> コラム > 伊原吉之助教授の読書室
香港デモ、習政權に難題
伊原註:この一文は、『關西師友』平成26年/2014年12月號 10-13頁に掲載した
「世界の話題」第298號 です。
少し補足してあります。
日本近隣に“難儀な國”二つ
日本は明治維新以來、隣の朝鮮・清朝との附合ひに苦勞して來ました。
しかし、この二國が本當に近所迷惑な國であると判つたのは、
やつと最近のことです。
伊原註:これまで我國の人々は、これら二國にずつと好意的であり續けたのです。
それなのに、これら二國は、日本を貶めることで生延びようとしてゐます。
物事の本性を見抜く難しさが判ります。
中共政權がにはかに高壓的になつたのは、
本誌『關西師友』 8月號の「清末に似る中共習政權」に書いたやうに、
北京五輪やリーマン・ショックがあつた 2008年のあとです。
彼等は凋落する米國を輕蔑し、自信を持つて意の儘に振舞始めたのです。
習近平が胡錦濤の後繼に決つて以來ですから、
習近平が強氣の牽引役と見當がつきます。
中共政權は、版圖を大擴張した清朝の後繼王朝として、
領土や勢力圏の擴張に意慾滿々です。
ケ小平は配下に
「韜光養晦、有所作爲」
(北京語讀み:タオクワン ヤンホエ、ヨウスオ ズオウェイ)
(能力を隱して實力を養ふ)
と諭(さと)しましたが、
新米トップの習近平は國力と自分の實力を過信して
「中華民族の偉大な復興の夢」實現の秋(とき)が來た
と逸(はや)つてゐます。
習近平の狙ひは「中共政權の正統性の實現」です。
それには、太子黨が後繼せねばならぬと考へます。
江澤民一派も、胡錦濤の共青團一派も正統性を欠いた成上り者だから排除する。
由緒正しき太子黨、つまり革命第一世代の子孫が施政權を掌握すべきである、と。
“血統”が正統性の根據になると考へる處がいかにもシナらしいですねえ。
おまはんら、二十一世紀の住人かねえと訊いてみたくなります。
このシナ的邊境吸收合併壓力に抗する學生運動が、台灣と香港で發生しました。
台灣では 3月から 4月にかけて、
中共政權の經濟的併呑の動きに反對する「ひまはり學生運動」が起きましたし
(本誌 5月號の「台灣のひまはり學運」參照)、
香港では繁華街の幹線道路に坐込んで占據する「雨傘革命」が 9月末に始り、
11月 6日現在なほ進行中です。
この扱ひ方如何では、感化力の弱い習政權の命取りになり兼ねません。
伊原註:戰後の當用漢字では「座り込み」と書かせますが、大間違ひ!
屋根のある「座」は名詞、屋根のない「坐」が動詞ですから、
「すわりこみ」は「坐込」と坐を使ふべきです。
それと、今の日本文、特に新聞の日本文は送假名を送り過ぎです。
讀者は無學と見て“判り易いやうに”と餘計なお切介をしてゐるのです。
馬鹿丁寧に送るので、文章が間延びしてしまひます。
現代日本語の起源の一つが「漢文讀下し文」で、
送假名は最小限度にしか附けません。
皆さん、人を導く立場の人には、引締つた文章を書いて戴きたいものです。
間延びした文章では、人に訴へる力はありませんよ。
「冗長」は駄目、物事は全て「簡潔」「明快」を以て良しとす。
「一國兩制」と「普通選擧」を公約
香港の學生が今回、幹線道路遮斷の坐込をするに到つた直接の發端は、
8月31日に全人大常務委員會が、
次期香港特別行政區長官の選擧で實施する“普通選擧”から
民主派閉出案を採擇したことですが、
ここに到るまでに長い前史があります。
香港はご存じのやうに、
「一國兩制」
(一つの國に二つの體制)
伊原註:中國語で「制度」とは資本主義・社會主義のことですから、
日本語には「體制」と譯すべきです。
を約束した中英交渉により、
1997年 7月 1日、英國から中國に主權が戻りました。
其後 50年間の“現状維持”が保證されたのです。
現状とは、資本主義體制の維持と香港人による香港統治(港人治港)です。
香港基本法の中に「普通選擧」の約束が書込まれました。
「主權返還」を受入れ易くするための「甘い言葉の約束」でした。
但し、これが「國際的公約」であることにご注意あれ!
