清末に似る中共習近平政權 - 伊原教授の読書室

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    清末に似る中共習近平政權



伊原註:『關西師友』平成26年/2014年八月號 10-13頁に掲載した

        「世界の話題」294號 の採録です。

        適宜増補してあります。





        中共政權變質と習近平の登場


  陳破空といふ中國の民主活動家の

      『日米中アジア開戰』(文春新書、平成26/2014.5.20)  800圓+税

  を讀み、今の中共政權の腐敗ぶりは清朝末期そつくりだといふ部分が

  頗る面白かつたので紹介します。


  シナの專制政治とその腐敗墮落の構圖は、

  辛亥革命があらうと共産革命があらうと、確然として不變です。


  中共政權が平成20年/2008年頃から、國内外で高壓的になりました。

  その理由として、


      北京五輪の成功により自信をつけた、

      日本を抜き、米國に次ぐ世界第二の經濟大國になつた、

      リーマン・ショックで米國の凋落を見越した、


  などが擧げられますが、

  それらは“原因”ではありません。

  この時期に習近平が次期トップに決つたことが、最大の要因です。

  この時期の習近平の肩書の變化を見てをきませう。


      2007. 3.  上海市黨委書記 (中央への第一歩)

           8.  北戴河會議:江澤民が胡錦濤の後繼者に習近平を推薦

          10.  17全大會:黨政治局常務委員 兼 黨中央書記處書記

      2008. 3.  全人大:中國國家副主席

      2009.12.  訪日、天皇と特例會見

      2010.10.  中央軍事委員會副主席


  習近平は文革中に育つた我の強い自信家です。

    (逆に言へば、世間知らずの“夜郎自大”です。

    (シナは自分では“天下の中心”と威張つてゐますが、

    (實は“夜郎自大”の田舎者です。

    (何故なら、“他者への配慮”が無いからです。

    (これでは、自國を客觀視できませんから)


  彼が江澤民の推擧を得て胡錦濤の後繼者に決るのは上記の通り、

  2007年夏、北戴河會議でのことです。


  胡錦濤政權は共産主義青年團 (共青團) が支持基盤です。

  彼等はケ小平の遺訓

      「韜光養晦、有所作爲」(能力を隱して實力養成に勵む)

  を守り、對日友好を基軸に經濟發展を目指しました。

  シナは、隣國日本と友好的な時に發展できるのです。


  胡錦濤中共政權が俄に對日強硬、周邊國威壓に出たのは、

  自派と違ふ筋(日本叩きで國内を纏める政策を採る江澤民系統)が推した後繼者に

  搖さぶられたからです。


  習近平の登場により、東アジアの國際状況が清末に似て來ました。

  李鴻章が洋務運動を進めて西洋の「文明の利器」を取入れ、

  歐米列強との對抗を目指した清朝末期です。


  習近平が 2012年11月の 18期一中全會で總書記に就任すると、

  「中華民族の偉大な復興」といふ「中國の夢」について

  繰返し語りました。


  その意圖は、

      今や中國は力を附けたから、

      阿片戰爭以來列強に強ひられた屈辱を拭ひ去るため報復をしたい

  ──といふ女々しい怨念の表明です。


  但し歐米とは協調して、叩き易い日本を標的にしました。

      (日本は反撃しないから、叩きやすいのです)


