日本人の感性劣化-伊原教授の読書室

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  日  本  人  の  感  性  劣  化



伊原註: 『 關西師友 』 平成24年7月號 8-9頁に掲載した 「 世界の話題 」 ( 271 ) の増補版です。





        感受性が變質劣化した日本人


  最近讀んだある刊行物の記事に頗る衝撃的な話が載つてゐました。



  伊原註: 「 ある刊行物 」 と書きましたが、初めは 『 産經新聞 』 で讀んだと思ひ込んでゐました。

          所がいくら 『 産經 』 を繰つても出て來ない。

          さては雜誌だつたかと考へ直しましたが、どの雜誌だつたかは判らず仕舞ひ。

          だから 「 ある刊行物 」 で誤魔化しました。


  私達は 「 三つ子の魂、百まで 」 と言ひ習はして來ましたが、

  實は人は三歳よりも一年短く、二歳までに二つの基本的な資質を固めるといふのです。


  一つは是否善惡を識別する能力、して良いことと惡いことを直觀する能力です。

  もう一つは、美しいものと醜いものを辨別する美的感覺です。


  この二つは、幼時に體得する極く基本的な價値觀であります。

  これを身に附 ( つ ) けてをかないと、社會生活に支障を來します。


  「 幼時 」 ですから、壓倒的な影響力を發揮するのが母親です。

  この記事に曰く、子供達を電燈のあかりの届かぬ山中に連れ出し、滿天の星を見せたら、

  「 ひどい皮膚病で爛 ( ただ ) れた肌みたいで、氣持わるーい! 」 と嫌がつた由。


  私は、現代日本人は、江戸の天下泰平が定着した17世紀半ばに生れ、

  戰後の高度成長まで續いたが、其の後、變質したと考へてゐました。


  それにしても、ここまで感性が劣化してゐるとは!


  確かに、隣の風鈴の音がうるさいと怒鳴り込む人が出たし、

  田植ゑ後の蛙の聲がうるさいから驅除せよと市役所に要求した人がゐました。


  私が大學教員をしてゐた昔、烏揚羽 ( からすアゲハ ) が教室に舞ひ込んだら、

  女子學生が 「 きやあ、恐い! 」 と逃げまどひました。

  昆蟲採集した私らの世代にとつては、目を輝かして追ひ求めた貴重品種なのに!


  自然に溶込み花鳥を愛 ( め ) で、蟲の音 ( ね ) を慈 ( いつくし ) み、

  風流を樂しんだ優雅な日本人は何處へ消えたのでせう?



        是否善惡と美醜の識別力の體得


  幼兒の價値觀や美的感覺がをかしいのは、

  その子を生み育てた母親の價値觀・美的感覺がをかしいからです。

  では、その母親を育てたそのまた母親も、をかしかつたのでせうか?


  日本人の全 ( まつた ) うな價値觀・美的感覺を歪め壞した元兇は、新憲法と高度成長です。


  新憲法第24條に曰く、

  「 婚姻は、兩性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の權利を有することを基本として、

  「 相互の協力により、維持されなければならない。

  「 配偶者の選擇、財産權、相續、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に關する

  「 其他の事項に關しては、

  「 法律は、個人の尊嚴と兩性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない 」


  これが家庭を共同體でなくし、 「 合せものは離れもの 」 にしてしまひました。


  伊原註:家庭は、歐洲や日本では 「 親子關係 」 中心なので共同體 Gemeinschaft でしたが、

          米國では西部劇でお判りのやうに、夫婦中心の利益社會 association でした。


  そして世間知らずの若者が一戸を構へ、祖父母が孫に世間智を注入する機會を奪ひました。


  その結果は御覧の通り。

  今や日本人は個々ばらばらで據 ( より ) 所なく、家庭も故郷も持たぬ 「 野垂れ死予備軍 」 だらけです。


  高度成長は、日本人を故郷から引つこ抜き、轉勤で斷えず移動させ、根無し草にしました。


  家庭と近隣社會といふ共同體も潰しました。

  一時、擬似共同體であつた會社も、

  90年代以降のデフレ期に情け容赦なく人員整理する利益結社に戻り、

  日本人を孤立に追込みました。


  戰後の日本人は、

  米國の徹底的な日本弱體化占領政策を 「 獨立 」 後も國を擧げて忠實に守り續けたことと、

  戰爭で負けたのなら、今度は經濟で米國に一矢報ひたいと必死で働いた結果、

  經濟至上主義に傾いたことの二つによつて、

  庶民が文化生活を樂しむ日本の良き傳統を忘れ、日本人が變質してしまつたのであります。


  國民性は百年、二百年の長期でしか變らぬと言はれるのに、

  日本は敗戰と高度成長の二つの劃期により、國民性が變りました。


  三陸沖大地震大津波のあと、 「 傳統的な日本人の良さ 」 が發揮されたかに見えるのは、

  あの地域に辛ふじて家庭と地域共同體が殘つてゐたからに過ぎません。


  この亡國的窮状から脱出するには、共同體と子育てを再建せねばなりません。


( 2012.6.3/7.28補筆 )




追記 1 ) 米國の日本弱體化政策が“獨立" 恢復後も日本が守り續けた經緯については、

        孫崎 亨 『 戰後史の正體 1945-2012 』 ( 創元社、2012.8.10 ) 1500圓+税

        を參照。

        本書によれば、日本を米國の從屬國にしてしまつたのは、

        吉田茂・岡崎勝男の 「 極端な對米追隨路線 」 ( 148頁 ) の由です。

        自主路線を取つた重光葵・芦田均・鳩山一郎・田中角榮らは米國とその手先により、

        挫折させられてゐます。


追記 2 ) 歐洲 ( 少くとも私が實地見聞した佛獨 ) は教會を中心に地方都市や農村の共同體が存續

        してゐます。

        日本は 「 東京榮えて國亡ぶ 」 と言ひたいほど、地方を廢墟にし、大都會は根無し草の大群の

        集積地にしました。

        食糧生産や故郷と無縁の都會人は 「 根無し草 」 ですから、

        農林業や地方都市の再建なしに、家庭も近隣社會も再建できないかも知れません。