辛亥革命百年-伊原教授の読書室

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    辛亥革命百年




伊原註:これは 『 關西師友 』 平成23年10月號に載せた 「 世界の話題 」 262號の増補版です。





            國民國家形成壓力の到來


  本題に入る前に二言 ( フタコト ) 。


  第一、隣國の脅威が増す中で、米軍占領以來の日本弱體化政策の是正、

        中でも新憲法制定・自衛隊の國軍化と大幅増員 ( 島嶼防衛のため ) に


        誰も知らぬ顔なのはどういふ譯でせうか。


        我國は生存努力を放棄した譯ではありますまいに。


  第二、前號の標題は 「 帝國海軍の罪と戰後の無責任横行 」 でした。

        お詫びして訂正します。

        ファックス の調子が惡く、初校が届かなかつたので、かういふ不備が生じてしまひました。


  扨て、今回は、辛亥 ( シンガイ ) 革命について考へてみませう。


  西暦第二の千年紀は、東洋が富裕でした。

  だから貧しい西歐が東洋の富を求めて 「 大航海 」 の冒險に乘出したのです。


  その後、西歐は新大陸三角貿易と東洋三角貿易を組合せ、

  生活革命・商業革命・科學革命・農工業革命により

  生活樣式・生産方法を革新して

  強力な國民國家を生み出します。


  追記:名詞を羅列しましたが、この邊り、西歐興隆の史實が一杯詰つてをります。

        私は帝塚山大學教養學部の講義 「 近代の經濟と經濟思想 」 でそれを講義して來ました。

        ほんの少し解説を加へますと──

        新大陸三角貿易:アフリカの奴隸 → 新大陸の砂糖 ( 糖蜜 ) → 英國の工業製品……の循環

        東洋三角貿易:中國の茶 → 英國の綿製品 → インドの阿片……の循環

        生活革命の一例:中國の茶+西インドの砂糖+食パンで手輕に朝食を攝れるやうになつたため、

                        都會で勞働者を多數養へるやうになつて産業革命が遂行できた。

        科學革命:數値化・數式化・理論化により技術が容易に傳達普及できるやうになつた


  ナポレオン戰爭以來、19世紀は 「 近代國家形成競爭の時代 」 と化しました。

  この壓力が東亞に及んだのが、阿片戰爭とペリーの來寇です。

  日本は逸早く 「 近代國家形成 」 の必要を自覺し、明治維新を遣 ( ヤ ) つてのけますが、

  清朝は阿片戰爭以來、義和團事件まで新夷狄懲罰戰爭を繰返して弱つて行きます。


  義和團事件のあと、やつと清末の新政が 「 日本に倣つて 」 進行します。

  1911年10月10日に起きた辛亥 ( シンガイ ) 革命は、

  日本留學生が起した日本の明治維新に見習ふ 「 シナの近代國家化 」 を目指す清朝打倒運動でした。


  北一輝曰く、

  「 支那の革命は、我が日本の思想が其の十中八九までの原因を爲せるなり。

  「 日本は爾 ( ナンヂ ) が與へたる思想に對して責任と榮譽を感ずべし 」

  ( 『 支那革命外史 』 三 革命を啓發せる日本思想 『 北一輝著作集2 ) 』 みすず書房、昭和34.7.10,14頁 )


  『 近代中國は日本がつくつた 』 といふ好著もあります。

  副 題:日清戰爭以降、日本が中國に殘した莫大な遺産

  ( 黄文雄著、光文社、2002.10.30 ) 。 1400圓+税



            世界史上の辛亥革命


  明治維新後、日本は近代國家化し、だから日清戰爭にも日露戰爭にも勝てました。

  では、シナは辛亥革命によつて近代國家化したか?


  いや、農業大帝國であつた清朝の巨大版圖を維持したため、

  高い結集力を持つ高能率な機能體・近代國家にはなれずに現在に到りました。


  近代國家とは中産階級國家であり、國民國家です。

  中産階級 middle class ( 自作農/獨立生産者 ) が 「 働かざるもの喰ふべからず 」 と王家を倒し、

  「 自由・平等・友愛 」 を叫んで造つた國家です。


  自作農は自家勞働で自分の土地を耕し、収穫物は全て自分のものと主張します。

   ( これを 「 私的所有權 」 private property と言ひます )


  「 人を雇はず人に雇はれもせず、自家生産で自立してゐるから自由で平等、

  「 爭ふ必要もないから友愛精神で人と付合へる 」 と。


  一民族・一言語・一政府・一國民が 國民國家の合言葉です。


  この國民國家の理念が 19世紀以來、世界的に求められて現在に到つてをります。


  この理念を典型的に滿たしてゐるのが我が日本です。


  特に日清戰爭後の三國干渉で臥薪嘗胆した結果、日本は見事な國民共同體を築きました。

  19世紀の西歐列強は、擬似的にこの要件を滿たしてゐました。

  cf.ベネディクト・アンダーソン ( 白石隆・白石さや譯 ) 『 想像の共同體:ナショナリズム の起源と流行 』

      ( リブロポート、1987.12.5/1996.6.10 九刷 )   2000圓+税


  この理念型から最も遠い存在が辛亥革命以來のシナです。

  孫文は初め漢滿蒙回藏の 「 五族共和 」 を言つてゐたのに、

  忽ち漢族中心の少數民族差別國家に鞍替へします。

  國旗も、五色旗 ( 五族共和 ) から、青天白日滿地紅旗 ( 國民黨の一黨獨裁 ) に變ります。

  そして漢族に對しても、中國國民黨の武力獨裁體制を構想しました。


  中共政權はもつと酷い。

  中國共産黨獨裁の下で異民族の漢族化といふ民族淨化を強行中です。


  辛亥革命で、秦の始皇帝以來の王朝體制は終りましたが、

  巨大版圖を守るため、秦以來の專制支配體制は儼然として續いてをります。

( 2011.9.7/9.13 補筆 )