日本を亡ぼす戰後世代-伊原教授の読書室

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    日本を亡ぼす戰後世代





伊原註: 『 關西師友 』 平成8年/1996年12月號, 14-15頁に乘せた 「 世界の話題 」 97號です。

        日本の 「 亡國 」 關連の話題です。

        江戸時代に行はれた 「 漢學教育 」 と無縁になつた世代が墮落した、といふ點に

        御注目頂きたいので、再掲しました。


        先づは、ざつとお讀み下さい。





    戰後世代と不祥事續發


  二人の論客が似たやうな議論を展開してをられます。


  三浦朱門 「 歷史は繰り返す/ 『 第二の敗戰 』 を迎へる日本 」 と、

    ( 『 新潮45 』 1996年11月號, 60-68頁。

    ( なほ、この號は 「 なぜ日本人はかくも馬鹿になつたか 」 特輯號です )


  岡崎久彦 「 日本を覆ふ日教組世代の弊害 」

    ( 「 正論 」 『 産經新聞 』 10月28日付 )

  です。


  先づ、三浦朱門さん曰く、

  昭和60年 ( 1985年 ) 頃から日本に不祥事が目立ち始めた。

  事を起しているのは四十代、

  つまり、敗戰直後から昭和40年頃までに生れた者である。

  彼らは現實の嚴しさを知らず、ペーパーテストとマニュアル教育の申し子だ。


  航空機の操縦もシミュレーション訓練ができるが、

  それだけで航空機の操縦は任せられない。

  實地訓練が不可欠だ。

  ところが戰後世代は、戰中世代が奮鬪して經濟大國にした日本の操縦を、

  ヴァーチャル・リアリティ ( 假想現實 ) だけの訓練で任された。

  そこで不祥事が頻發したのだと。


  そして三浦さんは、こう危惧します。


      戰後生れの日本人は、全くの駄目集團であつて、

      我々戰中世代が中心になつて、學童疎開世代と共に營々として築ゐて來た日本を

      台無しにするのではないか、

      といふ疑ひを持つ、と。



    明治世代との相似


  似た状況が前にもあつたと三浦さんは指摘します。

  150年前、日本は列強の壓迫で心ならずも開國し、近代化に乘出した。

  阿片戰爭による清朝敗退の教訓と、長州・薩摩兩藩の外國艦隊による敗戰經驗が、

  近代化志向の背後にあつた。

  第一世代は人材を消耗しつつ、辛くも生き延びた者が明治國家を築く。


  明治の第一世代は、正規の教育を不完全にしか受けてゐない。

  だが日本が殖民地になる一歩手前にあつた危ふさを、

  骨身に徹して知つてゐた。

  だから判斷を誤らなかつた。


  續く第二世代、明治10年代生れが昭和を指導して、

  第一世代が粒々辛苦して築き上げた大日本帝國を亡ぼす。

  彼らは日露戰爭の勝利が奇跡的な危ふさで得られたことを忘れ、

  日本の國力を過信した。

  日本の危ふさに恐れを抱かず、氣輕に戰爭を初めてゐる。



    秀才が國を亡ぼす


  明治の第二世代も、昭和の戰後世代も、成人したら日本はそれなりの國になつてゐた。

  彼らは正規教育を受けたペーパーテストの秀才だが、問題に答へるのは得意でも、

  戰ふのは苦手だ。

  喧嘩などしたこともないひ弱さで、組織の要所にゐて金や權力を操作してゐる。

  彼らは成長過程で問題發見能力を試されてゐない。


  明治の第二世代が40歳になつた年にロシヤ革命が始り、

  日本はシベリヤ出兵といふ無名の戰ひをする。

  60歳になつた昭和12年に支那事變を始め、泥沼にのめり込む。


  我等戰中世代は、明治10年代世代の愚かさのせいで多くの仲間を失ひ、

  空き腹を抱へて敗戰後の日本を作つて來た。

  しかし今度は、戰後世代の愚かしさのお蔭で第二の敗戰を迎へさうだ。

  戰中世代は、近代日本最惡の二世代の被害者なのだ、と。



    反體制派の過激化


  岡崎久彦さんは、西尾幹二・藤岡信勝著 『 國民の油斷 』 を讀み、その問題意識を

  「 舊反體制勢力がまだ諦めず、自分を變へてゐない。

  「 彼らはマルクス主義の旗を振る代りに、日本侮辱論調の中に化身し、過激化した。

  「 國民は油斷してゐてその危險を悟つてゐない 」

  と纏めます。


  岡崎さんは、舊反體制派の過激化を世代論で解きます。

  現在90歳代の古き良き時代の人が消えつつあり、チェック機能が無くなつたこと、

  日教組教育を受けた世代、特に全共鬪世代が影響力を發揮してゐること。


  岡崎さんがいふ日教組世代とは、教科書に墨を塗つた昭和 9年生れ以降、

  大學紛爭以降に入學した世代までほぼ15年、現在 45-60歳の人達です。

  彼らが日本社會の各界でいま實權を握つてゐるのです。


  昭和57年の宮澤喜一官房長官談話に烈火の如く怒つた文部官僚が、

  慰安婦問題では 「 仕方がない 」 と黙り込み、

  自嘲の笑みを押殺して答辯してゐた法制局長官が、今や大真面目で

  「 集團的自衛權はあるが、それを行使する權利は無い 」 と言ふ事實は、

  この世代的背景以外に説明しようがない、といふのです。



    頑張れ、昭和一桁


  岡崎さんは、昭和一桁が頑張るしかない、と説きます。

  この世代は兵役も日教組教育も受けてゐない。

  勤勞奉仕や學徒勤勞動員で教育に空白がある。

