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祖 父 母 の 效 用
伊原註:『關西師友』平成24年11月號 8-9頁 掲載の 「 世界の話題 」 275 です。
少し増補しました。
子供の育て方に重大な缺陷あり
椿原泰夫さん ( 國會議員稻田朋美さんの父君 ) が主宰する雜誌
『無窮』第46號 ( 平成24年10月發行 ) が届き、讀んでゐたら、
引退した公立中學校の教員 淺見 正さんの文章が眼に止りました。曰く、
戰後生れの自分と縁の無かつた教育勅語に、
台灣の元日本人 蔡焜燦さん
( 『台灣人と日本精神』小學館文庫、2001.9.1/650圓〈税込み〉の著者。
( 表紙に 「 日本人よ 胸を張りなさい 」 とあります。
( 92頁の小見出し 「 台灣の精神的基盤となつた道コ教育 」 以下に
( 教育勅語が出て來ます )
の縁で、還暦を過ぎてやつと巡り會った。
戰後教育の所爲もあり、自分の怠慢もあつて
國語の古典的表現に馴染まぬ儘過ごして來た自分を反省し、
教育勅語を毎日朗誦することにした。
先づ感じ入つたのは、そのリズム感の心地よさ。
毎日朗誦するうちに、
「 朕惟 ( オモ ) フニ 」 と始めると、自然に
「 我カ ( ガ ) 皇祖皇宗國ヲ肇 ( ハジ ) ムルコト宏遠 ( クワウエン ) ニ
「 コヲ樹 ( タ ) ツルコト深厚 ( シンコウ ) ナリ…… 」
と出て來るやうになつた。
コ目が列擧される箇所
「 爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ
「 學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シコ器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ
「 常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ…… 」
では 「 よくこれだけの内容が過不足なく短文に纏められてゐる 」 と感心します。
伊原註:難讀の箇所は以下の通り。
ナンヂシンミン/ケイテイニイウニ/セイムヲヒラキ/コクホウニシタガヒ
イツタンクワンキフアレバギユウコウニホウジ
讀んでゐるうちに、淺見さんの頭の中にいろんな考へが去來しました。
「 ああ、これが戰後教育の中で引續き行はれてゐたら…… 」
「 戰後生れ戰後教育で育つた自分でもこの内容がすつきり納得できるのは何故か 」
「 この心得中、今の日本に最も缺けてゐるのは何か 」
──すかさず 「 父母ニ孝ニ 」 だらうと思ひ到ります。
孝行は、親が子供に説いても子供の身につきません。
親が自分の親に孝行する姿を子供に見せなければならないのです。
そして、次のやうな自分の經驗を思出します。
──新任教員として初めて擔任生徒の家庭訪問をした時、
學級活動の中で言葉遣ひや態度に 「 他を思ひやる氣持 」 を示してゐた生徒の家庭には
ほぼ例外なくお年寄りが居た。
そこで淺見さんは悟ります。
第一に、お年寄りが居る家庭には神棚佛壇があつて毎朝祈る姿がある。
第二に、親が祖父母に仕へる姿がある。
子供はさういふ親の姿を毎日見て、
神佛 ( 大いなる存在 ) への畏敬の念や、年長者を敬 ( うやま ) ふ態度を自然に身につける。
「 他人への配慮 」 が自然に出來るやうになるのである。
核家族では自由奔放が罷り通り、躾けが行届かず、
親孝行の大事さが身に染 ( し ) み込まないのだと。
輕佻浮薄な戰後デモクラシーでは子供を甘やかし、我儘者を大量生産しました。
親を初め世間のお蔭で生れ育つたことに思ひ到らず、
恩返しを忘れて好き勝手に振る舞ふ利己主義者の群です。
かういふ子供が親になると、子供を邪魔者扱ひしていびり殺すやうになります。
子供は子供で、年長者を餘計者としか考へません。
淺はかな世の中になりました。
最近の年金問題や醫療問題に關して高齢者が社會保障の赤字に絡んでゐるため、
今の若者は 「 年寄りは早く死ね! 」 と思つてゐるやうですが、
年寄りにも大きな社會的效用があるのです。
生活の智慧と洞察力の闕如 ( けつじょ )
人生には、一過性の變化 ( 流行が典型 ) や 定着する變化 ( 時代の變遷 ) と共に、
萬古不易 ( ばんこふえき ) の部分もあります。
變らぬ部分があるから、二千年前の古典を今讀んでも通ずるのです。
年寄りは、人生經驗が豐で生活の智慧を一杯持つてゐます。
戰後普及した核家族では、先輩の生活の智慧を受け繼がず、人生未熟の徒が氾濫しました。
先輩の智慧を受け繼がないと、生きて行く上で一番大事な洞察力が磨かれません。
昔は生活の智慧を先づ親兄弟から學び、次いで近所の餓鬼大將グループから學びました。
だから小學校に行くまでに、子供なりに結構生きる智慧を身につけてゐたのです。
今は一人っ子が多く、社會性が育たぬ儘いきなり學校に入るので、
集團に溶け込めない子供が殖えました。
この子供が育つ環境を何とかしないと、いぢめ問題は解決しません。
扨て、話變つて──
最近の中國の動向を見てゐて痛感するのが、歴史を知らぬ日本人が殖えたとの思ひです。
尖閣諸島を巡る日中間の係爭は、
幣原軟弱外交が支那の侮日・抗日・排日や日貨排斥を高じさせた
昭和初年代の歴史を如實に聯想させますが、
昭和初年代の日支關係を知る日本人は、
特にその知識を政策に生かせる人は、
今の政治家の中には殆ど居ないやうです。
とりわけ致命的なのは、教員や報道關係者にこの知識と智慧が缺けてゐることです。
だから次の世代を擔 ( にな ) ふ若者に、正しい知識を與へられません。
由々しき事態ではありませんか。
( 平成24/2012.10.6/11.15補筆 )
好い機會ですから、教育勅語を全文 掲載してをきます。
教 育 勅 語
朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニコヲ樹ツルコト深厚ナリ
我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ
此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ
學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シコ器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ
常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ
以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス
朕爾臣民ト倶ニ拳拳服膺シテ咸其コヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