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宮崎正弘『台灣烈烈』
伊原註:これは『關西師友』2014年10月號 12-13頁掲載の「世界の話題」296 です。
掲載が遲れたことをお詫びします。
台灣については書きたいことが一杯ありますが、限りがないので短くしました。
少々増補・注記してあります。
世界は混沌に向つてゐるのか?
畏友宮崎正弘さんから新著を頂きました。
新著の標題は以下の通り。
『台灣烈烈──世界一の親日國家がヤバイ』
(ビジネス社、平成26/2014年9月21日)
著者は「宮崎正弘の國際ニュース・早讀み」で國際問題の最新ニュースを分析して
讀者の蒙を啓いて尊敬されてゐる人です。
身輕に世界中に飛んで現場を踏み、
英語や中國語を驅使して經濟を基礎に獨自の政治分析をする人です。
その情報分析の達人が「台灣がヤバイ」と言ふ。
ナニナニ?
本書は『私的台灣現代史』なんだと「あとがき」で著者が解説してゐます。
日台斷交後に台灣との縁を深めたのは、私と同じ。
共通の知人も多く、頗る興味深く讀みました。
台灣については、
私も書きたいこと言ひたいことが盡きぬ中、
テーマを三つに絞ります。
第一、「美しい日本語は台灣に學べ」(第三章)。
戰後の日本では國語が亂れた(特に若者)が、
台灣には美しい日本語を話し、
更にそれを磨き上げようとしてゐる人たち(友愛會)がゐる、
といふ話です。
日本の半世紀に亙る台灣統治は、
日本語を日本人以上に見事且つ優雅に操る人を生み出しました。
辜振甫さんが實に上品で奥床しい日本語を話しましたし、
楊雲萍台灣大學教授は
「私は日本人より日本語の妙に通じてゐる」
と誇つてゐました。
でも戰後、台灣人の日本語力はどんどん低下して、
「あなた樣は」と敬語のつもりで「貴樣は」と言つて
相手の日本人を激怒させ、
場をぶち壞した日本語通譯が居たりします(75頁)。
言葉が耳からでなく目から入り、經驗不足を勝手な類推で補ふからです。
伊原註:最近、この通譯並の日本語しか操れない
情けない日本人が殖えてゐるやうに思ひますが……
水面を「みずも」と言つたり、
「女一人」に出てくる歌詞ですけれど、
デューク・エイセスは後になつて改めましたが、
フォレスタは、注意してくれる長老が周圍に居ないと見えて
「みずも」の儘歌ひ續けてゐます。
他人事を「たにんごと」と讀んだり、 (NHK のアナウンサー)
流刑を「りゅうけい」と發音したり……
母國語が耳から入つてゐない上、
注意してくれる年長者が周圍に居ないのでせうねえ……
人生經驗未熟な若い父母に育てられたのでは、
日本文化は子供たちに充分には傳はりませんね。
日本の若者は祖父母と同居しなくなつたこと、
台灣の場合は教科書から學ぶのが、言葉が劣化する原因です。
日本の若者に言ひたいのですが
長老に接しないと、良き傳統が斷絶するのですよ。
それでも最近、台灣の若者がアニメへの興味から
日本語を學ぶやうになつたのが希望を?ぎます。
幅廣い日本文化への關心が基本にあるからです。
“意味が通ずれば良い”といふレベルの言葉では、「文化」は傳はりません。
自己確認できれば台灣は大丈夫
第二、台灣にも「反日派」が居ること(32頁ほか)。
日本人の多くは李登輝さんを通じて、台灣は親日一色と信じてゐますが、さうではない。
台灣と日本の似た點の一つが、世代の色分けです。
戰後育ちの壮年世代は、
台灣では中國國民黨の反日教育を受けて、大中華派や日本に冷たい人が少なくありません。
日本でも日教組に洗腦され、日本惡者論に染まつた人が珍しくない世代です。
これに對し、老年世代は、蔣家獨裁下で「日本の良さ」を再認識して、親日的です。
日本の老年世代は、戰前の日本の良さを承知してをり、
占領史觀や、日教組の反日史觀に免疫があります。
三十歳以下の若い世代は、自分で考へる世代です。
台灣では、李登輝總統による脱中國國民黨時代から
民進黨陳水扁政權時代の「台灣意識」昂揚時代に育つたからです。
日本でも若い世代は、日教組や占領史觀の影響が薄い。
馬英九政權の對中接近に反對した台灣のひまはり學生運動は
この若い世代が發起しました。
將來が矚目される世代です。
第三、その台灣がヤバイのは、
親中の馬英九中國國民黨政權が復活したからです。
台灣人は漢族でないのに、自分たちを漢族と誤認し、