私は中英交渉時から事態を詳しく觀察し、論文や講演で報告しましたが、
中共獨裁政權下で西側の體制が半世紀も維持できるとは思へませんでした。
そして豫想通り返還後、香港への統制強化が“ゆつくり着實に”進みます。
兆候一:ケ小平の獨斷獨善。
中英交渉中、香港評議會の議員は中英交渉への香港代表の參加を求めました。
所が彼らが訪中すると、ケ小平は呼附けて面罵します。
「香港代表など不要。我々の決定が香港人の爲になるに決つてゐるのだ」と。
お前ら中國人なら中國の指導者に從へ! との叱責です。
中國人の專制體質丸出しの發言です。
中共の香港統制の下準備の數々
兆候二:中英交渉でサッチャー首相が
「金融センターの香港に軍隊駐留など有害無益」
と言ふとケ小平は激怒し、
中國領に中國軍なしでは濟まぬと押切りました。
中共は中英交渉前、數萬人もの特務を香港に送込みました。
(台灣の中國國民黨の機關紙『中央日報』の當時の報道による)
その任務は、各街區毎に騷亂分子を把握監視し、
彼らが騷動を起こす前に一網打盡にすることでした。
中共は、英國が交渉の途中で香港の金融市場をぶち壞す事態を“豫想”してゐたのです。
彼等は、自分らがしてきたことを相手もすると信じて手を打つたのです。
兆候三:最後の香港總督パッテンが 1992年、
返還 5年前に議員を普通選擧で選びました。
所が中國は、返還後全員罷免してしまひます。
自分の手で選ばないと安心できなかつたのです。
兆候四:愛國教育の押附け。
2012年 7月、梁振英行政長官は中國の意を受けて香港の小學校に
9月の新學期から「道コ・國民教育」を導入すると發表。
その教材が中共を禮讃してゐたことから、洗腦反對の 9萬人デモが展開します。
梁振英長官は「導入の判斷を各學校に任す」と讓歩しました。
このデモで 15歳の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)といふ指導者が現れ、
今回の學運も 17歳で指導してゐます。
兆候五:言論統制。
實例は數々ありますが、
當局の手先と見られる“惡漢”が民主派寄りの『明報』や『蘋果日報』を襲ひ、
元編集長を傷つけたり 、(“見せしめ”です)
發送前の新聞 1萬5000部を汚して使へなくしたり、
大型トレーラーで新聞社ビルを圍んで配送業務を妨害したり、
等々の嫌がらせをしてゐます。
兆候六: 6月10日の國務院『香港白書』(『一國兩制白書』)發表。
これで
「香港の高度の自治は香港固有の權利ではなく、
「中央指導部の承認を經て初めて行使できる權利である」
「中央政府は香港に對して全面的な管轄統治權を持つ」
と規定しました。
これだけの準備を經てやつと
「普通選擧の實施」
を發表したのです。
中共がいかに叛逆(の種)を恐れてゐるかが判ります。
表の強面(こはもて)は、
裏の戰々兢々を隱す假面なのかも知れません。
「眞の普選」を求めて學生蹶起
さて、香港の行政長官選擧の話です。
8月31日、全人大常務委の李飛副秘書長が北京で記者會見し、
2017年の次期選擧から普通選擧を實施するが、
「指名委員會」の過半數の推薦を得た者しか立候補できぬ──
と發表しました。
これで「民主派」の立候補は無理と判明しました。
かねてから香港の民主派はこのことありと豫期し、
金融街である香港島 セントラル(中環)の占據を豫告してゐました。
ニューヨークで起きた「ウォール街占據」に倣(なら)つたのです。
伊原註:「ウォール街の占據」は、
米國の人口の僅か1%が國富の大半を握つてゐる事態に憤慨した人々が
「我々 99% が富の源泉地 ウォール街を占據しよう」と呼掛けて
始めたものです。
學識者 (大學教授) や民主派議員が金融センター前の道路を占據し、
警察に逮捕されたら香港の長官選擧が世界各國の注目を浴びる、
──との發想でした。
でも台灣の「ひまはり學運」に刺戟されたのか、識者に先んじて學生が動きました。
以下、9月下旬の街頭デモ開始を日誌風に書くと──
22日 大學生(香港學聯)が「全人大の決定撤回」「眞の普通選擧」を求めて
新學期の授業ボイコット開始。21校 1萬3000人が參加。
大學教員 380人が支持聲明
23日 學聯、梁振英行政長官に對話を要求
26日 高校生 1200人も授業ボイコットに參加。學生數千人が坐込抗議開始
27日 警察、坐込學生を催涙彈・催涙スプレーで強制排除。學生 70人以上を逮捕
28日 民主派、10月 1日 國慶節當日開始豫定の「和平占中」を前倒し開始
→ これが占據開始の初日となる
29日 『人民日報』が批判記事:
「英國は香港統治 150年の間に 1日も民主主義を實施せず」と揶揄
(これは嘘。戰後、香港で普選を實施しようとした英國は
(周恩來や廖承志から、英國が香港で選擧を實施したら
(武力で阻止するぞと脅され、選擧の實施を斷念したのです)
デモ隊、中環以外でも坐込/拘束相次ぐ/香港の株價下落/
警察、87回催涙ガス發射/これを防いだ雨傘から「雨傘革命」の名興る
30日 街頭坐込デモ、10萬人を超える
敵を量産する習政權の前途は?
