日本に對する國際偏見の壁 - 伊原教授の読書室

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    日本に對する國際偏見の壁


伊原註:これは『産經新聞』8月27日附に掲載された「正論」(東京版 7面/大阪版13面)


        の原文です。

        原文は正字を使つてをりますが、掲載版は略字になりました。

        歴史的假名遣は幸ひ殘りましたけれども、「上」二ヶ所が假名に直され、

        「うえ」と現代假名遣が残つてしまひました。

        今回は増補・追記を最小限にして載せます。






  人を騙すな、正直であれといふのは人倫の基本であり、家庭や近隣社會で必須のコ目です。

  しかし、不特定多數と交はる大社會では正直で通すのは難しく、

  寧ろ、騙すのは賢い人、騙されるのは阿呆といふのが常識です。


  だから中國人留學生は、日本の住みやすさを認めつつ、日本人は幼稚と見ます。

  奇麗事が罷り通るからです。

  國際社會では、簡單に人に騙されぬだけのずる賢こさを備へてゐないと生き延びられません。



      又もや日本が偏見の犠牲に


  正直を尊ぶ日本は、今や

      中國の“南京大虐殺" の嘘、

      韓國の“從軍慰安婦" の嘘

に振り回されてをります。


  拙いことに、日本が國防外交を頼つて來た米國までその嘘を信じ、

  “從軍慰安婦" を否定した安倍晉三首相を警戒してゐるやうです。


  2007年の第一次安倍内閣時に、安倍首相が“從軍慰安婦" は存在せずと言つたら、

  ジェンダー運動盛んな米國で忽ち安部糾彈運動が一世を風靡した由。

  (當時、西海岸に居た日本人の話です)


  安倍首相は、不幸な女性に同情しない卑劣漢と誤解されたのださうです。

  さうぢやないと言つても、彼らは耳を藉さない。


  ここで私は、自分らが食べぬ鯨を食べる日本人を“野蠻人" と罵倒する

  歐米白人の獨善を聯想しました。


  「馬鹿な!」と日本人は思ひますが、それは日本國内でのこと、

  國際社會では、安倍首相は

      “いかがはしい人物"

と思はれた模樣。

  日本にとつて、由々しき事態です。



      米國の日中に對する偏見


  戰前米國は、“シナは可愛い、日本は憎い" といふ偏見に發して日本を追詰め、

  敗戰に追込んだ末、領土縮小と軍廢絶を強ひました。


  シナが可愛かつた有力な理由は、1858の天津條約で布教に道が開かれて以來、

  シナで教化に勵んだ新教牧師の報告です。

  彼らは資金援助を打切られぬやう、本部に教化有望報告を送り續けました。


  ミッションスクールを創立して高等教育もやつた。

  その卒業生は親米になる。

  爾來「シナは米國に學ぶ可愛い新興國」といふ評價が米國に定着しました。


伊原註:米國の在支反日文化活動については、下記が詳しいです。

        西尾幹二『日米百年戰爭:GHQ焚書圖書開封8』

                (コ間書店、2013.8.31)  84頁以下

        米國は實に執念深く反日活動を展開したのです。

        日本は反米ではなく、寧ろ親米だつたのに……


  それに引換へ、日本は、キリスト教を受入れぬ可愛げのない國です。

  更に日露戰爭後、警戒すべき相手となりました。


  日本移民がハワイの米國併合のあと、西海岸に移住すると、

        日本人學童隔離事件、

        排日土地法、

        排日移民法

と日本人排斥が續き、

  第一次大戰のパリ講和會議でも日本が出した人種差別撤廢案を米英が否決した上、

  其後の貿易で日本を壓迫します。


伊原註:これらについては、下記を參照されよ。

        カレイ・マックウィリアムス(渡邊惣樹譯)

            『日米開戰の人種的側面  アメリカ の 反省 1944』 (草思社、2012.7.31)

        賀川眞理『サンフランシスコ における日本人學童隔離問題』 (論創社、1999.3.30)

        松枝保二『驚くべし 此の横暴 此の國辱  米國排日の實相』

                (大日本雄辯會、大正14/1925.5.18)

        蓑腹俊洋『排日移民法と日米關係』 (岩波書店、2002.7.25)