  しかも戰後の價値觀大轉換に搖さぶられた。

  結局、自分で考へ、自分で學ぶしかなかつた。

  だから現在の言論界は、この世代の論客が壓倒的に多い。


  昭和一桁が責任を自覺して頑張り、日教組の教育效果が薄れた新世代に繋いで行くしか

  日本の生き残る道は無いのではないかといふのが、岡崎さんの結論です。


  今の中年世代が腑抜けで駄目なことは、1985年のプラザ合意以降の傲慢さと

  90年代のバブルへの對應の無樣さで實證されました。

  岡崎さんと同じ昭和 5年 ( 1930年 ) 生れの私は、

  日本の前途に殆ど匙を投げてゐたのですが、

  子供や孫が第二の敗戰を味ははずに濟むやう死ぬ迄奮鬪するか、

  といふ氣になりました。


  敗戰を味ははせた方がしつかり立直るかも、といふ惡魔の聲も聞こえますが、

  次の敗戰には、立直る機會が無ささうです。

( 平成8年/1996年11月4日/平成23年/2011年7月18日加筆 )




追記 1 ) 三浦さんが virtual reality の話を持ち出してゐる點について。


        私は、20世紀が前半と後半で頗る變質したと考へてゐます。

        大東亞戰爭で、零戰操縱士は、自分の目で敵を追ひ求め、接近して銃撃しました。

        所が父ブッシュ の 90年代初めの灣岸戰爭では、ジェット戰鬪機の操縱士は

        コンピューター の指示で發射ボタンを押しました。

        戰爭、殺し合ひでさへ、かくも抽象的になつたのです。

        思へば、敗戰時の日本の農業人口は略半數です。

        ですが90年代の日本の農業人口は一桁パーセントです。


        私は、現代日本人とは、元禄頃 ( 1700年頃 ) から高度成長 ( 1960年代 ) まで。

        高度成長後、日本人は“新人類" 化して變質したと考へます。


        そして、江戸時代から高度成長期まで、日本人の大半は、農村で育ち、思春期に

        なつて、志を立てて都會に出ました。

        この時代は農林水産業+輕工業の時代です。

        第一次大戰で重化學工業が發達し、

        サラリーマンといふ机上の作業をする人も殖えましたが、

        人口の大半は、見れば何をしてゐるか判る作業に從事してゐました。

        小學唱歌に歌はれた内容は、皆、具體的な作業ばかりです。

        人類はまぎれもなく、20世紀後半に、極めて抽象的な世界に住むやうになつたのです。



追記 2 ) 明治の第二世代が昭和の日本 ( 大日本帝國 ) を亡ぼしたといふ點について。

        明治の第二世代とは、大正デモクラシーを支へた人達であり、

        典型的には、白樺派の人達です。

        白樺派については、下記の指摘が面白いです。


        關川夏央 『 白樺たちの大正 』 ( 文藝春秋、2003.6.30 )   2000圓+税

            序章  明治十五年以後生れの青年


        關川さんは、明治の第二世代を 「 明治15年/1882年生れ以降 」 と規定します。


        理由は、 「 幼少時に漢學の訓練を受けなかつたこと 」 ( 7頁 ) です。

        つまり、四書五經の素讀の經驗がない人達といふことです。

        現代日本語は、漢文の讀み下し文+大和言葉 ( 和歌 ) ですから、

        漢文の讀み下し文の素養がないと、言葉でも思想でも缺けるところが多いのです。

        第二次大戰戰後は、大和言葉 ( 古文 ) の素養もなくした上、

        略字使用・漢字制限で語彙を減らしましたから、

        戰後育ちの日本語能力も思考能力も幼稚化してゐる筈です。


追記 3 ) 日本國家の分裂について。

        昭和の間違ひ ( 敗戰による大日本帝國の滅亡 ) について、

        「 指導者の小粒化 」 のほかに、

        「 國家の四分五裂 」 があります。

        よく戰前は陸軍と海軍が爭つて協力しなかつたから負けたと言はれますが、

        實は陸海軍を含め、日本國家の各省廳が官僚化し、

        「 省益を爭つて國益を台無しにした 」 ことが大きいのです。

        この點については、何れ詳論します。

        私は、昭和10年代の日本を、 「 中堅官僚が國家を運營した時代 」 と捉へてゐます。

        支那事變が解決できなかつたのは、

        滿洲で國家運營の面白さを體驗した 「 新官僚 」 が、

        支那事變勃發で豫算増大に對する議會の抑制を氣にする必要がなくなり、

        國家運營できる面白さにかまけたため、と考へます。

        「 參謀 」 が暴走したのは、陸海軍だけでは無かつたのです。

        そして、この動きを止めるだけの權威を持つた指導者は、

        もはやどこにも居ませんでした。

        それがやつと終戰に持ち込めたのは、

        陛下の意を體した鈴木貫太郎が首相になり、

        ぎりぎりの所で御前會議によるポツダム宣言受諾に持つて行つたからです。


話がどんどん發展するので、今回はこの邊で終へます。