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民主制の缺陷:内向きと刹那性
伊原註:これは『關西師友』平成25年新年號 32-33頁に掲載した
「世界の話題」(277)の増補版です。
政界再編成を怠る黨と議會
黨内の反對を押切つて野田總理が解散に踏切りました。
11月30日の黨首討論會には實に11政黨の11黨首が論戰を展開。
選擧には 12政黨が參選します。
皆さん、どの黨がどんな主張かお判りですか?
「爭點のない選擧」といふ向きあり、
新聞は、
景氣對策、
消費税増税の可否、
原發・エネルギー政策、
社會保障政策、
外交安保政策、
憲法改正
などと“爭點" を並べますが、論點が多岐に亙り、人物も黨も混沌として
甚(はなは)だ選びにくい選擧であります。
扨 (さ) て今回、私が言ひたいことは二つ、
第一に再編成を怠つた政界への文句、
第二に最大の爭點、國家の安全保障に關はる「軍事・外交」を
疎(おろそ)かにしてきた政界・メディア界・有權者への文句です。
戰後の日本の政治は、自民黨の一黨獨大と言はれましたが、
さうぢやありません。
戰前の二大政黨が合流した自民黨は一つの政治世界、
この中で政權交代の民主主義が展開してゐた。
野黨は應援團であつて、プレヤーではなかつたのです。
自民黨政治世界内では、所謂 (いわゆる) 「派閥」が實は政黨で、
派閥の連立政權による政權交代が、戰後民主主義を實現して來ました。
數十人規模の (似たやうな規模の) 派閥が七つ八つあり、
單獨では政權をとれないので、
幾つかの派閥が連立して政策を調整し、
時の課題を解決してきました。
この連立による「政策調整」によつて、政權は、
その時一番切實な政治課題の解決に取組むことになりました。
この民主制度を壞したのが、田中派閥の肥大化 (一派閥の獨大化) です。
そして田中派閥を肥大化させたのは、三木首相の田中前首相逮捕の承認でした。
金權によつて一派閥「獨大」になつた田中派閥は、キングメーカーとなり、
政權交代を差配して日本の民主體制を歪めました。
言ふことを聽く小物が首相に選ばれるやうになり、
業界團體に票集めを依存して、
利權政治を牛耳つてきた自民黨政治が、
ここに來て漸く飽きられ始めます。
1990年代には、政界再編成が求められます。
小澤一郎が自民黨を割つて新生黨を結成するのが 平成 5年/1993年 6月23日、
これが政界再編成の始りとなります。
(末尾に附けた「戰後の歴代首相」を御覧下さい)
この政界再編成は、自民黨の“醜い" 捲返しで オジャンになります。
あらうことか、河野洋平自民黨が社會黨と組んで、
村山富市政權を作つて政權に復歸するのです。
平成 6年/1994年 6月29日、村山自社聯合政權、誕生
政黨とは、政策で結びついた政治集團の筈なのに!
自民黨は、政權から離れて、金も情報も流れて來ないことに愕然とし、
なりふり構はず政權に復歸したのです。
これで「政界再編成」は目標を失つて迷走し始めます。
じれた有權者は、もう一つ、政界再編成のシグナルを出します。
平成 7年/1995年 4月 9日、第13回統一地方選で
東京都知事に 青島幸男、
大阪府知事に 横山ノック
を當選させます。
有權者は苛立つてゐたのです。
舊來の利權屋型、密室取引型政治家への“斷固たる拒否" の意思表明でした。
所が舊來の政治家連は鈍かつた。“事態" が全然判つてゐなかつたのです。
「何だ、タレントがいいのか、
「ぢやあ我黨もタレントを候補に立てよう。
「誰かいいタレントはゐないか?」
真つ青になつて、利權團體に頼り、密室政治に終始して
一般有權者の意志の蒐集を怠つてきた
舊來の遣り方が通用しなくなつたことを“思ひ知る" べきだつたのに、
一般有權者から完全に浮き上がつてゐた自分らの位置が摑めぬほど、
目が見えなくなつてゐたのです。
“永田町" の獨斷と獨善、ここに極まれり!
何となく判つてゐた候補は、
黨の公認を避けて無所屬を選ぶやうになります。
なぜ政黨の公認が忌避されるのか、黨の責任者には判らなかつたのでせうか?
