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その後の馬英九政權
伊原註:これは、市村眞一先生の要請により、
財團法人 日本學協會の機關誌 『 日本 』 平成23年6月號 ( 25-30頁 )
に掲載した文章です。
近頃の台灣の政情を概觀してゐるので、掲載します。
冒頭で觸れた 「 馬英九政權の台灣 」 も、近く掲載することにします。
一 經濟と水害に翻弄された馬政權
( 1 ) 對中接近による台灣經濟活性化
この前本誌に 「 馬英九政權の台灣 」 を掲載したのは平成20年12月號 ( 12-18頁 ) 、
執筆は9月15日ですから、馬英九就任 4ヶ月分しか書けてゐません。
その後 2年半經ち、今や年末の立法委員選擧と來年 3月の總統選に向けて候補者選びが始りました。
伊原註:その後、この二つの選擧の同時開催が決まり、
來年 1月14日 ( 土 ) 乃至 1月21日 ( 土 ) に實施の豫定です。
馬政權の 「 その後 」 の筆頭に觸れるべきは、公約の賣物だつた 「 經濟 」 です。
民進黨政權下で台灣經濟は決して惡くはなかつたのに國民黨は 「 惡い 」 と決め付け、
「 馬英九が總統になれば景氣は直ぐ良くなる 」
と賣込んだことは前掲文にも書きましたが、
そこで觸れて置いたやうに、就任後、株價が半減しました。
馬英九の總統就任式前日の 5月19日に9068點だつた株價指數が、
就任 1ヶ月で 7902點に下り、
7月に 6708點と底を打ち、
8月も 6000點代で推移します。
そこへ 9月、世界經濟を直撃する 「 リーマン・ショック 」 が台灣經濟の足をさらに引張りました。
これに追討ちをかけたのが、馬英九總統の指導力を疑はせた 「 八八水害 」 の襲來です。
( 2 ) 問はれた政權の危機管理能力
馬總統就任 2年目の 8月 8日、颱風 8號が襲來しました。
伊原註:日本でいふ 「 颱風 8號 」 は、
台灣では モーラコット颱風 Typhoon Morakot といふ 「 アジア名 」 で稱びます。
( 漢字=莫拉克 )
モーラコット とは、タイ語で エメラルドのことです。
米國流に、毎年の颱風名を アルファベット順に名付けるのです。
中南部を直撃して一年分の降雨量に相當する量の雨をたつた 3日間に降らせたのです。
伊原註:6日〜10日の南部地區の降水量は下記の通り。
嘉義縣阿里山 2855ミリ
台東縣尾寮山 2686ミリ
高雄縣後油山 2517ミリ
因みに、台灣の年間降水量は、平地 2500ミリ/山地 4000ミリ です。
被害は山地のほか、海底も土石流で海底ケーブル 6本中 5本まで截斷しました。
直撃を免れた台北に居た馬政權首腦部は、暢氣に構へて失態を演じます。
馬英九總統は 「 救援は地方の擔當 」 と言つて緊急命令發出要請を拒否し、
その後1週間姿を隱して 「 宅男 」 ( 引籠り ) と誹られます。
國防部長 陳肇敏は軍動員手遲れ、
行政院長 劉兆玄は悠々白髪染め、
行政院秘書長 薛香川は 家人と共にホテルで父親節の祝宴。
不謹慎と咎められた テレビの call in 番組に
自ら電話を掛けて 「 父親節を祝つて何が惡い! 」 と居直り、
視聽者の總スカンに遭つて、後で平謝りに謝る失態を演じます。
その間に南部の小林村 ( 原住民村 ) の五百人が土石流で生埋めになりました。
馬政權が災害對策に動くのは一週間後。
この對應の鈍さと、
災害地を見舞つた際の不用意な言動に非難が殺到し、馬政權の評價は地に落ちます。
中共總書記 胡錦濤は、對台政策推進の相手方の餘りの無樣さに、
「 馬英九は大丈夫か? 」 と危ぶみ、
「 代りを捜さねば…… 」 と考へたといふ話が傳はりました。
馬英九の危機管理無策は、台北市長時代のSARS ( 新型肺炎 ) 騒ぎ以來です。
あの時も馬英九は 1週間姿を消し、騒ぎが收る頃にやつと姿を現はしました。
彼は咄嗟の對應ができぬ人なのです。
