台灣の民意は“現状維持”-伊原教授の読書室

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「 正論 」 台灣總統選論




    台灣の民意は“現状維持”




伊原註: 「 正論 」 ( 『 産經 』 2012.1.25,大阪本社版 13面掲載 ) :

        「 2012.1.21 執筆/1.23 改訂 」 の 「 正論 」 原稿です。

        掲載分は、編集部の手で、讀者に判りやすく手直しされて居ます。

        表題も 「 日米安保を盾に安定選んだ台湾 」 と端的です。


        確かに判りやすくなって居りますし、趣旨も變つてをりませんが、

        私の言葉遣ひではありませんので、

        茲に原文に基づいて若干増補したものを載せて置きます。

        紙數が足りなかつた分を補つたので、意を盡せたと思ひます。


        以前は擔當記者と電話で問題點を相談しながら變へて行つたので、

        原稿の言葉と違つても 「 私の言葉 」 と言へたのですが。

        題まで變つたので、元原稿 ( 若干補足 ) と、掲載分とを併載します。

        先づは元原稿です。




  今年相次ぐトップ選びの先陣を承つて台灣が總統と國會議員を選んだ。

  中國共産黨 ( 以下、中共 ) の言ふ第一列島線の要 ( かなめ ) である台灣の選擧は注目の的なので、

  36箇國から 130メディア・14 シンクタンク・540餘名の記者が集つた ( 行政院新聞局發表の數字 ) 。


  選擧結果は前回の 2008年同樣 中國國民黨の勝利で終つた。

  總統選で 220萬票差が 80萬票差に縮まり、

  立法院の國・民兩黨の議席が 81議席 vs. 27議席 → 64議席 vs. 40議席 になつたとは言へ、

  國民黨の優位に搖るぎはない。


  民進黨が勝つと信じてゐた支持者から、

  國民黨を選んだ台灣人の 「 奴隷根性 」 を嘆く聲が聞こえた。


  でも 「 奴隷 」 とまで言ふのは言ひ過ぎ、 「 商人氣質 」 に過ぎない。

  農民は 「 一所懸命 」 で土地を守るため戰ふが、

  商人はお金さへ儲かれば相手を選ばないのである。


  そして中共と國民黨は、緑の據點である南部に莫大な資金を投じた。


  中共は南部の一次産品を高値で大量買附たし、


  國民黨は投票所に黨員を送り、未投票者に携帯電話で投票を促して投票に來ると金を渡した。

    ( つまり、買収である )


  國民黨員の檢察官は民進黨側の不正は擧げても、國民黨側の不正は見過ごしたさうだ。

  これで緑の票田だつた南部でも得票差は以前ほど開かなかつた。


  かう話してくれた知人は、 「 台灣の選擧は實に不公平です 」 と嘆いた。


  宋楚瑜の立候補で危機感を持つた國民黨支持者が投票に驅附け、

  これが國民黨の得票率を押上げた、といふ説もある。


            台灣の民主主義は成熟?


  もう一つ目立つたのが、台灣の民主主義は成熟したといふ評價である。


  成熟は認めてよいが、理由が問題である。


  選擧中でも街中 ( まちなか ) が靜かなこと、

  投票率が漸減してゐることを理由にするなら判るが、

  開票後に揉 ( も ) め事がなかつたからといふ理由を擧げるのは噴飯物だ。


  2000年に宋楚瑜が揉めて李登輝を黨主席の座から追ひ、

  2004年に連戰が選擧結果に疑義を表明して揉めに揉めたのは、

  共に自分が負けたからである。


  2008年も今回も、國民黨が勝つたから揉めなかつただけの話。


  中國人は負けると揉めるが、台灣人は負けは潔く認めるのである。


  專制體質を色濃く殘す國民黨と、あつさり結果を受入れる民進黨の

  落差の大きい選擧戰は、

  「 民主主義の成熟 」 などといふ事態からは程遠いものである。


            虚構の 「 中華民國 」 體制


  「 中華民國 」 體制護持派の 『 聯合報 』 は 15日附の紙面で

  「 中華民國 」 が台灣の主流民意だ

  と書いた。

  これはをかしい。


  「 中華民國 」 は 1949年に中華人民共和國建國と共に滅び、

  中共政權に繼承された

  といふのが國際常識だからである。

  ( 少くとも、1971年10月の國聯總會で中華人民共和國が加盟して以後はさうである )


