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ニヒリズムと觀念論の慘禍
伊原註:これは 『 關西師友 』 平成23年7月號 8-9頁に掲載した 「 世界の話題 」 第259號です。
いつもの通り、少し増補してあります。
「 日本惡者論 」 の定説化
今評判の新刊
加藤康男 『 謎解き 「 張作霖爆殺事件 」 』 ( PHP新書、2011.5.31 ) 720圓+税
を讀みました。
張作霖爆殺はこれまで專ら、關東軍高級參謀 河本大作大佐の仕業とされて來たが、
實はソ聯 ( GRU/コミンテルン ) が企劃實行し、
關東軍にも協力させて日本陸軍の仕業と思はせた國際的謀略だといふのです。
( 關東軍、乃至 河本大作は、關東軍の仕業と思はせて張軍に攻撃させ、
( それを好機として關東軍が反撃し、武力制壓するつもりであつた。
( だから、ソ聯の張作霖暗殺計劃に便乘した。
( だから現場に、わざと關東軍がやつたかのやうな痕跡を殘した。
( 奉天軍に反撃させ、關東軍が武力制壓する契機を相手に造らせるためである。
( つまり、河本大作はソ聯の暗殺計劃に便乘しただけだつた。
( 張作霖を爆殺したのは、客車の天井に仕掛けられた爆藥であつて、
( 滿鐵線の橋梁下に仕掛けられた爆藥は誘導爆發して橋梁を壞しただけ。
( 客車天井の爆藥は、運轉席から スイッチ で爆破できた。
( だからいつでも殺せたが、滿鐵との交差地點で爆破するため、
( 現場で列車はスピードをうんと落してゐる )
暗殺實行者の中には張作霖の赤化した息子張學良もゐる、といふのです。
張學良は共産主義にかぶれてゐて、
祖國統一のため、國共合作による日本排除を謀り、
中央 ( 國民黨政權 ) に從はぬ親父の抹殺に協力したのだと。
ソ聯が張作霖暗殺を企てたのは、張作霖が反共で滿洲からソ聯を締め出そうとしたからです。
帝政ロシヤ以來のソ聯の權益・中東鐵道 ( 東清鐵道 ) の回收を試みたり、
1927.4.6 北京のソ聯大使館を捜索して關係者逮捕を逮捕し、
陰謀工作證據書類を暴露したこと──への報復である。
歴史の裏に潛む暗黒を垣間見せてくれる貴重な本でした。
張作霖爆殺事件に關する通説の一つが
大江志乃夫 『 張作霖爆殺──昭和天皇の統帥 』 ( 中公新書、1989.10.25 ) 520圓
です。
周到な論考ながら、副題からも想像できるやうに日本國内の動向分析だけ。
「 關東軍の工作 」 なのに、シナ側の動きもソ聯側の動きも一切無視してゐます。
だから、 「 關東軍がやりたくてやつた 」 としか思へぬ筋書きになつてゐます。
凡そ 「 張作霖爆殺 」 を扱ふ日本の現代史學者は
「 日本がいかに自發的に惡事をなして來たか 」 にしか關心がなかつたのです。
彼らの多くは唯物史觀に立脚し、 「 日本帝國主義=惡 」 、
赤化を正義として歴史を組立ててゐました。
伊原註:比較的新しい學術本 ( つまり若い研究者 ) で張作霖爆殺事件を扱つてゐるのが、下記です。
服部龍二 『 東アジア國際環境の變動と日本外交 1918-1931 』
( 有斐閣、2001.10.31 ) 5600圓+税
服部さんは、先づ 「 定説 」 ( つまり通説 ) を紹介します ( 211-212頁 ) 。
關東軍は參謀本部の内報で滿鐵附屬地外派兵に必要な奉勅命令を 5.21 に發すると聞き、
張作霖に下野を求める好機として奉天軍武裝解除の準備を進めたものの、
田中義一首相が優柔不斷なため、奉勅命令得られず。
そこで關東軍司令官 村岡長太郎中將は、張作霖暗殺の密使として竹下義晴少佐を北京に派遣。
これを察知した關東軍高級參謀 河本大作大佐は、自分に暗殺を一任せよと竹下少佐を説得し、
獨立守備隊歩兵第二大隊中隊長 東宮鐵男大尉・龍山工兵第20大隊附 桐原貞壽工兵中尉らと共
に爆殺を決行した。
服部さんはしかし「戰前の河本證言」と戰後の「供述書」が「兩立し難い」と惱みます(214頁)。
ですが、この二つの證言は、どちらも 「 信じ難い 」 のです。
戰前の證言は 「 建前 」 に終始し、 「 歴史の舞台裏の眞實 」 からは程遠いから。
戰後の太原での法廷供述書の場合は、