だから討論が苦手、豫め質問を知つて充分準備しないと答が出せぬ人です。
( 3 ) 内閣交代:學者内閣から脱皮
八八水害危機を、馬總統は
行政院長交代 ( 劉兆玄→呉敦義 ) と
内閣改造:救災遲延の責任者更迭、
若手のホープ朱立倫 ( 桃園縣長 ) を副院長に起用、
新任13人・留任25人
で切抜けます。典型的な蜥蜴の尻尾切りです。
劉兆玄は馬英九好みの外省人學者でしたが、
呉敦義は台灣大學卒業後、革命實踐研究院で權謀術數訓練を受けて
新聞記者 ( 『 中國時報 』 記者・主筆 ) も務めた口の達者な本省人政客です。
この内閣交代で、馬政權の人氣は稍 盛返しました。
二 傾中で態勢挽回を圖る馬政權
( 1 ) 中共の馬政權支援
中共は傾中路線を取る馬政權を支援します。
馬英九の傾中による台灣經濟活性化策は、
「 三通 」 の完成 ( 特に船舶・航空機の直行便運航 ) 、
中國人觀光客の取込み、
中國人學生の台灣留學受入れなど
各種ありますが、その中核に、兩國の交渉團體、
中國側の海峽兩岸關係協會 ( 海協會 ) と
台灣側の海峽交流基金會 ( 海基會 ) の交渉による
經濟貿易關係の緊密化
があります。
兩會の協議は、1999年の李登輝總統 ( 當時 ) の
「 二國論 」 ( 台灣と中國は特殊な二國間關係 ) 發言で途切れてゐたのが、
馬政權下で復活します。
その協議のうちの海協會 陳雲林會長と海基會 江丙坤董事長が行つた
トップ會合日程は 次の通り。
江丙坤・陳雲林會談:日時・場所・協議内容
第一回 2008年6月 北京:直航チャーター便の週末運航/中國人觀光客の訪台解禁
第二回 2008年11月 台北:直航チャーター便の毎日運航、貨物便も/海運で相互の港灣開放
第三回 2009年4月 南京:直行便の定期便化/金融機關の相互進出
第四回 2009年11月 台中:ECFAにつき意見交換
第五回 2010年6月 重慶:ECFA調印
第六回 2010年12月 高雄:醫藥衛生協力協定調印
ECFAは 「 經濟協力枠組協議 」 Economic Cooperation Framework Agreementの略語で、
中國産品 539品目と台灣産品 267品目の計 806品目を
關税早期引下げ項目 early harvest list として 2013年1月までに撤廢するといふ、
台灣側に有利な取決めとなつてゐます。
台灣を取込むための餌ですね。
中共側の仕掛けがあります。
第三回の南京:
國共内戰で中共軍が南京を解放した記念日 ( 4月25日、南京解放60周年記念日 ) に開催。
第五回の重慶:
蔣介石と毛澤東が和平會談をした場所、蔣介石轉落の始りとなる場所。
共に國民黨に 「 敗者意識 」 を再認識させる意圖が見え見えです。
ともあれ、台灣は傾中策により、經濟が浮揚しました。
株價は現在 8000點台で推移中ですし、
2010年の實質經濟成長率は 10.47 % と二桁に達し、
1987年以來 23年ぶりの高成長です。
( 2 ) 陳水扁夫妻を懲罰した米國
陳水扁民進黨政權は陳總統 2期目の選擧 ( 2004年 3月實施 ) に向けて、
前年の 2003年夏以來、
總統選の際の新憲法制定の國民投票實施など、獨立志向をにほはせて
ブッシュ大統領を怒らせ、
温家寶首相との共同記者會見の席 ( 2003.12.9 ワシントン ) で
「 台獨反對 」
「 台灣海峽の現状を一方的に變へたがつてゐるやうに見える台灣の指導者の言行に反對 」
と言はせてしまひました。
この時期以降、米中は結託して陳水扁と民進黨政權を抑へにかかります。
馬英九の總統就任と入れ違へに陳水扁が拘束されます。
軟禁状態の儘法廷に立たされ、夫婦で有罪になつたのは、米國のさしがねでせう。
その象徴みたいに、台北地方法院が陳水扁夫妻に無期懲役と 2億元/ 3億元の罰金を宣告したのが
2000年 9月11日です。
陳水扁は テロ犯並の米國の敵……!?
