指揮者と參謀-伊原教授の読書室

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    指  揮  者  と  參  謀

            ──“孤獨に耐える教育" を導入すべし──



伊原註:これは 『 饗宴 』 第18號 ( 昭和50年3月、2面 ) に掲載した拙稿です。

        『 饗宴 』 は、河合榮治郎のお弟子さん方が戰後設立した社會思想研究會 ( 社思研 ) が、

        民社黨が出來、民主社會主義研究會議 ( 民社研 ) が出來て使命を果したとして、

        「 發展的解消 」 を遂げたあと、社會思想研究會の機關誌 『 社會思想研究 』 に代る

        機關紙として、土屋 清さんが創刊した月刊紙です。


        この文章は、一年間の台灣留學を終へて歸國して間もなく書いたものです。

        ( 實は 2ヶ月近くを香港と東南アジア諸國で過しましたから、

        ( 台灣滯在は 10ヶ月餘です。

        ( 香港に 1ヶ月、シンガポール 其他に 1ヶ月居て、

        ( 台灣と香港では江青研究、東南アジア諸國では 「 近代化の比較研究 」 をしました )


        明治以來、指導者がどんどん小粒化・輕量化した理由が指摘してあり、

        また指導者の一番大事な役目が 「 決斷 」 であることを指摘するなど、

        その後も進行した問題點が、今や極端化してゐることを憂へる餘り、

        「 再録の要あり 」 と判斷して載せます。


        略漢字を正漢字に、假名遣を歴史的假名遣に變へたほか、若干補足してあります。





  昨年一年間、機會を得て東南アジアに留學した。

  その際、台灣でお目にかかつた富田直亮氏の

  「 司令官は孤獨に耐えねばならぬ 」

  といふお話から大變感銘を受けた。


  富田さんは白鴻亮といふ中國名を持ち、終戰時の帝國陸軍少將である。

  戰後、蔣介石總統の依頼で中華民國の國軍指導に當つた顧問團 ( 白團 ) の團長である。

  その時、中華民國の將領をどういふ方針で教育したか、といふ話なのである。


  「 人間の知的活動には三段階ありましてね 」 と將軍は話し始めた。

  「 認識・分析・決斷の三つです。


  「 認識とは白を白、二を二、三を三と確認すること、

  「 分析は認識した事實 ( 情報 ) を案配し、目的に照らして對策を立案することです。

  「 この二つは明確に區別せねばならぬのに、しばしば混同され、

  「 希望的觀測や好き嫌ひで認識を混濁させてしまふ。

  「 嚴に愼むべきことです 」


  この二つは、事實判斷と價値判斷の違ひに歸する。

  前者は眞理に仕へ、後者は目的または政治的立場に仕へる。

  簡單に、観察者 ( 學者 ) の立場と行動者 ( 政治家 ) の立場、と言ひたいところだが、

  富田將軍は、分析だけでは 「 行動 」 に結び付かない、といふ。


  「 人間は分析では行動しない。

  「 決斷 ( 意志決定 ) によつて行動に踏み切るのです。

  「 だから決斷は、人間の知的活動の中で最も大切なものです。

  「 意志力が事を爲すのです 」


  決斷は、常に唯一人によつて爲される。

  從つて、強い意志力・決斷力が要る。

  そして指揮官は、 「 決斷 」 を下すために存在するのである。


  「 指揮官は、三つの知的活動を全部やれるに越したことはないが、

  「 やれなくても一向差支へない。

  「 そのための專門家として參謀がゐるのだから、參謀にやらせたら宜しい。

  「 しかし、優秀な參謀がどんなに優れた案を進言しても、

  「 それを採用するか否かは指揮官の決斷に俟つのである。

  「 決めるのは指揮官なのです。

  「 極端に言ふと、指揮官は決斷以外のことは何一つしないでよい。

  「 いざといふ時に決斷するだけでよいのです 」


  戰場では状況は刻々變化してゐる。敵情はよく判らない。

  その中で、直屬部下の生命のみならず、時に全軍の運命を左右することになる決定を、

  自分獨りの責任に於て下すのが司令官たる者の使命なのです。


  「 決斷する人間は徹底的に孤獨です。

  「 指揮官たる者は、この孤獨に耐えねばなりません。

  「 指揮官の待遇が部下よりよいのは、

  「 決斷を下すといふ最も重要な役割を擔つてゐるからです 」


  決斷力は生れつきの資質に左右されるのではありませんかといふ私の質問に、

  富田將軍は 「 鍛練によつて形成されます 」 と答へた。

  幾つかの條件を與へて 「 お前はどうするか? 」 と訊く。

