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自ら墓穴を掘る習政權の汚職摘發
伊原註:これは『關西師友』九月號 10-13頁掲載の「世界の話題」(295) です。
少し加筆してあります。
第一次世界大戰開戰百周年
今年は第一次世界大戰が始つて百年目。
三ヶ月で片づく筈の戰爭が終るのは、四年後の11月、
パリ媾和會議で決着が着くのがその翌年です。
「歐洲大戰」が「世界大戰」に變るのは、
戰爭の舞台の擴りからではなく、
歐洲諸國が歐洲で始めた歐洲同士の戰爭が
歐洲だけでは決着が附かなかつたからです。
(歐洲は、自分の尻拭ひを自分でできなかつたのです)
この大戰は、「歐洲の没落」と「日米の擡頭」を齎した世界史轉換の劃期なのです。
我國は明治開國以來、近代國家形成と不平等條約改訂に努め、
義和團鎭壓の活躍により英國に認められて日英同盟締結に道を開き、
日露戰爭で列強と互角に戰ふ能力を發揮して列強の驥尾(きび)に附し、
第一次大戰で戰勝國に與(くみ)して
世界を牛耳る五大國の一つに成り上がります。
尤もそのあとがいけない、
新規霸權國米國から目の仇にされて第二次大戰で袋叩きに遭ひました。
でも白人支配に敢然と挑戰して、
「身を殺して仁をなす」形でアジアの殖民地を解放しました。
聯合國が日本の“侵略戰爭”を懲罰する“東京國際軍事裁判”を進めてゐた時、
聯合國(英蘭佛など)は殖民地復活戰爭を仕掛けてゐました。
佛印でも蘭印でも日本軍の殘留軍人が協力して獨立を支援しました。
だから、一旦崩壞した殖民地體制は、二度と復活しませんでした。
でも東京裁判史觀に染まつた戰後日本では、日本が東南アジア諸國に
“迷惑を掛けた”として謝る向きがあります。
謝るのは、あの戰爭を「聖戰」と信じて戰つた祖先を侮辱するものではありませんか。
扨(さ)て、話を第一次世界大戰に戻します。
第一次世界大戰の基本構圖は、新興國ドイツの現行霸權國英國への挑戰です。
英國は、ドイツの興隆と挑戰に對し、露佛と結んでドイツ包圍網をつくり、
ドイツに二正面作戰を強ひて競(せ)り勝ちました。
米霸權に挑戰する中共習政權
似た構圖が今、米國の霸權に挑戰する新興中共の習政權と言ふ形で
東シナ海・南シナ海から西太平洋を舞台にして緊張が高まつてをります。
彼らは「霸權を求めず」と言ひますが、
シナ人は言ふこととすることは全然別、いや、?(しばしば)正反對です。
スターリンも同じでした。
口で奇麗事を言ひ、部下には正反對のことをやらせ續けました。
例へば スターリンが「防衛」を強調するのは 攻撃準備の指令でした。
(ラヂンスキー、工藤精一郎譯『赤い ツァーリ(下)』日本放送出版協會、平成8/1996.4.25,260頁)
伊原註:本書は獨裁者の心理を描いて抜群です。
下手な小説を讀むより面白いですから、ぜひ御一讀あらんことを。
同じく中國人が友好を讃へて平和發展を強調し、霸權主義を否定しても安心なりません。
語句の定義は中共指導部が下すので、字句を西側風に理解すると裏切られます。
所で、これまで中共政權が目指してきたのは、直接米國に突つかかることではありません。
當面の目標はかうでした。
米國とは「新しい大國關係」G2 を謳つて自國を對等扱ひさせ、
差當りは太平洋をハワイで二分割して西太平洋を「中國の勢力範圍」として認めさす。
(つまり、東アジア・西太平洋から米國を追ひ出すのです)
(そして中國の巨大な周邊部分を「天下」にして中共政權がそこで“君臨”する)
歐洲諸國は飼ひ馴(なら)して友好勢力にする。
日本は「第二次大戰の敗者」の位置に封じ込め、日米關係を分斷し孤立化させて叩き、
「中華天下」の朝貢體制をアジアで再現する。
この構想は、世界に不安定を持ち込みます。
──といふのは、
阿片戰爭後の世界史を見てはつきりするのは、
東アジアの安定勢力は日本、不安定勢力はシナだといふ嚴然たる事實が存在するからです。
そして東アジアが安定すると、世界が安定します。
日本はさういふ「要」(かなめ)の國なのです。
これが判らず、第一次大戰後に日本を叩いてシナとソ聯を支援したのが
東アジア情勢にも國際情勢にも疎(うと)い米國民主黨政權です。
そのためソ共の壓制を長引かせてロシヤ人民を苦しめ、
共産化しなくてよいシナを共産化してシナ人民を不幸に陷れて現在に至つてゐます。
(この米國の手違ひの重大性が判らぬと、
(反共の大東亞戰爭が「聖戰」である意義が理解できません)
さて、本文の主題は中共習近平政權です。
彼らは霸權國英國に挑戰して失敗したカイザー ヴィルヘルム二世のドイツ帝國の
二の舞を演じてゐるのではないか──
といふ テーマ です。
ドイツの敗因は長期持久戰化
第一次大戰では、我が帝國陸軍を含め、多くの人がドイツが勝つと見ました。
普佛戰爭後の プロイセンを中核とした新興國ドイツは、それほど強かつたのです。
では、何故ドイツは負けたか?