  この日本叩きは實は、

  國内では“成上がり者”で、實績・實力のない習近平の

  「國内權力基盤の強化」

  といふ本音を秘めてをります。



        おっちょこちょいの強氣發言


  ここであらかじめ述べてをきたいことがあります。

      「強氣發言やはつたりをかますのは、本當に強い人や自信のある人はやらない。

      「未熟者や生半可な人間のやることだ」

  といふ事實です。


  天安門事件後、中共の一部軍人が米國に「核戰爭を辭さず」と言つたり、

  太平洋をハワイで二分して米中で管理しようと言つたりしました。

  彼等は實戰經驗がないから、平然と強硬論を吐くのです。

  實力ある歴戰の軍人は、さうやたらに戰爭を口にはしません。


  政權も? 國際法や國際慣習を無視しました。

  尖閣諸島を厚かましくも自國領と明記した

  1992.2.25 の「中華人民共和國領海及び接續水域法」制定發布に始り、

  最近の東シナ海上空の防空識別圏設定に到るまで、

  國際法や國際慣習を無視する行爲を數々しでかしてをります。


  理由は二つあります。


  第一、ケ小平らの中共元老世代はシナの弱い時代を知つてゐるので比較的慎重だが、

        江澤民以降の若手世代は知らない。

        正に「夜郎自大」(イエラン  ツーター)です。


  第二、中共は元來無法者集團で、

        無頼の本質をずつと引繼いでゐることは

        數々の無法の實績で御存じの通り。


  毛澤東自身、「俺は無法者だ」と言明してゐたことは、ご存じの通りです。

  無法者集團の親分が無法者であることは、自明の理です。

      cf.1)「和尚打傘」→「無髪 (法) 無天」

        2)エドガー・スノーへの「文革豫告」談話



        李鴻章の北洋艦隊とその實態


  清朝は、シナの歴代王朝の中では珍しく、勤勉實直な政權です。

  異民族なので、皇帝が眞面目に統治に取組んだからです。


  特に康熙・雍正・乾隆三帝の時代は施政宜しきを得て榮え、人口も四億に激増。

  でも乾隆帝が18世紀末に歿すると金庫は空つぽ、

  過大な人口を養ひ兼ねて、世が亂れ始めます。


  そこへ産業革命を終へて強國化した西歐列強が押寄せ、

  産業革命の大量生産物品を賣込むため、

  清朝を西洋的國際秩序に引込まうとします。


  これを先人は「西力東漸」と言ひました。

  東漸する西力に對する清朝の對應は二つ、

      攘夷(夷狄懲罰)

      開國(洋務運動)

  の 兩面作戰です。


  夷狄懲罰は、祖法(國體)を守るためです。


  阿片戰爭に始り、

  第二次阿片戰爭(アロー號戰爭)、清佛戰爭、日清戰爭と連敗が續き、

  義和團事件で遂に兜を脱いで

  日本に倣つて立憲君主國を目指しますが、

  辛亥革命で退陣します。


  習近平は、この連戰連敗の恨みを晴らしたい、といふのです。

  でも、なんで「恨み」なんですか?

  漢族の革命政權である中共の首腦が

  何故、昔の異民族王朝の敗戰の恨みを晴らしたいのか、

  歴史認識がをかしい。

  習近平の見識を疑ひます。


  洋務運動は、

  第二次阿片戰爭と同時進行した太平天國運動(易姓革命の發動)の

  鎭壓過程で出現しました。


  西洋の工業力に裏附けられた精鋭な武器の威力を知り、

  夷狄の長所(文明の利器)を取入れることにしたのです。


  洋務運動の象徴が、李鴻章が育てた「北洋海軍」です。


  清朝は 19世紀に、國内の叛亂(易姓革命)に備へる邊防と、

  列強に備へる海防を迫られますが、

  列強の力を借りて「太平天國」を鎭壓し終へた李鴻章は、

  列強よりも、新興の隣國日本に備へるべく、海防を主張します。


  日本の台灣出兵(明治 7年/同治13年/1874年)が、強い動機になつた模樣で、

  同年11月の上奏文に於てかう言つてゐます。


      西洋は強いが遠い、日本は近くで我方を窺つてをり、

      先づそれに備へねばならぬ、と。


伊原註:この文言の原文は、以下にあります

        籌辦鞭鐵甲兼請遣使片 (同治十三年十一月初二日〈1875.10.5〉)

            (『李鴻章全集 (2)』長春、時代文藝出版社、1998.7., 1075頁)

        關連部分を摘記しますと──


        台灣之事、雖權宜辦結、後患在在堪虞。日本與閩浙一葦可航、倭人習慣食言、

        難保不再生枝節。……日本距閩浙太近、難保必無後患|目前雖防日本爲尤急、

        洵屬老成遠見……其勢日張、其志不小、故敢稱難東土、藐視中國、有窺犯台灣

        之擧。泰西雖強、尚在七萬里以外、日本則近在戸闥、伺我虚實、誠爲中國永遠

        大患者、今雖勉強就範、而其深心積慮、覬覦我物産、人民之豐盛、冀幸我兵船

        利器之未齊、將來稍予間隙、恐仍狡馬思逞。……


  斯くて李鴻章は英獨に鋼鐵艦を發注し、

  定遠・鎭遠 (共に獨フルカン社製、7430d) 以下の東洋一の大艦隊を整備します。

  水師提督 丁汝昌率ゐる北洋艦隊は三度日本を訪問し、

  日本を威壓しました。しかしその實態は……?


