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ライフワーク と 趣味 と
伊原註:これは、民社黨系統の協和同人クラブが編輯する新政治研究會の機關紙
『 新政 』 ( 1978年10月號、14−15頁 ) に載せた 「 隨想 」 の再録です。
先づは、本文をお讀み下さい。
敗戰の年に十五歳で中學四年生だつた私は、學徒勤勞動員で堺の化學工場に働いてゐた。
工場は空襲で大破し、殘るはやがて上陸するであらう米軍と戰ふだけとなつた。
( だから終戰の日、8月15日は、母校 堺中學で軍事訓練を受けた )
私は間もなく死ぬと覺悟してゐた。
あと何年も生き續けられるなど、豫想の範圍を越えてゐた。
8月15日の終戰の詔勅のラヂオ放送は未來を大きく變へ、戰爭で死ぬ心配をなくしてくれた。
あれから三十餘年、敗戰までの生 ( 十五年 ) の二倍餘の時間を夢中で生きて來て、
今は肉體的生命の限界がさう長く殘されてゐないことを悟る年齢になつた。
( これを書いたのが 48歲の時。現在 81歲 )
この間、高度成長と圓高で、日本經濟もかなり餘裕が出て來た。
最近は、サラリーマンもライフワークを持てと言はれたり、
若者が趣味に生きる生活を目指したりするやうになつてゐるらしい。
私の戰後三十餘年の生の問題意識は
「 日本はどう生きて行けば良いのか? 」 に集中してゐた。
敗戰のショックで、日本はこれまでどんな國であつたか、どこに問題があつたか、
それをどう改善すれば良いか、を考へさせられたのである。
だから私のライフワークは、日本現代史 ( 昭和史 ) の解明、といふことになる。
これは面白いテーマで、七度生れ變つてでも解明を續けたい、と望む。
つひこの間の出來事なのに、眞相は霧の彼方に秘められてゐてなかなか判らない。
今判りかけてゐるトピックを並べてみると──
昭和の日本の軍國主義化に火を付けたのは海軍であつて陸軍ではない、
( ロンドン海軍軍縮條約反對のための統帥權干犯問題とそれから派生した五一五事件 )
政友會總裁犬養首相暗殺の黒幕は政友會幹事長の森恪らしい、
支那事變の元兇は蔣介石であり、蔣介石を支援した スターリン・ローズヴェルト であつて
日本陸軍は被害者である、
その支那事變を泥沼化した元兇は近衞文麿首相・廣田弘毅外相であつて陸軍ではない
日本を軍國主義へ、戰爭へと引入れるについて、當時の新聞の果した役割は絶大であつた
日米交渉は徹頭徹尾 アメリカ ( FDR大統領と ハル國務長官 ) の謀略工作である、等々
日本現代史を解明するには、日本と關係のあつた諸國のことも調べねばならない。
そこで歐米ソ中そのほか、近隣諸地域についても調べることになり、
「 專門は? 」 と訊かれて 「 比較現代史 」 と答へる羽目になる。
ここ十年ほど中國現代史に力を入れて來たが、最近、日本の前途を探るにはソ聯研究が最も大切
ではないかと考へるやうになり、ロシヤ語の勉強を考慮中で、日暮れて道遠しの感がある。
目下、自分でやるより、有能なソ聯研究者とチームを組むのが良いやうだと考へてゐる所である。
ライフワークの方は、寝食を忘れるほど面白い探求作業であるし、
事實 寝食を忘れて打込んでもなほ時間が足りないほど調べることは澤山あるのだが、
このところ、“多少の餘裕" が欲しくなつて來た。
氣分轉換したくなつたのである。
どこからか、“間もなく死ぬぞ、この儘死んでしまつて良いのか?”
といふ聲が聞こえ始めたのである。
人間の最大の任務は、子孫を絶やさぬことである。
私は二人の坊主を育ててゐるから、この任務は一應果した。
ライフワークについては、目下、中國現代史の領域で着々と論文を書きつつある。
しかし、それだけで良いか?