        チャオ埴原三鈴・中島清福『「排日移民法」と鬪つた外交官──

                1920年代日本外交と駐米全權大使・埴原正直』 (藤原書店、2011.12.30)


  米國發世界大不況後、三分の一に収縮した貿易を守るため、

  米英がブロック經濟で自國勢力圏から日本を締出しました。


  私達の先人が米英の壓迫にどれほど苦しんだかは、

      池田美智子『對日經濟封鎖──日本を追ひつめた12年』 (日本經濟新聞社、1992.3.25)

に詳しく書かれてゐます。


  そこで、資源のない日本がシナ大陸に出て行くと、

  米國は

      「可愛いシナを苛める憎い日本」

と獨斷しました。

  それに滿洲事變後登場したFDR政權は親ソ容共で、反共の日獨が嫌ひでした。


  かくて日本はシナを巡つて米英ソと爭ふことになります。


  日本に米國と戰ふつもりはなく、

  だから 昭和16年/1941年 4月から八ケ月も延々と對米平和交渉を續けましたが、

  米國側には平和に收める氣はありませんでした。


  追詰められた日本が自存自衛の對米英戰爭に踏切り、

  三年半頑張つて敗れます。


  日本が米英佛蘭の殖民地を占領したため、

  第二次世界大戰後、殖民地は維持できなくなりました。


伊原註:ご存じの通り、英國もフランスもオランダも、

        戰後、殖民地を恢復しようと武力に訴へたのですが、

        一端、白人が權威を失つたからには、

        殖民地は復活できませんでした。


  第二次世界大戰後、殖民地が維持できなくなつたこの現實は、

  パリ講和會議で日本が提案した人種平等論の實現と言へます。


  日本の“侵略" ではなく、歐米の侵略を元へ戻したまでの話です。


  東アジアの安定勢力日本を叩き潰した米國は、

  戰後、東アジアでソ聯と對峙して朝鮮戰爭といふ“熱戰" まで戰ひ、

  東アジアの安定に精力を使ふ羽目に陷りました。



      謀略と偏見が罷り通る世界


  戰後我國は、日本弱體化政策である占領體制の基本を墨守して來ました。

  占領基本法に過ぎぬ“新憲法" も後生大事に守つて、未だ一字も變へてをりません。


  戰後育ちに戰前の書物を讀めなくする現代假名遣・略字・漢字制限は、

  語彙を激減したため、戰後知識人の頭を幼稚化して現在に到つてゐます。


  この從順さで、米國の“可愛い" 國になりました。


  でも半世紀以上も占領状態を引きずるのは異常です。

  この邊で普通の國になりませう。


  普通の國になるには、二つのことをせねばなりません。


  一つは國防費を削減する米國のシーレーン パトロールに協力して貿易路を守ること。

  これは國際公共財支援として、沿岸諸國から支持を受けます。


  もう一つは、韓國と中國の日本中傷の火消しと、國際謀略への反撃です。

  外國に發信できる人材を大勢育てねばなりません。


伊原註:「國際謀略への反撃」については、2日後の 8月29日の「正論」で、

        佐々淳行さんが「國家中央情報局立上げの秋 (とき) だ」と題して、

        以下のやうな適切な提言をされてゐます。


        「“惡口言はれ放題" の現状は許し難い。……

        「内閣に非常勤囑託の コンテスト (論爭) 要員を 300〜500人 任命してをき、

        「日本に對する不當な批判や言掛りに際しては、

        「直ちに適切な人物に コンテスト文案の起草を委囑して國際的に コンテストするといつた

        「オートマティック・コンテスト・システム」 (自動反論制度) を早急に確立することだ」


        これは、政府が決意さへすれば、今すぐにでも實行できる素晴らしい案です。



  中國は北京五輪をやり、リーマンショックを切抜けた2008年頃から俄に自信を持ち、

  近隣諸國との領土問題で實力行使を頻發し始めました。


  これは、國際紛爭の平和解決を義務附けた國聯憲章第二條三項に違反します。

  拒否權を持つ安保理常任理事國が國聯憲章を踏みにじるやうでは、世界平和は保てません。


(平成25/2013.7.13執筆/7.21補筆/8.23改訂/9.4補筆)