「 シナの法廷は眞相究明の場ではなく、
「 裁く側の政治的結論を復唱さす場に過ぎない 」 からです。
さて、もう一つ、 「 決定的 」 な 「 通説 」 を紹介してをきませう。
佐々木到一 『 ある軍人の自傳 』 ( 普通社、昭和38.6.30 ) 280圓 の 192-193頁に出てくる話です。
密かに關東軍高級參謀 河本大作大佐に書を送り、奉天軍の潰滅免れ難きを豫察し、
この機會に一擧張作霖を屠つて學良一派の似而非新人的雷同分子に讓らしめ、
然る後彼の腕を捻じ上げて、一氣呵成に滿洲問題を解決せんことを勸告した。
この事件の眞相を活字に組むことは永久に不可能であるが、
一世を聳動した彼の皇姑屯の張作霖爆死事件なるものは、
予の獻策に基づいて河本大佐が畫策し、
在北京歩兵隊副官 下永憲次大尉が列車編制を密電し、
在奉獨立守備隊中隊長 東宮鐵男大尉が電氣點火器のキイを叩いたのである。
( 中 略 )
右の列車には豫備大佐 町野武馬、現役顧問 儀我誠也大尉 が乘込んでゐたが、
臭いと思つた町野は塘沽で下車、律儀者の儀我は共に遭難して
辛ふじて一命を取留めた。
いかにも關東軍が主體的にやつたやうですが、
實は 「 ソ聯の工作への“便乘" 」 に過ぎなかつたのです。
赤化傳染病の蔓延
フランス革命後、近代國家形成競爭が進展します。
19世紀を通じて歐米列強と日本が近代國家化し、勢力爭ひを演じました。
伊原註:近代國家 ( 國民國家 ) の原型は、三十年戰爭で獨立を達成したオランダです。
次いで ピューリタン革命と名譽革命、その後 ハノーヴァー家から英語が喋れぬ王を迎へた英國です。
( 議會に於る王 king in parliament といふ形で近代國家になります )
そして歴史のない新天地 アメリカ に人工の共和國を創設した アメリカ合衆國。
しかし、 「 典型 」 は 米國獨立戰爭歸りが米國から新思想を持込んで王政を打倒した
フランスであり、フランス革命の理想 「 自由・平等・友愛 」 を歐洲と日本に振り撒いた ナポレオン です。
この國民國家の理念は、19世紀後半に歐洲及び日本に傳染し、
自主獨立の理念を旨とする十に滿たぬ中産階級國家 ( 自由・平等・友愛の國家 ) が
列強 the Powers として抗爭するのが 19世紀後半から 20世紀前半の時期です。
この時期、近代國家形成に出遲れたロシヤで、世直しと稱する ニヒリズムが生れます。
「 モスクワは第三のローマ。
「 第一のローマも、第二のローマである ビザンチンも世界人類救濟に失敗した。
「 この神聖なる人類救濟の使命は、今やロシヤ人が擔ふに到つた 」
と確信します。
「 この神聖なる使命遂行を邪魔する者は斷固抹殺する!
「 神は、使命遂行のための殺人を嘉し給ふ 」 ( お許しになる )
このナロードニキの革命論を受繼ぐのが レーニンの共産主義です。
( 正確には 「 リェーニン 」 と發音します )
「 世界共産化といふ人類解放の聖なる使命を邪魔する奴は誰であらうと抹殺する! 」
レーニンは、世界共産化のための組織を複數創りました。
第一にコミンテルン。
第二に赤軍諜報部GRU。
第三に各國の知識人を洗腦・教化するミュンツェンベルク・コンツェルン
( 星乃治彦 『 赤いゲッベルス──ミュンツェンベルク と その時代 』
( 岩波書店、2009.12.22 ) 2800圓+税
この第三の組織が、第一次世界大戰後の列強の高學歴知識人を席捲します。
1920年代〜1930年代の青年學徒がいかに軒並み“赤化”したことか!
ソ聯は、國内で 「 計劃經濟 」 を實施しつつ、
國外で共産革命といふ名の現状打破・現存秩序破壞を續けました。
計劃經濟とは、戰時經濟體制であり、軍需物資中心の“傾斜生産" 體制ですから、
民生を無視した頗る無理な經濟體制です。よくあれだけ續いたものです。
この既成秩序破壞工作は、ソ聯崩壞後も各國・各地で續いてゐます。
ニヒリストが政權を握つた日本
現に我國では、ニヒリスト ( 現状破壞者 ) が政權に就きました。
だから着々と國民國家を解體中です。
背任横領集團が日本政府を乗つ取つてゐるのです。
だのに我國民は危機感を持たない。
日本は着々と解體されつつあるのに!