私は學生時代、幸にしてフラフラとグリークラブに迷ひ込んで男聲合唱をやつた。
現在 勤めてゐる女子大學で女聲合唱團の顧問をしてゐるが、
女聲合唱を聽く度に物足りなさを感じ、無性に男聲合唱をやりたくなる。
( 女聲合唱は低音がないから、ピアノ伴奏が不可欠。
( 男聲合唱は低音があるから、無伴奏で完結する )
大阪へ出れば男聲合唱團があるが、
これまでは “調べても調べてもなほ判らぬことが一杯" といふ飢餓感に苛 ( サイナマ ) れて、
現代史解明に貢献せぬことに時間を割くなどといふ贅澤を禁じて來た。
この贅澤に時間を割きたくなつて來たのである。
ちやうどこんな時、地許の奈良で、男聲合唱團を作るから來ないかと誘はれ、
渡りに舟とばかり參加した。今春の話である。
幸ひ指揮者が有能な青年で、ミッチ・ミラー合唱團のやうな明るい、よく響く聲を持つた
合唱團を作らう、將來は海外演奏旅行もしようと遠大な計劃を持つてゐるので、
これはやり甲斐ありと、我々團員は張切つて練習に參加してゐる。
その團員だが、目下在籍八名。週一回の火曜日晩 7〜9時の練習に集るのは 3〜5名といふ
少數精鋭 ( ? ) 。人數が尠いことを幸に、四月の發足以來、發聲練習に力を入れて來た。
集つた男性は中年が多く、經驗者も未經驗者も、一應美聲 ( ? ) の持主である。
我がコンダクターは、その一人一人の聲の缺點を的確に指摘し、改善努力を求める。
自分の聲について謙虚だつた人はもとより、自信滿々だつた人も、
言はれた指示に從ふと確かに聲がより良く響くやうになるので、
一同すつかりこの指揮者に敬意を拂ふやうになつた。
尤も 素人の悲しさ、言はれた時には確かに良い聲が出るが、
一週間經つて次回に聲を出してみると、元の木阿彌。
良い聲の出し方が身についてゐないのである。
これは當り前と言へば當り前の話で、
一度や二度指示を受けただけでちやんと自分の聲がコントロール出來る位なら、
聲樂家も音樂學校も要らないだらう。
毎日缺かさぬ長時間の練習も要らぬだらう。
指揮者自身、 「 良い聲を出すには、毎日練習せねばなりませんよ 」 と言つてゐる。
私の場合、發聲練習は歩きながらやる。
勿論、我家で二、三十分、ピアノの前で聲を出すのが一番良いのだが、
家人が留守の時を狙はねばならぬから、たまにしかやれない。
四月に始つた練習が夏に向ふに連れ、
練習のあと、近所のスナック・バーで生ビールを飲むやうになつた。
樣々な經歴・職業の人が集つてゐるので、話題は豐富である。
地許の人間だから、夜の更けるのを氣にすることもない。
愉しい限りである。
斯くて我が人生、五十近くになつてやつと充實して來たのであるが、
私の人生經驗と、三十年に亙る現代史研究の蓄積からして、
これは“束の間の幸福" ではないかといふ思ひを拭へない。
難問山積・前門の虎を追出したら後門から狼が入つて來た、といふのが人生の常なのだから。
ともかく、ライフワークも趣味もといふ生活が送れることを、私はつくづく有難いと思ふ。
そして、夏が來て終戰の日を迎へる度に、
かういふのんびりした日々を送ることなく祖國に殉じた英靈を偲ぶのである。
( 1978.9.6/2011.7.10補筆 )
追記 1:私が學徒勤勞動員で堺中學校 3年生の夏から 4年生の夏まで、丸一年働いたのが、
堺港に面した堺化學です。いろいろの思ひ出があります。
堺の空襲の翌日、私は一條通の我家から堺化學まで一人で往復しましたが、
燒夷彈にやられて死屍累々でした。
土居川を流れてゐた赤ん坊の屍體、川面にニョキッと出てゐた二本の腕……
あの時、屍體を燒く臭ひを體感しました。
だから今も、燒き場の臭ひは一發で判ります。