日本の敗戰後、中華民國を“祖國" と誤認して獨立を選ばず、
國民黨の異民族支配の下で塗炭の苦しみを味はひました。
台灣人は大陸から渡來した漢族の子孫ではなく、
原住民「平埔族」へいほぞく (平野に住んでゐた原住民) の子孫なのです。
そのことは、複數の台灣人醫師により、
台灣人中、八割のDNAが大陸の漢族とは全く違ふと實證濟です。
伊原註:このことを知らぬ台灣人が少なからず居ます。
大陸から台灣に渡つて來た漢族は男ばかり。
その大半は傳染病・風土病にかかつて死ぬか、大陸に逃げ歸りました。
例外的少數が平埔族の女と結婚します。
子供は漢族の血と原住民の血が半々。
その子が原住民の女と結婚すると子供の漢族の血は四分の一、
その子の漢族の血は八分の一……とどんどん原住民の中に消えて行きます。
清朝が台灣を領有したのは、叛亂分子の據點にさせぬためで、
長らく渡航禁止でした。
清佛戰爭後、列強の手に渡らぬよう、やつと少し統治します。
その際、漢族の税金が一番安く、混血がその次、原住民の税金が高かつた。
そこで原住民は爭つて「漢族」になりたがつた。
ですから、漢族名を名乘ることを許された時、
原住民は爭つて漢族風の三字名を名乘り、
系圖を買つて漢族に化けたのです。
一説によれば、台灣人の系圖の九割九分は偽物の由。
上記のやうに、台灣人の大部分はマレーポリネシア系の原住民で、
漢族の血はほんの僅か。
にも拘らず、台灣住民は 2008年の總統選で、
又もや國民黨政權を選んだ。
「又もや」といふのは、一度目は日本の敗戰時、「祖國復歸」と誤認したから。
いや、實は 2008年の總統選では、
「國民黨政權を選んだ」といふより、
初の民進黨陳水扁政權の餘りのだらしなさに愛想をつかした反動で
馬英九に投票しただけなのですが。
馬英九は「究極の統一」を公言してゐたのに、
その危ふさを輕視したのです。
でも選んでみて、
馬英九中國國民黨政權の對中接近政策が台灣の爲にならぬことに漸く氣附き、
馬英九中國國民黨政權に NO! を突附けたのが、
若い世代のひまはり學生運動でした。
私は台灣の前途に樂觀的です。
“二度あることは三度ある" の危險を孕みつつも、
“三度目の正直"で、
今度こそ台灣人は
“自分の道は自分で決める”
獨立自主の道を
進む筈だからです。
伊原追記:
吉村剛史 産經新聞記者が、台北支局長の經驗を踏まえて
注目すべき新説を唱へてゐます。
台灣人は、馬英九總統 (中國國民黨主席) に表彰状を捧げて然るべきだ、
といふのです。
表彰すべき第一の點は、
馬英九總統が就任以來、親中政策を實施したことです。
馬英九の 最初の政策が三通の實現でした。
そして中國人を觀光客として大量、台灣に招きました。
それで台灣人は身近に、日常的に中國人に接し、
自分らは中國人でないこと、
台灣文化は中國大陸文化とはつきり違ふことを自覺しました。
台灣意識が俄然、高まつたのです。
これは實 (まこと) に目覺ましい「馬總統の中國接近策」の成果でした。
表彰すべき第二の點は、對中接近の危ふさの周知徹底です。
だから馬政權は台灣人から、對中接近し過ぎと敬遠され、
支持率がどんどん減つて 10% 前後にまで落ちてしまひました。
馬英九政權が弱いから、中共政權は馬總統に、強い要求が出せない。
それどころか、もつと台灣人が喜ぶやうな政策をとつて馬政權を支援してやらないと、
次の選擧で國民黨が政權を失ひ兼ねない。
馬政權は、親中政策を採つたが故に支持率が減り、
支持率が減つたが故に、中共政權は馬政權と台灣を
「大事に大事に」扱はねばならぬ羽目に立ち至つたのです。
馬英九總統の立場が台灣内で強ければ、中共はもつと多くの要求を出して來たらうが、
弱いから出せない。
つまり、今台灣は、中共の強い要求を抑え、優遇を求められる良い位置に居る。
これが民進黨政權なら、中共はもつと強い壓力を掛けて來ただらう。
馬英九政權が安定してゐても、強い壓力が掛かつた筈。
親中で弱いから、
台灣は中共の強い壓力を蒙ることなく、
恩惠を求められる“具合の良い”立場にあるのだ、と。
この論理は實に面白い。
逆説的といふか、辯證法的といふか──
さてさうなると、重大な疑問が生じます。
二年後の總統選では、台灣は誰を總統に選べば良いのでせうかねえ???
(平成26/2014.9.9/12.8追記)