「眞の普通選擧」を求める香港の街頭坐込みデモは
11月に入つてもまだ續いてゐます。
伊原註:12月に入つてもまだ續いてゐます。 (末尾に「その後」を書きます)
學聯と香港政府の對話は行はれましたが、
北京子飼の香港政府に全人大常務委の決定を變へる意志も能力もなく、
學聯は坐込を續けるほかないのです。
習政權は、11月 7日に北京で始るアジア太平洋經濟協力會議が終るまでは靜觀の一手です。
10月11日附『人民日報』が香港の抗議デモを
六四天安門事件同樣「動亂」と決附けたのが不氣味ながら、
習近平國家主席は、武力鎭壓を提言した梁振英行政長官を一喝して止めさせた由。
本土ならぬ「特別行政區」香港のデモは
18期四中總會で決めた“法治”で處理するつもりのやうです。
習政權は「香港のデモの蔭に外國勢力あり」と言ひ、
それを取締まるため 11月 1日、
全人大常務委が「反スパイ法」を制定發布しました。
これで意に染まぬ者を片つ端から排除するつもりです。
でも獨裁國の“法治”は香港の「一國兩制」を潰し、台灣が統一から益々遠ざかります。
習政權の“綱渡り”が續きます。
(平成26/2014.11.6/12.10補筆)
香港の學運・其後
10日に補筆して「21世紀日亞協會」に送らうとしましたが、
香港の學運が終りかけてゐる樣子だつたので、暫く樣子を見ました。
終を豫想した理由は幾つもあります。
(1)習近平が香港學運の取締を抑えた最大理由であつた APEC が終つてゐること、
(2)街頭占據者の人數が激減してゐること、
(3)香港政府も中共政權も讓る氣配が全く無いこと、
(4)香港のバス會社や商賣人の不滿が高まり、
提訴に應じて裁判所が撤去命令を出したこと、
などです。
雨傘學運は 11月末に一騷ぎ起きます。
きつかけの第一は、
11月29日に、香港の民主派に
「和平占中」(セントラル の道路を平和裡に占據する)
を呼掛けた發起人の一人 香港大學法學部准教授 戴耀廷 が
學生に撤退を呼掛けたことです。
その理由に曰く、
「真の普通選擧」を求めるための政治的節目が今後半年以内にまだ二つある、
制度改革案が立法會 (議會) に「提出」される時と「承認」される時である。
先は長い、長期戰に備へて街頭占據は引揚げてはどうか──
と提案しました。
學聯は、まだ成果が得られてゐないから、として受入れません。
きつかけの第二は、
バス會社の提訴により、香港高等法院が12月 1日に道路占據禁止命令を出すと
判明したことです。
きつかけの第三は、
行動を求める強硬派が、道路に坐込むだけの穩健派を刺戟したこと、
及び坐込みが何ら政府の讓歩を引出してゐず、
この成果の無さが穩健派を苛立たせたこと、
この二つが、穩健派を行動に驅立てました。
11月30日晩、香港島中心部の金鐘 (アドミラリティ) で大規模集會を開き、
4000人で政府本部廳舎を取圍みました。
香港學聯の秘書長 周永康は
「政府が回答しないため、壓力をかける必要あり」
と説明してゐます。
12月 1日、これを警官隊が排除し、流血騷ぎに發展しました。
私はその映像を見ましたが、多くの學生が警棒で毆られ、
頭から血を流してゐました。
學生ら坐込み者四十人が逮捕されてゐます。
そして12月11日、坐込みの最大據點だつた金鐘で警察隊による強制排除が始り、
民主派の大物、李柱銘 (マーティン・リー) や
民主派支持の『蘋果日報』の黎智英 (ヂミー・ライ) 會長を含み、
四百餘名が逮捕されました。
殘る銅鑼灣 (コーズウェイベイ) の強制排除は、15日の月曜日に行はれる豫定です。
斯くて二ケ月半、七十餘日に及んだ香港の「眞の普通選擧」を求める雨傘運動は
一段落しました。
學生達は、「また來るぞ!」と言つて街頭から引揚げましたが、
中共相手の鬪爭は前途多難が豫想されます。
このあとを見守りたいと思ひます。 (12.14記)