  ( それまで西側では、台灣の蔣介石が東西冷戰の下で全中國の代表と見做してゐた )


  ( しかし、ニクソン訪中・米中國交の二段階かけて中華民國は架空の存在と化した )



  然も米中ともに自國が存在を認めぬ 「 中華民國 」 體制から台灣が離脱するのを許さない。

  ( 陳水扁前政權が米國に嫌はれた理由が、中華民國を否定するかの如き言動をしたから )



  「 中華民國は流亡政權 」 と斷言した民進黨の蔡英文主席が、

  訪米から歸國後に

  「 台灣は中華民國、中華民國は台灣 」

  と言つたのは、米國にさう言はされたものの如くである。

  米中とも現状の變更を許さぬからである。


伊原註:蔡英文發言の理由を、昨年11月に訪台した時、黄昭堂さんに尋ねた。

        私は

        「 中華民國といひ續ける限り、中共に併呑の口實を與へるではないか、

        「 今なぜ、あんな發言をしたのか? 」

        と問ふたのである。

        そしたら黄昭堂さんは、意味深長な答へ方をした。

        「 何とでも言はれるがよろしい。

        「 貴方がた外部の人が言ふ批判はみな正しいのです 」

        正論だけでは政界は渡つて行けないのだ、といふ意味らしかつたが、

        推測の域を出ない。


  民進黨のいふ 「 獨立 」 とは 「 中華民國體制 」 打倒をいふが、

  民進黨はとつくの昔に獨立綱領を自ら封印し、中華民國體制を認めた。

  いや、認めさせられた。

  認めないと、 政權につけぬばかりか、 選擧に參加することも難しかつたからである。


  そして台灣と中國との間に獨立問題は存在しないから、

  日本の新聞が枕詞のやうに 「 獨立志向の 」 とつけるのは、讀者を二重に惑はすものである。

      伊原註:第一に、民進黨がまだ中華民國打倒を目指してゐるかと思はせ、

              第二に、民進黨が中華人民共和國からの獨立を目指してゐるかと疑はせる。


  2009.10.,米國聯邦高裁が

  台灣人の 「 台灣の國際的地位と台灣人權保護 」 を求めた台灣人 林志昇の提訴に對して

  次の判決を下した。

  「 64年來台灣人は無國籍であり、

  「 國際社會で認められた政府はなく、

  「 人民は今なほ政治煉獄中で暮してゐる 」


  結局、台灣は米中から裸の王樣を演じさせられ、

  その背後で米中の熾烈 ( しれつ ) な

  台灣奪取か、台灣保護かの鬪爭が進行してゐるのである。


  では、

  「 存在しない ( 國際社會で存在を認められてゐない ) 中華民國 」 體制下での總統選擧とは、

  茶番劇ではないのか?


  いや、茶番劇に似て茶番劇でない大事な民意發揮の役割を擔つてゐるのが台灣の選擧なのだ。

  台灣人は、戰後ずつと、

  さういふ嚴しい状況下で生きることを強ひられて來たのである。


  1945.10.25 の 「 中國戰區台灣區受降式典 」 は媾和條約締結までの管理占領に過ぎなかつたのに

  蔣介石政權は領有であるかの如く振舞ひ、まだ日本人であつた台灣人を中國人扱ひした。

  然も、中華民國を“祖國" と信じた純真な台灣人を、

  日本の感化を受けて汚染された“二等國民" 扱ひして虐遇したのである。

  台灣人にすれば、“踏んだり蹴つたり" の扱ひ、と言ひたい處ではあるまいか。


  米國聯邦高裁が、 「 政治煉獄中で暮してゐる 」 といふ所以である。

  だから、戰後久しく續いた 「 茶番劇 」 に似た演技も、眞面目に演じ續けるほかないのだ。


  かういふ難局にある台灣の有權者は、では今回の選擧で何を選擇したのか?