  北洋海軍が日本海軍に敗れた理由に、

  西太后が頤和園を造園するため海軍予算を流用したからと言はれますが、

  では、流用が無ければ勝つてゐたか?


  陳破空は、左に非ずと言ひます。


  曰く、清朝が北洋水師に支給した軍事費中、

  彈藥・整備・訓練 三項目の費用の「殆どが幹部に横領された」由。

  水師提督の丁汝昌は「率先して私腹を肥やした」さうです。

  それでは戰爭できない。

  そこで開戰三ケ月前に大急ぎで彈藥を買集めた と。

  それでも彈藥不足の不發彈が多かつたさうです。


  又曰く、北洋水師の基地 山東省 劉公島には 阿片吸引所や賭場遊廓が林立し、七百軒以上。

  司令官 丁汝昌は 不斷は艦隊と離れて妻妾と暮し、遊女を圍ひ、享樂に耽つてゐた。

  嚴しい訓練は、仕組んだ “演技” で誤魔化した。

  その“演技”の訓練を視察した李鴻章は、

  北洋水師は百發百中、向ふ處 敵無し と 信じてゐた由。


  北洋艦隊は明治24年/1891年の第二次訪問時に、旗艦定遠が呉に入港しました。

  その時、主砲の上に洗濯物が乾してあつたのを見て、

  東郷平八郎は、北洋水師は「見掛け倒し」と判斷してゐます。


  斯 (か) くて、日本海軍より斷然裝備が良かつた北洋海軍が、

  黄海海戰であつさり日本海軍に敗れました。



        習近平の強がりとその實態


  今の解放軍も同じだ と、陳破空は書きます。

  平成14年/2002年に ロシヤから 驅逐艦を二隻購入したが、

  中國側が時間を稼ぎ、6億ドルの原價が 14億ドルに吊上がつた。

  値が高いほど、中國側の交渉當事者が受取るリベートを殖やせるからだ と。


  習近平は、平成24年/2012年に、中央軍委主席に就任したあと、

  解放軍の腐敗が一般の官吏と較べものにならぬ位巨大なことを知つて

  愕然としたさうです。


  だから習近平は、軍の腐敗摘發にも手を染めた。

  その結果が、前軍委副主席 徐才厚や 現國防部長 常萬全の審査に?がつてきます。

  確かに 徐才厚は この 6月30日、收賄容疑で黨籍剥奪處分を受けました。


  中共軍人が「金と色に溺れる」のは 昔以上。

  美女集團である解放軍の各種文工團(文藝工作團)は 軍幹部のための高級遊廓。

  「偽の軍事訓練」では、灼熱のゴビ沙漠の射撃コースに水を撒いて命中率を高めたとか、

  山野行軍試驗コースの距離を縮めて成績を良くしたとか……。


  夜間訓練を夕方や月夜に實施したり、

  新型機墜落をひた隱しに隱したり……


      「結果良ければ全て良し」

      後の始末など知つたことではない!


      シナ人の發想には、公共意識が絶無です。

      孫文が「天下爲公」と書きまくつたのは、

      それが「中華世界」に存在しなかつたからです。


  陳破空が最後に曰く、

  解放軍首腦は 恥知らずで 死を恐れてゐるから、

  日本と戰爭になれば 眞先に逃出すこと間違なし、と。


  問題は、習近平指導部はどうなのか、です。

  創業者は家を興し、親の苦勞を知る二代目は家を守り、苦勞知らずの三代目は家を潰す。

  「賣家と  唐樣で書く  三代目」です。


  中共政權は 今や

  創業の苦勞を知らぬ三代目が

  政權を擔當してゐます。

(平成26.7.7/10.7増補)