遣の出鱈目さは言語道斷と言ひたいレベルです。

  中でも、破裂音ぢづを摩擦音じずで代替するのは奇怪至極です。

  ぢづとじずをきつちり使ひ分けないと、フランス語の「私」(ジュ)が發音できません。


  フランスではアカデミーがフランス語の磨き上げに絶えず目配りしてゐると聞きますが、

  我國の學術會議や國語學者は國語の改善のために一體何をやつてゐるのでせうねえ?


  國語改惡で私が最大の問題點と考へるのは、語彙の激減による知識人の思考力の低下です。

  戰前の書物を讀む度に、その豐かな語彙と多樣な表現力に感嘆します。

  今の若者は學卒でも、戰前小學生が暗誦した教育勅語が全く讀めません。

  情ない限りです。




            戰前の文章を讀む訓練


  いまさら元へ戻せとは言ひません。

  略字と現代假名遣がこれだけ普及定着すると、

  これを元の正字・歴史的假名遣に戻すのは大變な作業となりますから。


        實は、大變な作業でも何でもありません。

        政府が方針を定め、小學校で正字・歴史的假名遣を教へれば濟むことです。

        台灣人は戰後、蔣介石軍に占領されて、日本語・台灣語しか知らなかつたのに、

        忽ち北京語に切替へてしまひました。

        同じ國語で字體と假名遣を變へることなど、いとも簡單な事態です。


  でも、少くとも次の二つのことは直ちに實行して良いと考へます。


  第一、國語の基本構造を學校でちやんと教へること。

          福田恆存の「私の國語教室」が良き參考文獻になる筈です。


  第二、戰前の文章を讀む訓練を學校教育に取入れること。

          現代日本語は、和文と漢文の組合せですから、

          漢文の讀下し文と和文、特に和歌俳句を學校で教へて置くのが良いでせう。

          家庭では百人一首を正月に取らせれば宜しい。


  學校で國語の正統に一通り接觸し、違和感をなくして置くのが大事です。

  ちよつと齧つて置けば、必要に應じて自習自得できますから。


  今の儘、占領下の「日本弱體化」策を拳拳服膺し續ける“戰後”が續けば、

  日本文化が完全に變質し、日本人が日本人らしくなくなります。


  現に、日本人らしくない日本人があちこちで繁殖しつつあることは、

  皆さん、新聞テレビで日常御覧の通りです。


  今ならまだ、

  戰前の日本文化を體現した日本人が多數居て、何とか傳統を保全できますから。


  手遲れにならぬうちに「正統日本文化」の復活を圖る必要があります。


  身についた形で日本文化(その核心が國語です)を傳へるには、

  三世代同居の家庭をできるだけ澤山復活することです。

  日常茶飯のうちに日本文化を體得するには、爺婆が孫と同居する必要があるからです。

  父母は人生經驗未熟で、子供に傳へるに足るだけの國語や日本文化が身についてをりません。


  手遲れにならぬうちに戰前の良き傳統を生かすための手を打つ必要を痛感します。

  そのためには、戰後七十年、延々と引摺つて來た“日本弱體化占領政策”を

  綺麗さつぱり清算せねばなりません。

(平成27/2015.4.1執筆/9.25加筆)