  日米安保が台灣を保護する 「 現状維持 」 即ち 「 安定 」 を選んだ、

  といふのが私の答である。


            台灣は今後安定を求める


  昨年目立つた米國のアジア回歸なるものは、

  實は 1995年に始る一連の動きである。

  國防總省が 「 東アジア戰略報告 」 ( ナイ・イニシアティヴ ) を出して日米安保を再定義した。

  東アジアに米軍前方展開兵力10萬を維持し、日米安保を強化するといふものである。

  これに呼應して村山内閣が新防衛計劃大綱を閣議決定する。


  これ以後、日米安保は台灣の安定を任務の中に取込んだ。


  台灣の有權者は、國民黨の方が民進黨より對日・對米外交を圓滑にこなすと判斷したのだらう。

    伊原註:國民黨が台灣選民の期待に應へるといふ“保證" は何處にもないが、

            民進黨の方にも殘念ながら、もつと“ない" のである。


  民進黨は人材不足がかねてから指摘されてゐるが、外交や國際關係の人材は殊に尠い。


  台灣有權者が日米安保による安定を望んだのなら、日米兩國の任務は明快である。

  日米安保體制を適切に運用して地域の安定を守ればよいのだ。

  ( これは、言ふほど簡單な作業ではないが )


  二期目の馬英九政權は豫告通り和平協議を始めよう。

  胡錦濤にとつてそれは今秋の中共黨大會以前でなければならない。

  台灣統一への途を開いた功績が手に入り、引退後も一目置かれることになるからである。


  台灣が戰後直面し續けた難しい状況のなかで今回台灣人が選んだのが、

  日米安保體制を中共の併呑壓力の楯にするといふ 「 現状維持策 」 だつたとすれば、

  台灣の民意の賢さと強 ( したた ) かさに改めて驚嘆せざるを得ない。

( いはら  きちのすけ )






次に、 『 産經 』 掲載文です。

これは、掲載通り載せます。

註記も控へます。





    日米安保を盾に安定選んだ台湾


  今年相次ぐ指導者選びの先陣を切って注目の台湾総統選挙が行われ、36カ国から130メディア、14シンクタンクの540余人が集まった。終わってみれば、前回2008年同様、中国国民党の勝利である。前回、国民党が民主進歩 ( 民進 ) 党に付けた220万票の差が今回は80万票差に縮まり、同時に実施された立法院選挙でも、国民党が前回の81議席から64議席に減らし、逆に民進党は27議席から40議席に増やしたとはいえ、国民党の優位は揺るがなかった。

  総統選で民進党の蔡英文氏が勝つと信じた支持者から、国民党の現職、馬英九氏を選んだ台湾住民の 「 奴隷根性 」 を嘆く声も聞こえたが、それは言い過ぎで、単に 「 商人氣質 」 なのである。農民は 「 一所懸命 」 に土地を守るために戦うが、商人はカネさえ儲かれば相手を選ばないということだろう。


            総統選で民進党の拠点崩す


  加えて、中国共産党と国民党は民進党の拠点の南部に莫大な資金を投入し、共産党は一次産品を高値で大量に買い付けた。国民党は投票所に党員を配して有権者に携帯電話で自党への投票を依頼し、投票に来るとカネを渡したとか、検察官が民進党側の不正は摘発しても国民党側の不正は見過ごしたとか、民進党支持者から聞いた。だから、南部でも得票差が前ほど開かなかった。知人は 「 台灣の選挙は実に不公平 」 と嘆いた。