台灣は米國の保護國ですから、米國の御機嫌を損じてはならないのです。
陳水扁前總統夫妻は昨年11月に台灣最高法院の判決が確定しており、
夫婦とも懲役20年と罰金 1億5000萬元。
陳水扁は昨年12月に收監濟、
呉淑珍は身體傷害のため息子の陳致中が預つて面倒を見てゐます。
( 3 ) 蔡英文民進黨の挽回
民進黨は、
陳水扁が米中とその手先を務める國民黨の包圍網の中で徹底的惡宣傳で潰され、
2008年の立法院選と總統選で大敗しました。
萎縮した儘 野に降つた民進黨を引受け、再建したのが蔡英文主席です。
陳水扁は無類の選擧氣違ひ。
彼の選擧作戰は、中共を挑發して攻撃させ、
台灣人の台灣意識を搔き立てて本土派の民進黨に票を集める手法です。
兩岸關係が緊張するので、中間派に嫌はれました。
伊原註:ブッシュ前大統領を怒らせたのも、この手法です。
蔡英文はこれに懲りて、別の手法を採りました。
中間層を取込むため、穩健路線に切換へたのです。
獨立派からは生温 ( なまぬる ) いと批判されましたが、
陳水扁の中共搖さ振り戰法に危惧を抱いてゐた人達からは歡迎されました。
その證據に、選擧で連勝します。
先づ、2009年 9月26日、雲林縣の立法委員補缺選擧で民進黨が大勝しました。
馬英九の 「 選擧常勝 」 神話崩壞の始りです。
次に、同年12月 5日の統一地方選で民進黨が激戰區を制し、馬英九神話が更に崩れます。
更に國民黨と民進黨の得票率が、前回の 9%差が、今回は 2.5%差に縮りました。
馬英九が腹心の金溥聰を急遽、米國から呼び戻して國民黨秘書長に起用したのは、
打續く選擧の頽勢を挽回するためです。
更に 2010年 1月、桃園・台中・台東の立法委員補選で民進黨全勝。
同年二月の桃園・新竹・嘉義・花蓮の立法委員補選でも 4議席中 3議席獲得。
實に民進黨四連勝!
敗選が續いた國民黨の選擧參謀 金溥聰秘書長は、
「 就任早々だから 」 といふ理由で何とか 引責辞職を免れました。
斯くて蔡英文主席の評判は上々、2010年 5月23日の民進黨主席選で蔡英文が壓勝して再選されます。
伊原註:第13回黨主席選擧 投票率 58%
蔡英文 ( 53歲 ) 7萬8192票
尤 清 ( 68歲 ) 8406票
尤清=元台北縣長・美麗島事件の辯護士を務めた美麗島世代の人物
そして11月の五都首長選擧戰です。
民進黨は南部の高雄・台南を制し、國民黨は北部の台北・新北・台中を制しました。
この選擧結果は一見現状維持で變化なしのやうに見えますが、
民進黨が台北市に蔡英文、新北市に蘇貞昌を候補にしてゐたら、
兩市とも制してゐたかも知れません。
伊原註:蘇貞昌は台北縣長を二期務めて評判上々でした。
だから新北市長に出てゐたら當選確實だつたのに、敢へて台北市長に出ました。
黨内手續を無視して、逸早く 「 台北市長に立候補する 」 と宣言したのです。
その意は、國民黨が斷然強い台北市長選で惜敗して、
2012年の總統選で同情票を得る作戰だと推察されてゐます。
一方、蔡英文は英國留學の學者ですから、田舎の台北縣より、都會の台北市の方が有利です。
それを田舎の台北縣 ( 新北市 ) に追いやつた蘇貞昌の打算は、
自分の都合を優先し、民進黨の黨益は後回しにする遣り方です。
蔡英文主席は、不利な新北市長選で善戰しましたから、
今回、蘇貞昌を退けて總統候補になつたのは當然の結果でしょう。
( それにしては、蘇貞昌との差が小さすぎましたが )
蘇貞昌が總統候補として問題がある點は更に二つあります。
2008年 3月の總統選の時、二つの問題行動をとりました。
( 民進黨の總統候補=謝長廷、副總統候補=蘇貞昌 )
第一、副總統候補でありながら、
「 私は外交にも國際問題にも全く關心がありません 」 と言明しました。
それなら副總統候補になんかなるなよ、と言ひたくなります。
台灣の内部問題にしか目が行かない地方政治家なのでせう。
第二、民進黨の副總統候補でありながら、總統候補の謝長廷の足を徹底的に引つ張りました。