  これを始終やつてゐると決斷力が養成できる、といふのである。


  その後、東南アジア 各國を回つた時、私は自分の判斷の惡さにしばしば臍を噛む思ひをした。

  もし私が軍指揮官だつたら、何度も全滅してゐたらうと思ふ。

  かうして私は、決斷力・意志力を鍛練する必要を痛感したのである。


  歸國後、猪木正道氏の 『 七つの決斷 』 を讀んだ。

      『 七つの決斷 』 ( 實業之日本社、昭和50.1.20 ) 750圓

  日本現代史上の主な決斷を七つ取上げて功罪を論評したものだが、その結論の一つに、

  立派な決斷をしたのは明治の學制整備以前の教育を受けた人達で、

  拙い決斷をした人は、大抵新學制下に育つてゐるといふ指摘があつた ( 148頁以下 ) 。


  富田將軍の話を基にこの世代の斷層について註釋を加へるならば、

  明治の新學制が、參謀的人材 ( スタッフ ) の養成を目標にしてゐたからではないか。

  富田將軍のいふ指揮官 ( リーダー ) の養成は、學校教育の目標ではなかつたやうに思はれる。

  最高學府の帝國大學からして、官吏といふスタッフの養成が目標だつたではないか。


  明治の新教育がスタッフ的專門家の養成を目指した一つの理由は、

  コ川時代の教育と幕末の危機の中で、

  リーダー型人材は有り餘る程居たのに、

  近代國家形成に多數必要なスタッフ型人材が極端に乏しかつたからであらう。

  榎本武揚のやうな最大の“朝敵" を含んで舊幕臣が明治政府に多數登用されるのは、

  スタッフの極度の缺乏といふ事情を抜きにしては理解できない。


  それから百年、高度工業化を實現した我國は、進學率が高まり、

  同年齢層の三分の一が大學に行く時代になつた。


  スタッフ缺乏に惱む新興國と對照的に、

  今や我國にはスタッフ型人材が溢れてゐる。

  プロとアマの境界がぼやけて “一億總評論家時代"  などと皮肉られたりするが、

  立派なスタッフが層厚く存在してゐることは紛れもない。

  ( その中で、本當に有效な對策が打出せる人材がやはり稀少である點については、

  ( 例へば、飯田經夫 『 援助する國される國 』 を參照 )


  ところで、富田將軍の區分によれば、參謀は 「 分析 」 して對策を考へる專門家である。

  「 決斷 」 の專門家である指揮官とチームプレーをせねばならぬのではないか。


  渡部昇一 『 ドイツ參謀本部 』 ( 中公新書、昭和49.12.20, 360圓 ) によると、

  スタッフとリーダーは、車の兩輪であるといふ。

  ナポレオンが敗れたのは、國民軍が生れて何十萬といふ大軍を動かす時代になつたのに、

  陣頭指揮型リーダーに終始したため、大軍を動かし切れなかつたからであるらしい。

  ナポレオンのこの缺陷を見破つたシャルンホルストがドイツ參謀本部の構想を樹てた。

  それを實現したモルトケ參謀總長が、ビスマルク首相と組んで連戰連勝し、

  ドイツ帝國をつくる。


  しかし、ビスマルク亡きあとスタッフの獨走が續いて

  ( シュリーフェン、ルーデンドルフ )

  ドイツは第一次大戰に敗れた。


  リーダー不在に懲りたドイツは、第二次大戰では逆に

  リーダー ( ヒトラー ) の獨走に依つてスタッフが抑へられ、

  再び敗れる。


  「 スタッフの養成法のノウ・ハウをドイツ參謀本部は完成したが、

  「 リーダーは偶然の發生を待つだけだつた。

  「 これがドイツの悲劇であつた 」 ( 『 ドイツ參謀本部 』 195頁 )


  これはドイツだけの悲劇であらうか?


  戰後日本の教育はスタッフの養成さへ好い加減にされて來たのではないか?

  我國では、何も彼も “偶然の發生"、つまり成行に任せられてゐるのではないか?

  そして、意識的・自覺的に行はれてゐる限りでは、人權など平等側面だけを見て、

  能力や役割など、異る側面を無視し勝ちであつたやうに思ふ。


  昭和史の悲劇は、大動亂期に參謀型人材を指導者にした所に在ると言へよう。

  ( 代表例は近衞文麿。彼は參謀型・政策立案型といふより、

  ( 寧ろ 「 認識 」 型・ 「 論評 」 型だから、

  ( 大學教授か評論家に最も相應しかつた人間だと思はれる )


  私は、現在の教育に指導者養成教育を是非とも導入すべきだと考へてゐる。

  ( その方法については、別の機會に讓りたい )

  指導者養成と言つても、特定の人だけが受ければ濟むものではない。

  富田將軍の分類に從つて言へば、

  誰もが認識の教育・分析の教育・決斷の教育を

  綜合的に受けるべきであらう。

  何故なら、

  認識せずに濟む人、分析せずに濟む人、決斷の必要のない人など、あり得ないからである。


( 1975.3.9執筆/2011.7.9補筆 )




