昭和十年代の日米共榮の道-伊原教授の読書室

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  帝國海軍の罪と戰後の無責任横行



伊原註:これは 『 關西師友 』 九月號 8-9頁 掲載の 「 世界の話題 」 261號 です。

        少し手を入れてあります。





      帝國海軍の問題點究明


  平成20年/2009年に放映されたNHKスペシャル 「 日本海軍四百時間の證言 」 が


  本になりました ( 新潮社、今年 7月15日出版 ) 。


  テレビ放映は59分番組三回、題目は以下の通りです。


  「 開  戰:海軍あつて國家なし 」

  「 特  攻:疚 ( ヤマ ) しき沈黙 」

  「 戰犯裁判:第二の戰爭 」


  本書の特徴が三つあります。


【第一の特徴】

  私はテレビは觀損ねましたが、本は早速讀みました。

  スタッフ六人が書いてゐて、 「 歴史番組 」 ではなく、

  報道スタッフが 「 報道番組 」 として制作してゐるのが

  第一の特徴です。


【第二の特徴】

  日本のマスメディアがこの種の番組を作る時には

  “糺彈型" “斷罪型" になるのがお決まりなのですが、

  この番組は珍しく、

  「 自分が當時渦中に居たらどう振舞つただらうか 」

  と考へて作つてゐるので、

  帝國海軍の問題指摘が、

  「 どの組織にも起り得る問題點の指摘 」

  として普遍性を帶びます。

  これが第二の特徴です。


【第三の特徴】

  三番目の特徴は、命令した側の問題點を追及してゐることです。

  これが更に、 「 被害者からの糺彈 」 といふ戰後の安易な姿勢を没却しました。


  斯くて帝國海軍の問題究明が 「 現代への教訓 」 に繋ります。


  例:ミッドウェーの大敗で海軍は誰も責任を取らなかつた。

        → 今回の三陸沖大津波でも

        “想定外”を連發する責任逃れが罷 ( マカ ) り通つてゐる。

                                                 

  以上の究明の材料になつたのが、

  1980年から1991年まで 131回續いた 「 海軍反省會 」 の録音テープです。

    ( 戸高一成編 『 海軍反省會 』 としてPHP研究所から二册刊行濟 )


  追記:以下の二冊です。


        戸高一成編 『 [證言録]海軍反省會 』 ( PHP研究所、2009.8.19/9.9 二刷 )   4000圓+税

            〃    『 [證言録]海軍反省會2 』 (     〃     2011.1.7 一刷 )             〃


        このテープの記録が再生できたのは、上記 NHK の番組作成のお蔭らしいです。

        そして今後この記録は毎年 1冊刊行、全12冊で完結となる模樣です。

          ( 反省會は全部で 131回開催。本書は毎回 10回分を収録 )


