無心の境地 - 伊原教授の読書室

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    無  心  の  境  地



伊原註:『關西師友』平成24年9月號 18-19頁に掲載した


        「 世界の話題 」 ( 273號 ) の増補版です。





        國際試合で失敗續出する日本選手


  ロンドン・オリンピックが始りました。

  そして相變らず日本選手に失敗が相次いでゐます。


  7月30日附の『産經新聞』から拾つてみますと──


  1面:體操ニッポン  豫選ミス連發/シナリオ崩れ、 「 金 」 へ正念場

        金メダルを目指す日本が、28日の豫選でまさかの5位と躓 ( つまづ ) いた……


  17面:平岡 「 甘かつた 」 /四年越しの思ひ届かず

        中村  一瞬の落し穴/北京と同じ相手に再び屈す


  『日本經濟新聞』同日附 33面にも、かうあります。


        中村  初戰で敗退

        女子 「 二枚看板 」 メダル逃す/ 「 強さ足りない 」


  伊原註:8月1日附『産經』夕刊 6面に曰く、

          體操:日本女子 ミスミス最下位/主將田中 「 氣持弱いのかな 」

          日本は予選 6位から決勝 8ヶ國の最下位に沈んだ。

          豫選 5位から決勝で 7位に落ちた昨年の世界選手權と瓜二つだつた。

          主將田中は 「 氣持が弱いのかな? 」 とこぼした。

          ミスが出る惡癖は、退治できぬ儘だつた。


  日本の選手が屢々肝腎の本番で實力を出せないのは何故でせう?


  一つのヒントが、 「 プロとアマの違ひ 」 です。


  絶頂期の川上巨人監督に、或る人が訊きました。

  「 大學野球の早慶戰の覇者と巨人は、どちらが強いでせう? 」

  川上答へて曰く、トーナメントのやうな一發勝負は水物、

  やつてみないと判りません。

  でもリーグ戰で二十戰したら、十九對一で巨人が勝ちます。

  プロにはそれだけの實力があります。


  音樂では、素人も時と場合により感動的な演奏をします。

  でもプロは、何時でもある水準を維持します。

  素人は好調時と不調時の落差が大きいのです。


  アマチュアでも、オリンピックに出る程の選手なら、プロ並の練習を重ねて來てゐます。

  それが本番で考へられぬやうなミスをする。


  本番の重壓?  日本選手にだけかかつてゐる譯じやなし。

  運?  運とは實力と奮鬪によつて呼び寄せるものですから、辯解には使へない。


  實は、世界一流ともなれば、強さのほかに、

  「 則天去私 」 ( 夏目漱石 ) といつた高い心境が必要になります。



        我慾を抑へ、無心の境地に達する


  前號 「 個人主義の陷穽 」 で 「 公 」 ( 皆 ) のため 「 私 」 は抑へるべきものと説きました。

  この好例を、『産經』が 7月の日曜日に 5回連載した

  「 香川眞司 」 ( 小松成美 ) が説き明かしてゐます。


  香川眞司は出身地神戸から仙台にサッカー留學してゐた時、

  セレッソ大阪のスカウトに見出され、16歳でプロ選手になりました。


  彼は 「 ボールを持つたら前に走つてゴールする 」 攻撃型の選手でした。

  でも缺陷がありました。

  「 試合になるとミスを恐れてゴールを外す 」 のです。


  セレッソ大阪に移ると彼は常時出場し、斷えず攻撃を仕掛けてゴールもアシストも殖やします。

  特にセレッソ大阪がJ2に落ちると、J1復歸といふ目標が彼を奮ひ立たせました。

  香川眞司は僚友と協力して、この目標を見事達成します。


  次の飛躍を期してドイツのドルトムントに移り、

  香川眞司のシュート力に磨きがかかります。

  人一倍ゴールに拘 ( こだは ) る彼がタフな一流選手になつたのは、

  我慾を抑へる必要を悟つたからです。


  香川眞司は言ひます。

  「 活躍したいと思ふと必ずミスが出ました。

  「 決定的なゴールを外す最惡のプレーもありました。

  「 ところが心を無にすると、理想的なゴールやアシストが難なく生れます 」


  無心になると、集中力が高まり、自分が欲してゐるプレーができてしまふんです、と。


  この話を讀んで、弓の師匠が弟子に

  「 矢を的に當てようと思ふな 」 と指導したことを想起しました。

        ( オイゲン・ヘリゲル『弓と禪』 )

  これも去私です。


  伊原註:オイゲン・ヘリゲル は 1884年 ドイツ生れの哲學者です。

          1924年〜1929年 ( 大正13年〜昭和 4年 ) 、東北帝國大學で哲學を教へました。

          その時、弓道を習つた經驗を書いたのが『弓と禪』です。

          原著:Zen in der Kunst des Bogenschiessens,1948

          譯書:稻富榮次郎・上田  武譯『弓と禪』 ( 協同出版株式會社、昭和31.5.25 )


          ヘリゲルさんは、弓も西洋の小銃射撃と同じく スポーツ だと考へてゐました。

          所が全然違ふことを、入門した最初の日から思ひ知らされます。

          詳しくは、譯書を直接讀んで戴くとして、稻富さんが纏めた要點 4項目は以下の通り。

              第一、筋肉を使はずに弓を引く。

              第二、呼吸法により精神を集中する。

              第三、放つ意志を全く持たずに矢を放つ。

              第四、的を見ずに的を射る。


          これと對照的なのが、オリンピックの 「 ジュードー 」 です。

          禮に始り禮に終る武道であつた柔道は、

          今や單なる點取りゲームに變質してしまひました。


  去私も無心も、我慾や私心を消すことです。

  一流の人とは、私心をなくせる人です。

  強い相手に勝つには、 「 滅私 」 の必要があるのです。


  我國では、武士道と禪とがこの境地を説いて來ました。

  日本の選手は、外國選手より、無心を會得し易い歴史的文化的環境にあります。

  でも、この良き傳統をぶち壞したのが米國の日本占領政策であり、

  西歐流の合理主義であり、

  それらに迎合する戰後の日本の輕佻浮薄です。


  我慾横行の戰後價値觀がいかに間違つてゐるか、

  ──これが、私が聲を大にして訴へたいことです。

( 2012.7.30/8.1 加筆 )