  附言 1:富田少將曰く、

          「 向うが赤で來るなら、こつちは白で行つてやれとばかり、

          「 中國名 ( 秘匿名 ) を 『 白鴻亮 』 と付けたんです、アハハ 」 と。

          だから、富田さん率いた顧問團の名を 「 白團 」 といふのです。


  附言 2:決斷=行動が 「 知的活動 」 と知つたのは、この時が初めてです。

          行動は ( 少くとも筋の通つた行動は ) 知的理性的活動なのですね。


  附言 3:集團の合意とは、しばしば 「 責任逃れ 」 に通じます。

          誰も責任を取りませんから。


          「 決斷は唯一人によつて爲される 」 といふのは、重い言葉です。

          「 責任を唯一人で引受ける 」 ことを意味するからです。

          最近の責任者は、高い報酬は貪るが責任は取らぬ人が多いですね。

          私は 「 背任横領の徒 」 と判斷してゐます。

          或は 「 やらずぶつたくりの徒 」 といふべきか。


          戰前、遂に決斷しなかつた人の代表は近衞文麿ですが、

          戰後は決斷しない ( できない ) 指導者だらけです。

          民主主義は、有力指導者なしでは機能しない政治制度です。

          いや、どんな社會も、指導者なしでは發展は愚か、持續もしません。

              ( 混亂あるのみ、です )

          指導者の必要は、日暮れに山で道に迷つた登山隊を考へたら、直ぐ判ります。

          合議では問題は解決しません。

          「 假令 間違つてゐようと、誰かが何かを決めないといけない 」 のです。


  附言 4:現在、日本の大學進學率は、同年齢層の半分餘です。

          今や、大學に行きたい人・行ける人はほぼ全入してゐる形です。

          そして最近の大學は多くの學生にとつて、學問を學ぶ所であるよりは、

          就職までの猶豫期間になつてゐるやうです。

          處で問題提起を一つ、

          專門學習より何より、日本語がまともに使へぬ學生が少なくありません。

          尤もこれは、學生の責任といふより、

          日本語をきちんと教へぬ學校が惡いのです。

          一番いけないのが小學校です。

          低學年で 4〜5割の時間を割くべき國語の授業に、

          他の教科同樣 1割餘の時間しか充ててゐない。

          カタカナを教へてゐない、

          讀み上げる授業をしてゐない、等々

          言葉は先づ 「 音 」 であり 「 聲 」 であるのに!


          なほ、日本語教育については、本 「 讀書室 」 の以下の拙稿を御覧下さい。

                  2007. 8. 2  先驅者の孤獨

                  2008. 8. 8  日本語の讀書き

                  2009. 5. 4  賢くなる方法

                  2009. 6. 1  國語習得の心得


  附言 5: 『 援助する國される國 』 は手許になし。

          多分、アジア圖書館に寄付したと思ひます。

          確か日經新書だつたと思ひます。

          インドネシア での自身の經驗を元に卓抜な意見を展開してゐる良書でした。


  附言 6:末尾で 「 指導者養成教育の方法については、別の機會に讓りたい 」 と書いたところ、

          當時、岡本幸治さんから 「 どうすれば良いですか? 」 と訊かれました。

          その時、 「 江戸時代の藩校がやつて居た文武兩道の教育 」 が良いのではないか、と

          答へたことを思ひ出します。 ( これは現在もさう考へてゐます )

          江戸時代の藩校では、

              儒教 ( 朱子學=王道教育 ) と

              武道 ( 劍道=個人格闘技 ) を

          教へてゐました。

          王道教育は、 「 身を正せ 」 + 「 民を慈しめ 」 です。

          劍道は、 「 一人で相手を倒して生き延びる道を身に付けよ 」 です。


          今、附け加へるとすれば、東西の文學作品をよく讀み、映畫・演劇を見ておけ、と言ひたい。

          文學作品や映畫・演劇は、人の葛藤・人の心理を描いてゐるからです。

          部下の心理が讀めぬやうでは、人は使へません。


          最近、再讀した長嶋隆二 『 政界秘話 』 ( 平凡社、昭和3.10.25、1圓20錢 ) によると、

            ( 長嶋隆二:桂太郎の遺志を繼ぎ、政黨政治=民主政治實現のため奮鬪した政治家。

            ( 初め桂太郎が創立した憲政會を盛立て、軈て脱黨して第三勢力結集に盡力します )

          長い政治生活の間に私の得た處世訓は 「 誠意 」 と 「 忍耐 」 だと言つてゐます ( 84頁 ) 。

          「 誠意のない仕事は成就しない。誠意を盡してやる仕事は必ず成功する 」 と ( 86頁 ) 。

          今、誠意を感じられる政治家が居ませうか?