志ある若者よ、「疊生活」に戻らう - 伊原教授の読書室

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      志ある若者よ、「疊生活」に戻らう



伊原注:本論は、「若者の劣化招いた疊追放」といふ題で『産經新聞』の

        「正論」編輯部に投稿しました。

        すると、上記のやうな題になりました。

        なるほど、これで積極的な呼掛けになつたと、編輯者の手腕に敬復した次第。

        4月29日、昭和天皇の「天長節」の日の「正論」欄に掲載されました。






  脊椎壓迫骨折で暫く入院しました。

  これで痛感したのが、立つたりつくもつたりすることの辛さでした。

  床に落ちたものを拾ふのがあんなに大層な作業だつたとは、

  つひぞ思ひ到りませんでした。


  ここではたと氣附いたのが、戰後の若者の體力低下の原因です。

  疊生活を追放したからに違ひない、

  それは高度成長以降だと。



          便利快適な生活の代償


  疊生活での坐り方は、正座を原則とします。

  正座は脊椎が垂直になり、長時間この姿勢を保つてくたびれません。

  また正しい姿勢は、正しい呼吸法に導きます。

  柔劍道で激しい格鬪のあと正座して呼吸を鎭めるのは、

  自然に深呼吸(腹式呼吸)するからです。


  あぐらは、坐禪でお判りのやうに、

  尻の下に座布團を入れないと背中が曲ります。

  背中が曲ると呼吸も淺くなります。

  あぐらは長時間坐る時の姿勢ではありません。


  日本人は江戸期に正しい姿勢の保持を日常生活の中に取込んだのです。

  これが戰後、特に高度成長期以降、椅子やベッドの生活に變ります。

  そして疊が日本の家庭から消えました。


  日本人は疊と正座、そして和式便所で足腰を鍛へました。

  立つたり坐つたりを日常無數に繰返し、

  立居振舞だけで毎日相當の運動量をこなしてゐたのです。


  でも高度成長以降、椅子や寝台を採入れ、便所も洋式に變ると、

  ひ弱な子供が目立ち初めます。


  昔、今から何十年も前、高度成長の末期頃でしたが、

  某小學校の先生からこんな話を聞いたことがあります。


  「近頃、子供(小學兒童)が弱くなつた。

  「轉んだとき手をつかず、顔面で着地して、おでこと鼻の頭とおとがひを怪我する」


  「テレビに慣れて遠近感が身についてゐないから、

  「飛んで來るボールをよけられず、顔面キャッチして顔の怪我が殖えた」


  「校庭で“ばんざーい!" と叫んで飛上つた子が

  「着地した途端、兩足首を骨折した」


  兒童だけではありません。先生もひ弱になりました。


  「最近、朝禮で校長先生の話が少し長引くと、

  「子供より先に先生がばたばた倒れる」


  「體操で子供に駈足をさせる時、これまで先生は先導して走つたが、

  「今や突つ立つて笛を吹くだけで一緒に走らない」


  高度成長による生活の便利快適化は、若者の體力低下を招いたのです。



          安樂椅子は安樂ならず


  正座の上體の姿勢は、實は柔劍道でいふ“自然體" “正眼の構へ" です。

  筋肉が輕く緊張し、持續して疲れない。

  自然體とは、攻撃前の姿勢でもあります。

  筋肉に力が入り、緊張し過ぎると、

  次の動作が遲れ、相手の攻撃に對應できません。

  それに過度の緊張は持續しません。忽ち疲れ、姿勢を崩します。

  正眼の構へは適度の緊張なので持續しても疲れませんし、相手の動きに直ぐ對應できます。


  つまり、正しい姿勢とは持續して疲れず、次の動作も直ぐとれる姿勢なのです。

  安樂姿勢とは、次の動作をするのに身構える必要がある姿勢です。

  人に後(おく)れを取る姿勢なのです。


  安樂椅子では筋肉を緩(ゆるめ)切りますから、同じ姿勢を持續できない。

  始終姿勢を變へねばならず、然も長く坐つてゐると疲れます。

  正座は持續しても一向疲れない。


  椅子生活で目立つのは、姿勢の惡さです。


  私の現役時代末期に、教室の學生で兩手を机の上に投げ出し、

  ガバと頭を伏せる聽講學生が珍しくなくなりました。

  私語をすると他の學生の迷惑になるので追出しますが、

  寝る學生は、

      「無禮者!」

  と心中で叱りつつも、

  他の學生の邪魔にならないので放置しました。


  夜更(よふか)しのせいで眠いのだと推察してゐましたけれど、

  ふと、あれは自分の頭を支へ切れないからかも知れぬと思ひ到つて

  慄然としました。


  萬物の靈長たる人が、寶である重い頭腦を支へられなくなつてゐる!



          家では正座で足腰鍛錬


伊原注:この小見出しは、原稿では「志ある者は疊生活に戻れ!」でした。

        これが編輯者の手で題に生かされ、小見出しの方が變りました。


  サッカーでも大リーグでも日本人選手の活躍が目立つやうになりました。

  彼らは自分で自分の身體を鍛へます。

  それなら、ヂムに通ふ前に、自宅で疊生活を復活してはいかが?


  人生の三分の一は修行時代、

  次の三分の一は貢獻時代、

  殘り三分の一は奉仕時代です。


  修行時代に多大の恩惠を受けた世間に、

  一人前になつたあとは大いに貢獻して世の中を支へ且つ發展させ、

  隱退後は奉仕して後進を育てねばなりません。

  それには健康が不可欠です。

  この健康が、

  便利快適な生活のせいで頗(すこぶ)る不健康になつてゐるのなら、

  斷乎改めませう。


  若者よ、樂ばかりしてゐてはなりませぬぞよ!


  志ある若者は、自分一人だけでも疊生活に戻りなさい。

  疊がなければ板間でも座布團でOK。

  ともかく家庭内で地べたの正座生活に戻る。

  食事はちやぶ台でも箱膳でも使へば宜しい。

  寝るのは押入から出し入れする布團で。

  洋式萬年床は年を取るまで追放しませう。


  かくて毎日足腰を鍛へることになり、

  健康の基礎が日常茶飯のうちに構築出來ます。


  序にエレヴェーター、エスカレーターの類は一切使はぬ、

  自動車にも努めて乘らぬとやれば一層效果的ですが、

  それは人の好き好き。


  先づは日常の立居振舞で床生活を謳歌すること。

  年を取つてからよたよたになりたくない方々は、

  元氣なうちにぢべた生活を加味されますやう。


(平成26/2014.4.25執筆/4.29掲載/6.6加筆)