  それと、關係者への克明なインタヴューが、問題意識の共有を齎しました。


  最初に海軍の問題點が列擧されます。


  海軍は所帶が小さいから仲間意識が強く、

  失敗しても庇 ( カバ ) ひ合つて責任が曖昧になる、

  偉い人ほど責任を問はれない、

  ミッドウェー大作戰の直前に平氣で定例の大幅人事異動をする、等々。



      海軍善玉論は米軍との狎合ひ


  更に、東京裁判を終へた日本辨護團の陸海軍評が出て來ます。

  「 陸軍は暴力犯、海軍は知能犯、何れも陸海軍あるを知つて國あるを忘却した 」


  私が注目したのは、

  戰後罷 ( マカ ) り通つた 「 陸軍惡玉・海軍善玉史觀 」 の起源です。


  これは、戰後逸早く米軍と接觸した海軍の畫策 ( クワクサク ) によるものだと

  本書は言ひます ( 364頁以下 ) 。


  先づ

  米内光政が天皇擁護のため マッカーサー と會ひ、

  マッカーサー の腹心 フェラーズ准將と

  「 占領を圓滑ならしめるための天皇利用 」

  で合意します。

  天皇免責の犠牲者は、東條英機と陸軍です。


  新名丈夫編 『 海軍戰爭檢討會議記録 』 ( 毎日新聞社、昭和51年 ) は

  昭和20年末から翌年 1月にかけて四回、海軍高官が行つた 「 特別座談會 」 の記録です。


  これが 「 陸軍惡玉説 」 を唱へた走りの一册であります。

    cf. 新名丈夫編 『 海軍戰爭檢討會議記録:太平洋戰爭開戰の經緯 』

            ( 毎日新聞社、昭和51.12.25 )   1200圓


  追記:編者 新名丈夫が冒頭、 「 『 海軍特別座談會 』 について〈序に代へて〉 」 で

        かう書いてゐます ( 8頁 ) 。

        「 終始全員一致して悲憤慷慨した問題がある。陸軍の暴虐である。

        「 昭和に入つて、内外の既遂未遂のテロ、クーデターは、すべて陸軍が擅 ( ほしいまま ) に

        「 戰爭を惹起し、獨裁體制を樹立するための手段であつた。

        「 軍部大臣の現役武官制を武器として、内閣の活殺を意のままにした 」


        私はこの箇所に、こんな書込をしてゐます。


        「 冗談も休み休みに言へ!!

        「 軍國化の引金を引いたのは海軍ではないか。

        「   cf. 岡田益吉 『 軍閥と重臣 』 ( 讀賣新聞社、昭和50.12.10 )

        「 ロンドン海軍軍縮會議への強硬な反對 ( 統帥權干犯問題 ) → 五一五事件 」

            ( 以上、書込の引用、終り )


        「 統帥權干犯問題 」 のあと、陸軍が選手交代して

            三月事件 → 滿洲事變 → 十月事件 → 二二六事件

        と展開しますが、

        陸軍が海軍のいふ 「 軍部獨裁體制 」 を築いた陰で

        海軍もちやつかりその恩惠に預つてゐました。

        そして海軍も石川信吾や富岡定俊らのドイツにかぶれた“革新將校" が

        省・部 ( 海軍省・軍令部 ) の實權を握り、

        上層を操り ( 所謂 「 下剋上 」 ) 、

        陸軍と提携して對米戰爭に突進するのです。

        日獨伊三國同盟に反對した米内・山本・井上の“三羽烏" は

        海軍内で浮き上つた存在でした ( だから彼らが辭めたあとが續かない ) 。

        戰後、この三羽烏を強調して、海軍革新將校の存在を消し、

        「 海軍善玉説 」 といふ“神話" をでつち上げるのです。


  編者は、最後の海相米内大將が

  「 本當の歴史を殘したい 」 として始めたと書いてをりますけれども、

  本書によれば、この座談會の原本は、

  「 天皇免責を目的とした海軍最高幹部による東京裁判對策用の會談記録 」

  ださうです ( 362頁 ) 。


  米内・マッカーサーの意思疏通により、

  米國が任命した東京裁判の首席檢事 ジョセフ・キーナン が、

  昭和22年 9月段階で早々と、

  開戰時の海相島田繁太郎被告の辯護人 ブラナン に

  「 極刑なし 」

  と豫告します。


  斯くてA級戰犯の死刑は陸軍 6人、文官 1人のみで、

  海軍は極刑なしとなります。

  つまり、海軍は一致結束して米軍と聯繋したことにより、

  「 海軍善玉史觀 」 を 「 東京裁判史觀 」 に合體させるのに成功したのです。


  だが救ひがあります。


  本書によれば、海軍の東京裁判對策係豊田隈雄元大佐は、

  海軍の問題點 ( 缺陷指摘 ) の記録を含む膨大な記録を

  隱滅することなく殘して死にました ( 370頁 ) 。


  海軍軍人らしく、 「 スマート 」 を貫いたのです。 敬服!

  日本人の良さは、生き方に、そして死に方に

  「 美的感覺 」 があることです。


  私達は、豊田隅雄元大佐が殘した貴重な記録を適切に利用して、

  歴史から正しく教訓を得なければなりません。

( 2011.8.3/8.26補筆 )