長野縣の有權者が、追討ちを掛けます。
平成12年/2000年10月20日、知事選擧で舊來型政治への有權者の不滿が募り、
前副知事を作家の田中康夫が大差で破つて當選します。
政治に素人の田中康夫は、舊來型利權屋の巣窟・縣議會から不信任案を突附けられ、
罷免されますが、選擧で有權者は田中康夫を再選させます。
長野縣民は田中康夫の政治力に期待した譯ではありません。
縣議會に巣喰ふ舊來の利權屋集團を徹底的に嫌つただけです。
だが舊來の政治家は悟りませんでした。だから日本の政治はじり貧の道を辿ります。
小泉テレビ茶の間動員政治が終り、小粒の政治家が一年後退で顔見せをやつたあと、
自民黨は民主黨に大敗して、“政權交代" しました。
あれは、政界再編成を怠り、“舊態依然" を押通した自民黨を、民意が見放した結果です。
烏合の衆民主黨が非自民といふだけで大勝したのは、
自民黨の野垂れ死にを意味するのであつて、
民主黨が信頼されたからではありません。
民主黨は反體制派と落ちこぼれの寄せ集め、
日本を壞しはしても、建設能力はありません。
この間、日本は内外共にガタガタになりました。
尤も、民意も“神の聲" などではありません。
その選擇は目先のことに流れ易く、しばしば衆愚政治に流れます。
特にテレビ時代は冷靜な判斷より、氣分轉換が事態を動かします。
國家百年の大計は何處へ?
目下、最大の急務は日本國の活路打開です。
その要件は二つ、
對内では家族の再建、
對外では安全保障政策、つまり、インテリヂェンス・軍事・外交の確立です。
戰後の日本は、インテリヂェンス・軍事・外交といふ國家の存立基盤を
專ら米國に頼つて來ました。
だから我國は未だに米占領軍の日本弱體化政策の金縛りから脱却してをりません。
政治は勿論、マスメディアも教育界も言論界も、占領政策の影響下から脱してをりません。
何より安保問題を人任せにしてきた結果、
日本は領土(北方領土、竹島、尖閣諸島)も
國民(拉致被害者、在外邦人の緊急避難)も守れず、
國家の安全保障は半身不隨もいい所です。
それなのに國民は文句を言はない。
どうしてこんなことになつたか?
修身齊家治國平天下(『大學』)の中で、一番大事なのが齊家です。
日本はずつと家を大事にして來ました。
子がない場合、養子をとつても家を繼がせ、家産を守りました。
「一所懸命」とは、家産を守るのに命を懸けることです。
家産を守るには家長が要ります。
家長が家を治めるには、修身が必須です。
獨善では家が治まらず、破産や一家離散し兼ねません。
この家と、それを守る長子相續制を個人主義法令が法的に破壞しました。
また、經濟の高度成長が家を實質的に破壞しました。
今や日本國民は個々ばらばらで、老いも若きも野垂れ死の悲慘に直面してゐます。
だから選擧でも雇傭や景氣恢復など、個人生活の改善に関心が集り、
財政やインテリヂェンス・外交・國防など、個人から疎く見えるテーマが問題にされません。
冷戰構造が崩れて以來、世界は諸民族の凄まじい生存競爭の時代に突入しました。
スパイ防止法すらない我國は、亡國の危機に直面してゐます。
(平成24/2012.12.6。平成25/2013.3.12増補)
戰後の歴代首相 米國大統領
(戰前からは 43代目) 日數
1 東久邇稔彦 1945. 8.17- 53日 1945- Harry S.Truman
2 幣原喜重郎 1945.10. 9- 225日 1953- Dwight D.Eisenhower
3 吉田 茂 1946. 5.22- 375日 1961- John F.Kennedy
4 片山 哲 1947. 6. 1- 283日 1963- Lyndon B.Johnson
5 芦田 均 1948. 3.10- 223日 1969- Richard M.Nixon
6 吉田 茂 1948.10.19- 2243日 1974- Gerald R.Ford
7 鳩山 一郎 1954.12.10- 744日 1977- Jimmy Carter
8 石橋 湛山 1956.12.23- 64日 1981- Ronald Reagan
9 岸 信介 1957. 2.25- 1240日 1989- George H.W.Bush
10 池田 勇人 1960. 7.19- 1574日 1993- William Clinton
11 佐藤 榮作 1964.11. 9- 2797日 2000- George W.Bush
12 田中 角榮 1972. 7. 7- 885日 2008- Barack H.Obama
13 三木 武夫 1974.12. 9- 746日
14 福田 赳夫 1976.12.24- 713日
15 大平 正芳 1978.12. 7- 588日
16 鈴木 善幸 1980. 7.17- 865日
17 中曽根康弘 1982.11.27- 1803日
18 竹下 登 1987.11. 6- 574日
19 宇野 宗佑 1989. 6. 2- 68日
20 海部 俊樹 1989. 8. 9- 818日
21 宮澤 喜一 1991.11. 5- 640日
22 細川 護煕 1993. 8. 6- 262日
23 羽田 孜 1994. 4.25- 65日
24 村山 富市 1994. 6.29- 561日
25 橋本龍太郎 1996. 1.11- 932日
26 小淵 惠三 1998. 7.30- 616日
27 森 喜朗 2000. 4. 5- 387日
28 小泉純一郎 2001. 4.26- 1980日
29 安倍 晋三 2006. 9.26- 366日
30 福田 康夫 2007. 9.26- 365日
31 麻生 太郎 2008. 9.24- 358日
32 鳩山由紀夫 2009. 9.16- 266日
33 菅 直人 2010. 6. 8- 452日
34 野田 佳彦 2011. 9. 2- 482日
35 安倍 晋三 2012.12.26-