  もともと国民党で、同党とは支持層が重なる親民党の宋楚瑜氏の立候補により、国民党側が危機感に燃えて選挙運動を活発化させ、得票率を伸ばしたという説もある。


            虚構の 「 中華民國 」 体制護持


  今回、台湾の民主主義は成熟したという評価があった。選挙期間でも街中が静かなこと、投票率が漸減していることを理由にしているのならまだしも、開票後にもめ事がなかった点を根拠にしているのであれば、噴飯ものである。

  2000年総統選で先の宋楚瑜氏が、2004年は国民党の連戦氏が結果を不服としたのは自らが負けたからである。國共内戦に敗れて渡つてきた中国大陸系の台湾住民は負けるとうるさいのに対し、本土系の台湾住民は負けは潔く認める傾向がある。2008年も今回も国民党が勝ったからもめなかっただけのことを 「 民主主義の成熟 」 と捉えるのはいささか無理があろう。

  「 中華民国 」 体制護持派の聯合報は投票翌日の15日付で、 「 中華民国 」 が台湾の主流の民意だと書いた。 「 中華民国 」 は1949年の中華人民共和国建国により中国大陸での統治権を失ったというのが客観的事實なのに、である。

  しかも、米中とも自らが存在を認めない 「 中華民国 」 体制から台湾が離れてゆくのを許さない。 「 中華民国は流亡政権 」 と断言した民進党主席の蔡英文氏は訪米後に、 「 台湾は中華民國、中華民國は台湾 」 と言わされた。米中とも現状の変更を容認しないのである。

  民進党が言う 「 独立 」 とは 「 中華民国 」 体制打倒を意味する。その民進党はとっくに独立綱領を自ら封印し、 「 中華民国 」 体制を受け入れた、いや、呑まされた。

  2009年10月、米連邦高裁が 「 台湾の国際的地位と台湾人権保護 」 を求めた提訴に対し 「 1964年以来、台湾人は無国籍であり、国際社会で認められた政府はなく、人民は今なお政治煉獄の中で暮らしている 」 との判断を下した。台湾は米中から 「 裸の王様 」 の役割を演じさせられ、その背後では、台湾の保護か奪取かをめぐる米中の熾烈な綱引きが展開されているというのが実情である。


            民意は 「 現状維持 」 にあり


  では、そんな台湾の有権者は今回の選挙で何を選擇したのか。

  結論からいえば、日米安保体制が台湾を守る 「 現状維持 」 、つまり 「 安定 」 を選んだのである。

  昨年、焦点が当たった米國のアジア回帰は、実は1995年に始まる一連の動きの一環である。

  米国防総省が 「 東アジア戦略報告 」 ( ナイ・イニシアティヴ ) を出して日米安保を再定義した。東アジアに米軍前方展開兵力10万人態勢を維持し、日米安保を強化するというもので、呼応して、村山富市政権が新防衛計画大綱を閣議決定する。日米安保は台湾安定を使命に取り込んだと見てよい。

  台湾の有権者は、国民党の方が民進党より対日・対米外交を円滑にこなすと判断したのだろう。民進党はかねて人材難がいわれ、外交安保関係の人材は殊に薄い。

  とすれば、日米両国の役割は明白だ。日米安保体制を適切に運用して地域の安定を守ればよい。

  二期目の馬英九政権は、予告通り中国との和平協議を始めよう。今秋の中国共産党大会で党指導者のポストである総書記を退任する胡錦濤氏にとって、それは党大会以前でなければならない。台灣統一への途を開いたという功績を手に入れられれば、引退後も一目置かれることになるからである。

  こうした難しい状況下で、今回、台灣の住民がつかみ取った選択肢が日米安保体制を共産党による併呑圧力の盾にするという 「 現状維持 」 の策だったとすれば、台湾の民意の賢さと強かさに改めて瞠目せざるを得ないのである。