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世界の話題 ( 二六三 )
江澤民を巡る權力鬪爭
伊原註:これは 『 關西師友 』 11月號に掲載した 「 世界の話題 」 ( 263號 ) の増補版です。
若干字句を増補してあります。
七月の江澤民死亡報道
『 産經新聞 』 10月10日附が、一面・三面にお詫び記事を載せました。
「 7月7日附の夕刊・號外 ( 電子版 ) などで日中關係筋の情報として
「 『 江澤民前中國主席六日夕死去 』 と報じましたが、
「 江澤民氏は 10月 9日、
「 北京で開かれた辛亥革命百周年紀念大會に出席したことが
「 確認されました。
「 記事内容を取消し、關係者と讀者の皆様にお詫び致します 」
事件の發端は──
江澤民が 7月 1日の中共創立90周年祝賀大會に缺席したこと、です。
そして人民解放軍 の 301醫院に入院した、との情報あり。
そこで忽ちインターネット上に
「 危篤 」
「 死去 」
の噂が流れました。
5日、外交部の洪磊報道官が 「 そのやうな情報はない 」 と否定しましたが、
翌 6日、香港の亞洲電視 ( ATV ) が 「 病死 」 と報道し、
韓國のKBSテレビも 「 5日晩死去 」 と報じます。
これを受けて 『 産經 』 7日夕刊が一面で 「 死去 」 と報道しました。
6日に死んだことが 7日に判明した、
日中關係筋が明らかにした、
──といふのです。
だが同じ 7日、新華社が 「 純粹なデマ 」 と否定した上、
外交部の洪磊報道官も定例記者會見で
「 新華社が報じた通り 」
と繰返します。
香港ATVは 7日、
江澤民死去報道を撤回して謝罪、
梁家榮副總裁が引責辭任しました。
但し、責任は實は辭任した副總裁にはなく、
ATVオーナー王征が流した情報だつたから報道せぬ譯に行かなかつた──
との裏話が流れました ( 『 日經 』 8.3, 6面/9.20, 7面、 『 朝日 』 9.20, 9面 ) 。
13日、上海テレビが
「 元上海市黨委書記韓哲一の告別式に江澤民が供花を贈つた 」
と報道します。
江澤民が死んでゐたらあり得ぬ話です。
一體何が起きたのでせうか。
裏に熾烈な權力鬪爭
その後の報道に注目してゐたら、
『 月刊日本 』 10月號に
鳴霞さんが 「 江澤民死亡説の眞實 」 を書きました。
それによると──
「 香港中央テレビ 」 と稱ばれる亞視は
7月 6日に 「 江澤民死亡 」 の第一報を打ち、
翌日 直ぐに誤報だと詫びた。
この誤報には、
胡錦濤現總書記 ( 共産主義青年團派 ) と
習近平次期總書記 ( 江澤民派・太子黨系 ) の
權力鬪爭が絡んでゐるのだ。
目下中共は、
來秋の十八全大會に向けて
人事を最終的に決める重大時期に在る。
そして主な人事は既に決つてゐる。
これを搖さぶれるのが、 「 江澤民の健康問題 」 である。
そこで香港で死亡情報を流して直ぐ撤回させた。
誤報? いやいや、とんでもない。
狙ひは──
江澤民派の面々に 「 84歳の老人に前途なし 」 と悟らせるためだ、と。
相手陣營への“搖さ振り作戰" なのですと。
中共政權は屢々香港を内外向け謀略工作に使ひます。
責任を負はずに、國内外の世論を操作できるからです。
今回は 「 香港中央テレビ 」 の社長に“情報”を流して“江澤民死亡" を報道させた。
事實に反する情報だから、翌日すぐ撤回謝罪させ、報道機關の副總裁に辭任までさせた。
しかし一旦流れた 「 江澤民死去 」 情報は、
江澤民派を動搖させる目的は
充分達したのです。
政治とは、かくも非情でえげつないものなのであります。
鳴霞論文は、もう一つ秘密情報を書いてゐます。
今年初め、ケ小平の長男ケ樸方が胡錦濤を訪問し、江澤民の 「 遺言状 」 につき會談した。
江澤民が書いて曽慶紅に託した 「 遺言状 」 には──
「 天安門廣場で學生達を虐殺したのはケ小平の命令だつた 」
とあり、六四天安門事件の被害者の名譽恢復をしてゐる。
ケ小平が組織原則に違反したとして、
胡耀邦・趙紫陽の名譽恢復もしてゐる。
この遺言状が公開されれば、
ケ小平は歴史の審判を受け、名譽は地に墜ちる。
そこでケ樸方が、遺言状の公開差止めを求めて胡錦濤を訪問したのだ
──といふのです。
元老の 「 遺書 」 なるものは、後輩への遺訓ですから、
生前に秘かに、或は公然と、回覧されます。
だから、ケ樸方は江澤民の 「 遺言状 」 を承知できたのです。
中共首腦の間では、 「 遺言状 」 も權力鬪爭の手段なのであります。
我國は古來 「 和を以て貴しとなす 」 社會でしたが、
他國は 「 鬪爭また鬪爭 」 の社會のやうです。
( 2011.10.10/10.16補筆 )