これは、謝長廷が當選したら副總統として年を取り、總統選出馬の見込みが減るので、
謝長廷を落選させ、自分が次の民進黨の總統候補になることを狙つたための非協力、と
解釋されて居ます。
つまり、蘇貞昌とは、せいぜい縣市長止まりの田舎政治家であり、
公益より私益を優先する政客なのです。
それに 盤石と思はれてゐた台中市の國民黨候補 胡志強が
民進黨の新人候補 蘇嘉全に猛追され、
あはやといふ接戰を演じました。
まだあります。
總得票數では民進黨が 49.87%、國民黨が 44.52% と逆轉しました。
だから、總統選で民進黨が勝つ見込みが出て來ました。
また五都の市議選では、國民黨 130議席 ( 得票率 38.63% ) 、民進黨 130議席 ( 得票率 35.34% ) と、
これまで大差がついてゐた議席數が、同數になりました。
ですから選擧後、國民黨幹部は浮かぬ顔、民進黨幹部はにこにこ顔でした。
そこで蔡英文主席は次期總統選に出て馬英九國民黨主席に決戰を挑む……勢だつたのが、
最近少し雲行きが違つて來ました。
一つは黨内からです。
美麗島世代の呂秀蓮前副總統が逸早く總統候補に名乘り出ました ( 2月24日豫告、2月28日公表 ) 。
メディアでは蘇貞昌元行政院長が民進黨の最有力候補と見られてをり、
謝長廷元行政院長も意欲を見せてゐます。
この 3人とも美麗島世代でして、
蔡英文といふ新人に 「 油揚を攫はれたくない 」 思ひを秘めてゐます。
今回、蔡英文主席は蘇貞昌に先んじ、3月11日に總統選出馬を宣言しました。
民進黨では二番目の名乘です。
五都首長選擧戰で、蘇貞昌が ( 黨内手續を無視して ) 逸早く台北市長選出馬を宣言したため
蔡英文なら勝てさうだつた台北市長戰を斷念し、
不利な新北市長候補に回つた苦い經驗に鑑み、
總統選では蘇貞昌より先に名乘を擧げたのです。
既に出馬を宣言してゐた女權運動家呂秀蓮は、
後輩女性の名乘に花輪を送つて 「 頑張れ! 」 と聲援したものの、
總統候補公認爭ひでは蔡英文を 「 保護に狎れた温室の花 」 と貶してゐます。
伊原註:呂秀蓮はその後、立候補を辭退しました。
黨外からは、國民黨立法委員が足を引張りました。
民進黨は國民黨の 「 18% の高利 」 政策を批判してゐるが、
黨主席の蔡英文も受給してゐるぞ、と暴露したのです。
「 18% の高利 」 とは、蔣家支配時代 ( 國民黨獨裁時代 ) に
「 軍人・公務員・教員 」 の退職金の一定額に高額の利子をつけた優遇策です。
伊原註:これは元來、 「 外省人優遇政策 」 でした。
軍・公・教は壓倒的に外省人が多かつたからです。
それが、大陸反攻が進まず ( 朝鮮戰爭以來、米國が阻止した ) 、
台灣に長期間居坐る羽目になつたため、
台灣人もこれらの職業で殖えて來たのです。
公務員退職者は、
──務めてゐた時とほぼ同じ收入があつてしかも毎日が日曜日
と喜んでゐるさうです。
( この人達は、國民黨の強固な支持者となります )
この莫大な金額の補填は税金からする譯で、
當然、この特權に與らぬ人達には憤慨の種です。
蔡英文が 「 貰つてはゐるが、その分以上を寄付してゐる 」
「 以後18%の適用を辭退する 」 と辯解しても、
一旦傷ついた蔡英文の 「 清潔 」 イメージは、恢復し難いやうです。
( 4 ) 中共の和平併呑構想
天安門事件當時、北京大學で教へてゐて運動學生を支援した袁紅冰 ( 現在濠洲在住 ) が
その後濠洲に亡命し、2009年11月に台灣で
『 台灣の大災難:二〇一二年に台灣併呑を企む中國 』
といふ本を出しました。
( 邦譯 『 暴かれた中國の極秘戰略 』 まどか出版、2010年 7月 )
それによると──
ケ小平は天安門事件のあと、江澤民を總書記に起用すると共に、
その次の代の後繼者 胡錦濤まで決めた上、
胡錦濤に遺囑して曰く、
「 お前の任期が終る2012年までに台灣問題を解決せよ 」 と。
ケ小平の考への主旨はかうです。
民主化した台灣を放置すると中國の民主化 ( 即ち中共政權崩壞 ) の導火線となる。
