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「 年頭所感 」 ( 『 國民新聞 』 第19171號/平成24年1月25日、2面 )
少し増補してあります。
改革ニヒリズムとの鬪爭
19世紀に ロシヤで生れた革命ニヒリズムは、
農奴搾取の上に成立つツァーリ體制を打倒するための
ナロードニチェストヴォ といふ 革命ニヒリズムを産んだ。
農奴を搾取して得た收入によつて大學に學び、
學術教養を身につけたことを恥じた中下級貴族の子弟は、
搾取に苛 ( さいな ) まれる農奴の據點、村共同體 「 ミール 」 を 神聖化した。
そして戰鬪的無神論でツァーリ體制を支持する正教會を否定し、
舊體制の徹底破壞を目論むニヒリストとなる。
更に資本主義段階を飛び越して
ミールを母體に 「 一擧に社會主義へ 」 と進む革命を目指す。
これが モスクワ を
ローマ、ビザンチン に次ぐ 「 第三のローマ 」 とする説
を踏まえて
「 世界人類の救濟 」 といふ使命觀と組合はさると、
世界革命論となる。
この革命ニヒリズムを受繼ぐのが、
レーニン の 共産主義である。
レーニン主義 ( 即ち共産主義 ) とは、
世俗化した ツァーリ專制支配體制 である。
「 革命 」 とは、
自分ら一部少數勢力の權力獲得・獨裁體制構築
にほかならない。
革命後に彼らが特權階級となるのは 自明の理 であつた。
「 世界人類救濟論者 」 は邪魔者を容赦なく殺す。
然もその殺戮を 「 神は嘉 ( よみ ) し給ふ 」 と考へた。
人生經驗未熟な青年の獨斷・獨善である。
人類救濟の神聖なる事業のためには人類の半分を叩き殺しても神意に叶ふ
と豪語して、
手始めに要人を襲撃した。
レーニンの共産主義は、
ギリシャ正教による世界人類救濟の代りに、
レーニン主義による世界の共産化を企む。
そのためにロシヤ革命後、同志の肅清も躊躇 ( ためら ) はなかつた。
總本山は コミンテルンであり、
總本山の頂點に鎭坐ましますやんごとなき御方は、
モスクワのクレムリの奥に鎭坐まします スターリン であつた。
世界 に 君臨する スターリン は、
嘗て ロシヤ に 君臨した ツァーリ の 擴大再生産 にほかならない。
共産主義は ロシヤ革命後、世界中の知識青年を虜 ( とりこ ) にし、猖獗を極めた。
先達の良き導きを得ぬ儘育つた人生未熟、觀念で衝き動く知識青年こそ、
世の中の禍の根源である!
大體、先輩長老を輕んずる世の中には、
未熟者の獨善暴走を抑へる歯止めがない。
共産主義の言ふ弱者救濟は名目に過ぎず、
實は 「 舊社會の疎外者 」 が仕掛けた
舊秩序の徹底破壞による權力獲得が目的であつた。
その證據に、 「 人民共和國 」 とは、軒並み人民を虐げる國家である。
ソ聯は 1991年に滅びたが、革命ニヒリズム の 秩序破壞活動は 今なほ續く。
疎外者が居る限り續くのである。
そして我國では、革命ニヒリズムは、
改革ニヒリズムや人權ニヒリズムの形をとつて、
今や權力中樞に迄浸透してゐる。
人間の生活は、千古變らぬ面と、時と共に變る面を併せ持つ。
だが改革ニヒリズムは變へてはならぬ部分まで變へようとする。
人權ニヒリズムは、人權擁護の名に於て自分達への抵抗勢力の潰滅を目指す。
人々は、改革の名に目を晦 ( くら ) まされて、實は底なしのニヒリズムに道を開いてゐるのだ。
私が言ひたいことは只一つ、
世の中には、
己の鬱憤晴らしのため舊秩序潰しに狂奔する者が
少なからず居る、
──といふことである。