私たちに敵と戦う用意があるか/美と崇高への献身を取り戻せ

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伊原注:以下は 「 正論 」 ( 『 産經新聞 』 平成19・7・18掲載 ) の原稿です。掲載分は、題名に編集者が手を加え、量を減らしました。これは、元の文章に少し手を加えたものです。



 私たちに敵と戦う用意があるか/美と崇高への献身を取り戻せ


   ──日本の良さを発揮すれば世界文明に貢献できる──



   昭和と平成の敗戦

  クラウゼヴィッツを引くまでもなく、人生の半分は戦いである。戦時は武器による殺し合い、平時は武器以外のあらゆる手段をもってする権益確保の戦い。そして人生の残り半分は、クロポトキンがいうように、相互扶助である。どちらか一方だけでは人生が完結しない。


  幕末、砲艦外交によって開国を迫られた日本は、旺盛な闘志を秘めつつ、国家の生存発展に努めた。ところが日露戦争に勝って安全を確保したとたんに国家目標が曖昧化して闘志を弱め、守勢に入った。その間、官僚制が跋扈し、国家戦略が曖昧なまま受身の戦争を繰返した揚句、敗戦を迎えた。


戦後、戦争を放棄して米国の保護下に甘んじてきた。占領軍の日本弱体化憲法を独立回復後も後生大事に守り、戦いの担い手である男の子に 「 戦争ごっこ 」 を禁じ、 「 大人しくせよ 」 と言って野性の発散昇華の機会を奪い、女性は結婚相手に 「 優しい人 」 を望んで男に 「 雄々しさ 」 「 勇ましさ 」 を発揮させなかった。戦後、復興から成長へ経済一辺倒で突進した日本は、企業戦士として他企業と戦うほかは争わず、ために男は軟弱化・中性化し、国益追求のための闘争さえ、政府も官僚も政治家もしなくなった。


   強い人こそ優しい人

  『 国富論 』 で有名なアダム・スミスは、国家の基本任務を三つを挙げる。外敵防衛と治安維持、そしてインフラ整備。経済では国家は当事者ではなく、ルールを守らせる審判だとした。これをラッサールは 「 夜警国家 」 だと揶揄したが、国家の基本任務の指摘として鋭い。ところが戦後の日本は、国防も治安維持も情報の蒐集分析もおろそかにしたまま時を過した。専守防衛を任務とする自衛隊は、法制不備のため自衛さえできず、デモ隊からは警察に守って貰わねばならぬ状態で放置されてきた。防衛省の中枢は警察官僚が握ったままである。


  私たちが銘記すべきは、政府の存在根拠は国民の保護と国益追求にあるということである。その任務を放棄したり、外国に委ねたりすることは許されない。 「 天ハ自ラ助クル者ヲ助ク 」


  歴史を読むと、私たちの先祖は実に素晴らしい国をつくってきた、と感嘆する。その日本を 「 悪いことをしてきた国 」 と教えた戦後教育は、根本が誤っていた。間違った教育を刷込まれた日本人が殖え、無責任がはびこっているが、人を育て損ねた結果にほかならない。日本弱体化を狙った占領政策と、反体制派の日本弱体化政策とが日本の権力構造の中枢にまで浸透していたのだ。


最近、やっとその是正の動きが出てきたが、まだまだ戦後価値観が跋扈していて、その壁は突破できていない。 「 尊敬できる日本人 」 は期待できるほど多くはない。


尊敬できる人とはどんな人か? 外見上は 「 背筋をピンと伸ばした人 」 、内実では 「 得たものの半分以上を人に分け与える人 」 、そして何より 「 社会正義のために戦う人 」 である。

  具体的には、広瀬武夫のような爽やかな人を想起されよ。


   美と崇高への献身

  戦うには相手がある。それは一体誰か? 自分の究極の相手は、自分自身である。自分の怠け心、安逸を求める心、現状に満足する心、等々。武道とは、相手に勝つ前に、自分の弱さを克服するための道であった。だから寒稽古そのほか、厳しい修行が要るのである。 「 君はそのままでいい 」 などという状況是認は、克己心を眠らせ、抵抗力を奪う悪魔の囁きにほかならない。坐禅や静坐、瞑想も克己に役立つ。


ジェイムズ・ヒルトンは、 『 チップス先生、さようなら 』 で十九世紀から二十世紀への転換期にパブリックスクールで教えたチップス先生の悲哀を描いた。 「 チップス先生の知識の大部分は時代遅れで生徒に無益のものだ…… 」 。科学技術の進歩は人々の知識を陳腐化し、世代間のずれを生む。年寄りとは、御用済みの知識を一杯抱え込んだ人である。


  だが人生には、変る部分と変らない部分がある。人間の生き方には古今東西不易の部分があり、だから古典が今も味わうに足る教養となる。

  人生の変らぬ部分とは伝統であり、価値あるものを子々孫々に伝える作業である。改革とは、伝統を保持した上でなされる部分的手直しに過ぎない。


  日本が子々孫々に伝えるべき伝統とは何か。天皇に象徴される美と崇高への献身である。天皇の主要任務は、五穀豊穣と民の安定・繁栄を神々に祈ること、および和歌や礼楽に代表される学芸に励むことであった。古代から現代まで、天皇はこの任務を果してこられた。


  美と崇高への献身こそ、保守主義の神髄である。その故に、戦後の価値観はここを直撃した。天皇の影を薄くし、気高さを笑い飛ばす。高邁な精神への軽蔑と無視。低俗礼賛。金儲け一辺倒。

  日本の良き伝統は、幸いまだ保持されている。戦後の呪縛を解き放ちさえすれば、それは目覚める。


  憲法を含む占領下の法律一切を無効化すれば、日本の良き伝統は立所に活性化するのである。