從つて、一刻も早く併呑せねばならぬ。
香港は條約があつて解決できたが、條約がない台灣は時と共に解決し難くなる。
お前の代のうちに解決せよ。
そこで胡錦濤は台灣併呑策を立てたと、袁紅冰はいふのです。
馬英九が總統に就任して 1ヶ月後の 2008年 6月、
胡錦濤は中共中央政治局擴大會議を開いて台灣問題解決のための三文書を通過したのだと。
第一文書= 「 戰はずして勝つ 」 台灣平和接収策
第二文書=萬一のための對台軍事接収準備策
第三文書=台灣併呑後の政治的法律的善處策
この經緯や解説について、詳しくは
拙稿 「 袁紅冰が暴露した中國の台灣併呑計畫 」 ( 『 正論 』 平成22年四月號 ) か、
上記邦譯を御覧下さい。
中共の願望を繪に描いたやうな台灣接収案です。
中共の手先はとつくの昔から台灣に浸透してゐて、
今や政界・財界・官界・學界・教育界・言論界は言ふに及ばず、
宗教界 ( 佛教界 ) からやくざの世界にまで影響力が及んでゐると言はれます。
これが本當なら、2012年の總統選で民進黨は絶對勝てぬことになりますが、
さうは問屋が卸すかどうか、あと 1年に迫つた台灣の次期總統選に注目しませう。
伊原註:これを 「 讀書室 」 に掲げる今となつては、 「 あと半年 」 に迫つて來ました。
三 米中關係が台灣の運命を決める
問題は、台灣を保護國にしてゐる米國が、中共の台灣併呑をすんなり認めるかどうか、です。
御承知の通り、昨2010年に米中關係に對抗的側面が浮上しました。
中共軍部が、軍擴が進むにつれて強硬發言を頻發し始め、
それに米國が些か苛立つ局面が出て來たからです。
もう紙數がないので、二つだけ書き、あとは次の機會を待ちませう。
2010年 7月 1日、中共が 「 國防動員法 」 を施行しました。
有事の際に國務院・軍部が人も物も總動員できるようにした法律です。
18歳以上の男女を、在外中國人も含めて動員できる。
日本に滯在する中國人にも武裝蜂起を命令できるのです!
また中國にある外資企業も動員可能、中國の戰爭に有無を言はさず協力させられるのです。
中共にとり、 「 戰爭準備完了! 」 の法律です。
中共はこのやうに、着々と 「 戰爭態勢 」 を整へてゐるのです。
台灣では、馬英九の“never”發言が要注意です。
彼は 2010年 4月28日、米國 CNN の取材に答へてかう言ひました。
We will never ask the Americans to fight for Taiwan.
「 今後アメリカ人に、台灣のため戰つて欲しいとは、絶對頼まない 」
尖閣諸島の問題も台灣問題に連動してゐます。
米國は、台灣のために中國と戰ふことはないでせうが、
さりとてシーレーンの要衝台灣を簡單に手放すとも思へません。
それでも中共は 斷固台灣を併呑する と言ひ續けてゐます。
日本にとつても台灣が中國の一部になるのは望ましくない。
では日本はどうするか?
西太平洋、波高し!
( 2011.3.15 執筆/5.4 補筆 )
追 記:
3月15日執筆のこの文章が掲載されたのは 6月號、手許に届いたのは 5.4 です。
その後の展開で書いてをきたい點は二つあります。
第一、總統選と立法委員選が同日開催になつたことは、前の方で註記しましたが、
もう一つ、國民黨・民進黨の總統候補が決りました。
中國國民黨=馬英九總統
民主進歩黨=蔡英文主席
副總統候補は、兩黨とも未定の儘です。
第二、餘計なことかも知れませんが、こんな情報あり。
濁水溪の水が澄んだ! これは、二度目の政黨交代の豫告?
台灣の各メディア が 4月25日に報道した所によれば、
著名な寫眞家 林藝斌が 4月13日に濁水溪の上流を寫したところ、水が澄んでゐた。
この寫眞家は、曾て 2000年にも濁水溪の水が澄んだのを撮影したことあり、
その時、國民黨から民進黨への政權交代が起きた。
台灣では昔から、濁水溪の水が澄むと支配者が變ると言ひ傳へられてゐる、と。
かう傳へた台灣メディア は、 「 2012年の總統大選の結果を待たう 」 と付加へてゐます。