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ゾ ル ゲ と ゾ ル ザ
──若き研究者に捧ぐ──
伊原註:21世紀日亞協會は曾て 『 日本とアジア 』 と題する4頁の月報を出してゐました。
その第9號 ( 平成12年/2000年 5月15日發行 ) の巻頭に載せたのが、この文章です。
先づは、本文をお讀み下さい。
私が研究者の模範とする人物が二人居る。
ゾルゲとゾルザである。
リヒアルト・ゾルゲは、日本語が出來なかつたのに、鋭い日本情報を送り續けた。
彼は、古事記・日本書記などの各種古典や、大日本帝國憲法などの歐文譯を
本棚にびつしり集め、熟讀してゐた。
日本人の考へ方の根源に迫らうとしてゐたのである。
中國現代史研究の場合、毛澤東一人を知るためだけでも、
資治通鑑、紅樓夢、三國志から西遊記・水滸伝まで讀みこなして居なければならない。
ゾルゲを尊敬しつつ、とても眞似はできてゐない。
ヴィクター・ゾルザは、共産圏問題の萬能ウォッチャーであつた。
彼に會つたソ聯研究者の話によると、
例へばこの 『 プラウダ 』 ですが、と手近の新聞を取上げ、
この記事の冒頭は決り文句で讀む必要なし、
あ、ここに新規の用語法がありますね、これはかういふ意味です、
次はまた常套句、その次がこの文章の言ひたい部分……と、
手に取るやうに解説してくれたといふ。
日本のある政治家がゾルザに日本人の訓練を依頼したら、
「 公務員は駄目 」 と斷られた。
自國の公式行事に參加するため、屡 休むからだと。
共産國を觀察するには、克明に新聞を讀み續けねばならぬ。
一日でも休むと穴が開く。それでは情報通になれない、と。
この話に、體育大學を出た或る體操選手の話を思ひ出した。
「 私達は六人一組で床演技をします。一週七日練習するのです。
「 實は一週六日でも良いのですが、本番に臨んで引け目を感ずると、ミスの原因になります。
「 毎日練習してをくと、假令負けても、あれだけやつたのだから、と悔は殘らないのです 」
台灣の詳しい政治日誌を作り始めて、ゾルザの言分が判つた。
學會や外國旅行で留守にした時の溜つた新聞の山を見返す度に、
「 毎日みてゐなかつた空白 」 を埋めるのにどれだけ苦勞することか。
ワープロを打つてゐる間は、食事の時間も惜しい。
便所へ行くのも腹が立つ。
「 俺が集中してゐる時間を中斷さすな! 」
斯くて、書類は溜る一方、貰つた手紙に返事をろくに出さず、義理を欠いてしまふ。
新聞や本を讀むこと自體は割と簡單だ。
讀んだ内容を、何時でも使へるやうに蓄積する作業が、時間と勞力を貪るのである。
しかし、それを平生からちやんとやつて置かないと、いざといふ時、利用できない。
情報收集は、心身をすり減らす作業である。
緻密さを心掛けるほど集積量が殖え、檢索しにくくなる。
そろそろ台灣日誌作りを止めて、もつと緩やかなペースで調査したいと思ひつつ、
中台關係の緊張が續くので、何時まで經つても止められない。
私はほかにも澤山調べたいことがあるのだ! と、時々 喚 ( ワメ ) きたくなる。
追記 1 ) この持續的調査と持續的報告を、日本經濟についてやつた一人が、高橋亀吉さんです。
いまやつと 『 大正昭和財界變動史 』 ( 東洋經濟新報社、昭和29.1.20 ) 上巻 1000圓 を
讀みかけてゐますが、こんな基礎的な本は、若いうちに讀んで身につけてをくべきでした。
追記 2 ) アテナイの神殿に 「 汝自身を知れ 」 といふ箴言が掲げられてゐたこと、
孫子が 「 彼ヲ知リ己ヲ知ラハ百戰殆フカラス 」 と言つた意味が身に沁みます。
己の分際を知るのは、生易しいことではないのです。
そのためには、他人を餘程熟知して比較對照せねばなりません。
追記 3 ) ゾルザの話を聞かせてくれたのは、畏友 木村 汎さんです。
追記 4 ) ゾルザの話 「 倦まず弛 ( タユ ) まず 」 で思ひ出すのは、曾て産經新聞のモスクワ
特派員だつた鈴木 肇 記者の話です。
この人は真面目な學者タイプの人で、 『 プラウダ 』 の記事をちやんと讀んでゐました。
他社の特派員は、ソ聯政府がつけてくれる助手 ( 監視役を兼ねてゐる ) に讀ませ、
「 要點 」 を教はつて、そこを記事にする。らくちんですよね。
鈴木さんは、ゾルザが 「 ここは常套句、飛ばして良い 」 と言つた部分を含めて、
『 プラウダ 』 の長大な論文を克明に目を通す。
毎日これをやつてゐるから、遊びに行く時間が殆どない。
さて、これが或る日、解説を書く時に俄然、差が出るのださうです。
『 プラウダ 』 の記事に全部目を通してゐる自信があるから、
「 解説記事 」 の厚みが違つて來る。
他社の記者は、撮み食ひしてゐるから、通り一遍の解説記事しか書けない、と。
追記 5 ) 觀察者は 「 何でも知つてゐなければならない 」 こと。
人生の出來事には、あらゆることが絡んで來ます。
人の言動を理解するには、いろんなことを知つてゐる必要があります。
研究者は好奇心旺盛でなくてはなりません。
早い話が 「 通譯 」 です。
話題があちこち飛びます。
一つの言葉には背景がありますから、辭書の譯語を知つてゐるだけでは、
「 正しい通譯 」 が出來ません。
一例:産經新聞社が 「 蔣介石秘録 」 を連載してゐた頃の話。
執筆者の古屋記者が日本に一時歸國しました。台灣に戻つた時、台灣側の要人が訊きました。
「 日本は如何でした? 」
古屋記者 「 紅葉が見事でした 」
台灣側の通譯は、うんと長い返答をしました。
「 今、日本は秋の紅葉が見事です。日本人は春の櫻と共に、秋の紅葉を頗る愛でます。
「 古屋さんは、その紅葉を樂しんで來たのです 」
紅葉と縁のない國民黨要人にも、この背景説明で、古屋さんの氣持がちやんと傳りました。
別の例:昔、サイマル出版社から、名通譯と言はれた人が
『 キャットを猫と譯すのは誤譯である 』 といふ風な題の著書を出しました。
「 キャット=猫が誤譯とは何事! 」 とばかり手に取つてみたら、趣旨はかうでした。
「 歐米人にとつて cat とは、絨毯の前で寝そべる動物である 」
「 日本人にとつて猫とは、こたつの上で丸くなる存在である 」
「 各々 イメージが違う。從つて、cat を 猫と置換へるだけでは、ちゃん譯したことにならない 」
讀者が聯想する イメージまで考へて譯せ、といふ譯です。
この點で、戰後の略字・制限漢字は問題です。
これで日本人の語彙 ( ゴイ ) は激減しました。
語彙が尠いと、思想が淺薄になります。現になつてゐます。
姿形は大人でも、頭の中は幼兒同然といふ大人が激増してゐるのです。
皆さん、戰前の書物をどんどんお讀み下さい。
戰前の本 ( の一部 ) は、ルビ ( フリガナ ) がついて居て、讀み易いですよ。
( 平成23/2011.7.13 )