リンカーン の  ゲティズバーグ演説 について - 伊原教授の読書室

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リンカーン の  ゲティズバーグ演説 について



伊原注:昨秋から、伊藤允孝さんの肝煎りで「伊原塾」を始めました。場所は大阪驛前ビルです。

        第一テーマは「日本の昨日・今日・明日」で、江戸時代から平成までを五回。

        これは颱風來襲で一回抜け、私の脊椎壓迫骨折で最終回が講義できませんでした。

        療養が進み、何とか話ができるやうになつたので、今回「伊原塾」を再開しました。

        第二テーマは「これまでのアメリカとこれからのアメリカ」で同じく五回の予定。

        各回のテーマは下記の通り。

        6月:出現、7月:内亂、8月:帝國化、9月:霸權國、10月:凋落? です。

        この「内亂」即ち南北戰爭で、

        リンカーンのゲティズバーグ演説の原文と拙譯を配布しました。

        この演説は、有名な民主主義の定義が出て來ます。

        普通「人民の、人民による、人民のための政府」と譯されますが、

        これが「誤譯」だとは、藤岡信勝さんの指摘で知りました。

        (平成19/2007.1.13附『産經新聞』「正論」)

          (註:私は government をこの文脈では「統治」乃至「政治」と譯します)


        上記「民主主義の定義」の三セットですが、民主主義と獨裁を分けるのは

        二番目の「人民による統治」です。

        三番目の「人民の爲の統治」は獨裁者も呼號しますから、

        民主政治か否かに關係ありません。

        問題は、最初の「人民の統治」です。


        藤岡さんは書きます。

        政治學者・法學者 (これに歴史學者を加へませう) は「人民の政府」と譯す。

        これは of を「主體」を示す語句と解釋する論である。

        所が英語學者・英文學者は「客體」を示すものと解釋した。

        government of the people の 原型は govern the people である。

        これを名詞句にしたのが government of the people だ。

        かういふ of の用法は、「どんな小さな辭書にも載つてゐる」と。

            念のため、手許にある大辭書と袖珍辭書を引き比べてみたら

            確かに、どちらにもちやんと説明がされてゐました。

            但し「目的格關係」は、どちらの辭書も説明の末尾の方にあります。

            英語を專門にしない者は、

            つい of を全て「所有・所屬の主體」と取つてしまふのでせう。


        明白な誤譯が戰後罷り通つた事情まで、藤岡さんは上記「正論」で書いてゐます。

        米軍占領下の暫定教科書『民主主義』で誤譯を指摘された文部省が、かう回答した。

        文法的には目的格で譯すべきことを認めつつ、文部省曰く、

        「それ (目的格に譯すこと) では却つてリンカーンの言葉の本質的性格を失はせる」

        「國民主權をその本質とする民主主義の性格を表すには、

        「當然 of を所有の意味に譯すべきである」と (『朝日新聞』1949.3.1附)。

        このごり押しに、藤岡さんは“戰後デモクラシー”の暴走を嗅ぎ取つてゐます。

        of を所有の意味に譯すなら、by は不要となるのに!


        斯く承知した私は、「人民による、人民のための人民統治」と譯しました。

        所が名譯を發見しました。

        巽孝之『リンカーンの世紀:アメリカ大統領たちの文學思想史』

              (青土社、平成14/2002.2.28、2400圓) です。

        29頁に 「人民を、人民が、人民のために統治すること」 とあり、

        93頁に 「人民のために、人民が、人民を治める政治」 とあります。

        さすが英文學者、英文法に通じてゐる!


        註釋二つ:

            第一、冒頭に「今を去る八十有七年……」と古めかしい言葉が出て來ますが、

            これは舊約聖書「詩篇」第90篇10節にかう出て來る文句を踏まへてゐます。

                「我等が年をふる日は七十歳 (ななそぢ) に過ぎず、

                「或ひは壯 (すこや) かにして八十歳 (やそぢ) に至らん、されど……」

            第二に、1863年の87年前は1776年、獨立宣言が發せられた年です。


        最後に──

        リンカーンのこの演説を讀み解くキーワードは三つの「三部構造」です。

            時 間──過 去・現 在・未 來

            場 所──大 陸・國 家・戰 場

            生 命──誕 生・死 歿・再 生


        改めて、リンカーンつて凄い人だつたと思ひます。

(平成26年/2014.7.30記)





    President Lincoln's Address  (口語版)

            delivered at the dedication of the cemetry at Gettysburg.


(伊原吉之助試譯)



    Four score and seven years ago our  今を去る八十有七年前、我等が父祖は
fathers brought forth on this continent,この大陸に新國家を産み落しました。
a new nation, conceived in Liberty, and「自由」のうちに身籠り、
dedicated to the pro-position that all「萬人は平等に造られた」といふ理念に
men are created equal.捧げられた新國家であります。
    Now we are engaged in a great civil  今我等は、一大内亂のさなかに在ります。
war, testing whether that nation, or anyこの國も、同じく自由平等から生れた他國も
nation so conceived and so dedicated, can生存能力を問ふ試煉に晒されてをります。
long endure. We are met on a great今日我等はこの内亂の激戰地に集ひました。
battle-field of that war. We have come toこの戰場の一部を奉納するため、
dedicate a portion of that field, as a新國家を存續さすべく
final resting place for those who hereここで命を捧げた勇士の安息の地として
gave their lives that that nation might奉納するためです。
live. It is altogether fitting and proper我等がさうするのは
that we should do this.實に適切且つ正當な行動であります。
    But, in a larger sense, we can not  でももつと大きい見地からすれば、
dedicate-- we can not consecrate-- we canこの地を奉納し、聖別し、清めるのは、
not hallow-- this ground. The brave men,我等ではありません。ここで戰つた勇士こそ、
living and dead, who struggled here, haveその生死を問はず、
consecrated it, far above our poor powerここを聖地と成し給ふたのであります。
to add or detract.  The world will little微力な我等の到底及ぶ所ではありませぬ。
note, nor long remember what we say here,我等が今日此處で何を言はうと世間は氣にせず、
but it can never forgot what they did忽ち忘れ去りませう。でも此の地で戰つた勇士の
here. It is for us the living, rather, to偉業を、世間は斷じて忘れはしますまい。
be dedicated here to the unfinished work此處で獻身を誓はねばならぬのは、
which they who fought here have thus far生延びた我等です。勇士が此の地で進めた
so nobly advanced. It is rather for us未完の大業を受繼ぐぞ、その偉業を引繼ぐぞ、と。
to be here dedicated to the great task我等が引繼ぐ偉業とは何でありませうか?
remaining before us--that from theseこの地に眠る英靈が
honored dead we take increased devotion最後に全力を擧げて自らの命を捧げた
to that cause for which they gave theあの大義への獻身であります。
last full measure of devotion-- that we我等はそれを受繼ぎ、更なる忠誠に勵むのです。
here highly resolve that these dead shall勇士の死を無駄にせじと
not have died in vain--that this nation,斷乎かう誓ひませう。
under God, shall have a new birth of神の御加護の下、この國に
freedom--and that government of the自由を新生させるぞ、
people, by the people, for the people,人民を、人民が、人民のため治める政治を
shall not perish from the earth.この世から絶やしはせぬぞ、と。