速戰即決の短期決戰に失敗したからです。
事前に用意してゐた作戰計劃は、
露佛同盟がドイツに強ひる二正面作戰を回避するシュリーフェン計劃です。
先づ西部戰線で佛英を叩き、返す刀で動員に手間取るロシヤを叩く。
共に勝つて勝負終り
──といふ「二つの短期決戰」による勝利です。
所が意に反して西部戰線が膠着状態になつた。
東部戰線でロシヤ軍を叩いたが降服しない。
ロシヤの十月革命後、レーニン相手に ブレストリトフスクで降服させた時は、
ドイツの方も力盡きかけてゐました。
長期戰になると、自給自足できぬドイツは不利です。
制海權を握る英國がドイツを海上封鎖します。
ドイツもU−ボートで英國の補給線を寸斷するものの、遮斷し切れません。
結局ドイツは戰略物資の不足、とりわけ食糧不足に陷り、
「腹が減つては軍(いくさ)が出來ぬ」
とばかり、兵士が叛亂して降伏します。
甚だしい時代錯誤の政策目標
前稿で書いたやうに、中共政權が高壓外交に轉ずるのは、
習近平が中央入り(黨政治局常務委員に任命)したあと、國家副主席に取立てられ、
次期トップに決る 2008年頃からです。
尖閣問題への對應でも、にはかに態度が強硬になります。
平成22年/2010年 9月、中國漁船が海上保安廳の巡視船に體當りする事件が起きましたし、
平成24年/2012年 9月、日本政府の尖閣諸島國有化に反撥して
在華日本企業を派手に燒討する反日大暴動を惹起(ひきおこ)しました。
そして習政權は最近、在華外國企業を苛(いぢ)め始めました。
外資は中國の資源や利潤を奪ふ敵だ──といふ認識なのです。
義和團的な狂 (きちが) ひ染みた排外思想を感じます。
中共政權に屈從しない外國は皆叩くべき敵と言はんばかりです。
お主(ぬし)正氣かね? と問ひ質(ただ)したくなります。
習政權の窮極目標は、平成24年/2012年11月の習近平體制登場以來、反復提示されました。
「中華民族の偉大な復興の夢」の實現です。
阿片戰爭から中華人民共和國建國までの“屈辱の百年" の汚名を雪(そそ)ぐことを
目指してゐるのです。
「中華民族復興の夢」が實現できさうになつたのは、中國が米國に次ぐ經濟大國になり、
軍事費にもたつぷり豫算を廻せたからです。
でも、貧しかつた中國が豐かになれたのは、
ケ小平が始めた「改革開放政策」で、
華僑資本を含む西側諸國(日本も大貢獻した)の資本や技術を取込んだからではないか。
私のいふ「他人(ひと)の褌」利用による經濟成長です。
西側が氣安く褌を貸してくれたので、中國は「世界の工場」になれましたが、
まだ一人立ちする力はありません。
それなのに「外資は中國の資源や儲けを奪ふ敵」と見て、
習政權は外資規制を強め始めました。
西側が資本や技術を引揚げても、
中國が「經濟大國」の地位を保てると思つてゐるのでせうか?
中國經濟は、外資抜きで發展する實力は まだ育つてゐないのに。
伊原註:中國人曰く、必要なものは盗むから、ちやんとやつて行ける、と
「盗賊國家」中國の面目躍如!
cf. 高島俊男『中國の大盗賊・完全版』(講談社現代新書、平成16/2004.10.20)
獨裁政權、自滅への道
所で、擡頭する國が對抗勢力を育てて擡頭できなくなる──といふのは、
作用・反作用の原理に基く公理です。
(エドワード・ルトワック、奥山眞司監譯『自滅する中國』芙蓉書房出版、平成25/2013.7.29)
2300圓+税
習近平の「中國の夢」は、ルトワックの言ふ「時期尚早の自己主張」です。
そこへもつてきて、
就任以來の看板キャンペーン「腐敗追放運動」による權力基盤強化が、
逆に中共獨裁政權の基盤を危ふくしてゐます。
7月末に發表した「大虎」周永康の肅清は、
これまで安全圏にゐた高層者を叩く前例を創始したため、
中共高層者全部を不安な立場に置きました。
獨裁政權の自滅開始です。
習近平の論理はかうです。
中共建國の元老の血を引く太子黨の自分らから見て、
ケ小平の改革開放は外樣(とざま)(上海閥も 共青團派も)を増長させた。
今こそ正統派の太子黨が復辟(ふくへき)すべき秋(とき)である。
この考へに基き、權力中樞に入り込んだ外樣の手先 周永康を、
先づ血祭りにあげたのです。
ならば當然、壓倒的大多數の外樣からの「反撃」が豫想されます。
一握りの特權階級の“坊ちゃん" 連中の君臨を、
壓倒的大多數の外樣から成る中共黨員が黙認するかどうか……?
(問題:“壓倒的大多數”は組織を持たず、利害關係を共にしないので弱い。
(太子黨は少數なので、“既得權益擁護”で團結しやすい)
私には、習近平は任期十年を全うできさうにない、と見えるのですが。
(平成26年/2014.8.10執筆/10.8加筆)