追記 2:私達も、米軍上陸に備へて、大濱の海岸に蛸壺を掘つて潛み、戰車をやり過ごして
そのあとから來る米兵を竹槍で突刺す要員、とされてゐました。
追記 3: 「 敗戰のショック 」 とは、價値觀の大轉換です。
學校の先生を初めとする大人が、 「 日本は間違つてゐた 」 と言ひ出した。
教科書に墨を塗らされた。
以後、私達は、人の言ふことを信ぜず、自分で確かめ自分で考へる癖がつきました。
追記 4: 「 眞相は霧の彼方…… 」
歷史には裏があり、裏にはまたその裏があります。
どの深みで捉へるかにより、歷史は姿を變へて現れます。
「 通説は、無數の但書をつけぬ限り、嘘ばかり 」 といふのが私の信念です。
通説とは、 「 判り易い説明 」 です。
判り易い説明は、大幅省略してゐるから、判り易いのです。
歷史は、三つの視點を 「 緊張を以て 」 組合せねばなりません。
蟲の視點=無數の些事の積み重ね。
鳥の視點=全體像の概觀。
魚の視點=流れの把握。正流と支流の識別。
通説は、このうちの 「 鳥の視點 」 だけです。偏つてゐます。
追記 5: 「 今判りかけてゐる トピック を並べてみると── 」
を御覧に入れたかつたのが、本文を再録した一つの目的です。
但し、ここに並べたテーマはまだ未熟。
現在並べるなら、もつともつと衝撃的なテーマが並びます。
日中はもとより、日米を戰はせたのは スターリン の陰謀だとか……。
日本人は他國の生存のために戰はせられてゐながら、
「 惡いことをした 」 と思はせられて、縮こまつてばかりゐます。
お人好しにも程がある!
主體性がないにも程がある!
「 本當に惡いのは誰か 」 が判らなくて 「 生き延び 」 survival など出來る譯がありません。
日本は今、 「 本當の惡者 」 ( 陰謀家 ) から
「 屈從 」 「 亡國 」 の道を歩ませられてゐるのですが、
皆さん、それにしては、さつぱり 「 危機感 」 がありませんね。
近隣諸國とその手先が日本の中樞に浸透して、日本を解體中なのに!
原發がどーのこーの……
これ全て 「 日本弱體化 」 の陰謀ではありませんか!
國論分裂、これこそ、日本弱體化勢力の狙ひ所じやあありませんか!!
追記 6:後半の 「 男聲合唱 」 の話は、ご愛嬌……
ここに書いた奈良 學園前の男聲合唱團は、間もなく解散しました。
私は、やがて復活した六甲男聲合唱團に復歸して、現在に到つてゐます。
健康法の一つが、息を長くゆつくり 「 吐く 」 ことなのですが、
合唱はそれを實踐します。
もう一つは、定期的に顔見知りと會ふ樂しみです。
人は人間關係の中で生きてゐます。
懷かしい人達と毎週會へるのは、人生の生き甲斐です。
そこで心配なのが、 「 今の若者 」 が結婚せず、家庭を作らぬことです。
彼らは、老後、身體が弱り、所得も減つた時、
「 野垂れ死 」 しかないことを 「 覺悟 」 して今を過ごしてゐるのでせうか?
成長期にちつとも身體を鍛へてゐない。
夏は冷房、冬は暖房で 「 過保護 」 状況の儘、その日暮し。
ひたすら 「 樂 」 を求めて生きてゐる。
人生は努力と奮鬪の連續なのに。
電車の座席で股を開くのは、膝を揃へる努力を惜しんでゐるのです。
靴をスリッパーのやうに引きずつて歩くのは、脚を上げる努力をサボつてゐるのです。
若く元氣な今こそ、鍛へに鍛へて將來の衰へに備へねばならぬのに……。
最後に、讀者の皆さんの御健勝を祈り上げます。
しぶとく生き延びられんことを。
しぶとく今後の世の中を支え續けられんことを。
人間、最後の最後まで誠意を以て最善を盡して生き續けるほかないのです。