ニヒリストを政權につけたのは、虚像 ( イメージ ) で動く 「 智慧なき人々 」 です。
伊原註: 「 智慧がない 」 とは、 「 洞察力がない 」 、 「 先が見えない、見ようとしない 」
といふ意味です。
農業時代 → 輕工業時代 → 重化學工業時代と進むにつれ、
仕事が抽象化し、觀念化します。
更に高學歴化が進み、人々は手仕事でなく、頭腦の仕事に偏ります。
輕工業時代まで、人々がどんな仕事をしてゐるかは、見れば判りました。
重化學工業時代になると、例へば化學工場では何が進行してゐるかが判り難くなります。
この時期に大量増殖するサラリーマンも、見ただけでは何をしてゐるか、よく判らない。
抽象的な仕事が殖えるのです。
「 賢い人が工夫すれば事態を改善できる 」 とは、合理主義者の信念です。
でも人間の頭は單純ですから、 「 限られた狹い枠内 」 でしか賢さは通用しません。
ところが自然は、生態學が實證したやうに ネットワークで全て繋がつてゐます。
最善の設計をした筈の家が、住んでみると使ひ勝手の惡さを痛感します。
たかが一軒の家でもこれです。
ところが頭でつかちの知識人は、賢者が合理的に設計すれば國民經濟でさへ高能率に動かせる筈と考へ、
資本主義の 「 競爭による無駄・浪費 」 を嫌ひ、社會主義・共産主義を唱へました。
つまり 「 革命論 」 の提唱と、その蔓延です。
そして不賛成者多數を殺して計劃經濟による國家運營といふ壯大な實驗を70年續けました。
その結果は壯大な破綻でしたが、革命信者 ( 改革ニヒリスト ) は 今なほ全然懲りてゐません。
世は情報社會だの假想社會だのと言つて虚 virtual reality をもて囃しました。
テレビといふ虚の媒體の普及と ブラック・ボックスの氾濫がそれを支へます。
テレビを見て育つ子供は、實體驗が空疎です。
何でも知つてゐるやうで居て、實は碌にものを知らない。
こまっしゃくれた批評はしても、やらせると何も出來ない。
かういふ 「 虚が蔓延する時代 」 だからこそ、知識より智慧を大事にすべきなのです。
江戸時代の學者が唱へた 「 實學 」 は、知識でなく智慧を重んじました。
明治が唱へた 「 實學 」 は、實用を重んじました。
人間が、江戸時代よりずつと輕佻浮薄になりました。
それでも、三世代同居してゐた戰前の家族は、祖父母の生活の智慧が父母にも子供にも傳はりました。
姑との同居を排除した戰後の核家族では、經驗未熟な若夫婦が子育てしますから、
「 先輩の生活の智慧 」 が後輩に傳はりません。
ですから、子供の躾けどころか、生れた我が子を前にして、
「 どう育てれば良いか 」 と茫然自失する羽目になります。
智慧を輕視する人は輕佻浮薄です。足が地に着いてゐない。
智慧は體驗し、失敗し挫折して身につきます。
「 試行錯誤 」 といふ言葉が“昔" ありましたね。
「 七轉び八起き 」 とか 「 失敗は成功の元 」 とか。
今や“死語" です。
江戸時代の 「 實學 」 に還りませう。
伊原註:江戸時代の 「 實學 」 について一言してをきますと、
その最善の産物が横井小楠の 「 實學 」 です。
それを明治以降に繼承したのが、高橋是清です。
横井小楠については、さしあたり、下記三冊をお讀み下さい。
別冊 「 環 」 『 横井小楠 1809-1869 「 公共の先驅者 」 』
( 藤原書店、2009.11.30 ) 2800圓+税
平石直昭・金 泰昌編 『 横井小楠:公共の政を主唱した開國の志士 』
( 東京大學出版會、2010.9.15 ) 4700圓+税
堤 克彦 『 横井小楠の實學思想:基盤・形成・轉廻の軌跡 』
( ぺりかん社、2011.4.10 ) 8000圓+税
高橋是清については、下記二冊が好適です。
リチャードJ.スメサースト ( 鎭目雅人・早川大介・大貫摩里譯 )
『 高橋是清:日本のケインズ その生涯と思想 』
( 東洋經濟新報社、2010.10.12 ) 5000圓+税
松元 崇 『 高橋是清暗殺後の日本: 「 持たざる國 」 への道 』
( 大藏財務協會、平成22.8.10/11.25 3版 ) 1800圓+税
子供を、食衣住行の成立つ實務環境の中でこそ育てねばなりません。
田畑と無縁の場所で、人がまともに育つ譯がありません。
都會の白壁の部屋で子供を育ててはいけません。
都會は過度の人工環境であり、生物にとつて不毛の地です。
高層ビルで育つた子供は“足が地につかず”情緒不安定に育つさうです。
子供は、どろんこになるやうな場所で、裸足で育てませう。
必ずや生物 ( 植物・動物・昆虫 ) と仲良くなります。
第一次産業のない場所は、生物にとつて不健全極る場所です。
( 2011/平成23年 6月 9日/ 6月20日加筆 )